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ビスケット

作者: 一宮 友

 暗い部屋だった。


 昼間だというのにカーテンは閉め切られて、電気もつけられていない。だが、カーテンの隙間から入ってくる木漏れ日が、部屋が乱雑に散らかっていることを示していた。部屋自体もあまり大きなものではない。精々七畳程度だ。


 部屋には二人の男がいる。どちらも椅子に座って項垂れていた。どちらも部屋よりも暗い空気を漂わせている。この世の地獄でも見たかのような表情だ。その様子はまるで、これから戦争に向かう兵士のようだった。


 男たちはぴくりとも動かず、何も言わない。お互いの顔を見ることもない。雑多に物がある部屋ではあるが、アナログ時計の類はないのか、音がない。部屋の外から伝わってくる喧騒だけが、この部屋の時間が止まっていない証明だった。


 やがて、男の片方――倉科くらかが顔を上げた。


「……おい、結局どうするんだよ」


 蚊の鳴くような倉科の言葉に、もう一人の男――九鬼くきが絞り出すように応じる。


「どうするって?」


 投げやりな態度で顔すら上げない九鬼に対して、倉科は苛立ちを隠せず立ち上がり、彼に詰め寄る。


「どうするって……決まってんだろ! これからどうするかってことだよ!」

「だから、どうするってのがどうするんだよ。……まさか自首すんのか?」


 大声を出す倉科を鬱陶しく思いながら、九鬼はようやく顔を上げる。生気の失った目が倉科を映し出す。九鬼よりは生気があるようだが、それ以上に焦燥が強い。どちらも普通の状態ではないという意味では、共通していた。


「は? 自首? 馬鹿言うんじゃねえよ。まだ俺たちがやったってバレてねえんだ。捕まってたまるかってんだ」

「じゃあ、何だ。逃げるのか?」

「あ、当たり前だ」

「でもどこにだ? どこに逃げるつもりだ? まだ俺たちがやったってバレてない? ああ、そうだろう。そうでなきゃ俺たちがこうして部屋でのんびりしていられない」


 九鬼は足元に転がっているテレビのリモコンを手に取ると、スイッチを入れる。テレビでは現在、ニュースが流れていた。取り上げているのは、他ならぬ倉科と九鬼の犯行についてだった。


 ニュースを読み上げているキャスターは情報番組でよく見る顔だったが、名前が出てこない。若くイケメンであるため、女性からは人気があるようだった。しかし、ニュースキャスターのプロフィールを思い出そうとは考えもしなかった。重要なのは彼が読み上げるニュースの内容だ。


『本日未明、世界ビスケット万博で起きた事件についてです――』


 世界ビスケット万博。


 名前通りのイベントである。世界中、古今東西から集められた様々なビスケットが展示・販売される万博だ。何故対象をビスケットだけに絞ったのかは二人は知らない。二人が住んでいる町の近くで開催されるため、その余波で慌ただしい日々を送ってはいたものの、倉科も九鬼もおかしはあまり食べないため、特に興味がなかったからだ。


 ビスケット万博の開催者が個人なのか団体なのか、具体的にいつから計画が始まっていたのか、詳しいことは何も知らない。ただ、この万博初日が本来であれば今日であったことは知っている。そして、開催と同時に来場者にビスケットで配布されることは知っていた。


「くそ、いつまでも同じニュース流してんじゃねえよ。殺人事件みたいに物騒なのとか、逆立ちする猫ちゃんの動画でも紹介してろよ!」


 倉科がテレビのチャンネルを変える。


 しかし、どのテレビ局でもビスケット万博の事件で持ち切りだった。おそらく、SNSやネット掲示板、近所の奥様たちの井戸端会議でも同じだろう。


「くそが! 暇なのか、どいつもこいつも! 別に人死にが出たわけじゃあるまいし! まさか今夜のにゃんにゃんライブラリーの放送予定を変更してニュースにしねえだろうな!」

