第2話 エルダンドの発育
「クリシュナひとりじゃ、むりだよ。ぼくが、いっしょにいってあげるよ。」
エルダンドの、得意気な声。
彼女の方へとはね飛び、彼女をかかえて近くのポールにまで漂っていく。
クリシュナをつかまえた反動で、移動方向が変わってしまうことも計算に入れて、ちゃんとポールにたどりつけるように、エルダンドは考えてはね飛んだ。
そういうふうにしないと、無重力のなかではうまく移動できない。
なれれば簡単だが、なれるまでが大変なのだ。
クリシュナを15分の漂流から助けだしたエルダンドは、彼女の手をひいて、別室へのおつかいの途についた。
「つぎはあの扉をけっ飛ばすからね、気をつけて飛ぶんだよ。」
「うん、ありがとう。」
子供たちは、おたがいに救出しあったり手をかしあったりしながら、大人たちの言いつけに応えようとしたものだった。少しずつ、ひとりでできることを増やしていきながら。
(あのころでさえ、クリシュナとの距離を感じていた。ああやって、何かを手伝ってあげる機会でもなければ、彼女に話しかけられない気分でいたんだ。前まではこんなんじゃなかったのにな、って思いながら。その“前まで”っていうのを今では覚えていないけど、彼女とのあいだに距離ができたのを実感しながら、部品を運んできたんだった。こうやって話したり近くで見つめたりするのは、こんな機会にしかできない、って思いながら。)
旅だちのシャトルの、窓のなかで通り過ぎつつある食料生産用建造物を見つめながら、エルダンドは考えにしずみこんでいく。
そのときには、むずかしい仕事をまかされたと思って、彼は得意になったりしたものだった。だが、あとで思えば、いちばん簡単な仕事を割りあてられた大人が、子供たちの面倒をみる役もひきうけていた。
大人たちは交代で、色々な作業をこなしていて、いちばん安全な場所で、いちばん簡単な作業をする大人のところに、子供たちは集められていたのだ。
そこでたのまれた仕事だから、子どもにとってもかなり簡単で、何の危険もなく、手間をとりすぎようと間違えようと、なにも問題などおこらない仕事だ。漂流したところで、助けてくれる人がいくらでもいたくらいなのだから。
大人たちに守られていた日々。学校などないとはいえ、子供たちが安全にすこやかに成長できるように、色々な気配りをしてくれていた。
そのなかで、ずっとクリシュナの近くにいたエルダンドなのだが、どんどん距離がひらいていくのを感じていた日々でもあった。
クリシュナもだんだんと移動が上手になり、仕事もなんなくこなせるようになり、手伝ってあげる機会もなくなっていったから、いよいよエルダンドは彼女と話せなくなった。
近よることも、できなくなった。ただ、眺めているだけだった。きらきらの、かがやく横顔を。遠くにはなれれば、はなれるほど、まぶしく感じられる横顔を。
(そうだ。だから俺は、もっともっとむずかしい仕事を覚えよう、って思ったんだった。クリシュナより先に、むずかしい仕事をたくさん覚えておけば、また彼女を手伝ってあげたり、何かを教えてあげたりできる。話をしたり近よったりする機会も、つくれるぞ、って。)
「ねえねえ、これどうやるの?」
「こっちの作業も、やらせてみてよ。」
大人たちが困るくらいに、うっとうしく思うくらいに、次々に仕事を覚えようとしていた。クリシュナを手伝ってあげて、クリシュナに教えてあげて、「ありがとう」のひとことを言われるときを夢見て。誰よりも一生懸命に、仕事を覚えようとがんばった日々があった。
その努力が実るときもあった。
手伝ってあげて、教えてあげて、その拍子に、手と手が触れあったりしたこともあった。
ずっと前には気がねなく触っていた気がするクリシュナの手の、何年ぶりかもわからない感触に、目がまわるくらいにびっくりした思い出もある。
(女の子の手が、あんなにすべすべしてて、ぷにぷにしてて、柔らかいんだって、あのときはおどろいたよな。思いもよらず、突然あたっちゃって、そのことにもおどろきながら、想像していなかった感触にもおどろいたんだ。)
「ご、ごめん。」
「ありがとう。」
2人の声が重なった。
「え?ごめん、って、なにが?」
手が触れたことが恥ずかしく、そのことに思わず「ごめん」と言ってしまったのがさらに恥ずかしく、逃げるようにクリシュナから離れてしまった。
数少ない、近くにいられる機会だったのに。
2人のほかにも、そのときにはまわりに、たくさんの子供たちがいたはずだが、エルダンドにはクリシュナしかいなかったように思える。それくらいに、クリシュナにひかれていたのだとは、あとになって実感した。
