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令嬢と婚約者、そして恋を知る  作者: 茅未つき
婚約者ルーカス
10/12

04.愚かな私



「……顔色悪いよ?」


 セルジオが手本を見せるようににっこりと微笑んだ。


 顔色も悪くなるというもの。自身の愚かさを悔やんでも悔やみきれない。セルジオの笑顔が罪悪感と焦りに追い討ちをかけてくる。

 チクチクどころかザクザクと刃物を突き立てるような視線を正面から向けられるが、文句などあろうはずもない。


 とんでもない過ちを犯していることに気付いたのは、セルジオが彼にしては珍しく事前連絡なしに押しかけてきた時。書斎で資料集めをしていた私を探し当てた彼は、真顔で胸ぐらを掴み上げ低く罵声を浴びせてきたのだ。

 それまでの私は呑気にも、働きながらもいつあの子に贈られたカフリンクスを付けてデートが出来るかと思い馳せていて、突然のことに理解が追いつかずさらに彼を苛立たせることになった。


 ……何者からも守りたいと思っていたはずのエヴェリンを自分こそが傷付けたなんて。

 その事実に血の気が引いて、今すぐ飛び出そうとした足は、しかし泣き疲れて寝込んでいると聞かされくず折れた。


「本当に大丈夫なの?」


 そうして今日、ようやくエヴェリンに面会する機会を得ることが出来た。

 それも自力で作った機会ではなく、セルジオがいてくれてこそ叶ったものだった。感謝も謝罪もいくらしてもしきれない。


 セルジオとの関係は事情を説明したことでひとまずの和解となったが、かといって彼が私を許したわけではないことも理解していた。

 柔和に微笑みながらも冷めた眼差し、しかしそれを受け入れるのはいいとして、今日こそはと気合いを入れてきたのだから不安になるようなことは言わないでほしい。


「……シミュレーションならしてきた、つもりだ」

「そんな青白い顔で言われても説得力ないよ。直接謝りたいっていう気持ちは分かるけどね、休み中に捕まえられなかったのは大きいと思うな」

「…………計らってくれて感謝している」

「その言葉はあの子と話せてからにした方がいいんじゃない? こうも避けられておいて今日は逃げられないなんて考えは甘いんじゃないかと思うけど」


 テーブルの上の食事を前に姿勢よく腰掛けるセルジオは、ゆったりとティーカップを傾ける。

 学園の食堂テラス席だ。卒業するまでは三人でよく過ごしていた場所。今も兄妹二人で続いているらしいそのランチタイムに交ざる形で、私に話をする場を用意してくれた。


 懐かしいざわめきに目を閉じる。そんな話し声や物音よりも自分の心音が響いてズキズキと頭痛のようだ。


 学園の長期休暇中、結局あの子と会えたのは王女殿下の誕生祭の日のみだった。予定外に父上の代理として王都滞在という機会に恵まれたというのに。

 もちろん、こちらの都合もあった。エンリックとアンヌ嬢とは結局その後も何度か顔を合わせることになってしまったし、父上の指示を受けては走り回ることもあった。

 しかし一番の理由はやはり、彼女に避けられていたことだろう。


 何度か誘いをかけたものの、理由をつけては躱された。

 最初は忙しくしているのだろうと、会いたい気持ちを抑え、あの子が元気で楽しくやっているならいいかと考えていた。……そんな自分を殴り飛ばしてやりたい。


 妙な噂が立つなど考えもしていなかった。そんな噂があると聞かされても心当たりなんてなくて戸惑ったくらいだ。

 エヴィ以外に興味を持ったこともなかったからこれまで女性と二人きりになることもそうそうなかったし、最近会った人物といえば仕事上では指の数では足りないほどだが、そんな風に見える雰囲気が出ていたはずもない。

 心当たりを捻り出すならアンヌ嬢ということになるのだろうと結論づけてからも、何故そんな噂となったのか、どうしてそう思う者がいたかが分からない。そもそも常にエンリックと一緒だったというのに。発端となった母上に相談したところで「あらまあ」と焦りも何もあったものではない。ああやはりこんなことを引き受けるべきではなかったのだ――。


 落ちるため息が重くて息苦しい。

 手紙は何度も送った。それでもこれについてはどうにも書くことが出来なかった。どうしたって言い訳めいて、自分でも胡散臭い印象にしかならなかったのだ。顔を合わせて話せたら……そんな希望を抱いて今日まで来たけど。

 後手に後手に回っている気がする。全てがすでに遅いような気さえしてきて、握り締めた手が震えて仕方ない。


「やっぱり先に僕が説明しとく方がいいって、」

「……しつこい」

「随分と神経逆立ててるみたいだけど、そういうのは君じゃなくて僕ら兄妹の方だと思うけど?」

「何度も言うように、そんな関係じゃないんだから問題ない」

「噂にまでなっているのにそんなこと言うんだ?」


 痛い――。セルジオは痛いところをそうと分かっていて突いてくる。痛いからこそ塞げない耳のかわりに口調が荒れている自覚はある。

 約束を違えることになったあの日、手紙に一連の流れを説明していれば。突然の訪問でもなんでも、会いに行っていれば。……こんな噂は立たなかったかもしれないし、立ったところで笑い話にすることも出来たかもしれない。


