百合と紫蘇
薮蘭、この館に住む現当主の息子の名です。ちなみに『やぶらん』と読みます。姓は百合。これはこの館の初代当主の名であり、家花であり、自分の誇りです。
1
天気は快晴。鳥のさえずりが耳を優しく撫でる静かな朝です。
誰かの声にうっすらと目を開けると、僕の好きな百合のように真っ白な天井、横には僕を起こしてくれたアロエ。
「ご主人様」
「ん、おはよう、アロエ」
すっ、と前を向くアロエは顔の向きを変えることなく、
「おはようございますご主人様、起床のお時間です。お着替えはいつもの通りに置いておきますので」
見るとベッドの脇のテーブルの上にきっちりと畳んである洋服。毎日ありがたいです。
「うん、ありがとう」
「それと」
アロエは更に、綺麗な花瓶、に生けられている百合の花を差し出してくれます。これはこの家の決まりの1つ、いつ何時でも百合を持ち歩かなくてはいけないのですが、少し花が可愛そうな気がします。でも決まりです。
「それでは、着替え終わったら声をおかけください」
と言って、足音もほとんど聞こえない流れるような動作でドアに近づいてぺこりと頭を下げて出て行きました。僕は巨大な窓から差し込む気持ちのいい朝日の光を体で受け止めながら伸びをして、いそいそと着替え始めます。
スーツのポケットに百合の花を差し込んで、装飾の施された少し重いドアを開けます。
「お待たせ、アロエ」
「はい、それでは行きましょう」
「うん、行こう」
窓の外に見える朝の爽やかで何かあか抜けている風景を見つつのんびりと話しながら長い廊下を歩きます。
歩くたびに4、5cmは沈むだろう絨毯、歴史を感じさせるデザインだけどいつもピカピカの燭台、等間隔にある装飾の施されているドア、が延々と続くこと5分。やっとのこさダイニングルームに到着です。
ドアの前で待ってくれていた執事のおじいさんに挨拶をして、アロエと一緒に部屋に入ります。
長い部屋です。細長い部屋の真ん中に等間隔で燭台が並ぶ細長いテーブルが置かれていて、その向こうには暖炉。部屋の至るところにある造花は、造花にハマった父の作品だそうです。僕は普通の花が好きです。
長いテーブルの向こうの方で手を振っている父に挨拶をして、そこにある花瓶に百合を生けて席に座ります。
「アロエ?」
「はい、何か」
「いい天気だね」
「はい、そうですね」
「電池の残りは大丈夫?」
「はい、ほぼ満タンの状態です」
しばらくアロエと他愛もない会話を交わしているうちに、使用人が早々と料理を運んできてくれました。それを、ゆっくりと静かに食べます。
この時代、僕のように満足に食事を取れる人間は限られていると、じぃから聞くのですが、僕は外の世界のことはあまり教わっていません。
やがてゆっくりとした食事が終わって席を立ちます。すると間髪入れずに、ドアをノックした執事のじぃが開かれたドアの前に現れました。何かあったのです。じぃが食事の席に入ってくる時は、何かあるときなのです。
「どうしたんですか?」
「食事中失礼します、坊ちゃま、霜柱様がお見えです」
「あぁ分かりました、今日はまた早い時間に。今、行きますね」
テーブルの上の百合をまたポケットに差し込んで、アロエと一緒に、来客を迎えるために玄関ホールに向かいます。
長い廊下をばふばふと音を立てながらちょっと歩いて抜けると天井が一気に高くなって、四方のステンドグラスから差し込む陽光でぴかぴかと輝く大理石が綺麗な玄関ホールに到着です。
正面玄関はもう開いていて、逆光で、お付の人と当のお客様の影が見えます。突如として、その影の1つがこっちに向かって走ってきました。
「アロエ!」
向かってきた影はそう叫ぶやいなや、僕の左方後ろに静かに立つアロエにタックルのような勢いで《ばごふっ!》と抱きつきます。
「ぅ」
と小さな唸り声をあげたものの、10cmと後退しないアロエの鋼のボディ。何とも頼もしいです。
アロエに銃弾のように命中した人間は思い出したように、あら? とこちらを向いて、
「薮蘭ちゃん、こんにちは。あは、ごめんなさいねいつも」
「はは、こんにちは。いえ、姫君がいつも通り元気そうで、何よりです」
と、いつものように輝かんばかりの笑顔で登場したのは紫蘇霜柱の姫。我が百合家とは代々縁を持たせて頂いている紫蘇家のお姫様で、少し恥ずかしいのですが僕の婚約者でもあります。