好きとか、恋とかを、意識するゆとりもなかった。そう思うには幼すぎたのかもしれないが、本当に誰かを好きな時間には、そんなことは意識しないものじゃないか。エルダンドにはそう思える。
何年くらいだったろうか。そんな日々がつづいたのは。
(そのあとに、あの日々がはじまった。)
特別な出来事があったわけでもないが、その日々がはじまった。それまでとはぜんぜん違う日々、それまでとは異質な時間のはじまり。
(クリシュナの体つきが、どんどん変わっていったんだよな。)
より高度な仕事をたのまれるようになると、おたがいの姿を見ない時間も多くなった。長めの時間おいて彼女を見ることになったから、その変化はより劇的に、エルダンドには感じられた。
見なれた、なじみのある顔の形も、少しずつ大人びて洗練されていくのだが、それでもまだ、顔にかんしては、見なれていてなじみがあると感じられる変化にとどまっていた。
だが、その顔の下が、首から下の形が、状態が、まったく見なれないものになっていった。なじみも何も、まったく感じられなくなるような、劇的な変化をとげていった。
首から下だけが、ひと晩にして誰かと入れかわったか、と思ったこともあった。
普段から、かれらは宇宙服を着てすごしていたが、それは、別の時代の人にはびっくりするほどほっそりとして、シンプルな形だ。体のラインも、十分に見分けられるくらいに薄くて伸縮性もある。
子供たちは、少し大きすぎるブカブカのそれを身につけることが多く、成長するにつれて体にフィットしたものになり、場合によっては、少し小さすぎるものに、むりやり体をねじこむようにして着ることも増えてくる。
クリシュナの体形が目につくようになったのには、そういった事情もあっただろうが、それ以上にやはり、彼女自身の体つきの変化が大きかっただろう。
日々、たわわに、丸々として、やわらかな質感をもともなって、彼女は実っていった。
エルダンドに自覚はなかったが、彼の精神状態も、日々成長をとげていたはずだ。
少年から男に成長している彼が、少女から女へとたわわに変貌し、実っていくクリシュナの肢体を目の当たりにさせられたのだから、その衝撃は、なまはんかなものでは済まなかったのだ。
心と体のいたるところから、火を噴きそうな発熱をおぼえた。何をどうしたいのかも分からない衝動に、全身をかきむしっても収まらないムラムラを味わった。すっかり大人になった後に自覚する、性への衝動や欲情とは別物のような気がする。
目的も方向も定かではない、わけの分からない衝動と欲情。思春期のエルダンドの、思春期のクリシュナへの発熱だった。
そしてそれらは、なお一層、彼を彼女からひきはなした。遠かった距離が、さらにさらに、絶望的にひろがっていく。
もう、けっして触れてはいけない、けっして近よってはいけない。クリシュナの体形のおどろくような変化は、エルダンドにそう思わせた。
絶対的な壁、どうすることもできない障害、たわわなクリシュナのシルエットに、エルダンドが味わった感覚だった。
クリシュナを聖域と感じ、クリシュナへの接近や接触を、タブーだと思いこんだのだ。誰に言われたわけでもなく、何かから学んだわけでもなく、ひとりでに、知らぬ間に。
成長し、かがやきを増し、遠くに、高くにいってしまうクリシュナにたいして、エルダンドにできたことは、やはり仕事を覚えることだった。
もっともっと、とてつもなく難しいことをできるようになることで、クリシュナとの距離をすこしでも縮める。彼にはそれしか、思いつかなかった。
難しい仕事をたくさんこなせるようになって、一人前の男になる。それが、たわわなクリシュナに近よれる、ただひとつの道に思えたのだ。
「そろそろ、別の施設での仕事とか、宇宙空間でこなす仕事とかも、覚えてみたいよ。」
そんな要求が大人たちに受けいれてもらえると、エルダンドは前のめりになった。
それまでは、いちばん安全な場所で、いちばん簡単な仕事をする大人のそばにばかりいたのだが、そのときからエルダンドは、より危険で、より難しい仕事のある場所につれていってもらえることになった。
次回、第3話 エルダンドの労働 です。 2019/11/16 に投稿します。
クリシュナに関する描写は、作者が中学一年の夏休み明けに感じたらしいおぼろげな記憶から、強引にひねり出したものを中心にして描きました。特に“ひいきの”というわけではなかったですが、近くの席の女子に、驚かされた思い出があります。夏休み前にも「グラマーだな」との印象はありましたが、夏休みが明けると、さらにとんでもない状態となっていたのです。こんなことを長年覚え続けているのは、作者くらいのものなのでしょうか・・・?