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【第13話】王都神殿からの呼び出し。偽聖女と疑われましたが、神殿の床が曇っている方が問題ですわ

 王都のスラム街が一夜にして聖域と化したという噂は、翌朝には尾ひれがついて王都全土を駆け巡っていた。

 「白き聖女が降臨した」「死神辺境伯が天界の使いを囲い込んでいる」――そんな真偽の混ざり合った喧騒を余所に、辺境伯家のタウンハウスには、これまでにないほど不穏な空気が漂っていた。


「……辺境伯夫人リーネ様を、聖女騙りの疑いにより、王都神殿へ召喚いたします」


 応接間に響いたのは、金属的な、血の通わない神殿使者の声だった。

 白地に金の刺繍が入った法衣を纏った使者たちは、傲慢なほどに顎を引き、ソファーに座るリーネを冷徹な視線で射抜いている。


「なっ……聖女騙りだと!? 私の妻が、いつそのような大それた名を名乗ったというのだ!」


 ジークヴァルトが立ち上がり、凄まじい魔圧を放った。大理石のテーブルにピシリと亀裂が走り、使者たちが僅かに後退する。だが、彼らは「神の権威」を盾に、怯む様子を見せなかった。


「スラムの浄化、そして夜会での異能。これらは神殿の許可なく行われた『奇跡』でございます。もしこれが魔道の類であれば、夫人は禁忌を犯した罪人として裁かれねばなりません」


「……っ」


 リーネは、隣でジークヴァルトの服の袖をぎゅっと掴んだまま、震えていた。

 実家で「無能」と蔑まれてきた彼女にとって、「裁かれる」「罪人」という言葉は、心の奥底に眠る恐怖を呼び起こす。彼女の大きなアメジスト色の瞳には、今にも零れ落ちそうな涙が溜まっていた。


「閣下……。私、ただお掃除をしただけですのに……。何か、悪いことをしてしまったのでしょうか」


 震える声。ジークヴァルトはその細い肩を抱き寄せ、沸き立つ殺意を必死に抑え込んだ。ここで使者を斬れば、リーネが本当に罪人にされてしまう。


「案ずるな、リーネ。……ハンス、騎士団を招集しろ。フル装備だ。神殿まで、私の『妻』を最高の礼をもってエスコートする」


 ◆


 一時間後。王都の大通りを、白銀の鎧に身を包んだ辺境伯家騎士団が埋め尽くした。

 その中心で、ジークヴァルトは馬に乗ることを拒み、リーネの隣を歩いていた。


 彼はリーネの右手を、まるで壊れ物を扱うように優しく、けれど誰にも渡さないという固い意志を込めて握りしめていた。

 リーネは純白の、飾りを極限まで省いた清廉なドレスに身を包んでいる。ジークヴァルトの歩調は、リーネの震える足取りに合わせて極めて緩やかだった。


(……まるで、結婚式のようですわ)


 リーネは、緊張と恐怖で強張る胸の内で、ふとそんなことを思った。

 大通りに詰めかけた民衆が、息を呑んで二人を見つめる。漆黒の死神と、光を纏う少女。二人が手を携えて神殿へと進む姿は、伝説にある英雄の凱旋か、あるいは神聖な婚姻の儀式のようにも見えた。


 しかし、たどり着いた王都大神殿の内部は、リーネをさらなる恐怖へと突き落とした。

 高い天井、冷たい石造りの回廊。そして何より――。


「……うう、苦しい……。ここ、とっても『重たい』ですわ……」


 リーネは、神殿の入り口で足を止めた。

 信心深い人々が祈りを捧げる場所のはずなのに、リーネの目には、数百年分の「人間の業」や、換気不足による「淀んだ魔力」が、煤のように壁や床にこびりついているのが見えた。彼女の繊細な【洗浄】の感覚が、不潔な空気に対して悲鳴を上げている。


 案内された礼拝堂の奥。そこには、高位の司祭たちが雛壇の上に並び、審問官のような形相で待ち構えていた。


「リーネ・フォン・カステル夫人。貴殿の力が神に授けられたものか、それとも悪魔との契約によるものか……この『聖なる試金石』をもって証明していただこう」


 司祭が指し示したのは、神殿の中央に鎮座する、人の背丈ほどもある巨大な黒い石だった。

 かつては神の光を放っていたという伝説の石だが、今はどす黒く変色し、表面には不気味なひび割れさえ走っている。


「……汚い」


 リーネは、思わず呟いた。

 恐怖で潤んでいた瞳が、その石を見た瞬間、職業病とも言える鋭さを帯びた。

 司祭たちが「今、なんと言った!」と騒ぎ立てるが、リーネはもう彼らの声など耳に入っていなかった。


「あんなに立派な石なのに……。皆様、どうしてこんなに放っておかれたのですか? 埃だけじゃなくて、悪い気が層になってこびりついて……。これでは、石が息をしていませんわ」


