第1話 エルダンドの回想
(そのひとのことをおもうと、やさしい気持ちになるとか、うれしい気持ちになるとか、あたたかい気持ちになるとか、そんなのを恋する心とよぶのなら、俺はきっと、恋する心なんて、二度といだけなくなってしまった。もう、この先ずっと、いだくことがあるなんて思えない。俺には、ちっとも縁のなくなってしまった気持ちなのかも・・・)
目にうつるのは、死や絶望を連想させる、深すぎる漆黒ばかりだった。近くにあるはずの惑星は、よほど気を付けて見つめて、ようやくその輪郭を捕えられるほどに暗く、背景の漆黒と同化してしまっている。
彼のふるさとがよりそっている衛星にいたっては、レーダーの反応でその存在を知るしかないありさまだ。
(イライラする気持ち、ムカッとはらだたしい気持ち、そんなものばかりになってしまった、クリシュナのことを、おもう俺は・・・)
ふるさとの集落そのものは、人工的な光をはなっているので、小さな点としてその位置を確かめられるが、それとても、もはやすぐにでも消えてしまいそうだ。
彼の乗る旅だちのシャトルが、あとすこしでも加速をすれば、またたく間に、見えなくなってしまうだろう。
(いつの間に、俺とクリシュナの心は、こんなにも遠くはなれてしまったのだろう。)
ふるさとをはなれていく彼――エルダンドの乗るシャトルの周囲には、もう、靄をぬり重ねたようなねっとりとした暗闇だけしかなくなった。
(幼いころには、もっと、すきとおった気持ちで、なかよく楽しく過ごせていた気がするのに・・・。なのに、気がつくと、いつの間にか、クリシュナは遠いひとになって、見えない壁みたいなものを感じるようになって、近よれなくなって、話せなくなって、今となっては、もう、彼女と親しくおしゃべりすることなんて、ぜったいにあり得なくなってしまった。)
かれらのふるさとを従えている惑星が周回する、この星系の主星は、核融合による光のめぐみをあたえてくれない。
何千万年も前に重水素の核融合が終わり、軽水素を核融合させるだけの重力をもたないその星は、かつての核融合の余熱とか一般的な化学反応で、かすかに光っているだけだ。それも、ほとんどは人の目に見えない波長の光だ。
だから、人にとってそれは、わずかな熱を感じさせるだけの、暗い暗い、真っ暗な星だった。褐色矮星、なんていう分類がなされている。
辺りを漂う星系ガスを、重力で引っぱりこむこともできなかったし、光の圧力で追いはらうこともできなかったので、星系内にはだらしなくガスが充満しっぱなしだ。
ただでさえ弱い主星からの見えもしない波長の光は、そのガスがつくる靄にさえぎられている。だから、なお、暗い。
化学反応の生んだかすかな紫外線を、あたりにただようガスが蛍光反射している。それによって、人の目に見える光をまき散らしている。
そのために、むしろ星の周りの方が明るい。暈のようなものが、できている。うっすらした光の“わっか”が、星が存在している場所をひかえめにアピールしている。
(クリシュナと楽しくすごせていた日々も、はっきりとした記憶はない。どんなことを、どんなふうに話していたかも、まったく分からない。いちばんふるい記憶の中でも、なんだかクリシュナと話せなくなったな、っておもっている、俺は。そして、前まではこうじゃなかったのになって、記憶のなかの俺は、ひとりごちているんだ。そんな思い出のなかの想いで、楽しくすごせていた時間があったはずだって、感じているだけなんだ。)
星系ガスといっても、人が呼吸できる空気の濃度と比べれば、何万分の1とかいったくらいだ。エルダンドのふるさとから主星までの、何億kmにもなるとんでもなく広い空間にあるものでようやく、光をさえぎるくらいの存在感をみせる。
星系ガスがみちた空間とは、人の感覚からすれば、真空と言ってしまってもよい。人間どころか、あらゆる生命のいとなみを拒絶する、無慈悲な空間だ。
こんなところで人が暮らして行くなんて、時代が時代なら、ぜったいにあり得ない。人の生存の、ぜったいに不可能なはずだった空間だ。
(幼いころの、思い出すことのできるいちばんふるい時間でさえ、俺とクリシュナの間には壁があった。それが、今は、もっともっと距離がひらいてしまった。くらしをおくる場所も、くらしぶりも、何もかもがへだたってしまった。)
いのちを拒絶する星系ガスのみちた空間のなかで、うっすらとしか見えない惑星を周回する、暗すぎて見えない岩石衛星。それを更に周回する人工天体、それがエルダンドのふるさとだ。
人工孫衛星とよぶべき、3つの宙空建造物によってできあがっている集落で、エルダンドは生まれそだったのだ。
(こうなってしまったからには、もう、俺とクリシュナが楽しい時間をすごすなんて、永遠に、ぜったいに不可能だ。)
