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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編ホラー

□□の□□るをご存じですか

作者: 壱原 一

大型自動車がびゅんびゅん通る国道沿いの立地の所為か、部屋が頻繁に微震して遂には壁が割れてきた。


特に顕著なのが道路に面したエアコンを設置してある壁で、乾燥した紙粘土の如く壁紙が繊維質に割れて黒々した裂け目を晒している。


かつてSNSで見掛けた壁ごと墜落したエアコンの写真と、酷暑だったか厳寒だったかで修繕完了まで苦難を強いられた投稿者の悲嘆が思い出され、早々に手を打つべく、こちらが休みで先方の営業日に管理会社へスマホで電話を掛ける。


管理会社は物件から車で小一時間程の場所にある。かれこれ数回、賃貸契約を更新し続けており、電話に応じるのはいつも女性と心得ていたが、この時は役付きと思しき貫録ある年配の男性が応答した。


どうも出先で受話したらしく、背後に柔らかく籠もったビル街の反響、それからこつこつざわざわと人車が行き来する音、そしてかっこうぴよぴよと鳥の鳴き声を模した横断歩道の音響装置の音が聞こえる。


男性の如才ない相槌を受けながら事情を相談する傍ら、たしか契約時この声の感じの男性から社長だと挨拶を受けたと回想する。いつもの女性は休みか退職したか、それにしても男性は今どこに居るのだろうと、思うともなしに思う。


辺りは地方のベッドタウンで、音響装置を備えた横断歩道が通るビル街なんてない。まあ男性に遠出の用があって、それゆえ会社を臨時休業にし、急な電話には自ら応対しているとか、色々可能性があるだろう。


益体のない物思いに蹴りが着くと同時に修繕の打診も終えて、男性が委細を承知し業者を手配してくれると述べる。


ありがとうございます。いやいやぁ、それで、


「□□の□□るをご存じですか」


急に音声がクリアになって、男性に密着されたかのような距離の近さにばっとスマホを引き離す。


通話品質のぶれが著しいなと数瞬スマホを見下ろした隙に、男性が二言三言発し、何を言ったか聞き取れぬまま通話が終了してしまう。話が途中と掛け直しても呼び出しっぱなしで繋がらない。


□□の□□ると言っていた。人名。知らないし、なんで?


すこぶる首を傾げたものの、先方は出先のようだし、今から管理会社まで車を出すのも手間だ。


明日以降に改める事にして休日を満喫し迎えた夜の風呂上がりに、とんとんと玄関のドアが鳴って、赴いてドアスコープを覗くと白地に黒ででかでかと「□野□留」の文字列が掲示されている。


あのぉ…


「□□の□□るをご存じですか」


緊張で舌先まで渇き切った聞き心地の、とても遠慮がちで躊躇い気味な中年女性の声がする。


なんとも言葉に詰まり、無言で文字列を凝視する。


見ている内に、どうやらこの文字列は学生服に縫い付けるタイプのアクリル製ネームプレートと目算が付く。それをきっと女性がドアスコープに向けて掲げ、この人を知っているかとこちらに問い合わせている。


この物件の売りである折角のオートロックがいとも容易く突破されている事実がしみじみ沁みて、施錠を目視確認後、足音を忍ばせて部屋へ戻り就寝する。


幸い女性はすぐに去ってくれたようで、翌朝玄関のドアスコープに名札が貼り付けてあるといったような事もない。


イレギュラーな珍事だったと安心したその日の夜から、しかし毎晩女性が訪れて「□□の□□るをご存じですか」と訊いてくる。


これは管理会社、いや警察にと踏み切ろうとするものの、下手人は一言たずねて退散してしまうので気勢を削がれている内に次の休みになった。


少し気持ちがしょげてしまい、諸々の対処は後回しにして片道2時間ほどの実家へ帰る。


そこで両親と夕飯の卓を囲みながら、ところで最近こんな奇行のご婦人がいると愚痴混じりに話すと、母が怪訝な顔をして「それあんた中学の同級生だよ」と言う。


「□□の□□る」は□□町の□野さんとこのお子さんで、数年前に亡くなり、追って母たる奥さんも去り、父たる旦那さんはもっと以前に家を出て行ったので、お宅はずっと空き家らしい。


この折に□□町のお寺さんが経営難でなくなり、お墓の移転が行き届かなかったそうで、□野さんとこのお墓は、お世話する人がいない他の幾つかのお墓と同じように、放置されているとか。


地域住民の情報網にたじたじしつつ、自室で卒業アルバムを捲ってみれば、記憶になくクラスは違えど確かに□野□留さんが居る。


十中八九、接点はなかった筈だが、どうして管理会社の男性や、オートロックを突破する中年女性から、□野□留さんの既知未知を訊ねられるのだろう。


思わぬ新情報を得るも虚しく更に奇妙が深まって、拠り所のない心境で帰り着いた自室の郵便受けに、綺麗な和紙調の封筒へ収められた、□野□留さん側が記入済みの婚姻届が入っている。


見た瞬間、胃がずっしりと重く、堪らず警察へ相談に行き見回りして貰ったが、その夜も女性は訪れて、ここが地獄の一丁目と文字通り歯を食い縛り、スマホをドアスコープに押し当てて文字列と声を収録した。


以後数日は人生で最も過酷だったが、明けて事態が急変する事には、婚姻届や見回りや動画や調査等の兼ね合わせから女性の身元が判明した。


女性は2階上に住んでいて、□野□留さんの母親だった。


□野さんの母親は□野さん亡きあと出身地の医療機関で療養しており、退院して独り暮らしを始めるに当たり□野さんの遺品の一つであるラブレターに着目し、宛名の人物の現住所を調べて、同じ物件へ入居した。


同じ物件で暮らすうち、生きていればもしかしたらと想像が止まらなくなり、思い余って一連の言動に及び、今後はまた遠くの出身地で療養するらしい。


既に退去との報を受け、安堵したとどめに郵便受けへ件のラブレターが入っていて、若干意識が怪しくなる中どうにか警察へ提出した。気付いたら帰宅して寝ており、起きたら翌日、休日の昼近くだった。


まだ地に足が着かないまま風呂に入り呆けているところへ、インターホンが軽快に鳴って、出ると作業服の2名が映る。


管理会社からお部屋の壁の修繕を頼まれ、今日お伺いする予定の業者の方とのこと。


石橋を叩く姿勢で管理会社に電話すると、いつもの女性の応答で、過日お電話いただいた際に指定された日時通りだと言われる。


過日電話した際に応対くださった男性がいらっしゃるか否か、彼はなぜ「□□の□□る」をご存じで、こちらにご存じかと訊ねたのか、よほど確かめたかったが、想像だにしない答えが返ってきたらどうしようと不安になり、諾々と受け入れてしまった。


何回思い返しても、あの日、管理会社に電話を掛けて男性に「□□の□□るをご存じですか」と訊かれたし、壁の修繕の日時を指定した覚えはない。


けれど実際を鑑みると、当時「□□の□□るをご存じですか」と聞こえた文言こそが、日時を調整する問いの聞き違えで、スマホを見下ろした隙に発された二言三言が、日時を確定させる言葉だったのだろう。


余りしげしげ思い出すと、度し難い掴み所のなさに、じりじりと打ちひしがれてどうしようもなく気が滅入る。


依然、部屋は大型自動車が通る度に振動するが、壁の裂け目は白々と修繕され、エアコンが墜落する心配はなくなった。


それで、だから、これも、そのように、了解される方が良い。


了解されるべきだ。


得てして大概の物事は、多分、そのように出来ていると思う。



終.

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