「な……不敬な! それは聖遺物であるぞ! さあ、それに触れろ! もし偽物であれば、その腕はたちまち腐り落ちるだろう!」


 ジークヴァルトが剣の柄に手をかけ、一歩前に出ようとした。だが、それよりも速く、リーネはフラフラと聖石に歩み寄った。

 彼女は恐怖で泣きそうだったことも忘れ、収納袋から愛用の【白銀熊のブラシ】と、浄化魔力を込めた【聖水の小瓶】を取り出した。


「……少しだけ、お掃除させてくださいね。きっと、すぐにスッキリしますから」


 リーネは震える手で、聖石の表面に聖水を一滴垂らした。

 その瞬間、石から「ギィィ……」という、怨嗟とも嘆きとも取れる音が響いた。司祭たちは「それ見ろ、拒絶されている!」と勝ち誇ったように叫ぶ。


 だが、リーネは怯まなかった。彼女はブラシを両手でしっかりと握り、心を込めて石の表面を磨き始めた。

 【神域の純浄】が、彼女の「綺麗にしてあげたい」という純粋な願いと共に、ブラシを通じて聖石へと流れ込む。


 ――キィィィィィィン!!


 次の瞬間、神殿全体を揺るがすような清澄な音が響き渡った。

 リーネが磨いた場所から、どす黒い「煤」が白い煙を上げて蒸発していく。そして、ひび割れの奥から、かつて誰も見たことがないような、透き通ったアメジスト色の光が溢れ出した。


「な……なんだ!? 聖石が……輝きを取り戻しただと!?」


 司祭たちが目を剥き、その光に射抜かれて腰を抜かす。

 リーネの浄化は止まらない。彼女が必死にブラシを動かすたび、光の粒子が神殿全体へと広がり、数百年分の「澱み」を根こそぎ洗い流していく。

 壁に染み付いた汚れが消え、重苦しかった空気が、まるで新雪の降る朝のような清涼感に満たされていく。


「……ふぅ。……これくらいでしょうか」


 リーネが額の汗を拭った時、そこには太陽のように燦然と輝く、巨大な宝石が鎮座していた。

 神殿の中は、もはや「宗教施設」ではなく、物理的に「天界」に近いほどの高密度な聖域と化していた。


 司祭たちは、そのあまりの神々しさに言葉を失い、恐怖と畏怖の混ざった顔でリーネを見つめていた。彼らがこれまで蓄積してきた権力や、裏で行ってきた「汚れ」が、この清らかな光の前で暴かれそうになり、ガタガタと震えている。


「……閣下。少しだけ、綺麗になりましたわ。……でも、皆様、どうしてそんなに怖いお顔をなさっているのかしら」


 リーネは、再び不安そうに瞳を潤ませ、ジークヴァルトを振り返った。

 ジークヴァルトは、光の真ん中で立ち尽くすリーネに歩み寄ると、今度こそ彼女を強く抱き上げた。


「……見たか、愚か者共。私の妻は、神の石さえも『お掃除』してしまった。これでもまだ、彼女を裁くというのか?」


 ジークヴァルトの冷徹な問いに、司祭たちは誰一人として答えられなかった。彼らの心には、リーネへの感謝ではなく、自分たちの領域を侵されたことへの、拭いきれない深い敵意が芽生えていた。


「帰るぞ、リーネ。……こんな埃っぽい場所、もう二度と君を連れてこない」


「はい……。閣下、お家に帰ったら、もう一度手を繋いでくださいますか? 少しだけ……怖かったので」


「……ああ。一生、離さないと誓おう」


 ジークヴァルトは、泣き出しそうなリーネを自分の外套で包み込み、光に満ちた神殿を後にした。

 背後で、司祭たちが憎しみを込めて睨みつけていることにも気づかずに。


 王都滞在は、もはや「挨拶」の域を越え、リーネを巡る国家規模の権力争いへと変貌しようとしていた。

 だが、ジークヴァルトの腕の中にいるリーネは、「明日もお掃除、頑張りましょうね」と、小さな寝息を立て始めるのだった。


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