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キョショクのシキ  作者: 藍染三月
第一章
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虚飾の式5

「ねぇ、何がいけないのよ。あいつらだって嘘の一つや二つ吐いてるでしょ。嘘を吐いたことのない人間なんていないでしょ。別に良いじゃない、好かれる私になる為に嘘を吐くことくらい。期待に応える為に嘘を吐いて、それで誰に迷惑かけてるって言うのよ」


 重ねる。幾重にも、不満を、怒りを、苛立ちを、重ねていく。今ここに敵はいないのに、恨み言を投げ付ける相手はいないのに、嗚咽を吐けば吐くほど言葉まで溢れ出す。

 五月蝿い、と己に叫びたかった。涙がまた零れてきて、私は床に落としてしまっていたティッシュを手に取り、抜いた一枚を両手で持って目元に押し当てる。ティッシュを濡らした雫は指にも触れたけれど、それが熱いのか冷たいのかさえわからなかった。


「……人にもよるだろうけど、どんな嘘でも、相手は嘘を吐かれたって時点で嫌な気持ちになるんじゃないかな。それに嘘なんか吐かなくたって……君はそのままで好かれると思うよ」

「そのまま? バッカみたい」


 こんなのはただの八つ当たりだ。志弦は私の言葉に返してくれただけだ。それなのに、あんたに何がわかるのよと怒鳴りたくなってしまう。叫声を噛み潰したら唸り声が吹き出される。


「私には何もないのよ。だから私は私を殺すの。そのままの私なんて、周りから見たらゴミ同然なんだから」

「……周りばっか気にして生きることって、楽しい?」

「じゃあ志弦はどう生きたら楽しい? ねぇ、そもそも生きることって楽しいことなの? 嘘のない自分で生きて、本当に誰かが受け入れてくれるの? それで楽しめるの?」


 志弦は間違っていないのかもしれない。だけど正しいだけの言葉は、今は欲しくなかった。だからだろう、感情が無理やり喉の蓋をこじ開けて、外に出ていく。私の泣き声が教室に高く響いていた。

 まるで時間が止まったみたいに、私達は黙り込んだ。窓の向こうから聞こえてくる風の音と、それに乗せられてきた人の声だけが、時の流れを知らせてくる。

 私は決して、欲しい言葉があったわけではない。けれどなんでも良いから、今の私の言葉に何かを返して欲しかった。面倒くさい子供みたいな私にも、向き合ってくれる人がただ欲しかった。だけどきっと、志弦もそうしてはくれないのだろう。

 今までずっとそうだった。私の気持ちを吐き出して、それを聞いてくれた人なんていない。どうせ志弦も、今の私に呆れて踵を返すのだと思った。泣き叫んで縋ったところで、背中を向けられる──なんて、そんなものは見慣れた光景だ。それなのに、それでも私は、沈黙する志弦にしがみつきたかった。

 志弦がどんな顔で私を見ているのか見たくなかったが、向き合わなきゃという一心で顎を持ち上げた。俯いたままでこちらを見ていない彼女の、その表情は窺えない。視線を引き付けたくて、去ってしまうかもしれないその足を引き止めたくて、みっともないくらい喚こうとした。


「生き方なんて――!」

「そんなの分からない」


 私の悲鳴を遮った志弦の声音は、とても静かで、けれど決して弱くはない。顔を上げた彼女は、言い終えることなく飲み込まれた私の悲鳴さえ聞こえなかったのだろう。きっと、私が八つ当たりみたく投げつけた質問のことを、ずっと、考えてくれていたのだと思う。

 感情で震える上下の唇を触れ合わせて、冷静に思い返す。どう生きたら楽しいの、と、さっき私は問いかけた。それに彼女が返してきた答えは、何かを解決に導くものではなかったけれど、今の私には充分過ぎるくらい大きな一言で、この胸を簡単に満たしてしまう。溢れた涙が目の前の景色を揺らす。彼女は、私の頬を優しく撫でた。伝わる体温は高くないのに、どうしてか、温かいと感じた。


