テーマパークで着ぐるみのバイトをしていたら、クラスメイトに恋愛相談された。あれ? 彼女の好きな男子って、もしかして俺なんじゃね?
自分以外の他の何かになりたい。誰しも一度は、そんな風に思ったことがあるのではないだろうか?
特に俺・真田弘昌のように自己嫌悪の強い人間にとってその思いとは一層強いものであって、例えば大空を羽ばたく鳥を見た時、例えば川を悠々自適に泳ぐ魚を見た時、「良いなあ」という羨望が胸の中から溢れてくるのだった。
勉強も出来ず、運動も出来ない。友人はろくにおらず、それ故人に頼りにされることもない。
そんな色のない人生を送ってきたものだから、非日常や変化というものを求めるようになってきたのだ。
自分以外の何かになりたい。その願いを叶えるべく、俺は今――テーマパークで、着ぐるみのアルバイトに勤しんでいた。
都内某所に立地する人気テーマパーク・ユーマーランド。俺はそこの一番人気キャラである、雪男の『イエイティ』を演じている。
イエティとイエイを掛け合わせたネーミングになっていて、「どんな時でも笑顔でポジティブに」がキャッチコピーの、俺とはまるで正反対のキャラクターだ。
来園者を見かけては、「今日は来てくれてありがと〜! イエイ!」とバカみたいにピースする姿は、愛嬌があって老若男女問わず人気らしい。着ぐるみを着ていないと、こんな行動絶対出来ないが。
しかしそんなバカみたいな行動をする時に、俺は自分以外の何かになれたと実感するのだ。
今日もいつものように来園者を出迎えて、ハグをしたり一緒に写真を撮ったりする。
「合法的に女の子と触れ合えて良いなあ」という奴もいるが、ハグをすると言っても着ぐるみ越しで感触や匂いなんてまるで感じない。
それにテーマパークに来るのは、何も女の子だけじゃないんだぞ? 4、5回に1回は、男と熱い抱擁を交わすことになる。
「ありがとね、イエイティ〜!」
「こっちこそ、今日は来てくれてありがと〜! イエイ!」
一緒に写真撮影をしたお姉さん(恐らく大学生。彼氏随伴)と別れた俺が、次なる来園者を探していると、ふと知己の姿が目に入った。
「あれは……」
私服なのでだいぶ印象が違うが、そこには確かにクラスメイトの豊浜聖菜がいた。
豊浜といえば、学校1クールな女子として有名だ。喜怒哀楽を見せることがあまりなく、その為何が起こっても動じない。
異性からは勿論のこと、同性からも「お姉様」と呼ばれ慕われている。
見たところ、連れがいる様子はない。つまり一人でユーマーランドを訪れたということか。
ファンはあれだけいるというのに、友達はいないのかよ。
そんなことを考えていると、豊浜は「あっ!」と声を上げて、手を大きく振り始めた。
なんだよ。きちんと友達がいるんじゃねーか。
だけどそれは、俺の勘違いで。
「おーい! イエイティー!」
豊浜はイエイティ目掛けて駆け出した。
俺に近付いてきた豊浜は、立ち止まることなくそのままの勢いで俺に抱きついてくる。
着ぐるみと密着した豊浜は、その頭部に頬擦りをした。
「わーい、イエイティだ! 可愛いー!」
……って、誰だよこいつ!?
学校1クールな女の子? 冗談は休み休み言え。好きなキャラクターの着ぐるみを見つけてはしゃいでいるだけのガキじゃないか。
それから豊浜はおよそ10分間イエイティを独占し、頬擦りやら写真撮影やら、遂にはフレンチキスまでし始める。
チラッと覗き見たスマホには、イエイティ専用のアルバムまで作成されていて。ここまで熱狂的なイエイティファンを、俺は未だかつて見たことがない。
翌日。
登校した俺は、下駄箱で偶然豊浜と出会した。
向こうは俺だと認識してなかったけど、俺と豊浜は抱き合った仲だ。だから挨拶もなしにこの場を立ち去ることに、不思議と罪悪感を抱いてしまった。
すぐに声をかける勇気がなかったので、取り敢えず靴を履き替えて時間稼ぎ。上履きに履き替えると、これまた偶然豊浜と目が合った。
挨拶をするなら、今がチャンスだ。というか、今挨拶をしないのは明らかに不自然過ぎる。
「……おはよう、豊浜」
「おはよう。えーと……佐藤くん?」
………………。
確かにいきなり挨拶をした俺が悪かったけど。それでも挨拶を返してくれたことには感謝しているけど。
だけどさ、だけどさ! クラスメイトなんだし、俺の名前くらい覚えていてくれたって良いじゃないか。
誰だよ、佐藤って? 一番正答率の高そうな苗字口にしてワンチャン狙ったの丸わかりだっての。
ユーマーランドで着ぐるみを着ている時、俺は真田弘昌ではなくイエイティなのだと、俺は改めて実感するのだった。
◇
