8話 哀れな冒険者
定期的に依頼を出しに来る相手に、一日かけて営業を行ったが成果はなし。どこの相手も第二冒険者ギルドは魅力的に映らず断られてしまった。
そのため、ケンは人のいない第二冒険者ギルドでただ焦りながら貧乏揺すりをするほかなかった。
そんな時、ギルドの扉が開いた。
「おうおう、依頼に来てやったぜ」
どこか聞き覚えのある声だと思い、ケンはそちらを振り向く。しかし、入ってきた人物を見た瞬間にケンは顔をしかめる。
「おまえは……。あの時の……」
ケンは物覚えが悪いが、その人物の顔は決して忘れていなかった。
第二冒険者ギルドに入ってきた人物は、先日ギルドの前で屯して営業妨害行為を行ってきた浮浪者の一人だった。
「ああ怖い怖い。ここの店長さんは依頼を持ってきてあげた人にそんな口の利き方をするのかいな。学がないって愚かを通り越して罪だと思うよ」
浮浪者は、確実にケンの欠点を指摘してくる。
ケンに学がないのは事実なので、否定はしない。
「依頼、本当に持ってきたんですか?」
ケンは不本意ながらも言葉遣いを直し、できるだけ表情に出ないように取り繕いながら一般の依頼主同様の扱いをする。
「ああ、もちろん。俺は今まで一度たりとも嘘をついたことがない誠実な人間だからな。ほら」
そこには、乱雑な字で書かれた依頼書が書かれていた。なんとか読み解くと、このあたりではよく見かけるキノコの大量納品らしいことがわかる。
その後、依頼内容から報酬額の記述へと目を移す。
「依頼報酬は……1000万ベラ!?」
あまりにも高すぎる金額だった。
冒険者ギルドに無いことはないが、Aランク以上だけが受けることのできる超高難易度依頼がほとんどである。
ケンが見慣れない桁の数字に衝撃を受けてしまった。
「ああそうだが? 何か文句でも?」
ケン自身、目の前の浮浪者のことは嫌いである。しかし、依頼は依頼だ。そこに貴賤はない。
「わかりました。お引き受けしま──」
カウンターの奥で、手続きをしようとケンが動こうとすると浮浪者がケンの肩を掴んだ。
何かと思い、ケンは浮浪者に振り返ると少しだけ警戒心を顕にする。
「なんですか?」
浮浪者は絶好の獲物を見つけてしまった肉食動物のように、口元が緩んでいた。
そして、そんな口から何の躊躇いもなく一つの屈辱的な言葉が出た。
「土下座、してみてくれよ」
ケンには、一瞬その言葉の意図がわからなかった。
「は?」
思わず素っ頓狂な声が出てしまうが、ケンは理解できていないわけではない。うまく反芻するのに、時間がかかっているのだ。
「土下座だよ、土下座! 学がなくとも聞いたことくらいはあるだろ? まあ、知らなかったら知らなかったで懇切丁寧に教えてやるよ」
「知ってますよ、馬鹿にしないでください。なんでそんなことをしなくちゃならないんですか」
ケンにはプライドがない。
否、プライドそのものはあるが何のこだわりも持っていないという方が正しい。
とはいえ、自らの意志で行うならまだしも、ただでさえイメージの悪い浮浪者に向かってやるなど屈辱的である。せめて理由の一つでも聞いておきたい。
だが、この機会を逃してしまえば仕事は手に入らないかもしれない。
そんな考えに至ったケンは、すぐさま土下座の体勢に移る。
「昨日のことだよ。忘れたとは言わせねぇよ? 散々俺たちを犯罪者扱いしてくれたよな? 仲間の中にはトラウマになっちまったやつもいるんだよ」
本当か嘘かはわからない。
そもそも、そんな繊細な人物がいたとしたら、営業妨害に加担しようとは思わないはずである。
しかし、万が一ということもある。
ケンは、一応土下座をした。
「嫌ならよそに行くよ。せっかく俺はおまえのギルドのシェア獲得に貢献してやろうと思ったのによ。まともな土下座を見せる誠意を見せない。それでいて勝手に冒険者が集まってくほど、リーダは甘くないことくらい知ってるだろ」
要は、土下座の形が美しくないというのだ。
とはいえ、ケンは一応土下座をしているつもりである。
どこが間違いなのかと考えている中、ますます浮浪者の機嫌が悪くなる。
「そうかよ。なら帰る。邪魔したな」
浮浪者は、ケンの土下座に満足せず帰ろうとしている。