「……私だってこんなことになるとは思ってなかったし、あの子には悪いと思っている」

「だったら、」

「分かっているくせに、酷いやつだな、お前は」

「君とあの子、僕がどっちを取るかなんて愚問でしょう?」


 もう何もかも手遅れなのではないか、悪い方向に舵を切った想像は静かに進み私の心を蝕んでいく。

 仮に彼女が婚約解消を望んだならば、私はそれを受け入れる他ない。自分の迂闊さが招いた事態なのだから、私に彼女の意思を拒むすべはないのだ。


「…………本当ならすぐにでも連れ去りたいさ」


 本音が漏れてこぼれ落ちていく。

 こんなことになって痛感した、親の決めた婚約者だなんてとっくに思っていないことを。自分自身で望んでその隣に立っているのだということ。自覚していないわけではなかったけど、あの子を失った人生なんて想像も出来ないことを心底から実感した。

「ならそうしてくれて構わないんだけどね」とセルジオは事も無げにつぶやくが、誰より許可の必要な本人が構うだろうと思えば身動きが取れなくなる。


 ――ああ、エヴェリン。


 会いたい。会いたくない。……会いたい。抱き締めて、閉じ込めてしまいたい。渦巻く感情がぐらぐらと揺れ動き、不安と恋慕が混ざっていく。

 彼女は話を聞いてくれるだろうか。彼女の意思なら受け入れなければという思いは本心なのに、それでもきっと、私はあの子が望んでも離してはやれないのだから、何をしたって許しを乞うて、信頼を得なければならない。


「エヴェリン」


 セルジオが呼びかける声に、ハッと目の前に意識が戻る。


「遅いから迎えに行こうかと思ったよ」

「ごめんなさいお兄様。お友達とおしゃべりしていて」


 ひさしぶりに顔を合わせたエヴィに胸が震えて、その顔色の悪さに胸が軋む。

 噂のせいで、私のせいで思い悩ませ傷付いているというのは確かなのだと知る。実際に彼女の姿を見るまでは、セルジオが大袈裟に語っているだけで実際には呆れて嫌われたのではとの考えが浮かんでいたりもしていたが、どうもその可能性は低そうだ。


 斜向かい、セルジオの隣の席についたエヴィは静かに目を伏せ、視線が合うことはない。

 渇いた喉でなけなしの唾液を飲み込み、シミュレーションを思い出して微笑を浮かべてみせる。冷静に、平静に。


「やあ、エヴィ」

「……おひさしぶりです」


 薄く笑みらしきものを見せるエヴィは、それでもやはり真っ直ぐにこちらを見てはくれずに、私がいることを教えていなかったセルジオに膨れてみせている。……表面上は、穏やかに。

 ぎこちない態度は明らかで、和やかに見せかけているからこそ違和感が大きい。


「あのデートの約束、守れなくてごめん」

「いいえ。むしろお手紙と贈り物をたくさんありがとうございます、気を遣わせてしまって」


 いつも愛らしいその声は硬く、丁寧で平坦。私との会話を拒む。エヴィの心が離れていることを突きつけられ、これまでにない距離感が胸を抉る。

 セルジオが場をつなぐため何事もないように続ける会話に、せめてと相槌を打ちはするものの耳の表面を滑ってでもいくよう。エヴィの様子ばかりが気になって、セルジオとの会話が成立しているかも分からない。


 本題を、今日の目的をと気持ちは焦るのに、どんどん口の中が乾いていって飲み込む唾液すら上手く分泌されないでいる。馬鹿みたいに手元のカップに口をつけおかわりまでしても、全然潤わないのは何故なのか。

 目が合ったセルジオに顔をしかめられるが、ぼんやりした様子のエヴィのぎこちなくも儚げな微笑に息が止まって……そうやってまごついているうちに、彼女が席を立ってしまった。


 セルジオの深いため息に急かされ、教室へと向かう背中を追いかける。追いかけて、名前を呼んで、振り向いた彼女は――

 紅茶色の前髪が目元を隠していたって分かる、――今にも泣き出しそうで。


「…………………………ごめん」


 その一言を絞り出すだけで、もう、逃げていく後ろ姿を捕まえる気力を失ってしまった。強引に引き止めて言い訳を並べ立てても、もう信じてはもらえないかもしれない。


「……馬鹿」


 肩を落として戻った私に全てを察したセルジオは、深々としたため息を吐いて首を振った。


「もう僕から話すし、あの子次第ではあるけど婚約破棄も覚悟しておいて」


 お手上げだと、吐き捨てるような宣告。身動きが取れなくなった自分では、もう足掻くことも無駄でしかないのかもしれない。彼女を傷つけて気付きもしなかった報いか。

 押し黙って頷くことしか出来ず、私は項垂れる。

 テーブルの天板を指先で叩く音がコツコツと鳴って、セルジオが苛立っていることが伝わってくる。


「……ルーカス。終わりにしていいんだね?」


 静かな問い掛け。三人で過ごした日々が、幼い頃からの彼女との思い出が駆け巡る。はにかんだ笑顔、繋いだやわらかな手、家では幾分強気なのに外に出ると私たちの背中に隠れ、新しいドレスを着た時にはくるりと回って見せてくれた。可愛くて愛おしい人。……終わりになんて、していいわけがない。

 立ち上がったセルジオが私の肩にこぶしを当てる。


「これで最後。もう一度だけチャンスをあげる」


 考えよう。無駄かもしれなくとも抗わなければ。彼女を失わないために。

 ――彼女が傷付いている、その意味に縋る。



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