03.兄にもなり得ぬ私
「やあやあ、悪いなルーカス」
「本当にな」
「なーにしけた面してんだよ?」
何度目のため息だろう、暗い顔をしている自覚はあったがそんなものは当然だ。大切な約束を蹴らされてここにいる。同じ王都にいるのなら彼女のもとへと駆けて行きたいに決まっている。
まあそうはいっても、それを知るはずのない二人を前にこんな顔をしているのは失礼でしかないか。
「お前のデートに同行なんて、私が楽しみにしていたと思うか?」
「いつも遊びに出掛けるのとそう変わらないって」
我が家のタウンハウスを訪れた二人は、片や美しい所作で礼を取り、片や遠慮なく肩に手を回してくる。すでにどちらがどんな身分だかといった状態だが、リックがこういう奴なのは昔からだ。出会った当初こそ青白い顔の華奢な女の子のようだったけど、そんなイメージは距離が近付くにつれ一変したのだった。
それにしたって今日は特別浮かれている。鼻歌まで聞こえてくるのだから相当だ。しかし本来の関係性があるだけに、どうも恋人らしく街へと出掛けるのは初めてだと言うのだからそれも仕方がないかと思わなくはないが、
「観劇だろ、甘いものだろ、アンに似合う宝飾品なんかも見繕いたいし、ああそうだ、恋人に流行りのスポットってやつにも一通り行きたいよな」
わくわくと目を輝かせるのは構わないから、それなら私にもあの子を呼んで来させて欲しいものだ。
照れ隠しなのか何なのか、たびたび私の隣に立とうとするリックをアンヌ嬢に押しやってエスコートするよう促す。アンヌ嬢はといえば冷静なもので、そんな私たちを眺めては微笑んでいる。さすがエンリックに慣れているだけはある。
興奮状態で語られたデート計画だったが、時間にも体力にも限りはあるわけで、ひとまず落ち着かせて修正をさせる。そもそも機会はこれからこそなのだから、何度かに分け、先々で私を抜きでやって欲しいものだ。
二人が乗ってきたエメリス家の馬車を走らせたり、街中を歩いてみたり、あの子ならとっくに疲れてしまっているだろう強行コースにも顔色ひとつ変えないアンヌ嬢はなかなかにタフなようだ。
なんだかんだと時に少々揉めながらいくつものスポットを巡って、一息つこうと入ったのは最近話題のカフェ……ではなく、どことなく素朴な建物。リックはテンションを上げてズカズカ入っていくものだから、残された私たちは顔を見合わせてため息を落とす。
いつもご苦労様。そちらこそ。……といったところだろうか。
あとを追うようにしてドアを開けアンヌ嬢を通すと、そこには何故か得意気な顔で仁王立ちのリック。どうした、と声を掛けようとした私の前で、アンヌ嬢が急にパタパタと小走りでそちらに駆け寄る。
「おう、アンじゃねぇか。随分気取った格好してるな」
リックのそばに立つシェフらしき男が、強面をゆるませて笑った。
「……ポール。おひさしぶりです」
アンヌ嬢は普段の冷静な表情ではなく、まるで子供のような顔をして大柄な彼を見上げた。
「坊ちゃんが大切な人を連れて来てくれるっておっしゃってたが、お前さん、今も坊ちゃんには振り回されてんだな」
「おいポール」
「ええ、お察しの通りです」
「さあアン、奥に席を用意させたんだ。行くぞ!」
再会を喜ぶアンヌ嬢の姿に、リックは満足気に、それでいて二人の間に割り込んでアンヌ嬢の手を攫う。そして、何度か足を運んでいるのだろう、その席とやらに手を引いて向かっていく。
シェフとアンヌ嬢とは、エメリス家にともに勤めていた昔馴染みなのだという。支援を受け独立して店を始めたシェフとは、アンヌ嬢はどうやらそれ以来だったらしい。
貴族の邸宅で食事を供していた腕だ、じわじわとクチコミで人気が広がり、庶民向けを冠してはいるものの貴族も知る人ぞ知るという感じでなかなか予約の取れない店になっているのだとか。
……なるほど、今日の予定を動かせなかったのはそれか。いつか訪れたいと話していたというアンヌ嬢の発言を叶えた形となるようだ。
しかし、だ。それはいいとして、だ。
個室でテーブルから椅子を引いてアンヌ嬢を着席させ、自分も続こうとしていたリックの腕を掴む。へ、と頓狂な声に構わずアンヌ嬢に「少々失礼しますね」と断りを入れると、奴を引きずって通路へと。
「何度も言っているが、」
ここは他の客とは離された部屋のようで、行き交うスタッフの邪魔にはならなさそうで助かった。建物自体には古さを感じるが、丁寧に掃除して清潔に保たれているのが分かる。いい店なのだろう。
「落ち着いた言動を心掛けろ。アンヌ嬢が努力しているというのにお前が足を引っ張ってどうする」
壁際に追い詰められた形になったリックが、自覚はあるのか気まずそうに目を泳がせた。
「まず私もポール氏もお前の家族じゃないし、ここはお前の家じゃない」
「……似たようなもんだろ」
子供のような言い訳をして、こちらを窺う。
さも我が家と言わんばかりのあまりにもな自由な振る舞い、目に余るとため息が重くなる。「……指導が必要なのはお前の方だったな」黙っていれば落ち着いて見える容姿をしているだけに、これまでの付き合いから分かってはいてもその落差は大きい。
「浮かれるのは分かる。分かるが、何のために私が同行しているか思い出してくれ。きちんとエスコートをしろ。だがエスコートで手に触れただけでニヤつくんじゃない」
「だってアンの手だよ! あの白魚のような! 綺麗で可愛い手!!」
「うるさい」
もともと使用人なのだから多少手荒れくらいありそうなものだが、手入れなど彼女の努力の賜物か、それともこいつの惚れた欲目で気にならないだけか。
両肩を掴んで力説するリックの腕を振り払う。痛む頭を片手で押さえ、このままでは役目が果たせないと舌打ちしそうになるのを堪えた。
「お前はいいよな。手だって口付けだってし慣れてんだろ」
「そりゃあ、」
今日この日にあの子との時間を取り上げたお前に言われたくはないと、口を突いて出そうになった言葉を飲み込む。
「ダンスでも手を取るし、出掛ければ手も繋ぐだろう。口付けだってもちろん、」
本当なら今頃はあの華奢な手を引いてカフェにでも入っていたはずだ。
甘いものを頬張る姿は可愛いの一言に尽きる。目を輝かせてフォークを持って、ハッとして上品に切り分けることを思い出し、だけど一口食べればまた子供のように眩しい笑顔になるのだ。
思い浮かべただけで胸が甘く疼く。
「……指先や額にくらいは、するよ、いつも」
私の言葉にリックがぽかんと口を開く。婚約して長いのにと、呆れたような呟きを投げられても。
仕方がないだろう、あの子にとって私は兄でしかない。こちらがどれだけ想いを傾けたところで、それが現状なのだから。




