05.友と彼女と私
最後のチャンスだと、セルジオに掛けられた情け。
大切な人を自分で傷付けてしまった私には、彼女の隣に立つ資格はないのかもしれない。それでも、何度考えてもやはり私には彼女を、エヴェリンを手放すことなど出来ない。
それならばどうするか。答えは単純、誠心誠意謝罪をし本心を告げるしかない。受け入れてもらえるかは分からないし、彼女はまた逃げ出そうとするかもしれないけど、みっともなくても情けなくても引き止めて話をするのだと覚悟を決める。
セルジオから説明してもらうのは簡単だ。それでも自分の預かり知らぬところで、やはりルーカスが相手では……ということになりでもしたら抵抗のしようもない。最悪、直接謝る機会を得られないまま関係が終わってしまう可能性だってあるだろう。それが何より恐ろしい。
そうならないために考えようと、改めて決意した。
まずは彼女と話が出来る場作りから、準備に取り掛かる。
計画は仕事の合間を見繕い、セルジオに意見をもらいながら立てた。自分自身の尻拭いなのだから一人でやるのが当たり前だと考えていたが、またただただ頭を抱えて終わるんじゃないかと指摘されれば好意として素直に受け取るしかなかったし、彼にはすでにどん底に落ち込んだところを見られているのだから今更格好をつけても仕方がない。何より、エヴェリンのこととなると冷静ではいられないのは確かなのだから。
エンリックとアンヌ嬢にも協力を仰いだ。
原因の一端となった人間に頼るというのはなんだかおかしな気もしたが、別に彼らが何事かをしたわけではない。それに彼女に信じてもらえたなら遠からず顔を合わせることにもなるだろうし、逆に彼女が離れていくことになったなら紹介する機会も失われてしまうかもしれない。二人の話を目を輝かせてねだってきた彼女だからいつか紹介したいと、……それがこんな状況下になるとは想像もしていなかったが。
そもそも、広がった噂を鎮めるためにも彼らとの協力は不可欠だ。
まだ私の名前だけが出ていて相手がどこの誰とも言われてはいないようだったが、アンヌ嬢が社交界に顔を知られるようになれば特定されることになるかもしれない。リックたちとは当事者として力を合わせなけらばならないだろう。
身近な中でもっとも影響力のあるはずの母上にも当然頼らせてもらうつもりでいるのだが、あの人は息子の婚約破棄の危機だというのに焦りも何もありはしない。始まりとなったデートのキャンセルについても、母上は彼女に宛ててお詫びの便りを出したと言っていたが……それもどうだか怪しいものだと思っている。
使用人を含め、ランドール家の人間の耳には入って来ていない状態だったため対応が遅れたが、すでに学生時代の面々には事情を記した書面を送っている。何通か返ってきた手紙には、ルーカスらしくないなというものから、これまでが順調過ぎていつか何かあるんじゃないかと思っていたなんて失礼なものまであった。それでも婚約者への私の可愛がりようを知っているだけに噂を知る者も信じてはいなかったようで、少なからず安堵した。
私のことばかりならまだいい、私ではなくエヴェリンの不名誉となってしまうことだけは避けなければならないのだから。
「なんか、悪かったな、僕たちのせいで」
私の取り乱しようを見ているせいか、いつになくおとなしいリックがアンヌ嬢とともに頭を下げる。
「僕からも事情を説明するから」
「いや、とりあえずお前は黙っててくれ」
「なんでだよ!」
「ややこしくなる気がする」
気持ちはありがたいが、すべてを終えてからの介入にしてほしいと両肩に手を置いて訴えた。善意からの言動のはずが事態を引っ掻き回すことが昔からあるのだ、この男は。いざとなればアンヌ嬢がフォローしてくれるかもしれないが、不安要素は取り除いておきたい。
「二人には客人として普通に振舞ってもらえれば助かる」と、こんな状況で普通を強要するのも酷かもしれないけど、二人とはそう取り決めておいた。