霜柱の姫は、その羽のように軽くて綺麗なドレスの下に見える淡い黄色のバレエシューズを鳴らして近づいてきて、むんずと僕の腕を掴み、
「行きましょう、お庭に!」
と、らんらんと目を輝かせて言うのです。そういえばこの頃2人で我が家の庭園探索をしていなかった。庭に生きる命の成長を観るのは2人とも大好きです。
「ええ、もちろん、それじゃあ行きぃ……」
僕が言い終わる間もなく、どこにそんな力を持っているんですかと叫びたくなるくらいに僕の腕を体ごとぐいぐいと引っ張る姫君に庭に連れて行かれまーす。
ここは百合家の歴史ある庭園。素敵な花のアーチをくぐると、季節ごとに表情を変える、見事に手入れされた花や草たち。
なにか、強くて優しい生命の塊に包まれているような気分になって、とても心地良いのです。と、満足そうに花を眺める庭師のおじいさんを見つけました。
「こんにちは」
「こんにちは!」
と2人で挨拶をすると、おじいさんはその歳に似合わずがっしりとした体と優しそうな顔をこっちに向けます。
「やぁこんにちは、坊ちゃんと、今日も元気じゃね霜柱の姫様」
「うん!」
と、霜柱の姫は満面の笑顔。眩しいです。
それから僕たちは美しく咲く花を見ながら話をします。いつの間にか音もなく追いついたアロエは、ただ僕たちの後ろを付いてきてくれます。
「そういえば、もうすぐ薮蘭も霜柱も咲きますね」
「見て! にらの花が綺麗」
姫君は聞いていませんが、そんなことは気にしません。僕もにらの花に興味津々です。
「うわ! 凄い綺麗……」
「でしょ! あ、今度うちの花も見に来てね」
「ええ、霜柱の花が咲くのが楽しみですし。ぜひ見に行きたいです」
と言うと、姫君は僕の顔を下から覗き込んできました。ちょっと恥ずかしいです。
「霜柱の花、好きなの?」
「はい、好きですよ」
「どんなとこが好きなの?」
「えっと、ずらっと並ぶ花たちが何か可愛くて、それでいて死んでしまった後も水を吸い続けようとする力強さを持っているところです。あと、ミントと似ているところです。僕、ミントも好きなんですよ」
そこでぷっと姫君が吹き出します。
「なんですか?」
「いやなんでもないの、あは、じゃあ、何でミントが好きなの?」
「えーとですね」
「うん」
「何でだろう……」
そこでついに姫君は、あははは! と声を出して笑い始めました。僕は何か変なことでも言ったでしょうか。アロエにもすがる思いです。
「何かおかしかったですか?」
落ち着いてきた姫君は何とか言います。
「いやごめんね面白くって」
「面白いですか?」
「うん」
「どこら辺が?」
「んー、なんか気が抜けてるっていうか」
「よく言われますけど」
本当によく言われます。
「やっぱり薮蘭ちゃんは他のお金持ちの子とぜーんぜん違う」
「そんなものですか?」
他の子とはあまり交流がないので分かりません。
「うん、違う」
「うーん……」
と考え込んだだけで姫君はまた笑い始めるのです。なんと、涙を流しています。いくら僕でも少し恥ずかしくなってきましたよ。
「あはは、いや、気を悪くしたらごめんなさい。違うの。薮蘭ちゃんは他の子と違って、とっても素敵なのよ?」
そうなんですか? と疑問符を頭に浮かべる僕の手を引いてその後もいろいろ質問をされる姫君に、少し考えながら返答を返していきます。
そして時が経つのを忘れて、歩いて、話していると、すっかりお昼になってしまいました。
僕たちは庭の一角にあるテラスで花に囲まれながらのんびりと昼食をとってこの日は別れました。
姫君は終始笑顔でエネルギーに満ち溢れていました。いまいち僕の仕草で笑う理由が分からないのですが、その笑顔を見ていると僕も元気とやる気が湧いてくる気がするので嬉しいです。
2
やがて静かな雨が降り始めました。姫君と別れてから半時間程後のことです。
少し外に出ていようかと思った矢先に降りだしたのでちょっと困ったものの、読みかけの本があったことを思い出して部屋に戻ることにしました。
アロエと一緒にばふばふと廊下を歩きます。ばふばふと音を立てているのは僕だけのようで、アロエは耳を澄まさなければ聞こえないほどの足音しかしません。その足音が止まったことに気がつかなかった僕に、アロエが声を掛けます。
「ご主人様」
ん? と振り返ると、廊下を5mほど戻ったところに、アロエが両膝をついて頭を下げていました。少し驚いて、ばふばふと今来た廊下を戻ります。
