理解できる『名言』は、当人の役には立たない
「なるほど」
あるいは
「そういうことか」
と。
理解できるという時点で、それはすでに、その人の中にあったものだから。
人はやはり、自分の中にある要素でしか物事を理解できない。
だから、何かそれっぽい名言を聞いて、役に立ったと思うのならば、それは錯覚だ。
自分の中にもともとあった一要素を、表面化したに過ぎない。
理解できない『迷言』は、やはり役には立たない。
当たり前だ。
だって理解できないんだから。
そもそも
結局のところそれらは、他人の言葉でしかない。
共感するのは勝手だが、あまり囚われてもいけない。
有名人の名言集というものが世の中には多く存在するが、そんなものはしょせん娯楽でしかない。
百万の名言を知っている人になるよりも
唯一の名言を絞り出せる人になりたい。
ところでこれらの名言は、自分の役には立たないが、他人に役立てることはできる。
いかにもそれっぽい名言を覚えておいて、しかるべきタイミングで口にする。
まるで自分が思いついたかのように。
そうすると、周りからは「すげえ、この人」と思われることができる。
ちなみに、ここで重要なのは「俺、すごくない?」という雰囲気を隠し通すことだ。
なぜならその言葉をすでに知っている人が周りにいたときに、自分の手柄にしてしまうと取り返しがつかなくなるからだ。
最悪の場合「あ、お前もこれ知ってる? いい言葉だよな」と、まるで最初から引用する気だったように振る舞う準備をしておくことが、大切だ。
間違っても「いや、似たようなこと言ってる人がいるかは知らないけど、これを思いついたのは私だし」などと口にしてはいけない。
そんな人間は、見苦しい。
あえて見苦しく生きるというのも、それはそれでありなのかもしれないが。