しかし、仕事をもらうためである。
あれだけの高報酬であれば、さぞ魅力的に移ることは間違いない。
なぜなら、第二冒険者ギルドにはランクという概念が存在しないからである。
「待ってください!」
ケンは、腹の中から叫んだ。
「ほう?」
浮浪者は、ケンの方を向いた。
その顔に、不満は現れていない。誠心誠意を感じたのだ。
ケンは、正座したままその第二冒険者ギルドの床に額をつける。
第二冒険者ギルドの床は、開店早々は多くの冒険者が来ていただけあって、土埃が多い。掃除は、営業に回るのが精一杯で行われていない。
そのため、床はとにかく汚れていたのだ。にもかかわらず、ケンは誠心誠意の思いを込めて何の躊躇もなく床に擦り付けている。
浮浪者はケンに近づくと、再び口元を緩ませてその誠意を踏みにじるかのようにケンの頭に片足を乗せる。
「いいじゃんいいじゃん。もっと誠意込めてさ?」
浮浪者はどんどん力を入れていく。そのたびに、ケンはこみ上げた様々な複雑な感情を噛み殺し額を床に擦り付けたのだ。
「いいねぇ……おまえの誠意に免じて依頼出してやるよ。これ、1,000万だ。確認しろ」
浮浪者は、足をケンから除けた。そして、すぐにケンが起き上がり浮浪者から大きな厚みを持った大きな封筒を受け取る。
封筒を開けて覗いてみるが、そこには金貨が音を立てることができないほどに詰められていた。
「お金がいっぱい……」
ケンが目の前の金貨に恍惚としていると、浮浪者がふと質問をしてくる。
「おうおう、こんな大金見るの初めてか? ならよかったな。好きなだけ見とけよ。ところで店長さんよ、一つ聞きたいことがあるんだが」
「な、なんでしょう」
ケンは浮浪者の方に注意を向けた。
「そのキャッシュバックってのは依頼が達成した瞬間に渡されるのか?」
「いえ、依頼者様がその場にいないことがほとんどですし、また来ていただいた時に返金しています」
返金分をわざわざ届けにいくというのは、道中襲われるリスクが高い。
そもそも、人手がない以上できない判断である。
「つまり、依頼達成時に依頼人がその場にいたらすぐにキャッシュバックされるってことでいいんだよな?」
依頼人がその場にいれば、その通りである。
しかし、よっぽど暇でもない限りそのようなことはありえない。
ケンは、浮浪者の質問に違和感を覚える。
「はい、そうですけど」
「そうかそうか。なら俺、そのままここにいさせてもらいます」
ケンは浮浪者のことを急いでいるのかとも思ったが、そのような焦燥感とは無縁の穏やかな顔をしていた。
「え? どういう」
ケンがそう言った瞬間第二冒険者ギルドの扉の鈴が鳴った。
入ってきたのは薄汚い恰好をした男、先日営業妨害を行った浮浪者の一人である。
そんな男は、袋に詰め込まれた大量のキノコを持っていた。
「すみません、ここにキノコの納品依頼があるって聞いたんですけど」
男は、依頼を達成しに来たらしいがおかしなことが多い。
「ええ、まあありますけどっていうか一人も見に来ていないはずですけどまさか……」
なぜ男はこのような依頼があることを知っていたのか。
第二冒険者ギルドに行く以前の段階で、周知しているからに他ならなかった。
では、なぜ浮浪者はこんな回りくどい方法を取ったのか。
「おいおい、どうした? そんな素っ頓狂な顔をして。俺はただここに依頼することを言いふらしただけだが? 別に依頼する前からそういう依頼があるってことを言ってはいけないとかそういう規約とかないんだろ?」
規約を読むだけで頭がいたくなるケンのことである、当然だが第二冒険者ギルドに煩わしい規約など存在していない。
「まあ確かにそうですけど」
「おいおい、店長さんやい。さっさと手続してくんないかな?」
キノコを持ってきた男が、さっさと依頼を達成扱いにするようにと急かす。
「た、ただいま」
その後、依頼達成手続きを終える。
「あ、ありがとうございました」
男は、口もを緩めながら第二冒険者ギルドを後にした。
そして、一息つこうとしていると、浮浪者はケンに近づき手のひらを出した。
ケンが何のことかわからずに呆然としていると、浮浪者は呆れたように口を開いた。
「そういうわけだ。30万くれ」