「どうしたの?」
と、頭を伏せているアロエに聞きます。常に凛と背筋を伸ばし、常に前をひたすら向いているアロエに見慣れているせいか、なんか新鮮です。
「ご主人様に、お願いを申したいのです」
と……
「なぁっ!?」
と突拍子のない声とともに虚を突かれて反射的に変なポーズになってしまいました。ポーズに負けず劣らず驚きの声をあげる内心をなだめていると、突然あることに気付いて、心が温まるように嬉しさが込みあがってくるのです。驚きなんて何のその、それを押しつぶして吸収するくらいの嬉しさが生まれてきたのです。
というのも、実はアロエは、僕が生まれたときからバージョンアップやパーツ交換をしながらもずっと仕えてきた、対人高性能家政婦型ヒューマノイド、つまり、お世話ロボットなのです。
アロエの創作者は父の投資している会社の研究グループで、息子出産の喜びのあまり裏流入で入手したプレミアの試作品だったのですが、なんと現在ではほとんどの高貴なご家庭に普及。大好評発売中なのです。
そしてなんとなんと、その研究所で開発したロボに、感情や自我を持たせることに成功した、らしいのです。実際には、プログラムにプログラムを重ねてプログラムを重ねて出来上がったコンピュータを持つ研究所のたったの一台のみが感情や自我に近いものを見せた、という話らしいのですが。ですから当然アロエに感情や自我はない、はずだったのですが、現にこうしてお世話以外のことをしていまーす。
いやすいません待ってください。確か前にもこんなことがあったような気が……確かあれは、あぁあれは夢だったんだ。
「これはまた、夢かな?」
「夢ではありませんご主人様」
と、いうことは、アロエに自我が芽生えたのでしょうか。
これはもちろん発表しなくてはいけないことなのですが、少し面倒なので、また今度にします。今はこんな科学の進歩にぽーっと感動している場合ではなく、アロエの初めてのお願いとやらを聞かなくては。
「うん、何でも言って。お願いって?」
頭を下げたままのアロエ。
「アロエは、外出の許可を頂きたいのです」
「んぬおぉ!」
と驚きます。なんと外出と、何だか分からないけど凄いことが起きています。あくまで冷静に返答します。
「うんうん、いいよ」
すると、がばっとアロエが頭をあげて、
「本当ですか!?」
と、廊下に響く今まで聞いたことのない程の大声にびっくり。
「う、うん、僕は全然かまわないよ。でも、雨が降ってるから気をつけてね」
今度はがばっと立ち上がり、腰を90度曲げます。アロエの白いヘッドドレスが目に刺さりそうです。
「ありがとうございますご主人様、なんと感謝の言の葉を申し上げたらいいか、本当に感謝の限りで」
と声を張り続けるアロエに、いいんだよそんな、と言うと、再度ぺこっとお辞儀をして、くるりと向きを変えて颯爽と歩いていきました。
物凄いスピードで去って行くロボを見て思います。やっぱりアロエが居ると、自分はとても安心することができるのです。
でもでもです、久しぶりに一人になったのです。無性にうきうきしてくる体を抑えて、たまには自分の部屋でも掃除してみようと思い立ち、自分の部屋に向かいます。
自分の部屋の前に立って、綺麗な装飾が施された部屋のドアを開けます。部屋に入ってまず、テーブルの花瓶に百合を生けます。
そしてそれから1分が経過しました。
部屋の掃除は、ずっっっとアロエに任せっきりだったからでしょう、全くどうしたらいいのか分からないので、とりあえずはたきを装備。家具の埃を落とすことにします。
悪戦苦闘すること、5分が経過しました。
いきなり、ばたん! とドアが開いて慌てたアロエが駆け込んできました。アロエのその綺麗な緑色のセミロングは雨に濡れて、ぽたぽたと滴が垂れています。
「あらららららら」
とっさに僕は部屋にあったタオルを渡して、
「大丈夫? 必要ならお風呂に入って、着替えてきたほうがいいよ」
と、アロエを見送ってから5分後。
いきなり、ばたん! とドアを開けて駆け込んできたアロエは外出する前と同じ姿。仮にもアロエはロボなのです。水が平気とは限りません。反射的に駆け寄って身を案じます。
「大丈夫?」
「はい、大丈夫です」
その姿と言葉にほっと一安心。どうやら研究所の造り出したロボは耐水性バッチリのようで。