エルダンドのながめるシャトルの窓に、一つの宙空建造物が見えてきた。彼の集落にふくまれるものだ。
3つの、ふるさとをなす宙空建造物は、それぞれ120度の角度をつけて衛星を周回している。
ひとつの建造物から飛びだった彼の乗るシャトルは、らせんを描きながら徐々に衛星から離れて行っている。その途上で、出発したのとは別の建造物に近づき、そのそばを通りすぎようとしているのだ。
居住用、食料生産用、資材製造用と、3つの建造物は分けられている。エルダンドは居住用から飛びたち、食料生産用に接近している。
幼いころの思い出が、たっぷりとつまった建造物だった。
学校なんてないかれらの集落では、子供も大人の仕事場につれていかれる。仕事をしている大人を横目にしてあそんでいる、というか放置されている。そんなありさまですごす時間が多い。
手伝える子供が手伝えることを手伝う、といったことも時々ある。仕事をしている大人が、手近にいた子供に、できそうだと判断した仕事をたのんだりする。
エルダンドも、大人に指をさしてしめされた道具を持ってくる、とかいった仕事を、幼いころにやらされた思い出がある。
最初は、「汗をかいたから、あのタオルをもってきて」なんていう安全かつ簡単で、まちがえたりしても何事も起きないようなことをたのまれた。
少し大きくなると、目に見えるところにおいてある工具や部品などを、もってくるように言われた。さらに大きくなると、別室においてあるものをとってくる、といった仕事に格上げになった。
少しずつ高度なことをたのまれて、子供たちもできる範囲の作業をこなしていく。そのなかで、言葉や仕事を覚えていき、いつかは大人たちのあとをひき継ぐわけだ。
だから、大人の仕事場が学校のようなものであるし、子供の遊び場と大人の仕事場がおなじでもあるわけだ。
(クリシュナと一緒に、別のへやにおいてある大きな部品を、とってきたこともあったな。)
シャトルの窓から見える、食料生産用の建造物を目でおいながら、エルダンドは思い出にひたりはじめた。
建造物内は、無重力だ。重力のある環境など、エルダンドの集落に住むものには、たまにしか味わえない。
建造物の外がわにつき出ていて、グルグルと回転できるセクションがある。そのなかにだけ、遠心力による疑似重力をうみだすことができる。動かすエネルギーがもったいないので、特別な食事などのときにだけ、そのセクションは使われる。
それと、シャトルなどでうける加速重力以外は、ずっと無重力のなかでの生活をおくる。重力は貴重であり、ぜいたくなものだと、かれらは考えていた。
無重力のなかを、手頃なものをけっ飛ばしながら進んでいく、というのがこういった環境での移動だが、慣れない者にはむずかしい。ヘマをすれば、広くもない室内でも漂流してしまう。誰かに助けてもらわないと、何時間にもわたって自由には動けなくなってしまうことがあるのだ。
幼い子供には、別室に移動して何かをもってくる、というだけでも、けっこうな大仕事だ。
「ねえ、クリシュナ、このマークのある部屋にいって、このマークのついた部品をもってきて。」
2つの図柄の描かれた札を見せながら、作業中の大人が声をかけた。
「はーい。」
と返事だけは元気だった幼き日のクリシュナだったが、変な方向に中途半端な勢いではね飛んだせいで、次にけっ飛ばすものが何も見あたらなくなった。
進行方向にある壁まで、20m位なのだが、彼女の進むスピードからすると、たどり着くのに15分くらいかかりそうだ。それまでは、方向を変えることもスピードをあげることもできない。
室内での、15分間の漂流状態になってしまったのだ。
まんまるでクリクリした愛らしい瞳が、たのし気なものから、おどろきを示すものになり、さらにとまどいの色をへて不安の涙にぬれてしまうのに、10秒とはかからなかった。
「なにやってるんだよ、クリシュナ。ちゃんと、つぎにけっ飛ばすものを見つけてから、いきおいよくそっちに向かっていけるように、気をつけて飛ばなきゃダメじゃないか。」
「だってぇー。」
仕事をたのまれて、はりきりすぎたのか、あわてたのか、思わず中途半端にとび出してしまい漂流したクリシュナが、幼き日のエルダンドにむけて小さな口をへの字に曲げた。
次回、第2話 エルダンドの発育 です。 2019/11/9 に投稿します。
地球での全面核戦争から逃れ、宇宙に居場所を求めた人々の末裔の暮らしぶりを、詳細に描いてみました。褐色矮星を中心に据える星系での、貧しい生活です。こういう世界観は、これまでのSFには無かったのでは、と作者は、乏しい知識から独りよがりに思い込んでいるのですが、どういう風に読者様には受け止められていますでしょうか。