その時、ケンはようやく理解した。
この男は初めからキャッシュバックによる金儲けのためにここにいるのだと。
「どうしたんだ? 店長さんよ。まさか、金払えないなんて言えないよな?」
できれば払いたくはない。ただ、ここで払わなかったら詐欺であるということはケンも理解している。
「さ、30万です」
「世話になったな店長さん」
そう言い残すと、乱暴に第二冒険者ギルドのドアを開けて出て行った。
◇
「まずいまずい」
第二冒険者ギルドの経営が悪化してから数日が経過した。
経営は一切改善せずに、リーダ中央金融が集金に来る日を迎えてしまった。
下手にわかりやすい場所に作ったために、高い家賃が仇となってしまったのだ。
しかし、どんなに考え慌てていた所で自体が好転するはずもない。
「お金、借りるか……」
返す金がないのであれば、別の所から借金すればよい。単純明快でわかりやすい方法だ。
しかし、問題もある。利子が雪だるま式に膨れ上がることが多いのだ。
その点、冒険者ギルドが行っている融資は怪我や死亡の可能性が高いということもあり法定利息ギリギリの高い利息である。
「利子の少ない所……」
第二冒険者ギルドが潰れそうなことはリーダ内では周知の事実となっていた。そのため、依頼者も冒険者もさらに寄り付かなくなっており重たい諸経費が嵩むばかりである。
「あっ」
そんな時、天啓を得たかのようにケンは一つ閃いた。
「これなら……」
ケンが思いついてしまった方法。それは、固く契りを交わした友人たちから金を借りることだった。
思い立ったケンは、すぐに行動に移した。
そして翌日冒険者ギルドへと向かったケンだったが、大槌使いと魔法使いが出てきた所を目撃。すぐに掛け合うことにした。
「というわけだ。金、貸してくれないか?」
事情を話すも、二人は複雑な感情の混ざった顔をしていた。
「ちなみに、いくら?」
魔法使いは、感情が顔に出てしまわないように必死に取り繕いながら聞いてみる。
「300万ベラだ」
「300万……」
魔法使いは、その額の大きさに色々と考え込んでしまう。どうやって断ろうか。そんなことを魔法使いが考えていると、大槌使いが一歩踏み出した。
「悪い。無理だ」
大槌使いは単刀直入に、そう告げた。
まさか断られるとは思っていなかったケンは、すぐさま顔色を変えて大槌使いに迫った。
「えっ……。俺たち友だちだよな? 親友だよな!?」
「ああそうだ。俺はケンのこと、友だちだと思っている。だからこそ言おう。おまえに経営センスは皆無だ。割合の計算すらできないようなやつが経営できるとは思えない。だからこそ、お金は貸せない。ケン、多分おまえは一つ勘違いをしている。この街では金が全てだ。だがな、それと同時に金というものはとても恐ろしいものでもある。金銭トラブルが原因で、解散したパーティーを俺は何度も見たんだ。俺とおまえは深い絆で結ばれている。だからこそ、金なんていうものでその絆を壊したくはないんだ」
「……。俺とおまえの仲なんだろ? だったら金程度で揺らぐことはない。そうだろ!?」
ケンは大槌使いの肩をつかむ。しかし、大槌使いは黙秘権を行使するかのように黙ったままだ。ただその目元には、友だち一人助けられない己の無力さを象徴するかのようなシワが入っていた。
友だちだと思っていた人は、金を貸してくれなかった。
魔法使いも見てみるが、大槌使いと全く同じ顔をしている。
ケンはどうしようもない失望感と恨みに襲われるも、歯を食いしばって行動に出ないようにする。
「……わかったよ」
ケンは、二人に踵を返した。
二人がどんな顔をしているかなど、知ったこっちゃないのだ。
そして、ぼったくられることを前提で冒険者ギルドに借りに行くことにする。Bランク冒険者であるため、多少融通はしてもらえるはず。
そのため、一歩一歩足を叩きつけるように冒険者ギルドへと向かうと、冒険者ギルドの扉から見覚えのある集団が出てきた。
「あいつらは……」
ケンの脳裏に深く刻まれた記憶が蘇る。
第二冒険者ギルドを散々営業妨害し、ケンを侮辱し挙句の果てにキャッシュバックキャンペーンを利用して30万ベラを騙し取った浮浪者たちであった。
「それじゃ、また何かあったらいつでも呼んでください」