「ご主人様……」
「ん? どうしたの?」
途端、アロエは首を曲げずに頭を下げます。
「誠に申し訳ありませんご主人様!」
ん、何かアロエは悪いことしたでしょうか。
「ど、どうし……」
「わたくしは、ご主人様がお部屋の清潔さに不満を持っていることも知らずに外出を」
と大声で言います。アロエは僕の装備しているはたきに気付いたのです。何とも律儀です。
でも、やっぱりアロエには人を安心させる何かがあるのでしょう、ぽかぽかとした和やかな気持ちになってくるのです。
「そんなことないよ、はは。僕は暇だったからやってみようかなって思っただけなんだから。ほら、頭なんて下げないで」
「ご主人様……」
「でもやっぱりアロエがいなきゃ駄目だったよ。本当に毎日ありがとうね。僕が任せっきりなのが悪いんだけど。感謝しなきゃいけないのは断然僕のほうなんだから、何かあったら何でも言ってね」
「ご主人様……」
と、無表情のまま繰り返します。いえ、表情の変化は感情の変化に対応しているようです。
とその時、開いたままのドアをノックしてじぃが姿を現しました。
「坊ちゃま、夕食の準備ができました」
「あ、はい、今行きます」
今一度アロエを見ます。
「じゃあ、行こう」
「はい、行きましょう」
アロエと一緒に廊下を2分かけて歩いてダイニングルームに到着。長いテーブルの向こうの方で手を振る父に手を振り返して、重い椅子に座って百合を花瓶に生けます。そして運んできてもらった夕食をゆっくりと食べ、アロエと共に部屋を出ます。
なんだか少し眠いです。
「アロエ?」
無表情のロボは小首を傾げます。
「なんでしょう? ご主人様」
「ごめん、答えなくなかったら全然無視しちゃって構わないんだけど、アロエは外出して、何をしていたの?」
アロエは少しためらいながらも言います。
「いいえ、ご主人様に、隠し事などできません」
「いやいやいやいや、隠し事なんて1つや2つや10個でも100個は、やだなぁ。いやいや、隠し事なんて誰でも持ってるものだし、いくらアロエでも秘密に干渉したくないから、うん、無理にいわなくていいよ? ごめんね困らせるようなこと聞いて」
あたふたする僕とは裏腹に、アロエはきっぱりと答えます。
「いえ、ご主人様、お時間はありますか?」
「暇で暇でしょうがないよ」
「付いてきてください」
「いいの?」
「いいのです」
いいのですか。
ロボの秘密はどんなものなのかという期待は溢れんばかり、しかし、主人という権限で強要することには断固反対です。
でも僕は今、何故か少し嬉しいのです。
なんだかんだ言ってアロエに続いて廊下の途中にある小さなドアを抜けました。すると景色は一変、そこはごつごつとした石で作られた少し寒気さを感じさせる小さな通路。天井は低くて少し屈まなくてはいけないのですが、屋敷の廊下と変わらず長いです。
「ご主人様、頭にお気をつけください」
「あ、うん」
気遣ってくれるアロエの背中を追って何回か頭をぶつけながらも狭い通路を進んでいきます。
「ご主人様、頭にお気をつけください」
「う、うん」
という会話を、もう10回ほど交わしたでしょうか。狭い石の通路は進んでいくうちに暗く冷たくなってくるのが分かって、なんだか少し怖くなってきました。
突然、アロエがぴたっと止まります。
背中にどんっとぶつかった僕を受け止めながらアロエは言います。
「ご主人様、着きました」
と言われても、目を開けても閉じても闇。
不意に、横でぱちんという音が聞こえ、天井の電灯がいっせいに点灯。暗闇に慣れてしまった目に光が刺さって思わず腕でかばいます。
「ご主人様、こちらです」
なんとか腕をどけて、やっと慣れてきた目で部屋を見てみると、いつの間にやらアロエはむこうの方に立っています。
「……倉庫?」
広い部屋、周りは資材やら麻の袋やら色んな武器やら自動車やらごみやらでごった返し。ここは恐らく倉庫です。今度暇なとき来よう。
「ご主人様、こちらです」
と連呼するアロエ。物が溢れている倉庫に立つアロエの脇には、僕とアロエが入れそうな大きいダンボール。天井は開いているようです。
「あ、ごめんごめん」
物を避けながら駆け寄ります。
「……うわぁ!」
不覚! 崩れる資材に足をとられてバランスを崩します。途端に迫る床、全身の毛が沸き立つような緊張と恐怖!
