05.わたしと彼のお友達
「アンヌと申します。お会い出来て光栄です」
「仲良くしてね、僕の婚約者なんだ」
「嘘です。まだですから」
「時間の問題だろう? だからこそオルレア嬢との場を設けたんじゃないか」
……いったい何がどうして、わたしはここにいるのかしら。
目の前で繰り広げられる痴話喧嘩と呼ぶにも可愛らしい遣り取りをしているのは、ルーカスのお友達であるエメリス様とその恋人。
アンヌ様は、優しい笑顔の女性。ショコラのような髪は艶やかにまとめられ、青灰色の瞳は美しく、やわらかな物腰で、そうと知らなければ名のあるお家柄のご令嬢、ご婦人にしか見えない。
「つれないところも可愛いでしょう。僕のアン」
さらりと惚気けてみせるエメリス様は自慢げで、小さく睨むアンヌ様も満更ではないのが初対面のわたしの目にも明らか。素敵なご夫婦になるのだろうなと、羨ましく思えた。
「いつまでも立ち話をしていても仕方ない。食事を用意しているから入ってくれ」
ルーカスとともにわたしが彼らを出迎えたのは、庶民として生まれた彼女が貴族社会に入るにあたり社交界に馴染めるよう知り合いを作りたいとのことで、白羽の矢が立ったからだった。
正直他人のことを気遣っている場合ではないのだけれど。ルーカスとは変わらず気まずい距離感のまま、彼らをもてなすために婚約者としてランドール家のタウンハウスを訪れていた。
噂から一ヶ月近く、つまりわたしが彼を避けるようになってそれだけの時間が経過していたけど、ここは何も変わった様子は見受けられない。使用人たちもわたしのことを主人一家同様に扱う。
「エヴェリンはあなたたちの話をことのほか気に入っていてね」
「ちょっとルーカス、変なこと言わないでっ」
ルーカスとわたし、エメリス様とアンヌ様、二組で向かい合ってテーブルにつく。
慣れない顔ぶれでの食事会には、授業やお付き合いでいい加減慣れつつある。それでも妙に緊張感があるのは、普段ならもっと大人数での場だからか、それともひさしぶりに彼が隣にいるから……?
「こちらこそ、お二人のことをいつも噂していたんですよ」
「理想の婚約関係だってね。ルーカスがいつも婚約者の可愛さを語って聞かせてくるから」
「……リック。余計なことは言わなくていい」
エメリス様を睨む彼の頬は赤く染まり、気まずそうにこちらを窺う目と目が合った。慌てて料理に視線を落としたわたしの耳に、微かな笑い声が聞こえてきた。
アンヌ様が、そして給仕をしてくれ控えているランドール家の者たちが、あたたかい眼差しでこちらを見ていた。
「出会った時からそうだったな、惚気話ばかりして」
「お前にだけは言われたくはないけどな」
彼はといえば、エメリス様と子供のように言い合って譲らない。外で見せる姿ではない、わたしやお兄様の前で見せる顔とも違う、こんなにも肩肘張らないただの男の子のようなルーカスを、初めて見た気がした。
だけど当たり前かもしれない、彼のお友達と公の場以外で会うことはこれまでそうあることではなかった。わたしがまだ社交は不慣れだろうからと、もっと大きくなってからにしようと、言われてきた。
そうやって子供扱いし続けてきたのにこうして引き合わされたのは、そろそろ解禁ということなのか、それとももう終わる関係だから最後の記念とでもいうことなのか。後者なのかもしれないと思うと、新たに知る一面にも胸が締め付けられるばかり。
「最近は淑女教育の一環としてこちらで時々お世話になっているのですけど、いつもこんな風で」
アンヌ様が小首を傾げるようにして微笑む。
「淑女教育ですか?」
「ええ。エヴェリン様もご存知とのことですが、私はもともと貴族ではありませんから。伯爵家に嫁ぐに相応しい作法なり勉強なりを、教わっているところなのです」