浮浪者のリーダー各の男は、ケンには一回も見せたことがない敬語を使って誰かにお礼を述べた。
あの浮浪者たちが敬語を使えたことに驚きだが、そんな奴らに敬語を使わせるほどの人物。単純に権力的な意味で頭が上がらないのか、それとも深い関係にあるのか。
そのことが気になったケンは、開いている扉の隙間から浮浪者たちが声をかけた人物を目視する。
「……うそ」
ケンは、思わず目を疑った。
浮浪者たちが敬語を使った人物、それは紛れもなく冒険者ギルドの受付嬢であるリンだった。
「また、お願いしますね。でも、第二冒険者ギルドは潰れそうなのでしばらくはないかもしれません」
リンもまんざらでもなかったらしく、浮浪者たちに軽く手を振る。
そして、リンが口にしたその言葉は紛れもなく第二冒険者ギルドという単語だった。
つまり、散々営業妨害をしてきたあの浮浪者たちは、リンの指示によって動いていたということだ。
その事実はケンに重くのしかかり、立つことも叶わず絶望のあまり跪くような格好となる。
「あれ? これはこれはケンさんじゃないですか。本日はお日柄もよろしくどうなさいました?」
ケンは、真横を通ろうとした浮浪者たちに茶化すように声をかけられる。しかし、その言葉は届いていなかった。全てを知って、それどころではなかったのだ。
「あれ? もしもーし? ま、いいか」
浮浪者たちは、道端で跪ているケンのことなど興味がなくなったらしくそのまま集団で誰一人見向きもせずに素通りしていった。
「さて、ケンさん?」
ケンは、気がつくと目の前に誰かがいることに気づく。
悲壮感たっぷりで重たい顔をゆっくりと上げると、そこに立っていたのは笑顔のリンだった。
今更自分に何の言葉をかけるのか。そのことがケンにとって怖かった。さらなる絶望の言葉かもしれない。ただ、謝罪の言葉という可能性だってある。
「は、はい」
営業妨害をしてきたのは全部上からの命令で、従う他なかった。そんな言い訳が聞きたかった。ケンという冒険者は、リンのことを信頼していたのだから。せめて受付嬢自身は反対であってほしいのだ。
「本日を以て、あなたを冒険者ギルド所属の冒険者から永久追放処分いたします。今後、いかなる理由があれ冒険者登録できません。また、冒険者ギルド内の口座を強制閉鎖いたしました。とはいっても、元々あなたの口座は空っぽだったので特段影響はないでしょう。なお、あなたがブラックリストに記載されたという事実は世界中の冒険者ギルドに送信されますので、リーダから離れようともあなたは一生冒険者にはなれません」
リンからの言葉は、絶望に満ちたケンに追い打ちをかけるような言葉の羅列ばかりだった。
「な、なんで永久追放? 誰かと間違えてませんか?」
ケンはリンから告げられたことを反芻してみるが、一つ引っかかることがあった。それは、永久追放処分の理由である。特に何か冒険者ギルドで迷惑行為を働いたわけではない。これは、間違いなく嘘だと。または相手を間違えたのだと思った。
「間違えていませんよ、まだわからないんですか?」
受付嬢の声色が急に冷たくなる。
冒険者のために一生懸命で、知らないことをわかりやすく教えてくれる元気いっぱいのリンはもういないのだ。その場にいるのは、裏切り者を追い詰める暗殺者のような冷酷な瞳をした処刑人。
「冒険者会員規約に書かれていますよ? 『本ギルド会員となったものは、合理的理由がない限り本ギルドの冒険者と依頼の仲介に関する業務と競合する行為を行ってはならない。また、本ギルドに対して害する行為を行ってはならない。なお、本規約に違反した場合は冒険者ギルドが定めた審査期間での審査を経て会員資格の凍結、会員資格の剥奪、または会員資格の永久剥奪に処することがある』と」
ケンは、今までの人生ろくに規約を読んでこなかった。難しい言葉が多く、意味がわからないからだ。しかし、ここに来てケンは初めて自分の愚かさを知った。
「それではケンさんさようなら。今後、冒険者ギルドに踏み入ろうものなら即刻不法侵入で衛兵に突き出しますんで。それでは」
完全に放心状態となったケンをよそに、リンは顔色一つ変えずに冒険者ギルドの中へと戻っていった。