「ご主人様!」
と目の前に現れた手によって、間一髪、床との衝突を間逃れます。
びびりました。今度遊びに来たときは気をつけよう。
「あ、ありがとうねアロエ」
「いえ、お気をつけくださいご主人様」
「うん気をつけるよ。あ、それで、見せてくれるものって?」
僕の質問に、はい、とだけ言ったアロエは、脇のでっかいダンボールに跨って入ろうとします。真っ白なフリルがかわいいエプロンの下の紺色のスカートがあああぁぁ!
「アロエ、それは駄目!」
……ふぅ。
「ご主人様、ではご自分でご覧になってください」
息をついてアロエに促されるままでっかいダンボールの中を……覗けません。ええ、背が足りないのです。どっからこんな大きなダンボールを持ってきたのでしょう。
なんとか、アロエに持ち上げてもらって覗きます。
「あ、猫ちゃんだ」
そうです。ダンボールの中を見ると子猫でもなく成猫でもないくらいの、まだまだ元気一杯遊び盛り伸び盛り食べ盛りの猫ちゃんが3匹、外の声に驚くこともなく寄り添ってすやすやと寝ています。これはなんとも、かわいいです……
すたっと降ろしてもらいます。
「ご主人様……」
《ぶおんっ》と風を切る音が聞こえるくらいに高速で頭を下げるアロエ。
「ご主人様、申し訳ございません! このアロエ、死んでお詫びする覚悟でご主人様をここにお連れしました。でもどうか、どうか、この猫たちのことは見逃してはくれないでしょうか……」
いきなりバタバタと暴れだしてダンボールに開けられた小さなドアから飛び出して寄り添ってきた一匹の猫ちゃんを抱き上げて、初対面の人間にも懐く人懐っこさに感激しながらお腹をなでなでしている僕は驚きます。
なんというか優しいというか、僕が言うのも難ですが愚かというか、かわいいというか。
「……ご主人様?」
「ああごめんごめん。いや、アロエは優しいなぁって考えてて。僕は、猫のことなんて全然構わないよ、僕はアロエみたいな優しいヒューマノイドが側にいてくれて本当に幸せだよ」
僕を見るアロエの頭に、《ぽんっ》と猫パンチ。
「だから、約束して」
「……何を……ですか?」
「あのさ、もう死んでお詫びするなんて絶対に言わないで。アロエがいなくなっちゃったら僕、悲しいよ」
黙りこくるアロエ。僕の言ったことを理解してくれると嬉しいです。
「猫のお世話しててもうちは全然構わないから」
と口に出すと、また《ぶおんっ》と風を切る音と共にアロエが頭を下げます。
3
半月が綺麗です。
10分くらいずっと頭を上げなかったアロエをやっとのこさ連れてきて、一緒に通路を戻って廊下を歩いて浴場に向かいます。
倉庫から出てからずっと黙っているアロエが心配でチラチラ様子を見てるのですが、ずっと俯いたままです。
そして息の詰まりそうな空気の中脱衣所に到着。ぺこっとお辞儀をするアロエを残して服を脱いで湯に浸かります。
熱い湯はじわじわと僕の体を温め、妄想を得意にさせます。
そういえば霜柱の姫が言ってた意味がなんとなく分かりません。他の貴族の子のことなんて知りませんし、友達といったらアロエと霜柱の姫とこのうちの使用人だけですし……あ、アロエの拾ってきた猫に後でアロエと名前をつけよう。
お風呂は好きです。呼吸をするたびに段々と体の悪いものが体から出て行ってくれるような感じがするのです。
寝てしまうとアロエが駆け込んできて助けてくれようとして嬉しいのですが、少し困るので寝てしまわないうちに出ます。
