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【第1話】役立たずの「掃除女」と蔑まれた私は、呪われた死神辺境伯様に差し出される――はずが、無自覚に浄化して溺愛が始まってしまいました


「リーネ、お前のような地味で無能な女が、我がエルストリア伯爵家の名を汚すのはもう耐えられん。これを持って、今すぐ出て行け」


 父の冷酷な声が、冷え切った広間に響いた。

 差し出されたのは、一通の縁談書。相手は「死神」と恐れられるカステル辺境伯、ジークヴァルト・フォン・カステル閣下だ。かつては王国の英雄と謳われた近衛騎士団長だったが、数年前の戦いで恐ろしい呪毒を受け、今は皮膚が焼けただれ、包帯に巻かれたまま死を待つだけの「生ける屍」だと噂されている。


「お前にはお似合いの嫁ぎ先だろう。あちらも看取りの相手を探しているそうだ。どうせ誰からも愛されないお前だ、せめて死神の最期を看取るくらいは役に立て」


 横では、美しいドレスを着た妹のセシリアが、扇子で口元を隠しながらくすくすと笑っている。

「お姉様、よかったわね。あんな不気味な場所、お姉様にぴったりだわ。せっせと死神様のお部屋をお掃除して差し上げたら?」


 私は、黙って俯いた。

 幼い頃から、私は「地味で平凡」だと言われ続けてきた。妹のように華やかな魔法が使えるわけでもなく、社交界で注目を浴びる美貌があるわけでもない。

 私が持っているのは、触れたものの汚れを落とし、傷んだものを少しだけ修復する程度の、地味な生活魔法【洗浄】と【調合】だけ。

 実家では「便利な掃除女」として扱われ、朝から晩まで屋敷中の雑用を押し付けられてきた。


「……分かりました。お父様」


 私は小さな荷物一つと、愛用の調合道具だけを手に、馬車に乗り込んだ。

 向かう先は、王都から遠く離れた、霧の深い辺境。

 誰もが死を恐れる場所。けれど、私にとっては、この冷え切った家から解放される唯一の道に見えていた。


 ◆


 数日間の馬車の旅を経てたどり着いたカステル辺境伯邸は、想像を絶するほど荒れ果てていた。

 かつての栄華を感じさせる豪奢な石造りの屋敷は、どす黒い霧――「呪毒の瘴気」に覆われ、庭の植物はすべて枯れ果てている。


「……ようこそ、リーネ様。私が執事のハンスです」


 出迎えた老執事は、深く頭を下げたが、その瞳には諦念の色が濃く滲んでいた。

「閣下は、二階の奥におられます。……覚悟はしておいてください。今の閣下は、人の形を保つのもやっとの状態なのです」


 案内された廊下は暗く、カビと腐敗の匂いが漂っていた。

 本来なら、ここで恐怖に震えるべきなのだろう。けれど、私は一歩足を踏み入れた瞬間に、職業病とも言える「うずうず」とした感覚を抑えきれなくなった。


(なんて……なんて不衛生なのかしら!)


 埃が積もり、窓は曇り、隅には蜘蛛の巣。おまけにこの不吉な霧。これでは健康な人だって病気になってしまう。

 私は、寝室の大きな扉をゆっくりと開いた。


 そこには、天蓋付きのベッドに横たわる、一人の男がいた。

 噂通り、全身を分厚い包帯で巻かれ、わずかに露出した肌は赤黒くただれている。頬はこけ、骨張った指先は力なくシーツを掴んでいた。


「……誰だ。また……死を確認しに来たのか……」


 掠れた、けれど芯のある低い声。

 それがジークヴァルト閣下だった。彼は目を開ける力もないのか、包帯の隙間からうっすらとこちらを見やる。


「初めまして、閣下。本日より妻として参りました、リーネ・エルストリアです」


「……妻だと? ふん……伯爵も酷いことをするものだ。こんな……化け物の巣に、生贄を寄越すとは……。勝手にしろ。どうせすぐに、私の死に顔を見ることになる……」


 絶望。その一言に尽きる空気だった。

 けれど、私の視線は彼の包帯に向けられていた。不浄な魔力がこびりつき、どろりと変色している。


「閣下。まずは、失礼いたしますわね」


「……何をするつもりだ」


「お部屋の空気が悪すぎます。それから、その包帯も。これでは治るものも治りません」


 私は、幼い頃から当たり前のように使ってきた【洗浄】を、部屋全体に広げるイメージで発動させた。

 私にとっては、部屋の掃除をする時と同じ感覚。

 けれど、次の瞬間。私の手から溢れ出したのは、柔らかな、けれど目が眩むほど純白の光だった。


 ――【神域の純浄】。


 実家の誰も気づかなかった。私が無自覚に使っていた魔法は、単なる「汚れ落とし」ではなく、万物を「本来あるべき清らかな状態」へ回帰させる、失われた古代魔法の極致だったのだ。


 キィィィィン! と耳鳴りのような音が響き、部屋を覆っていた黒い霧が、陽光に照らされた朝露のように霧散していく。

 埃は消え、窓ガラスはダイヤモンドのように輝き出し、重苦しかった空気は、まるで新緑の森の中にいるような爽やかさに一変した。


「……なっ、……なんだ、これは……」


 ジークヴァルトが、目を見開いた。

 驚くのはそれだけではなかった。私の光が彼の包帯に触れた瞬間、そこにこびりついていたドス黒い呪毒が、シュアァッと白い煙を上げて浄化されていく。


「……っ!? 熱い……いや、冷たいのか……? 痛みが……消えていく……?」


 彼は震える手で、自分の胸元を触った。

 今まで彼を苛んでいた、火で焼かれるような激痛。それが、私の光が触れた場所から順に、穏やかな安らぎに変わっていく。


「ふう。少しはマシになりましたわね」


 私は額の汗を拭い、にっこりと笑った。

「さて、閣下。お部屋が綺麗になったところで、次はしっかりとお食事を摂っていただきますわよ。まずは、私が特別に調合したスープを持ってまいります」


 呆然としたまま、私を見上げるジークヴァルト。

 包帯の隙間から見えた彼の瞳が、初めて強い光を宿して私を捉えた。


「……君は……一体、何者なんだ……?」


「私ですか? ただの、地味な掃除女ですわ」


 こうして、死神と恐れられた辺境伯と、無自覚な天才浄化師の、奇妙な新婚生活が幕を開けた。

 後に私が「王国の救世主」と呼ばれ、彼から離れることさえ許されないほどの深い愛を注がれることになるなんて、この時の私はまだ、知る由もなかったのである。


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