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【第15話】地下室の「お掃除」で、伝説の魔獣を拾いました。……閣下、そんなに毛玉(魔獣)を睨まないでください

 庭園がリーネの手によって瑞々しい息吹を取り戻してから、王都郊外の別邸には、かつてないほど清澄な風が吹き抜けるようになっていた。

 老庭師バルトは、今やリーネが庭に一歩足を踏み出すだけで「姫様、本日の御加護を!」と地面に額を擦り付けるほどの心酔ぶりだ。だが、そんな平穏な日々の中でも、リーネの「お掃除魂」が黙っていられない場所が、この屋敷にはまだ残されていた。


「……閣下。あの、地下室の扉の隙間から、とっても重たい『埃の匂い』がしてまいりますわ」


 朝食の席で、リーネは丸眼鏡を直す仕草をしながら、食堂の隅にある古い鉄の扉を指差した。

 ジークヴァルトは、リーネの皿に細かく切り分けた最高級の果実を運びながら、僅かに眉を寄せた。


「……あそこか。あそこはカステル家の古い因縁――過去に受けた呪いや、使い古した魔導具の残骸が封印されている場所だ。専門の魔導師でさえ、防護魔法なしには立ち入れない『澱み』の深淵だよ。リーネ、君が気にする必要はない」


「でも、お屋敷の底が汚れていると、せっかく綺麗になった一階や二階まで、どんよりしてしまいますわ。……私、少しだけ『掃き掃除』をしてまいります」


 リーネの瞳には、恐怖ではなく、大掃除を控えた職人のような使命感が宿っていた。

 ジークヴァルトは溜息をつくと、観念したように席を立った。彼はリーネを一人で行かせるつもりなど毛頭ない。


「……分かった。だが、決して私の側を離れるな。何かあれば、私がその地下室ごと虚無に葬り去るからな」


「そんな、お掃除しに来たのに壊しては意味がありませんわ。さあ、行きましょう、閣下!」


 ◆


 ジークヴァルトが重い鉄の扉の封印を解くと、そこからは、物理的な重圧を伴うような冷たく湿った空気が溢れ出した。

 階段を下りるたびに、壁には粘り気のある「闇の煤」がこびりつき、数百年の間放置された埃が、魔力を帯びて不気味な影のように蠢いている。


「……ひどい。これでは、お屋敷が可哀想ですわ!」


 リーネは憤慨した。彼女にとっては、そこは「呪いの封印地」ではなく、単なる「最悪に不衛生な物置」に過ぎなかった。

 彼女は収納袋から、第十一話で手に入れた特注の【白銀熊のブラシ】と、浄化魔力を極限まで高めた【聖水のバケツ】を取り出した。


「【洗浄クリーン】――いえ、ここは『根こそぎ磨き上げ』いたしますわ!」


 リーネがバケツの水を一気に階段へとぶちまけた。

 シュアァァァァァッ!!

 水が闇に触れた瞬間、地下室全体が悲鳴を上げるような音を立てて白く発光した。

 こびりついていたカビや瘴気が、リーネの【神域の純浄】によって瞬時に分解され、光の粒子となって消えていく。彼女がブラシを一段、また一段と振るうたびに、死んでいた空間に「生命の輝き」が取り戻されていった。


 地下室の最奥にたどり着いた時、そこはもう、王宮の宝物庫よりも清らかな聖域と化していた。

 だが、部屋の隅、古い木箱が積み上がった影で、何かが「キュゥ……」と弱々しく鳴いた。


「あら? 誰か、いらっしゃるのかしら」


 リーネが光をかざすと、そこには直径五十センチほどの、巨大な「灰色の毛玉」が縮こまっていた。

 二つの大きな金色の瞳が、怯えたようにリーネを見上げている。


「……リーネ、下がれ。それは『塵喰らい(ホコリクイ)』――瘴気や汚れを食べて生きる伝説の稀少魔獣だ。これほどの澱みがあった場所だ、奴にとっては最高の餌場だったのだろうが……」