体をよく拭いて寝巻きに着替えて外にいるアロエに声を掛けて、脱衣所の大きな鏡の前の椅子に座ります。連れてきたアロエは自分の体から伸びるコードの先に付いているコンセントを差し込みます。
「じゃあお願いします」
「はい」
アロエの手から温風が出て僕の髪を乾かしながら櫛で整えてくれます。毎日ありがたいです。
「アロエ?」
「何でしょう? ご主人様」
恐る恐る呼んでみたものの、いつものアロエの声に一安心です。
「後でさ、猫ちゃんたちの名前、一緒に決めない?」
刹那! アロエの持つ櫛が物凄い速さで吹っ飛びました。
アロエはとっさに、カランカランという音と共に床に落ちた櫛を取りに行きました。
「すみません、ご主人様、お時間はあるのですか?」
「うん暇で暇で。あ、でも暇潰しってわけじゃないんだよ、アロエが嫌ならやめるしね」
アロエの手が止まります。
「……そんなことないです! ご主人様はとてもお優しいです。わたくしも名前を決めようと思っていたところなので……」
「じゃあ、2人で決めよう」
と、その時の僕の声は、自分でも不思議に思うほど無邪気で、楽しそうだったのです。
僕の部屋です。
アロエとの話し合い(アロエの否定の声は無かったのですが)の結論、真っ白な3匹の猫ちゃんたちの命名案は、ティー、ミント、ハーブに決定。
「はは、簡単な名前だなぁ」
と楽しそうに笑う僕に少し声のボリュームを下げてアロエが言います。
「いえ、ご主人様のおっしゃったミントとティーはとてもかわいらしくてとても良い名前だと思います」
「はは、ティーは意見が合致したからね。それに、ハーブもかわいい」
「そんなことは……」
「あるよー。それじゃあどの子にどの名前をつけるかは明日決めようか」
「2人で、ですか?」
「うん! 2人で」
僕が大声で返事をしたことに少し驚きながらも、アロエは目をつむって返事をします。
「分かりました。ご主人様、今日はもう時間も遅いのでお休みください。それとご主人様、今日は私めの申しを許してもらったばかりか……」
「もういいんだって。今日は僕、凄い楽しかったんだよ。何かアロエともっと仲良くなれた気がしてね」
と笑いながら言う僕の顔を無表情で見ているアロエ。でもやっぱり、感情の変化は表情に対応しているようです。
僕はベッドの横に立って向き直ります。
「それじゃあ、寝ますね。今日も一日ありがとう」
「いえ、はい、おやすみなさいませご主人様」
深々とお辞儀をするアロエにおやすみと言って、ふかふかの枕に頭を沈めます。
「薮蘭は布団に入ってから眠るのが物凄く速いんだぞ?」と、たびたび寝室に忍び込む父に言われたことがありました。その次の日からアロエに鍵をかけてもらいました。
そしてこの日も、アロエが部屋を出る前にうとうとしてきてしまいました。そう言えば毎日布団に入った僕にアロエは声を掛けてくれるのです。かすかに、アロエの声が聞こえます。
「ご主人……、アロ……一生仕え……せて………ます」
薮蘭、これがこの館に住む現当主の息子の名です。もう忘れてしまわれた方もいらっしゃると思われますが、『やぶらん』と読みます。
姓は百合。これはこの館の初代当主の名であり、家花であり、常に僕の側に着いてお世話をしてくれる凛としてかわいらしい家政婦ロボットと共に、自分の誇りです。
自由奔放に書いたものです。
感想など頂けると嬉しいです。