第15話 エルダンドの商業
エルダンドの目に、新たに映って来たものも、やはり人工衛星だった。
エルダンドの集落が周回している天然の衛星よりは、だいぶ外側の軌道をまわっているので、集落を出てかなり経った今ごろになって、それはエルダンドの視界にはいってきたのだ。
市場用の宙空建造物だった。
領主におさめる税と、集落で消費される分からあまったものがあれば、この惑星の周辺でくらす者たちは、ここにそれらを持ってくる。そして、商人が、どこか遠くからもってきたものと、交換するのだ。
物々交換が多くをしめる時代ではあったが、貨幣もすこしは流通しており、資源や製品をいったん貨幣にかえたあと、その貨幣で商人からものを買ったりすることもある。
貨幣は、新政権が発行しているものもあるのだが、皇帝が発行しているものの方が、はるかに多く流通していたし、信用も認知度もたかかった。たいていの商人が、皇帝発行の貨幣での取引をもとめていた。
エルダンドの集落でも、年に何度かはここの市場でものを売り、商人がもってきた珍しい文物を手にいれることがあった。資源がたっぷりと採取できた時期が何か月かつづけば、そういったことが可能になる。
エルダンドが色々な採取装置をメンテナンスしたことで、その時も集落には余剰資源や余剰生産物というものが、たっぷりと残っていたのだった。
集落のリーダー格にある者が、たいていは市場でのものの売り買いを担当しているのだが、エルダンドの集落においては、今や彼こそがその役をになう存在だった。
5名ほどの大人をともなって、その日のエルダンドは、はじめて市場を訪れたのだった。
今、エルダンドの乗っている旅だちのシャトルは、その建造物は通りすぎるだけだが、かつて彼が乗っていた、集落からの物資を積みこんであったシャトルは、その建造物のいちばん端にある構造物に横づけされた。
あとからあとから構造物をつけたしたのが見た目にも分かるような、三次元にひろがるモザイク柄のような宙空建造物だ。
それも、内部に重力は生じてはいない。たくさん並んだ四角い箱の、いちばん端のものが、市場にやってきた者のシャトルのドッキングベイになっていた。
荷物は、建造物の外側をロボットアームによって、リレー形式で運ばれ、人間はなかをとおって移動する。モザイク柄のようになった箱状構造物を、いくつもめぐりながら、何人かの商人に取り引きをもちかけるという流れになった。
ニザームのところで、むかしの記録をひもといたエルダンドは、ひとりやふたりの商人と話しただけで取引を決めるようなことはしなかった。そんなことをすれば不利な取り引きをさせられてしまうのは、先人の経験が教えてくれていた。
お互いに面識がなさそうな何人もの商人と、個別に商談をして取引の条件を聞きだしていく。商人たちが示したなかでいちばん有利だと思えた条件を、他の商人にも伝えると、それを聞いた商人のなかから、もっと有利な条件をしめしてくれる者がでてきた。
そうやって商人どうしで競争させて、より有利な条件を引きだしていく。そうしないと、集落にとって得になる取り引きはできないのだと、先人の記録が告げていたのだ。
相場というのも、先人の記録からおおよそのメドがついていたので、エルダンドたちは満足のいく取り引きをすることができた。
集落にとってはありふれた資源や製品が、見なれない文物に化けて手もとにかえってきたのを見ると、エルダンドも気分がよくなった。これまで口にしたことのなかったバイオプロセスフードなどが、たくさん手にはいったのだ。
ごきげんのままで帰り道につきたいところだったが、気分を一転させる光景を、エルダンドはそこで見かけてしまうことになった。
四角い構造物のひとつを飛びすぎようとしたとき、パーテーションの隙間から、彼はみてしまった。久しぶりのクリシュナの姿を。
見るからに別の星系、いや、別の領域からきたのだろうと思われる、顔立ちからして異質なものを感じさせる男に、肩を抱かれていた。
男は、見なれぬとはいっても、よこしまな悦楽にあふれていることははっきりと印象づけられる、ニヤついた顔をしていた。クリシュナを欲情のはけ口にしているのだと、エルダンドに確信させるものだった。
