プロローグ
――アストレイン、それは、万象が交わるにはあまりに遠すぎた多元の海。
次元の狭間に点在する、いくつもの「世界」――それらを束ねる不可視の領域がアストレインである。
世界と世界は空間によって連なってはいない。そこに在るのは“隔たり”と呼ばれる理であり、すべての界は互いに断絶し、孤立して存在している。
境界を越える術は限られ、干渉もまた極めて稀。
それぞれの世界は気づかれぬまま回り続け、無限に近い孤独と法則のもと、静かに燃え、生まれ、滅びていく。
その中において、特別な位階にある七つの「上位世界」が存在する。
始源たる創造の世界――原界
祝福と調和に満ちた信仰の高天――天界
欲望と力が支配する血戦の領土――魔界
生と死が転輪する静寂の国――冥界
意志なき理“律”によって整えられた絶対秩序の界――覇界
思念が現実を織りなす虚無と構築の世界――虚界
そして、理そのものを拒絶する底なしの深淵――淵界
そのいずれもが、存在領域アストレインの根幹を成す柱である。
だが、変化は常に“中心”からではなく、“周縁”から始まる。
アストレインの片隅――無数の下位世界のひとつに、「人類」という種族がいた。
彼らは元来、極めて脆弱な存在だった。
だが、発展の果てに科学と理論を手にし、自らの限界を乗り越えていった。
ある者は肉体を棄てて機械と融合し、ある者は魂を練り上げて“超越者”と呼ばれる存在に至る。
その上位には、上位世界の神々にすら匹敵する“極至者”が現れ、彼らの社会は次第に神すら射程に収める高次元存在へと進化を遂げた。
そして、ある日。人類は一つの“決断”を下す。
――すべての界を超越し、真に世界を支配するには、
その根源たる「神性」を打ち滅ぼさねばならない。
人類は、アストレインの最も古く最も不可視の世界。
“理の外”に位置し、混沌そのものと呼ばれた「淵界」へと進軍した。
標的は、その主神――ケイオス。
その戦いは言葉にするにはあまりに凄絶だった。
時間も空間も無意味となる戦場で、神と人とが交わり、崩れ、燃え、裂け、砕けた。
ケイオスの体はすでに形を成していない。
幾多の切り裂かれた痕、抉れた臓腑、千億に及ぶ呪的な穿孔。
それでもなお、彼は神として存在し続けた。
その存在を打ち砕かんと、人類はあらゆる攻撃を浴びせ続けた。
そして――
黒き,白き神が、ついに沈む。
刹那、誰にも聞かれぬ声が戦場に響いた。
「――さようなら、“混沌”。また目覚める時まで――」
その声の主は、一人の剣士だった。
彼女は静かに最後の一太刀を振るい、ケイオスの肉体を断ち切った。
神の体は粒子となって散る。
黒い雪のように、世界の虚空に舞い消えた。
それを見て、人類は歓喜した。
神を、概念を、権能すらも破壊し得たと信じたのだ。
だが、彼女はその粒子の一つをそっと手に取り、懐に収めると、何も言わず戦場を後にした。
誰もそれを気に留めなかった。
勝利の興奮がすべてを塗りつぶしていた。
その日――アストレイン全土が揺れた。
原初の七柱、始源神格のひとつが陥落したのだ。
怒り、悲しみ、狂気、沈黙。
上位存在たちは、それぞれに思考し、静かに世界を見つめた。
そして誰もが理解していた。
――世界が、“変わる”。