もちろん知っている。使用人として働いていた彼女を見初め、長年かけて口説き落としたというお二人の馴れ初めはわたしの胸を高鳴らせ、そんな風に想い想われるなんてどんな気持ちかしらと、家族や友情以上の感情を知らないわたしは思い馳せたものだった。
とはいえ、それを知っていてなお、ここまで時間をともにして違和感を覚えることはなかった。それはつまり、アンヌ様のおっしゃる淑女教育の賜物に違いない。庶民と貴族では生活が異なるはずで、それに見合った所作は一朝一夕で身につけられるものではないだろうに。まだ婚約者ではない、なんて言ってはいたけど、その気がなければとてもじゃないけど出来ることではない。
「ランドール家で教わるとは、もしかしてセイラ様ですか?」
「はい。今は自分も庶民だからと、親身になっていただいて」
なるほど、と納得する。
ランドール家には使用人の中に元令嬢がいる。男爵家の末娘だったセイラ様は、使用人と恋に落ちて駆け落ち、東の国境を越えようと旅をしていたところを領地を視察していた奥様、ルーカスのお母様に見つかり拾われたのだと聞いている。アンヌ様とは逆の立場でありながら、状況としては近いといえる。
正直、アンヌ様の立ち位置は微妙なところ。庶民が貴族になろうだなんてと、嫌悪したり見下す人間も多いはず。その点セイラ様はどちらの気持ちもお分かりになるだろうから、きっと適任だったということね。もちろん、貴族の末子が庶民になることと、庶民が貴族の嫡男に嫁ぐことは、同等に語ることは出来ないけれど。
「セイラ様もこちらに?」
「いえ、奥様のお世話があるということでこちらには。代わりと言っては何ですが、ルーカス様にはおかしなところがないか確認をしていただいております」
「そんな大事な役割を?」
「もうセイラさんからは太鼓判押されてるんだけどね」
「と言うほどでもないのですが、セイラ様の前だとどうしても先生に見守られる生徒という状態になってしまいますので、パートナーと過ごす気の緩む時間でもそれなりに見えるかどうかを第三者の目で見てもらえればと」
まだ公にしていない関係ということで協力者が限られているにしても、そんな時に頼られるなんてルーカスとエメリス様は本当に良いお友達なのね。
それにしてもアンヌ様の浮かべる困ったような微笑みさえ美しくて、パートナーだとか、気が緩むとか、惚気もいいところではないかしら。
この二人なら大丈夫、必ずいい夫婦になる。……わたしたちとは違って。
「先月あたりからカフェや劇場などに同行していただいて、」
過ぎった自分の感傷に、沈んだ気分のまま落ちた目線。ふと視界の端に掠めた色彩に誘われるようにして目を向ければ、それは彼の手元を飾る、あの日贈ったカフリンクス。緑青色の石が彼の瞳のようにわたしを見上げる。
「ルーカスには随分と甘えてしまったけどね」
「本当にそうです。あなたが遅れて来た時なんて、どれほど居心地の悪い思いをさせてしまったことか……」
「お前は昔からそういうところがあるからな」
「悪いとは思ってるんだぞ?」
「だからお友達が少ないんですよ。いつもご迷惑をお掛けして申し訳ございません」
一人で物思いに耽るわたしを置いて進む会話。
まるで母親のように頭を下げるアンヌ様と、そんな身内としての発言に嬉しそうなエメリス様。仲睦まじさが窺えてなんとも微笑ましい。
……だけど、待って。
「よろしければ次はぜひ、エヴェリン様もご一緒いただけると嬉しいです」
アンヌ様の瞳がまっすぐに、わたしに向けられる。
全てに思い至ったわたしは思わず立ち上がりかけるのを、すんでのところで堪え、乱れる息を飲み込むようにしてどうにか平静を保つ。
カフェや劇場、それは、彼が目撃されたその噂の、――?
「……あの、わたし……」
「そうだ、エヴェリン様。お庭を案内していただけませんか? 何度かお邪魔させていただいてはいるのですけど、夜のお庭も美しいのでしょうね」
微笑むアンヌ様はわたしの心を見透かしているようで、穏やかな誘いに素直に乗ることが出来た。