この日の放課後も、俺はユーマーランドでのアルバイトに勤しんでいた。そして豊浜も、飽きることなくイエイティに会いに来ていた。
「ヤッホー、イエイティ! 今日も元気でお仕事してる? イエイ!」
俺は豊浜の質問に答えるように、いつも通り「イエイ!」とピースサインをしてみせた。
「それじゃあ今日も、これからいこうか」
豊浜が両手を広げてきたので、俺も両手を広げ返すと、彼女は俺の胸に飛び込んできた。
「やっぱりイエイティはもふもふで気持ちいいー! ……忘れないうちに、本日の一枚。はい、チーズ!」
一頻りハグとツーショットを満喫した豊浜は、最後に俺の頬にキスをする。……着ぐるみ越しで彼女の唇の感触を味わえないのが、非常に残念だ。
10分に及ぶルーティンを終えた豊浜だったが、この日は俺から離れようとしなかった。
不思議に思った俺が「どうかしたのかい、お嬢さん?」とイエイティの口調と声(スピーカーが内蔵されている)で尋ねると、豊浜は一枚のチケットを取り出してきた。
「今日はね、これを使おうと思うの」
豊浜の取り出したチケットは、ユーマーランドの入園券とは違う。これはユーマーランドに100回来園すると貰える特別優待券、その名も「一時間イエイティと一緒券」だ。
この券は文字通り一時間イエイティと一緒にいられるというものであり、使用するとその間イエイティに何でもさせることが出来る。
勿論、法と倫理の許容範囲内に限るが。
この「一時間イエイティと一緒券」はユーマーランド公認のものであり、絶対的かつ最優先の効力を有する。
つまりこの券を提示された以上、俺はどんな業務の最中だったとしても、豊浜の要望にきっちり一時間応える必要があるのだ。
俺は豊浜から「一時間イエイティと一緒券」を受け取ると、自身のネームプレートに入れる。
「これから一時間、僕はお嬢さんの言うことを何でも聞いちゃうよ! イエイ!」
近くの幼稚園児が、「良いなぁ」と言いながら指を咥えて豊浜を見ている。
子供たちよ、大きくなってアルバイトをして、自分で稼げるようになってからイエイティに貢ぎなさい。お小遣いだけじゃ、ユーマーランドに100回も来るなんて不可能だ。
誰もが憧れるイエイティの一時間を手に入れた豊浜が、一体どんな要求を突き付けてくるのか身構えていると……
「ねぇ、イエイティ。私の相談に乗ってくれるかな?」
……相談? てっきり「一緒にバージンロードを歩いて」的な無茶振りを言われると思っていたから、正直拍子抜けだった。
いや、話を聞くだけで済むならそれに越したことはないんだけど。
豊浜が妙に真剣な顔をしていたので、結構深刻なお悩み相談なのかもしれないと考えた俺は、一先ず落ち着けるところへ移動することにした。
◇
「イエイティ。私ね、今好きな人がいるんだ」
相談は相談でも、豊浜がしてきたのは恋愛相談だった。
ていうか、普通着ぐるみに恋愛相談なんてするか? 中身が妻子に逃げられたおっさんだったら、まるで参考にならないぞ?
じゃあお前はどうなのかって? 彼女いない歴=年齢ですけど、何か(要するに、ろくなアドバイスが出来ないということである)?
しかしながら、今の俺がイエイティである以上、「ごめんなさい。女性経験ありません」などと拒絶することは出来ない。
俺は覚悟を決めて、豊浜の話を最後まで聞くことにした。
「前から好きで、ずっと話してみたかったんだけど、勇気が出なくていつも声をかけられなくて……」
自身の恋心を語る豊浜の顔が、徐々に赤みを帯びていく。本当にその男子が好きなのだと、その手の話に疎い俺でもよくわかった。
口ぶりから察するに同じ学校の生徒みたいだし、俺の知っている奴かな?
「そしたらね、その好きな人と、今朝ようやくお喋りが出来たの」
「それは良かったじゃないか! 何のお話をしたんだい? 昨日見たテレビの話? 学校で出された課題の話? それとも……僕の話だったりして」
こうやって会話の中に適度なジョークを織り交ぜる。これもイエイティとしての役割の一つだ。普段の真田弘昌だったら、こんなリップサービス絶対にしない。
「ううん。彼の方から「おはよう」と言ってくれて、私も「おはよう」って返したの」
「……」
いやいやいや。それ、一般的にお喋りとは言わないから。ただの挨拶だから。
「おはよう」くらいなら、俺だって近所の犬に言ってきたし。もしそれがお喋りにカウントされるなら、俺犬と話したことになっちゃうよ?
そう言ってやりたいところだったけど、そのたかが挨拶を交わしただけで心底嬉しそうにしている豊浜に、どうして「挨拶はお喋りの内に入らない」と指摘出来ようか?
