3話 遥かな希望
「報酬は3万ベラとなります」
冒険者ギルドの受付嬢、リンは3人にそう伝えた。
ケンが裏冒険者ギルドと奇跡的な邂逅を果たした翌日、大槌使い、魔法使いの3人は冒険者ギルドのカウンターで任務完了依頼を行っていた。
いつも通り、リンが3等分して振り込もうとしているとすると魔法使いが口を挟む。
「あ、報酬の分け方なんですけど、4対3対3にしてもらっていいですか?」
「あ、はい。畏まりました」
リンは特に躊躇することなく同意し、魔法使いの言った通りに分配しようとする。
「ん? なんでそんな割合に?」
なぜそんな分配方法なのか、ケンは理解できなかった。無断で報酬比率を下げられたとなれば、それは大問題なのだから。
「ほらケンって、病気の妹がいるんだろ? だったらせめて俺たちで何か力になれないかと考えてな。ケンの持ち分を増やしてやろうと思って」
なぜ分配方法が変わったのかについて、大槌使いはその理由を説明してくれた。
ケンの持ち分は、4:3:3における4。てっきり勝手に下げられたと思っていたケンは2人に心の中で謝罪すると同時に感謝する。
「そうそう、感謝してよね」
魔法使いは誇らしげに、そしてかつ少し恥ずかしながら言った。
「2人とも……ありがとう」
ケンは2人に感謝の気持ちを伝えると、受付から2万4千ベラを現金でもらいすぐにギルドを出ていった。
しかし、残る2人はギルドへと残り走り去っていったケンを眺めていた。
「やっぱりケンはケンだったな。きっと俺たちの勘違いだろ」
「そうだね」
「よーし、報酬の割合変更記念に飲みに行くか!」
大槌使いは、特に考えもなく魔法使いを誘った。とにかく何かと理由をつけて飲みに行きたいのだ。
「お、いいね」
魔法使いも同調し、2人は心配事なんてすべて忘れて繁華街の中にある酒場へと向かっていった。
2人の心配ごと、それは朝に遡る。
早朝の冒険者ギルド。
基本的に冒険者は日の出とともに活動し、日の入りとともに活動を終えるのが一般的である。しかし、ケンら3人は学校時代の癖が抜けきっておらず、他の人よりも遅く活動を開始し、遅く活動を終える。
そのため、魔法使いと大槌使いの2人がケンより先に集まったとしても、他の冒険者からすればそんなに早いとは思われない。ケンに内緒で何をしようとも、誰も気にしなかった。
「武器の修理をお願いしたいんですけど」
大槌使いは、そう言うと受付嬢にギルドカードと凹んだ大槌を引き渡した。
受付嬢はギルドカードを確認すると、大槌の状況を確認する。
「確かに、少し凹んでいますね。一応武器保険にも入られているようなので、修理代は頂きません。で、修理の間ギルドの保有武器を借りられますがいかがいたします?」
受付嬢はカウンターの下から分厚い貸し出し用の武器のリストのファイルを取り出すと大槌使いに見せた。
大槌使いは一枚一枚丁寧に紙をめくり、そしてとある武器を指さした。
「そちらの武器ですね。少々お待ちください」
受付嬢は武器を持ってくるためにカウンターを離れる。そして、時間が空いた大槌使いは魔法使いの元へと向かった。
「で、ケンに内緒で話って何?」
なぜ2人がケンよりも先に集まったのか。それは、大槌使いが魔法使いを早い時刻に来るように呼び出したからであった。
2人はギルドの中にあるベンチに腰掛けながら、魔法使いが先に切り出した。
こんな時刻に呼び出したからには、さぞ大事な話があるだろうと思い魔法使いは大槌使いに真剣な面持ちで問う。
「一応以前にケンから妹が病気とは聞いてたけど、多分難病なんだろうな」
ケンの妹であるフォンが病気になったと大槌使いと魔法使いが知ったのは、冒険者学校の時だった。しかし、ただの風邪で、すぐに治るだろうと2人は思い気にすることはなかった。だが、一向に治る気配はなくケンは学校をサボり始め冒険者ギルドに足繁く通うこととなったのだ。