身につけたカフリンクスを握るよう手を触れる。これが届いた時に添えられていた手紙に、私の瞳のようだと書かれていた石。どちらかといえば自分の色より彼女を連想させるものをそばに置きたいものなのだが。
それでも私のことを考え、想いながら選んでくれた物なのだということが嬉しくて堪らなかった。
そうだ、思い悩ませるのならそんな幸せな悩みでなくてはならない。
目を閉じて、深呼吸――。
思い浮かぶのはどうしたって直近に見た硬い表情だけど、首を振ってエヴィの笑顔を思い出す。そうすれば連鎖的に楽しい思い出があふれて、自然と気持ちが奮い立つ。
「今日はよろしく頼むよ」
「え、ええ」
ランドール家のタウンハウスに呼び出されたエヴェリンは戸惑ったまま、だけど彼女が逃げ出さないこと、前回会った時ほど悪い顔色ではないことに胸を撫で下ろす。
エンリックの婚約者の友達になってほしい、という名目で呼び出したのは正解だったかもしれない。自分だけが頼りだと言われたら、優しい彼女が放り出すなんて出来ないことは分かっていた。騙すようで少々気が引けたが、それもすべてが偽りというわけではない。
アンヌ嬢は庶民の生まれ、エンリックがいかに惚れ込もうとも、アンヌ嬢自身がどれだけ努力しようと、変わらない事実がそこにある。今でこそ少ないながらに身分を越えた婚姻は存在するとはいえ、未だ生まれこそがすべてだと頑として認めない人間も多い。そんな貴族社会では苦労するであろうことは目に見えている。下手をすればいつまでも認められない可能性だってあるだろう。
だからこそ、二人には味方が必要だった。特にアンヌ嬢に寄り添える、支えとなれる存在が。表立って宣言するわけでなくとも、見ていてくれる誰かがいるというだけで心強いものだろう。私自身、なんだかんだと言いながらも見守ってくれたセルジオや、分かってくれた旧友たちに、今回どれほど救われたか。
とはいえ仲良くしろと強要するつもりはない。エヴィとリックは友達ではないし、それこそ私と結婚しないのであれば無関係だ。話を聞いて会ってみたいとは思っていても、実際に対面してみればどうにも合わないということもあるかもしれない。それならそれで、顔見知りになるだけで構わない。まあ、私の見立てでは大丈夫だろうと思っているし、だからこそ呼び出す理由として顔合わせを兼ねたのだが。
「ようこそお越しくださいました」
エメリス家の馬車から降り立ったエンリックとアンヌ嬢を出迎えるエヴェリンは、ほとんど自宅同然に過ごしてきただけに自然な振る舞いで、問題など何もなかったのではと錯覚してしまいそうになる。
二人を迎えるにあたっての采配も、慣れていないだろうに懸命にしてくれ、その様はすでに女主人であり使用人たちも彼女の指示を当然として従う。いずれ彼女がその立場になるのだと、使用人たちも来たる日を楽しみにしていたのだから……今回の件では何がどうしてそうなったのかと、彼らの呆れた視線に身の置き所がないほどだった。さすがに直接口にする者はなかったが、批判されたところで反論は出来なかっただろう。
「アンヌと申します。お会い出来て光栄です」
「仲良くしてね、僕の婚約者なんだ」
「嘘です。まだですから」
「時間の問題だろう?」
デレデレとにやつくエンリックは、誰かに紹介するという経験があまりなかったのだろう、普段より少々興奮気味なのが見て取れる。アンヌ嬢に窘められても「つれないところも可愛い」と、それすら嬉しそうに笑う。出会った当初は周囲に興味を持たず愛想のない奴だと思ったものだったが、それはお互い様か、幸せそうで何よりだ。
「いつまでも立ち話をしていても仕方ない。食事を用意しているから入ってくれ」
奥へと促し、二組で向かい合いテーブルにつく。エヴェリンが手ずから摘んだ花を飾ったテーブル上に、順々に出てくるのは今日のためにとシェフと相談し用意させた料理。客人であるエンリックたちを歓迎するような華やかさのあるもの、そしてエヴェリンの好きなもの。
会話の取っ掛りにでもなればと考えて。和やかな空気を作り出すには美味しい食事と相場が決まっている。