 ジークヴァルトが剣の柄に手をかけ、冷徹な殺気を放った。

 魔獣は、ジークヴァルトの圧に震え上がり、毛を逆立ててさらに小さくなる。どうやらリーネがお掃除を完璧にしすぎてしまったため、餌(汚れ)が消滅し、お腹を空かせて餓死寸前だったようだ。


「……閣下、待ってください! この子、とってもお腹を空かせていますわ。それに、こんなにふわふわな毛並みなのに、埃まみれで可哀想です……」


 リーネはジークヴァルトの制止を振り切り、魔獣の前に膝をついた。

 彼女は収納袋から、自分の魔力を練り込んで作った「特製・浄化の金平糖」を一粒取り出し、そっと差し出した。


「ほら、怖くないですよ。これを召し上がれ。とってもスッキリしますわよ?」


 魔獣は、おそるおそる鼻を動かし、リーネの指先にある金平糖をパクりと食べた。

 その瞬間、魔獣の灰色の毛が、内側から発光するように真っ白に変化した。

「キュイィィ!」と嬉しそうな声を上げると、魔獣はリーネの膝に飛び込み、その頬をペロペロと舐め始めた。


「まあ! 懐いてくれたのね。ふふ、くすぐったいですわ」


「……リーネ。その毛玉を今すぐ離せ」


 背後から、地響きのような低い声が響いた。

 ジークヴァルトの周囲には、先ほどの魔獣への警戒とは比較にならないほどの、凄まじい「嫉妬」の魔力が渦巻いていた。


「閣下? この子、とってもお掃除に詳しそうですわ。これからは私の助手として……」


「助手だと? 私の許可なく、そんな得体の知れない毛玉を君の側に置くなど認めん。……おい、毛玉。その汚い舌を今すぐ引っ込めろ。リーネの肌に触れていいのは、世界で私一人だけだ」


 ジークヴァルトは魔獣の首根っこを掴んで引き剥がそうとするが、魔獣ホコリクイも必死でリーネの服にしがみついている。

 どうやらこの魔獣、リーネが放つ純粋な浄化魔力の「美味しさ」に完全に胃袋を掴まれてしまったらしい。


「いいではありませんか、閣下。地下室の番人さんだったのですもの。ね、ホコリちゃん?」


「キュイ!」


「名前までつけるな! ……ハンス! 今すぐこの毛玉を隔離する檻を持ってこい。……いや、やはり焼き払って……」


「閣下! そんなことしたら、私、もう今日はお掃除しませんわよ!」


 リーネのまさかの「掃除ストライキ」宣言に、王国最強の騎士は凍りついた。

 結局、もふもふの魔獣は「ホコリ(仮)」として、別邸の新しい居候、兼リーネの掃除助手(という名のペット)として迎え入れられることになった。


 ◆


 数時間後。地下室から戻ったリーネは、ホコリを抱っこしながら「次は屋根裏のお掃除ね」と楽しそうに笑っていた。

 ジークヴァルトは、リーネの背後でホコリに向かって、言葉を使わずに『隙あらば消し去ってやる』という強烈な視線を送り続けている。


 だが、そんな平和な光景の裏で、王都では着々と「罠」が仕掛けられていた。

 神殿の汚職司祭と、兄ロイド。

 彼らは、リーネが隠れ家で「恐ろしい魔獣を従え、邪悪な儀式(お掃除)に耽っている」という偽の目撃情報を捏造し、王家に働きかけていた。


「……ふふふ。あの女は、民衆を惑わす魔女だ。……あの死神辺境伯ごと、異端審問の火で焼き尽くしてくれよう」


 司祭の陰湿な声が、地下の密室に響く。

 自分たちを「掃除」しようとした光への、身勝手な復讐。

 リーネの無自覚な「もふもふ救済」が、皮肉にも彼女を窮地へと追い込む口実になろうとしていた。


 しかし、当のリーネは。

「まあ、ホコリちゃん、そんなところの埃まで食べてくれるのね! 優秀ですわ!」

 と、新しい仲間に夢中になり、迫り来る危機の足音に、まだ全く気づいていないのだった。


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