一応冒険者学校には上位成績者には授業料免除や給付金制度もあった。しかし、元々勉学がからっきしであったケンはすぐに無理と判断し冒険者になることでかろうじてフォンの医療費と自身の学費を賄うことに決めた。
当然だが、そんなことをすればケンの成績は下がり続ける。ただでさえ勉強が苦手なのに、出席も最低限。学校の役員会議でも退学させようという動きがあったが、ケンは毎月の学費をきちんと納めていたために見逃され結果的に冒険者学校を卒業できたのだ。
「私たちにできることがあればいいけど」
2人が話していたのはフォンの話だ。
他人の病気を詮索するなんて、プライバシー権の侵害と言われればそれまでである。しかし、二人とも根底には大切な友人の妹を救ってあげたいという気持ちがあった。
「いつも俺たち3等分だろ? もう少し譲歩してやろうぜ?」
大槌使いの提案は、3等分となっている報酬の分配方法を改めるというものだった。
それを受け、魔法使いは考えてみる。どのくらいケン譲歩したらいいのかと。
「ケンが5割で、私たちが4分の1ずつとか? でもいいの? あんた家を買う金貯めてるんじゃないの?」
魔法使いが自分なりに考えた案を提示してみる。しかし、魔法使いは大槌使いが金を貯めているということを知っているため困惑している。
しかし、大槌使いはこの提案に対し眉を顰め物憂げな表情をした。さすがにケンに対し譲歩し過ぎなのだ。
「さすがにそれだと困るな……。いくらギルドが住宅ローンをやってるとしても、頭金も稼がなきゃならないし何より金利が高いんだよ。でも、冒険者って不安定な職で怪我も多いから他の金融機関は貸してくれないんだよな。せめて4:3:3くらいはほしい。これ以上は厳しいな」
「それもそうか。冒険者みたいな不安定な職でもローンを組めるのはギルド様様だものね。それにしてもケンのことだから、きっと泣いて喜ぶんじゃない?」
冒険者ギルドにとって、金融事業は大切な事業である。何しろ、冒険者は収入が不安定であるために他所から借りられないことも多い。そんな彼らに、高利子で貸すことによって莫大な利益を得ているのだ。そのため、冒険者ギルド職員の採用ではモンスターの知識なんかよりもよっぽど金融知識のほうが重要視され職員は経済学部出身や経営学部出身が多い。
「ああ、それあり得る」
2人にとってケンとは、ただひたすらな家族思いという認識だ。根は真面目で、少し涙脆いところもある善人。
真面目過ぎても、完璧すぎてもそれはそれで近づきづらいので、特にその性格に対し不満はなかった。
涙を流しながら喜んでいるケンの姿を思い浮かべ、2人は少し笑っているとケンの姿が見えた。
しかし、ケンが見えるや否や2人は笑顔から一転して困惑している顔となった。
「おまたせ!」
そこに現れたのは、いつものケンに最大限まで清々しさを加えましたと言われても違和感のないケンだ。
「……ケンだよな?」
大槌使いはケンと思しき人物を問い質す。最近は暗い顔があまりに多く、慣れていたためにすっきりとしたケンに違和感を覚えたのだ。
「そうだけど」
ケンは、なぜこんなことを言われたのか正直理解に困りつつも肯定する。
ケンでありながらどこかいつもとは異なる雰囲気を持ったケンに、2人は大きく困惑し互いに顔を見合わせる。
「どうしたの? 2人とも」
先程からケンは大槌使いはもちろん、魔法使いもおかしく感じられた。さっきとは打って変わりケンが2人に質問する。
「い、いや。なんでもない。とりあえず依頼受けるか」
面と向かって、暗い顔のケンに見慣れてしまっただなんて言えるわけがなかった。
大槌使いはケンからの質問に対しはぐらかすと、話を変えるために掲示板を指差し歩き始めた。
「そうしようそうしよう。で、どれにする? 人食いムカデの討伐?」
掲示板の前に到着するなり、早速目についたのは人食いムカデの討伐依頼だ。
