第22話 エルダンドの迷走
そして今、エルダンドは、旅だちのときをむかえている。無責任な大人と嘲弄しか知らない女のいるふるさとは、どんどん背後に遠ざかっていっている。
シャトルが彼をみちびく先には、ひろい銀河がまっている。広大な世界で、のびのびと活躍する未来が、シャトルのいく先にひろがっている。
(あんな女と、ようやく離れられるんだ。)
もはや、イライラやいきどおりしか感じられなくなったクリシュナを想い、エルダンドは思った。彼女との離別が、自分に心の平穏をもたらしてくれるのだと、本気で信じこんでいた。
(そして、もう二度と、こんな目にあわないようにしたいものだ。ああいう女には、かかわらないように、気をつけなくちゃ。)
エルダンドは、自身に言い聞かせる。(女なんかに、もう何も、思わなくなってしまえばいいんだ。どんなにたわわなものを目にしても、どんなにまぶしい笑顔をむけられても、どんなにうれしい言葉をかけられても、もうけっして何も、感じたりしなければいいんだ。
心を、鉄のようにかたく、氷のようにつめたく、おさえつけてしまうべきなんだ。そうすれば、嘲弄されて心をかき乱されることもないんだ。
エージェントとしての、銀河の運命をせおった活動を、毎日けんめいにくりひろげていれば、きっと、それは、できることだと思うんだ。)
クリシュナをうしなった悲しみは、エルダンドに、恋慕の情へのきわめつきの嫌悪をすらもたらしていた。
自然な感情でさえ、自分から切り離し、置きざりにして、彼はふるさとをあとにしようとしている。誰かに恋することもなく、エージェントとしての活動だけに没頭する日々、それを夢見て、思い描いて、彼はシャトルに身をゆだねている。
シャトルは、彼らの惑星においてはもっとも外側の軌道をまわっている人工建造物に、収容されいった。「エッジポート」とよばれる、宙空建造物だ。
この建造物で、さいごの搭乗客をのせて、シャトルは惑星から離れていくための、力強い加速を与えられるだろう。建造物から数kmにわたってのびる電磁誘導カタパルトが、マッハを数倍した速度で、惑星から引きはなす加速を、シャトルに与えるはずだ。
(これでいいんだ。これでよかったんだ。無責任な大人たちと、嘲弄しか知らない女から、解放されるんだ。ようやく俺は、心の平穏をえられるんだ。)
おなじ言葉を、何度も何度も心の中でくりかえす。自己暗示でも、こころみているかのように。自分を、説得しているかのように。
ふるさとをはなれる決断を、正しいものだったのだと自分に言い聞かせる、それを、片時もやめられず、途切れさせられず、エルダンドは加速のときをまちつづける。
加速がはじまれば、もう、後戻りはできない。かすかな迷いが心のどこかにあったとしても、それで、断ち切れるはずだ。エルダンドは、待ちどおしかった。
心の奥底にあるかもしれない、戻るなら今がラストチャンスだという思いを、必死で閉じこめているのかもしれない。
早く、加速が始まればいい。さいごの搭乗客の収容を、さっさとおわらせて、後戻りのできなくなる加速をはじめてしまってほしい。決断の正しさを自分に言い聞かせながら、エルダンドは待ちどおしくて仕方なかった。
早く加速か始まらないと、自分に言い聞かせつづけていないと、どうにかなってしまいそうだった。
まだ引き返せる一瞬一瞬を、閉ざされた心が、見のがしつづけた。
そして、とうとう、さいごの加速が、はじまった。
ゆっくりと、だが力強く、エルダンドはシャトルごと前へと押しだされた。
これでようやく、すべてにふん切りをつけられる、と思った瞬間、エルダンドの脳裏に、困りはてている集落のみんなの顔がうかんだ。
(ほんとうに、置いていってしまっていいのか?彼らを。俺を、あんなにも必要としていてくれた、かれらを。)
ふるさとをはなれ、銀河連邦のエージェントを目指すという決断を告げたとき、集落の者たちは当然、反対した。エルダンドなしで、どうやって集落を維持していけばいいのだ、と。資源採取などの設備を、誰がメンテしたり修理したりするんだ、と。
「修理やメンテは、やろうと思えば誰でもできるんだ。今まで、管理官がやるはずだと決めつけて、誰もやろうとしなかっただけで、やろうと思えばできるんだ。それよりも、誰かがこの国の治政をあらためる活動をしないと、この集落だって、いつかとんでもない困難にみまわれると思うんだ。」
エルダンドに、つき放すようにそう言われると、集落のだれも反論はできなかった。
