03.わたしとあなたを繋ぐもの
あの日、別れ際には微笑みあって再会の約束をした。
だけどきっと、わたしがそうであったように、ルーカスも本心からの笑みではなかったに違いない。ダンスで寄り添っている時にも微笑みを浮かべてはいたもののなんだか複雑そうな顔をしていたし、直前に表情を取り繕っていたのも分かっている。……分かっているの。ルーカスのことなら、何年もそばにいたのだもの。
彼はわたしに、子供のままでいてほしいのかしら。
伯爵夫人になるためにと努力してきたことは、貴族の子女である以上、必要なことには間違いがないはずだけど。
どうにも気が滅入って、集中出来ない本をテーブルの上に手放し、窓から流れ込むよそ風に目を閉じる。
デートの約束が明日に迫ってきているからこそ、一層落ち着かない自分には気づいていた。
これまでこんな気持ちになることはなかった。優しいもう一人の兄様に会えることが楽しみで、わたしたち兄妹には適性のない魔導の力を見せてもらったり、剣術の試合を応援に行くだけでも楽しかった。お兄様とはまた違うあたたかさで包み込んでくれていたから。
「お嬢様、ルーカス様からお便りのようです」
ノックとともにドアの向こうから掛けられた声。いつの間にか手元に落ちていた視線を上げ、どうぞ、と入るよう促す。
入室したナディルの左腕にとまった白い小鳥が、ふわりわたしのもとへと羽ばたいた。テーブルに止まった小鳥は「エヴィ、エヴィ」と鳴いたかと思うと、瞬きの間に手紙へと変じた。
「……明日はあなたのオススメのお店にでも連れて行ってもらおうかしら」
「もしかしてルーカス様のご都合が悪くなられたのですか?」
「キャンセルですって。埋め合わせはまた今度してくださるそうよ」
見慣れた筆跡で綴られた手紙は、ナディルに告げた通り、明日のデートを延期させてほしいという内容だった。すぐに届くよう手紙鳥を使用しているあたり、急遽予定が入ったことが窺える。彼のことだ、明日会うことが無理になったと分かってすぐに知らせてくれたんだろうと思う。
領地で問題でも起きたのか、逆に計画していたお仕事が順調にいきすぎて休みを取れないほど忙しくなったりでもしたのかもしれない。……体調を崩したり怪我をしたりといったことでなければいいけれど。
「まあ、それはお寂しいですね。いつもお会いになられる日を楽しみにしてらっしゃいますのに」
「あら、そんなことないわ。昔はそりゃあ楽しみだったこと否定はしないけど、今はほら、お友達もいるし、たまにはこんな日があってもいいわよ」
単純なもので、顔を合わせることにためらいがあったはずなのに会えないとなると残念に思えてくる。そんな自分が気恥ずかしくて、澄ましてみせた。
そんなこと、四六時中そばにいてくれるナディルにはお見通しなんだって分かってはいるんだけど。
明日はナディルと街を散歩がてら歩いて、ルーカスに何かお土産でも見つけて手紙に添えて送ってみようかな。
……なんてことを呑気に考えていられたのは、彼のことを兄として婚約者として信じていたからだった。この時は。まだ。
翌日、予定のなくなったわたしはナディルと護衛を伴い街に繰り出した。
学園が長期休みなのだし領地に戻るのもいいかなと考えもしたのだけど、お兄様が先日出立したところ。今から追いかけても追いつけないし、かといって転送門を使用して先に領地に帰り着くのも、どちらもちょっとどうかなと思って。転送門は魔導術で各地を繋げていて移動に便利なのだけど、魔導力に適性のないわたしは時にふらついてしまったりもするのよね。
せっかくの機会、どうせなら楽しもう。そう考え直したら気分が高揚してきた。
街中をゆっくり歩いたことは、あまりない。今では人生の大半を王都で過ごしている形にはなっているとはいえ、それは学園があるからだ。そして学園のある間は寮暮らしで外出には許可が必要だし、そもそもその敷地内でほとんどの用が事足りる。休みの間だって自分で買い物に出る必要もない。
