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クロセリオ

淡い朝光が差し込む、まだ冷たさの残る空気の中。

花々が咲き乱れる石造りの小道を、少年はゆっくりと歩いていた。



小道の左右には無数の花が咲いている。

背丈の低い草花が風に揺れ、白や黄色、紫の小さな花びらが空に舞う。

まるで世界そのものが静かに目覚めるのを祝っているかのようだった。



ここは「庭」と呼ばれているが、それは単なる庭ではない。

世界のどこかにぽっかりと開いた“隙間”に存在する、空白の地。

64のどの界にも属さず、ただそこにあるだけの場所。



かつてクロセリオは、そこで目を覚ました。

どれだけの時間が経ったのか、自分が誰で何者なのか、知らなかった。

気づいたらそこにいたのだ。



「……師匠が、呼んでいる」



クロセリオは立ち止まり、そっと顔を上げた。

もうこの場所で何年暮らしているのか、そんなことを考えながら声のした方向へ歩く。



庭の奥、枝垂れ桜のもとに佇む女性がいる。

風に揺れる黒衣の袖、白銀の髪が朝の光を撥ね返して輝いていた。

その姿はまるで、風景と一体化しているようで、現実味が薄い。


だが、彼女の存在がこの場所のすべてを支配しているようにも思えた。



「クロセリオ」



静かに呼ばれる声。

それだけで、鼓動が落ち着く。緊張がほぐれる。

彼女――レイベルは、クロセリオの“師匠”であり、この場所で唯一の他者だった。



「おはよう、レイベル師匠」



まだどこか眠たげな声で、クロセリオはそう返す。

だがその足取りはまっすぐに、彼女のもとへ向かっていた。



レイベルが何者なのか、クロセリオは知らなかった。

彼女は目覚めたばかりの自分の面倒を見てくれて師匠となってくれた人だった。

いつから生きているのか、なぜ自分を導いてくれるのか。

だが、それを尋ねようとは思わなかった。

彼女はそれらの答えを「語らない」と、本能が知っていた。



「私は歳をとらないのさ」



心を読んだかのように、レイベルは冗談っぽくそう返す。

クロセリオは呆れながらも問う。



「今日の稽古は……?」




「その前に、少し話をしよう」



レイベルの声は、風のように柔らかく、それでいて芯があった。

クロセリオは彼女の指差す丸石に腰を下ろし、静かに耳を傾けた。



「君は、自分が何者か……考えたことはある?」



「……最近、少しだけ」



クロセリオは視線を落とし、草花の間に咲く名も知らぬ青い花を見つめた。

なぜそんなことを聞くのか、

クロセリオはレイベルが自分の変化に気づいているのだと察していた。



「俺、時々、夢を見るんです。すごく暗い場所で、ふわふわと飛んでいるような……そして誰かが何かを囁いてる。でも、内容は覚えてなくて……ただ、すごく寂しい気持ちになる」



レイベルはその言葉に目を細めたが、表情を変えない。



「夢は、ときに未来からの手紙。無理に読もうとすると、燃えてしまうこともあるよ」



「また難しいこと言う……」



「ふふ、でもそれが“答え”なんだ」



クロセリオは頬を膨らませたが、すぐに笑ってしまう。

彼女は時に難しく、時にどこか遠い目をする。

だが、彼女と話していると、こうして心が和らいでいくのだった。



「君はまだ、自分が背負っているものを知らない。

 だけど、それでいい。知るには時が早い。でも、いずれ君は選ぶことになる」



「……何を?」



「誰かを守るか、誰かに守られるか。力を振るうか、隠して生きるか。

 何を信じ、何に背くか。

 世界を壊すか、世界を救うか」


そう答えるレイベルの顔はいつになくつかみどころのなく、

自分を通して何か見ているようでもあった。



「……極端ですね」



「そうでもないさ。君はそのどれも選べる器を持っている」



それがどういう意味なのか、クロセリオにはわからなかった。

けれど、なぜか心がざわついた。



「君がここにいるのは、偶然じゃない。

 ある人が、君を託した。私に、君を導いてほしいと」



「誰ですか……その人」



「……いつか、君自身の目で確かめなさい」



それは優しくも厳しい拒絶だった。

だが、そこには深い想いも感じ取れた。

レイベルの雰囲気は元に戻り、優しく笑うと、



「じゃあ、稽古をしよう」



話題を切り替えるように、シイラが立ち上がる。

クロセリオもその後を追う。



「今日は、風を切る稽古だ」



彼女が手を振ると、空気がわずかに震え、一本の木刀が少年の前に現れる。

クロセリオは自然な動作でそれを手に取る。



「昨日より重くなってる……」



「君が成長した証拠だよ」



構えを取ると、花弁が舞い上がる。

風の流れに意識を向け、足を前に出す。

レイベルは何も言わない。ただ、微笑んで見守っている。



「師匠……」

思い出したようにクロセリオは答える。



「うん?」



「……いつか、全部知っても、俺は変わらないと思います」



その言葉に、レイベルはほんの一瞬、目を見開いた。

だがすぐに、柔らかく微笑む。



「それなら、私も信じよう」




一陣の風が二人の間を抜ける。

何も知らず、何も告げられず、ただこの場所で育てられる少年。

しかしそれは、確かな「始まり」だった。

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