理屈だけを積みあげれば、エルダンドが銀河エージェントになった方が、集落の未来のためにもいいのだ、という結論にしかならなかった。
それでも、集落の者たちは不安を口にしつづけた。それをエルダンドは、無責任のあらわれだとしか、受けとめられなかった。
人任せの精神がしみついてしまっているから、任せ切りにしていられる誰かが、いなくなるのが不安なんだ。そういう連中はつき放してでも、人任せの精神を矯正した方がいいのだ、と思った。いや、そう自分に言い聞かせた。
「お前は、勇気があるな。」
集落の、ひとりの大人は、そうも言った。「俺には、集落から出るとか、重力の底におりるとか、そんな勇気は、どうやったって出せないよ。安全だと証明されようと、誰かに太鼓判をおされようと、それでも絶対にむりだ。そんな恐ろしいこと、できっこない。
なのにお前は、重力の底におりるのも、集落から出ていくのも、恐れることなく決断できるんだものな。すごい勇気だとおもうぜ。」
(自分の人任せで無責任な精神を、俺を勇気があると持ちあげることで、正当化しようとしているんだ。情けない大人だぜ。こんなやつらは、つき放してやるくらいが、ちょうどいいんだ。)
エルダンドは、自分にそう言い聞かせることで、彼の方こそ旅だちを正当化してきた。
だが、さいごの加速を体に感じ、これでふん切りがつくはずの瞬間を迎えたとたん、
(ほんとうに、この人たちを残していって、いいのか?)
との想いが、ふきあがってきた。(みんなの不安を、恐れを、こんな風につき放してしまって、よかったのか?)
後戻りできないところまで来てしまってから、ようやく、いきなり、そんな思いにとりつかれた。
サヒーマの話を聞いて、いたたまれなくなって旅だちを決意し、理屈をこねてそれを正当化してきたが、ひろい銀河への思いを麻薬として、さまざまな想いを心からかき消してきたが、やはり、集落の人たちをつき放しての旅だちは、間違いだったのじゃないか。
もう、どうしようもない状態になってしまったのに、いまさらのように、そう思えてきた。
(だが、不安だろうが、恐ろしかろうが、設備のメンテナンスとかは、誰にでもできるんだ。できるように作ってあるんだ、すべての“皇帝陛下の”施設は。つき放したって、なんとかできるはずだ。)
つき放したことへの後悔を、どうにかねじ伏せたエルダンドの脳裏に、こんどは、おさなき日々の記憶がよみがえる。
安全な仕事場にあつめられ、大人たちに守られていた日々。色んな面倒を背負わされたが、厳しすぎる言葉を投げつけられたこともあったが、それでも、守ってくれていた日々も確かにあった。
懸命に彼を守ってくれていた、優しい人々を、集落の人々を、つき放してしまった自分。
(けど、クリッドだって、集落のことは任せておけと、言ってくれたんだ。銀河連邦のエージェントがそう言ってくれているんだ、きっと大丈夫だ。みんなのことは、心配いらないはずだ。)
そんな結論にむりやり漕ぎつけたとたん、また別のものが脳裏にあらわれる。
クリシュナのかなし気な顔が、うかんできたのだった。
まぶたの裏にうかぶクリシュナの、泣きだしそうな顔を見て、初めてエルダンドは、とんでもない見落としをしていたことに気がついた。
クリシュナが体を売って自分だけのぜいたくを手にした、なんていうのは、人づてのうわさを真にうけただけで、何一つ確認がとれたものではなかった。実際に彼女がヴィシュワーナのところで何をしてるかなど、彼はひとつも知らなかった。
市場用建造物で見たすがたも、ヴィシュワーナの背後にあったすがたも、そんなうわさを信じこんだアタマでうけとめた、偏見にみちた印象でしかない。
すべてが、思いこみや決めつけでしかなかったことに、もう後戻りできないここにいたって、ようやくに気がついた。
次回、第23話 エルダンドの驚愕 です。 2020/4/4 に投稿します。
「エルダンドは、阿呆なのか?」とか「そんな分かりきったことに、今まで気づかないなんてあるか?」なんて声が、聞こえてきそうです。作者も、ちょっと阿呆かなと思ったりします。ですが、ここでも、例の万能の言葉を振り回します。「恋は盲目」だから、こうなるのも自然なのさ、と。色んなことに賢さを発揮したエルダンドが、クリシュナに関しては、どこまでも阿呆に成り下がる。そんな展開も、「恋は盲目」の一言で完全に正当化され切ると、信じて疑わない作者なのです。