学園から、またプライベートで、出掛けることはあっても観劇だとか、お茶会やパーティーだとか、目的地の決まっていることが多いから。あてもなく出歩くというだけで、わたしにとっては一大イベントのようなものだった。
季節は春とあって、街路樹や花壇などに見る緑が瑞々しい。綺麗に晴れた空の下を歩くのはとても気持ちがいい。
「お気に入りが見つかってよかったですね」
スイーツが美味しいと噂になっていたカフェ、たまのことなのだからと渋るのを制して対面に座ってもらったナディルが微笑む。彼女の手元に立てかけられた白い日傘の持ち手に結び付けられた装飾を、つい眺めていたわたしは目線をそこから離して笑った。
「ええ。今日はほんとうに満足だわ」
「それはようございました」
その装飾はピンクベージュのタッセルに花を模して組み合わせた石を縫いつけたもの。ルーカスへの贈り物を探していて見つけたものだった。
何気なく立ち寄った雑貨屋さんで、ふと目を引くものがあった。吸い寄せられるようにして手に取ったカフリンクスは、だけどどう見ても安物の石を使用していて、さすがにこれはと、一度は購入を見送った。それなのに引き返してしまったのは、その緑青色の石が彼の瞳を思わせたから。
良質なものを見慣れた目には、チープでおもちゃみたいなものでしかないかもしれないけれど、合わせて自分用にお揃いにも見える石のついたストラップを、お兄様にもルーカスに選んだものとはデザインの異なるカフリンクスを購入すれば、わたしの胸中は晴れ晴れとしてステップでも踏みたい気分になった。
そうよ、例えちょっと安っぽくたって身内だけの時に着けてもらえばいいのだし、気持ちが大事だってこと、お二人なら理解してくれるに違いないもの。まあ、お兄様へと決めたそれの選び方が、近くに展示されていたから……ということを知られたら、ついでのようで拗ねてしまうかもしれないけど。
おいしいケーキとお茶を楽しんだわたしたちは、帰る前に手紙を送ってしまおうと郵便舎に向かった。
普段のように部屋でしたためたものを使用人に預けてもいいところではあったけど、微妙な気まずさが燻り続けているからこそ、今のこの気持ちのまま勢いで書き上げて送れたらと考えて。帰ってからだと先延ばしにしてしまうかもしれないもの。
郵便舎の一角を借りて手紙を用意し、プレゼントとともに受け付けに預ける。手紙鳥での郵送で依頼したから、魔導術で今日明日にでも彼のもとへと届くはず。
彼の様子が不自然だなんていうのは、きっと気のせい。
そもそも兄妹同然に育ったのだから妹扱いは当たり前で、これから先もともに過ごしていくうちに変化していくものなのだろう。これまで通りにお互いを気遣う気持ちなんかを忘れなければ、きっとそれでいい。
「お待たせ。……ナディル?」
少し離れ控えて待っていたナディルが、呼びかけにハッと焦点を合わせる。いつだって先んじて動く彼女が、らしくなく鈍い。
「ああお嬢様、終わられたんですね。それでは帰りましょうか」
「ナディル、どうしたの」
立ちくらみでもしたかのように顔色を悪くさせ、ぎこちない様子には違和感しかない。護衛を見上げれば、彼は警戒を怠らず周囲に視線を巡らせているけれど、……つまりはそんな彼が彼女の様子に気づいていないはずがない。
わたしは問いただすため彼らの名を呼んだ。二人はそれぞれ気遣わしげな表情を浮かべる。
「……お嬢様、ルーカス様はご予定があるとおっしゃっておられたと?」
「カルロ、」
幾分険しい顔のまま口を開いたカルロと、それを制するよう声をかけながらも憂う雰囲気の隠しきれていないナディル。
いつだってわたしを慈しんでくれてきたそんな彼らの態度に、何事かを、察してしまった。




