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令嬢と婚約者、そして恋を知る  作者: 茅未つき
婚約者ルーカス
8/12

02.遠ざかりゆく私



「これからしばらく、リックが遊びに来るわよ」


 母上がそんなことを言い出したのは、ある日のこと。

 学園卒業後は嫡男として領地に戻るつもりで、父上の仕事ぶりを改めて見ながら与えられた仕事をひとつひとつ覚えていた長期休みでの帰省中のことだった。

 書類仕事が一段落ついて、休憩しようかと椅子から立ち上がりかけたところに突然やって来た母上は、


「クラリッサがアンちゃんの教育係を探してるって言うから、セイラなんてどう、って提案しておいたのよ。だからあの子たちが来るからね、あなたのお友達だし一応伝えておくわ」


 と一方的に告げた。そして言うだけ言うと部屋を出て行ってしまうのだから、なんとも慌ただしい。

 母上の言葉が足りていないのはもういつものことで、つまりどういうことかと先ほどの言葉を脳内で反芻する。クラリッサとはエンリックの母親の名前であり、アンとはアンヌ嬢、奴の想い人のことだ。


「教育係、か」


 アンヌ嬢は庶民だ。私と同じく伯爵家の嫡男であるエンリックとは身分的に釣り合わない。釣り合わないからと、随分と長い間アプローチを拒否されてきたと聞いている。出会いから十年以上も口説き続けたと言うのだからいっそ執念を感じるが、それも今では婚約間近と――奴の妄言でなければ――言っていたのだから、アンヌ嬢はいよいよ貴族社会に踏み込む決心をしたのだろう。

 つまり、だ。教育係とは、貴族としてのあれこれを叩き込む教師を指すに違いない。我が家には元男爵令嬢という訳ありの使用人がいる、貴族社会入りする予定の庶民と、貴族社会を飛び出して庶民となった元令嬢と、適任といえばそうなのかもしれない。


 かといって私にとっては他人事で、ただ、エヴェリンは彼らの馴れ初めをことのほか気に入っていたなと、つい彼女の姿に思い馳せ自然と浮かぶ笑みの心地良さに目を閉じる。

 彼女との話の種になるなら、まあ何でも構わない。そう思っただけだった。


「悪いんだけど明日空いてるわよね?」


 再び母上が放り込むように告げてきたのは、あれから一年以上が経ってからだったろうか。


「ほら、アンちゃんの件。あなた結局たまにリックとおしゃべりしていたくらいで、アンちゃんが淑女らしくなったかまだ見ていないじゃない? 様子を知らないならちょうどいいと思って、あの子たちがそれなりに見えるかちょっと付き合ってもらえる?」


 ほら、ではないし、ちょうどいい、ではない。

 語尾を上げて問いかけているようでいて、これは問いではないと察する。突然何を言い出したのかと、知らず眉間に皺が寄った。


「明日はエヴィとの約束があります」


 それも、自分の身勝手な余裕のなさから少々ぎこなく別れて初めてのデートという、私にとっては非常に大切な約束が。


「二人のために出来ることすべきことがあるなら、それはもちろんやぶさかではないですが、急に明日と言われてもそれは無理です」

「あらそうなの。知らなかったから明日で約束しちゃってるのよね、どうしましょう」

「母上の約束なら母上が付き合うべきでしょうし、日程を変更すればいいだけでは?」


 負けてはならない。譲るつもりはない。そんな気持ちを込め、半ば睨むようにして反論する。


「セイラの指導は済んでいるのよ。あとは場馴れだと思うのよね」

「母上、だから私は予定があるのだと言っているんです」


 聞いてくれ、頼むから。

 会話の噛み合わなさに頭痛を覚えて頭を抱える。ノリで我が子の婚約を決めるだけあって自由人なのは今更ではあるけど、それにしたって。


「……私の優先順位、知ってますよね?」

「それで終わるなら、あなたの価値はその程度だったってことでしょう?」


 こんな無茶振りは初めてレベルだ。息子に対する暴言まで飛び出して、あんまりな言い様に項垂れるしかなかった。

 アンヌ嬢の淑女ぶりは板についてきたというが、外での実践はほぼ初めてとくれば確かに助けは必要だろう。リックにフォローを求めるのはきっと無理だ、いや絶対無理だ。

 明日を待ち遠しく思っていただけにため息は重いが、よくよく聞けば母上も外せない予定が入ってしまったということだし、その皺寄せを何故私が受けなければならないのかは疑問でしかないけど、まあ一度だけなら。


 ……ああ、仕方がない。


 エヴェリンには手紙より早急に届く手紙鳥で、急ぎ約束のキャンセルを伝えなければ。何がどうしてこうなったかなんて自分でもまだ理解が追いつかず、ひとまず書くのは断念した。今度会った時に話せばいい。出来ることなら、明日の約束を今日これからに変更してもらえたならとの考えも過ぎったけど、さすがに急過ぎるだろう。

 ……なんて、急だと呆れられたとしてもすぐに彼女のもとへと駆けていれば、そう、なんだってあとから思うものなのだ。



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