「楽しいかなんてわからないよ。聖だって、やってみないと何も分からないでしょ。今は勇気が出ないかもしれないけど、そのうち、本当の自分に自信を付けていけたら良いんじゃないかな。急ぐ必要はないから、もっとちゃんと自分を見つめてみて。君はきっと、嘘偽りのない君を、いつかちゃんと好きになれるから」


 止まらない涙を、志弦の手が優しく受け止めていく。私は志弦の手をそっと押し退けて顎を引いた。今、自分がどんな顔をしているかも分からないのに、いつまでも顔を上げていたくはなかった。

 吸い込んだ空気とともに肺を満たしていくこの感情は、なんなのだろう。深く、深く呼吸をして、心を落ち着かせていく。激情を鎮めれば鎮めるほど、浮き彫りになるのは暖かな気持ちだった。

 どうしてこの人は、私を突き放さないのだろう。どうして、呆れたり怒ったりしないのだろう。どうしてこんなに真っ直ぐ、向き合おうとしてくれるのだろう。

 こんなことは初めてで、私にはこの嬉しさを笑って受け止めることが出来なかった。涙が止まらない。悲しさは志弦が拭ってくれたのに、それでも泣き止むことが出来ない。膝を抱えたままの私はまるで、物語の中の幼い子供みたいだ。優しい手に撫でられて、泣きじゃくる。こんな現実があることも、苦しい時に優しくされることがこんなに嬉しいことも、私は知らなかった。


「明日、約束通り出掛けよう。聖にとってデートをする意味はなくなったかもしれないけどさ。僕はもっと、そのままの聖のことを知りたい」

「……言われなくたって、遊ぶつもりだったわよ」

「そう。じゃあ楽しもうね」


 感情を欠片も隠せていないみっともない顔を志弦に向けたら、微笑みかけられる。嘲笑も呆れも感じない綺麗な微笑みが、とても、嬉しかった。私もどうにか目顔を笑わせて、差し出された彼女の手を取り、立ち上がる。

「帰ろう」と、志弦が柔らかな声を落とす。

 私は足元に落としてしまっていた写真を拾い上げ、教室のゴミ箱の上で破り捨てた。仮面の残骸を見下ろしてから、私は鞄を肩にかけ、先に廊下へ出ていた志弦の隣へ駆け寄った。

 ねぇ、と呼び掛けたら、廊下の窓から差し込む夕紅に目を細めていた彼女が、私へ柔らかな表情を向けてくる。


「ん?」

「志弦、食べられないのは精神的な原因があるかもしれないって、ネットに書いてあったの」


 それは、休み時間に携帯電話を弄りながら調べていたことだ。難しいことは私にはよく分からないし、家庭環境が原因ならそこまでは踏み込めないけれど、彼女の心の拠り所を作りたいと思った。私が仮面を外しても認めてくれた、彼女のように。

 アーモンドみたいな瞳を大きく見開いている彼女へ、私は一歩詰め寄った。


「私、志弦が食べられるように協力したい。寂しい思いも辛い思いもさせたくない。だから、私……その、私と友達になろ!」


 いつからか、友達になろう、なんて言葉は聞かなくなっていた。少し話したら友達、遊んだら友達、そんな風になっているのだろう。それでも私は、ハッキリと、志弦との関係を声に出したかった。

 私達は友達で良いの? そう聞くのは狡く感じたから、私からちゃんと、求めないとと思った。

 求めた先にあったのは、砂糖菓子みたいに甘く綺麗な笑い声だ。


「僕はもう友達だと思ってたけど、そうだよね。口に出さないと伝わらないよね。ありがとう聖、よろしく」


 夕焼けの眩しさが心地良い。今は、グラウンドから聞こえる笑い声さえ不快ではなかった。不意に繋がれた手の温度も、軽く握りしめてみた感覚も、私の頬を緩ませる。

 これは私が見ている幸せな夢ではないのだ。

 私達は、友達になった。キョショクに侵された今の私達を、消すために。


 こうして虚飾と拒食は出会い、シキを綴る。


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