大槌使いも、魔法使いも人食いムカデの依頼書ばかりを眺めている。未経験のモンスターよりも、戦ったことのあるモンスターの方がよっぽど抵抗感が少ないのだ。
「それにするか。昨日もやったから、やりやすいだろ」
3人とも人食いムカデを倒す依頼を受けることに合意し、大槌使いが貸与品の大槌を借りる。そしてそのまま依頼を達成することになるのだった。
◇
翌日、ケンは医者に呼ばれて医院へと足を運んだ。
その時間は、大槌使いと魔法使いと一緒にモンスター討伐にいく予定が組んであったのだが急遽取り消すはめとなった。顰蹙を買い、薬を売ってくれなくなると困るからだ。そのため、気が進まないながらも行くしかなかったのだ。
「それにしても何のために呼ばれたんだ?」
生憎と、ケンには呼び出される理由など全く覚えがなかった。そう思い医院へと入るが、誰もいない。待合室で少し待っていると、診察室から医者が現れた。
「よく来たな。さあ、こっちへ」
特に診察目的でもないのに診察室に入ることを不思議と感じつつも、ケンは診察者用のスツールへと座り医者は医者用のスツールへと座った。
医者の近くの机には紙が数枚おいてあり、ケンには決して理解できないような難解な医学用語が夥しいほど並んでいる。理解できないどころか頭が痛くなってきた。
しかし、次に医者が放った一言はケンの頭痛を一瞬で吹き飛ばせるほどに効能があった。
「実はな、あんたの妹の病気。治るかもしれん」
医者の発言に、思わずケンはスツールを倒してしまうほど勢いよく立ち上がった。
「本当ですか?」
今までずっと希ってきたが、ついに現実になるかもしれない。また、完治すれば医療費が大幅に削減でき生活にもゆとりが生まれる。願ってやまない出来事に、ケンは目を見開き医者へと迫る。
「ああ、本当だ。落ち着け」
ケンは平穏を取り戻すと再びスツールに座る。
「だが、何ぶんまだ治験中なんだよ。とはいえ、安心していい。動物実験での成功率は100%。理論上人間に対しても同様だ。とはいえ、いくら自由都市でも医薬品に対しては他国にも流通させる関係上、簡単に流通させられないんだ」
治験なしで医薬品を流通させることはできる。とはいえ、人が死んでしまえば会社のイメージダウンに繋がりかねないのだ。消費者が敬遠すれば多額の損害を招き、また被害者には多額の賠償金を支払わなければならない。また、流通できたとしてもこのリーダの市民だけである。
リーダ以外では、普通に市場に流通させるよりもその国・地域から認可をもらう方が良い。リーダ以外の地域では公的健康保険制度がある場合が多く、認可を貰えば住民は少ない負担で薬を買うことができ製薬会社は薬を定価で売ることができるからだ。
治験を行わないよりも、行った方がはるかに儲けることができるのだ。やらない理由がない。
そのため、リーダに本社を置く製薬会社は儲かるためにも慎重すぎるくらいの治験しなければならず、その分医薬品の価格に転嫁されるのだ。
「でも、高いんだろ?」
ケンはその夢のような薬の価格を聞き出そうとする。いくらフォンが完治できると言っても、非常に高額であれば考えものだ。
「ああ、非常に高額だ。最低でもAランク冒険者が数年かかって手に入れられる大金で販売する予定だ」
それを知ってケンは落胆する。Aランク冒険者でそれなのだから、Bランク冒険者であるケンは何十年とかかるかもしれないのだから。
しかし、医者の話はまだこれだけでは終わらない。
「あんたたちに金がないことくらいは知ってるさ。これだけだったらそもそも買えないんだから呼ばないさ」
そもそも、こんな医院に通っている時点で金がないのはたかが知れている。医者も、全く期待していない。
「じゃあなんで」
医者はケンの発言を遮って話の続きをし始めた。