隣を見れば、食用花を浮かべたスープや果実の酸味をきかせた冷菓など、エヴィはやはり目を輝かせていたけど、なかなか口数が増えないのは予想通りといえばその通り。
元来人見知りな彼女は、今ではすっかり人付き合いに慣れてこちらが寂しく感じるほどではあったが、心底から打ち解けるには今も時間がかかるようだ。
「エヴェリンはあなたたちの話をことのほか気に入っていてね」
「ちょっとルーカス、変なこと言わないでっ」
私の言葉に、パッと跳ね上がった顔が赤く染まる。恥ずかしげに睨む上目遣いは可愛いだけで、ぎこちなくなる前の自分たちであったなら、髪を撫でるか肩に触れるか、触れてしまっていたに違いない。思わず伸ばしたくなる手をぐっと堪えた。
「こちらこそ、お二人のことをいつも噂していたんですよ」
「理想の婚約関係だってね。ルーカスがいつも婚約者の可愛さを語って聞かせてくるから」
「……リック。余計なことは言わなくていい」
エヴェリンを可愛く怒らせた罰か、今度は私がエンリックを睨むことになった。彼女はといえば、反応を窺う私と目が合うと慌てて逸らしはしたが、それはどんな感情からなのか……、どうにも伝わってはいなさそうな気がして複雑な気持ちを抱える。そんな私たちを見守る視線に堪えかね、ついエンリックと子供じみた言い合いをしているうちに、
「最近は淑女教育の一環としてこちらで時々お世話になっているのですけど、いつもこんな風で」
アンヌ嬢が本題の一端に触れていた。
肩の跳ねた私に、アンヌ嬢が横目で頷く。私が求めた時の口添えを頼みはしていたけど、まさか率先するようにそれを話しかけるとは。協力を願うことになった経緯を説明しているだけに、見ていられなかったのかもしれない。情けない……のはすでに今更か。
「淑女教育ですか?」
興味を引かれたエヴィはアンヌ嬢の話に耳を傾ける。
もともと関心を抱いていた相手の話だ、徐々に緊張感も和らぎ楽しげな表情になっていく。エメリス家に嫁ぐに相応しい女性になろうと淑女らしい振る舞いを教わっているところで、教師役は我が家の使用人である元令嬢のセイラであること、そして、
「ルーカス様にはおかしなところがないか確認をしていただいております」
と、本題ど真ん中に至る事実までもを放り込んできた。
「そんな大事な役割を?」
エヴィはきょとんと、ひさしぶりに苦痛や作り笑いなど何の感情も載っていない素顔を私に向ける。長年ずっと見てきたのと変わらない表情に少なからず安堵して、緩みそうな気持ちと高まる緊張という矛盾した感覚を抱え、静かに深呼吸。
アンヌ嬢はそのまま私がそれを担う理由を述べて、たまに隣のエンリックを軽く睨みながら、エヴェリンを安心させるようふわりと微笑んでみせた。
「先月あたりからカフェや劇場などに同行していただいて、」
「ルーカスには随分と甘えてしまったけどね」
結果的に言うと、当初考えたよりもとんだ迷惑だった。
母上に命じられたとはいえ、エンリックに頼られたとはいえ、二人のデートに同行さえすればいいのだろうと簡単に考えた自分の判断を何度後悔したか知れない。
エヴェリンは何か物思うように静かに話を聞いていた、かと思うと、不意に息を呑んだ。
「エヴィ、」
「そうだ、エヴェリン様。お庭を案内していただけませんか?」
彼女がすべてを、とはいかずとも、会話から私や自身の置かれた状況を察したのは明白だった。噂の真相を。
アンヌ嬢が話を切り出した時点でこうなることは当然予想がついた。しかし、きちんと話をする前に理解された、それは私にとって予定外ではあって咄嗟に名前を呼ぼうとしたけど……
動揺しているエヴェリンの耳には入ってはいない様子で、アンヌ嬢に誘われるまま席を立つ。
「ほら、ルーカス!」
綿密に立てていた訳でもないのに予定とは異なる展開に戸惑う私を、エンリックは肩を叩くことで我に返す。
「潔白を信じてくれそうじゃないか?」とお気楽ながら勇気づけるよう向けられる笑みに頷いて、彼らが作ってくれた好機なのだと呼吸をひとつ。改めて彼女と向き合う気持ちを整え、私は立ち上がった。