結局のところ俺は「良かったね」と言うことしか出来なかった。
しかし豊浜とまだ話したことのない男子が存在していたとは。豊浜自体は異性と積極的に会話するようなタイプじゃないが、これだけの美貌なので、自然と男子の方から寄ってくる。
つまり豊浜の好きな人というのは、豊浜に興味のない人間か、興味があっても異性として意識する程ではない人間。
要するに、俺みたいな人間ってわけだ。
「話しかけられたのは凄く嬉しかったんだけど、照れ臭くなってつい名前を知らないフリしちゃったんだよね。……彼、嫌な気分にならなかったかな?」
いやいや。嫌な気分にならなかったとしても、100パーセントショックを受けるから。
実際俺も豊浜に「佐藤」だと思われていて、悲しくなったわけだし。
………………。
……ていうか、豊浜の好きな人って、俺なんじゃね?
豊浜と会話した記憶なんてほとんどないし、今朝「おはよう」と挨拶だってしている。
見事に条件に当てはまっているのだ。
勿論豊浜の好きな人が俺でない可能性も、大いに考えられる。
学校には何百人もの生徒がいるわけだし、豊浜と今朝挨拶を交わした生徒だって何人もいる。
だけど「もしかしたら」という期待を抱いてしまうのは、仕方のないことなんじゃないだろうか?
……ヤバい。意識し始めたら、めっちゃ顔が熱くなってきた。
この時ばかりはイエイティの被り物をしていて良かったと、心底思った。
俺が着ぐるみの中で深呼吸をして、平静を取り戻そうとする。しかし……
「はぁ。明日も真田くんとお喋り出来るかなぁ」
はい、豊浜の好きな人が俺だと確定しましたー。
俺の名前が口から漏れたのは無意識なのか、豊浜に恥ずかしがる様子はない。或いは真田弘昌を知らない筈のイエイティ相手だから、気にしていないのか。
どちらにせよ、イエイティの正体が俺だとバレるわけにはいかなくなったな。
豊浜は与えられた一時間で俺をどこに連れ回すわけでもなく、ただただ自身の恋愛話を語っていた。
なんでもこんな風に恋バナの出来る相手が、他にいないらしい。俺も人のこと言えないけど、お前も大概友達いないのな。
最後に豊浜は俺と写真を撮って、この貴重な一時間を締め括ろうとしていた。
「それじゃあイエイティ、最後に一緒に写真を撮ろうか」
豊浜がスマホのカメラを内カメラに切り替える。
満面の笑みとは程遠いが、それでも幸せそうな微笑を浮かべながら、シャッターを切ろうとした瞬間ーー突風が吹いた。
突如として俺たちを襲った強風が、豊浜のスカートを悪戯に捲った……なんてことはない。だって今日の豊浜、ズボンだもの。
スカートは捲らないけど、その代わりに……イエイティの頭部を吹き飛ばした。
被り物が飛んでいったことで、露わになる俺こと真田弘昌の素顔。俺と目が合った豊浜は、唖然としていた。
「さっ、真田くん!?」
「えーと……イエイ?」
「いや、イエイティの真似をしても無駄だから!」
必死の抵抗も空しく終わり、イエイティの正体は豊浜にバレてしまった。
「着ぐるみのバイトをしているのをクラスメイトに知られるとか、想像以上に恥ずかしいな」
「それを言うなら、目の前にいるのがご本人だと知らず好きな人について赤裸々に語る私の方が数百倍恥ずかしいわよ。てか、恥ずかしい通り越して死にたい」
「いや、死ぬんじゃねーよ。死んだら――俺と付き合えないじゃないか」
「……え?」
俺の言ったことが信じられないのか、豊浜は聞き返す。もう一度なんて、言ってやらないからな。
豊浜に「好きだ」と言われて、思いの外ドキドキした。自分でもここまで嬉しくなるなんて、思ってもみなかった。
初めて女の子に告白されてからなのかもしれない。豊浜以外の女の子に告白されても、同じ風に感じるかもしれない。
だけど今この現実では、豊浜だけが俺を好きでしてくれている。彼女の気持ちに応えるのに、それ以上の理由なんて必要ないだろ?
豊浜が最初に好きだと言われた相手ならば、俺は豊浜を最大限好きだと言える努力をしよう。
豊浜相手ならば、うん、きっとそれも可能だ。
着ぐるみの頭部が飛んでいった結果、イエイティはいなくなった。それはある意味夢の目覚めと言えるかもしれない。
でも夢の目覚めは、必ずしも悲しいものではなくて。これからは、幸せな現実が始まるんだ。
だから今度は、俺からこのセリフを言おう。
「豊浜。一緒に写真を撮ろうか?」
「……うん」
イエイティとの一時間は、とっくに過ぎている。
その日俺と豊浜は、初めてのツーショット写真を撮ったのだった。