「治験、終わってないって言っただろ? 製薬会社は治験に参加してくれる人を募集している。それも病気のだ。一応信頼性の高いとされる製薬会社だけあって、病気の罹患者が稀とはいえ応募枠が埋まっていて抽選になるかもしれん」
要は治験に参加できれば無料なのだとケンは理解した。しかし、その様子では応募枠はほぼ埋まっているのだろう。
「そうですか……」
運が良ければ治るかもしれないという希望。ただそのことに縋ろうと祈っているが、医者の話はまだまだ終わっていない。
「おい、勝手に人の話を終わらすな。実はな、ワシ製薬会社とコネがあってな。頼みこめばその治験枠に無理矢理入れてくれそうなんじゃ」
どうにかして眼の前の医者をその気にさせればフォンは治る。そう考えると居ても立ってもいられなかった。
「お、お願いします。どうにかしてフォンを──」
本能的に頭を下げたケンがゆっくりと顔をあげる。そこには満面の笑みを浮かべでお金を意味するハンドサインをした医者が立っていた。
「100万ベラ。1か月以内にね。そうすれば君の妹を治験に受けさせてくれるように製薬会社に口利きをしてあげようじゃないか」
1か月に100万ベラ。以前のケンならどう考えても達成できそうになかった金額だ。
しかし、今は異なる。裏冒険者ギルドを毎日使えば、可能性はなくはない。それに、治験である以上未知の副作用もあるかもしれないのだ。本人の許可なしに決めて良い問題ではない。
「と、とりあえず考えさせてくれ」
「返事を楽しみにしてるよ」
ケンは急いで家に戻っていった。
◇
パーティーメンバーの協力や裏冒険者ギルドを利用したこともあり、日給はほぼ倍増した。
しかし、1か月以内に100万ベラというのは、正直稼げるかどうかわからなかった。
とはいえ、実入りの良い依頼が必ずしもあるとは限らない。幸いにも最近は報酬の高い人食いムカデが大量発生したこともあり十分な報酬を稼げていた。だが、人食いムカデの依頼は日に日に減っている。今のペースでいけば1か月以内に100万ベラは稼げそうだが、討伐しつくされてでもすれば詰んでしまう。
「なんとかしなくちゃ。その前に一応確認を取ろう」
フォンが助かる可能性が高いとはいえ、治験である。きっちり副作用などの悪い面を伝えてその上でフォンが判断することなのだ。
「ただいま」
家に帰宅すると、フォンはベッドの上で落ち着いた表情をしていた。その様子を遠目に見て、ケンは安堵する。
頓服薬あったとはいえ、以前は在庫を気にして軽いものなら飲まないこともあった。しかし、最近はケンが十分に稼いでいるため頓服薬の在庫もありフォンは気にしないで飲めるのだ。
「あ、おかえりお兄ちゃん」
フォンは、一見すると一般的な生活を送っても差し支えないと言われるであろうくらいには顔色が良かった。
ケンは妹の側まで近寄ると話しかける。
「フォン、実は大事な話があるんだ」
「大事な話?」
フォンは首を傾げた。
「……フォンの病気を治すことができる薬の治験があるんだ。どう思う?」
何も必ず病気が治るとは限らない。とはいえ、ケンは少しでもフォンに夢見させたいと思っており病気が治ると断定し、その上で治験の是非を問う。そして、ケンは妹の判断を待った。
「どう思うも何も、私はやってみたい」
フォンは、確固たる意志を持ってケンにそう告げた。
「信頼性が高い製薬会社とはいえ、一応副作用のリスクはないわけではないらしい。それでもいいか?」
治験には副作用のリスクがある。そのことを告げるも、信念を宿した瞳は揺らがない。
「うん、いいよ。このままお兄ちゃんに迷惑かける訳にはいかないから」
ケンは妹の精神の成長ぶりに大きく驚くと、優しそうに顔を綻ばせる。
「そうか……。このこと伝えてくるな」
そう告げて家を出ると、大きく深呼吸をした。そして医者から言われた言葉を思い出す。
「1ヶ月で100万ベラか……」
ケンは強く拳を握りしめ、前を向く決心をした。