06.そうして、君と私は
「エヴェリン・オルレア嬢、」
名前を呼ぶ声が掠れ、一呼吸置く。目の前に跪く私を見下ろすエヴェリンの瞳は、星明かりに陰になっているというのに潤みを帯びているのが分かった。
頬に触れ、涙が滲み出してきそうな目元を拭ってやりたい。……そんな不埒な思いを呑み込んで、身を守るよう握り合わさっている手をそっとほどいて握る。
「どうか話を聞いて欲しい」
触れ合う細い指先がぴくりと震えて、まるで逃げ出そうとしているように感じる。だからといって、ここまで来て逃がすはずもない。
あくまでも優しく、それでいて離したくないという意思が伝わるように強く、握り込む。
君に愛を、許しを乞う。
揺れる瞳を見つめ跪いたまま、何もかもを包み隠さず吐き出した。取り繕うことのない、頼れる兄にはとても見えないだろう本心の私。ルーカスというただ一人の情けない男としての素顔を晒した。
今回の事情説明も、抱いていた嫉妬心も、息苦しいほどの恋慕も、
――私には君しかいない、エヴェリンしかいらない。
エヴェリンは黙って話を聞いてくれた。自分でも言い訳がましいと思ってしまうような話だというのに理解を示してくれて、ちっとも格好のつかない告白も頬を染めて、あまつさえ嬉しいと、自分も好きみたいだと言って受け入れてくれたものだから、湧き上がる衝動に負けてつい抱き締めてしまった。彼女は首筋まで赤らめて、昔とは異なる反応に愛おしさが溢れ出す。
ああ、本当に、この子は。
大切にしよう。これまでより、もっともっと。二度と泣かせることのないように――。
「差し出がましいことをいたしました」
手を繋いで戻った私たちをテラスで迎えたエンリックとアンヌ嬢は、揃って頭を下げた。神妙な友の様子に先ほどまでの緊張がゆるみ、漏れた吐息は思いがけず深々としたものとなった。
「口出ししないという約束ではあったんだけど、その、僕では上手く口がというか、頭が回らないから、」
「いや、ため息のつもりじゃなかったんだ。私のぎこちない説明をエヴィが受け入れてくれたのはアンヌ嬢の援護のおかげだろうから、感謝している」
慌てて弁明するエンリックの肩を叩く。二人で相談して決行したための謝罪か、独断で行ったアンヌ嬢を庇ってのことか、私には分からないが。それが私たちを思ってのことなのは確かなのだろう。
食事の席でのアンヌ嬢とエヴェリンの予期せぬ会話の流れには驚かされた。終始落ち着いていたアンヌ嬢の滑らかに進む話の展開に、口を挟むことが出来なかった。さすが年上だけあるというところか、それとも使用人として社会を見てきたからこそなのか。
「なんだよ、また怒らせたかと思ったのに。誤解されるようなことするなよなぁ」
「まったくだな」
まさしくそんな話題を笑って話せるようになったことが、心底から嬉しい。
「アンヌ様、色々とお気遣いいただいてしまって、ありがとうございました」
「いいえ、エヴェリン様に仲良くしていただきたくて、つい勝手をしてしまいました」
「勝手だなんて。お話を聞かせてくださってとても嬉しかったです。今後ともよろしくお願いいたします」
ぎゅ、と力を込めた手に反応して、きゅ、と握り返される手。締まりのない顔を逸らせば、空には眩いばかりの星がきらめいていた。
「それじゃあ改めてルーカスの婚約成立ってことで!」
「何を仕切ってるんだ」
「ふふ、改めておめでとうございます」
「ありがとうございます」
余談だが、噂の発端となったエンリックとアンヌ嬢のデートへの同行、その役割を与えてきた母上の指示は意図的なものだったということが後日判明する。
婚約者にベタ惚れのくせその立場にあぐらをかいている息子に業を煮やしていたようで、エヴェリンに想いを伝えるよう焚き付ける目的でしばらく会えないよう画策、淑女教育に便乗したという。噂が立ったことで家名に傷をつけることとなったのは両親ともに大して気にしてはいない様子ではあったが、まさかエヴェリンの方が追い詰められるとは思いもよらなかったと、母上は彼女を抱き締めて嫌いにならないでと半ば泣きながら詫びていた。
誤解を解くため義理の母娘で社交界に出て大袈裟なくらいに仲良く振る舞うようになったことをきっかけに、本当にこれまで以上に親しい母娘になるのだから未来というものは読めないものだ。
そうしたあれこれをしてはみても、噂はすぐには消えないだろう。私が彼女に真摯に向き合ってさえいればなんとかなる、だなんて楽観的には考えていない。それでも地道に根回しをしたりひとつひとつ訂正をして、実直に対処していくつもりだ。
「私のエヴェリン。愛しているよ」
「わたしも、お慕いしております」
彼女を傷つけた罪は消えないが、本当の意味で気持ちの通った恋人となれた事実は私にとって何よりのことであり、もう失いかけるような失敗などしないと強く誓う。
――何があってもこの手だけは離さない。