「うるせえぞ、倉科。あと、おまえの猫への執着ぶりは何なんだ」

「おい! 猫ちゃん、もしくは猫さんと言え!」

「その顔で猫ちゃんだのにゃんにゃんだのはきついぞ」

「ふざけんなよ! 猫ちゃんは偉大だろうが!」

「猫じゃなくておまえについて言ってんだよ! 現実逃避してんじゃねえ!」


 九鬼が倉科の頬をぶった。


 倉科は反撃するでもなく、しばらく唖然とした。そして、壊れたように笑い出した。


「くくく、くはははは! じゃあ何だ、警察がここに来るまで猫ちゃんの動画を黙ってみていろっていうのか!」

「別に猫に限定しなくてもいいよ」

「まあ、どうせすぐにバレるだろうよ。俺たちが――『世界ビスケット万博』から一億枚のビスケットを盗んだ犯人だってことはな!」


 倉科と九鬼の犯行。それは大きく言えば『窃盗』にあたる。


 そう、世界ビスケット万博から一億枚のビスケットを盗んだ犯人こそが、この倉科と九鬼なのだ。


『――依然としてビスケット強盗の犯人の手がかりは見つかっておらず――』

「くそ! 何でまだバレてねえんだ!」


 チャンネルを変え続けて、最初の番組まで戻っていた。キャスターが告げた『調査状況進展なし』の言葉に、倉科はリモコンを床に投げつけた。


「おかしいだろ! 何でバレてねえんだ! 俺たち、別に稀代の大怪盗でも何でもないんだぞ!? 酔っぱらいがノリでやった犯行が何でバレてねんだ!」


 倉科と九鬼の犯行は別に計画的な犯行と言うわけではない。それどころか、思いついたのはつい昨晩のことだった。


 同じ町に住む顔なじみの二人は時々一緒に酒を飲む仲だ。そして、昨日はどういうわけかひどく酒が進み、何件も店をはしごしたほどだ。酔った勢いで色々と悪ふざけを考えてしまう。総理暗殺計画だの銀行強盗だの裏カジノ経営だの、そういう雲のような形のない話だ。


 話している内に現実的にやるとしたら何があるか、という言葉が出た。そして、ここ数日騒ぎの余波で非常に煩わしい思いをした世界ビスケット万博への嫌がらせを思いついた。それがビスケットを盗むということだった。


 酒の入っていた二人が覚えているのはここまでだ。


「何せ数が一億枚だ。一番安いのは一枚5円から。高いものだと一枚百円もあったな。いや、最高級の材料を使ったひと箱何万円ビスケットなんてのもあったらしいけど、どれがどれやら……」


 目が覚めたら大量のビスケットの上で横になっていた。


「そりゃ被害総額はやばいことになってんだろうけど、何でこんなに注目されてんだよ!?」

「こんな愉快な泥棒いないだろう。完全に童話の悪役だよ。俺たちは夢の国から来た王子様だか騎士くんだかに倒されるんだよ」

「そしてお菓子の国のお姫様とちゅーして終了ってか!?」

「ついたあだ名が何だったか」

『世間では、この強盗団のことを「あわてんぼうのサンタクロース」と呼び出し――』

「何があわてんぼうのサンタクロースだ。ただの酔っぱらいだよ!」

「本当、何で酔っぱらいが一億枚もビスケットを盗めたんだろうな」

「それだよ!」


 突然叫んだ倉科。九鬼は不思議そうに首を傾げる。


「俺たち、どうやって一億枚のビスケットを盗んだんだ! 酔っぱらってさっぱり覚えてない!」

「俺もだ。盗みが成功した場面しか記憶にない」

「何でだ! ああ、そうだよ――何で警察も方法が分かってないんだ! この国の未来、暗すぎだろう! さっさと犯人突き止めてくれよ……諦めがつくから」

「そう自棄になるなって」

「うるさいよ! 猫ちゃんよこせよ!」

「うちペット禁止なんだよ、知ってんだろう?」


 もうおしまいだ、と倉科は項垂れる。


「こうなったら、行くか」

「猫カフェか?」

「ちげーよ。どう考えてもちげーよ。せめて警察に自首するとか言ってくれよ」

「刑務所ってレンタル猫の出張頼めるかな?」

「無理じゃないかな……。あと、俺たちが行くのは刑務所じゃねえぞ」

「じゃあ海外逃亡か? やっぱり世界で一番猫が飼われているっていうアメリカか? それとも、古代ではめちゃくちゃ猫を愛していたエジプトか? あ、猫の起源だっていう中東とか――」

「猫から離れろ! あと、海外逃亡でもねえ!」

「じゃあどこだよ」

「万博会場だよ」


 九鬼は言う。


「本当に俺たちが一億枚ビスケットを盗んだ犯人なのか、その手段を思い出すためにも、もう一度会場に行くんだよ」



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