新政権からの使者か、他の所領からきた者か分からないが、誰かのきげんをとるために、クリシュナがその身を穢してよろこびを与えているのだろう。
そのクリシュナも、エルダンドが見たこともない色をした目を、見なれた形の顔のなかに宿し、男を見つめかえしていた。
色香をつかって何かを得ようとする女、色欲をみたされたことと引き換えに何かを与える男、そんなふしだらな交換劇を、エルダンドは見せつけられたのだった。
有利な取り引きを成功させたよろこびなど、たちどころに吹き飛んだ。
あんなニヤついた、いやらしい男に好き放題にされてまで、ぜいたくなくらしを手にいれたかったのか。
いっときは、エルダンドの手のどときそうなところにおいた魅惑的なものを、彼が夢中になってそれに手をのばすさまを見物したうえで、そんなやつにさし出すのか。
ひとを嘲弄し、自分はゆたかさに浸る、そんな生き方が、たのしいのか。
(ちくしょう・・・ちくしょう・・・ちくしょう・・・)
集落にむかって飛ぶシャトルのなかで、エルダンドはふりつもる憤懣に押しつぶされた。
(あのクリシュナの姿をみたときから、俺の彼女への想いはすっかり、怒りとか失望とかいったもの以外ではなくなってしまった。俺にとって恋する心とは、イライラしたりムカッときたりするものでしか、なくなってしまった。
求めれば、もてあそばれるんだ。あつくなれば、あざ笑われるんだ。嘲弄されるためだけに、恋心なんてものはあるんだ。
なぜこんな愚かな感情が、人の心にはやどっているんだ。)
市場用の建造物も、視界から遠のいていく。そんな旅だちのシャトルで、エルダンドは人知れず毒づいていた。
愛でるにまったく値しないものに心をひかれてしまう精神が、本人のゆるしもないのに生まれながらに脳内に植えつけられていることの理不尽を、エルダンドはなげきたくなっていた。
思いだすだけで憤りをきんじえない光景を、いつまでもふり払えずにいることで、想いはどこまでもネガティブをきわめていく。
旅だちのシャトルの窓には、市場用施設にかわって、うっすらとした白い帯が見えてきていた。
ここの惑星の周囲には、市場用建造物のすぐ外側あたりに環があるのだが、大きくても数mていどの氷のあつまりであるそれは、かなり近づいてようやく、白い帯のような姿をうっすらとみせるようになる。
この環も、エルダンドの集落においては、資源の供給源になっていた。
水という、人間にとってもっとも大量に必要な資源をえるのに、この環からの採取は欠かせなかった。
水素や酸素の元素を採取すれば、合成によって簡単につくれるとはいえ、最初から水の形でえられたほうが、手間がすくなくてすむ。経済的に有利というわけだ。大量に必要なものだけに、できるかぎり簡単に手にいれられる方法を確保しておきたいのだ。
そしてこの環にかんしても、エルダンドには忘れがたい思い出があった。
近くの集落のもっている宇宙艇が、エルダンドたちの集落に割り当てられているはずの宙域に、無断で侵入してきたことがあったのだ。
同じトリコーブの所領に属する集落からであり、他の所領からの侵略ではなかったのだが、同じ所領でくらす者によるこういった資源の横取りのような行為も、おこりえる世情なのだった。
といっても、前に侵略をされたのは百年以上も過去のことで、集落の大人たちはだれひとり、その可能性を予期していなかった。エルダンドだけが、それへの備えをしていた。
彼は“皇帝の地上採取施設”について調べていたときに、過去の侵略にかんする記録にもふれていた。
侵略にたいして素早く対処しなかったために、集落にとって貴重な資源採取ポイントにながく居座られてしまい、必要な資源をじゅうぶんにえられない時期が生じてしまった、と記録にはあった。
それは、集落に餓死者がでてしまうほどに深刻なものだったが、なかなか解決できなかったらしい。
ひとたび居座られてしまえば、そうとう手荒なことをしなければ、その宙域をとりもどすことはできない。それこそ近くの集落と戦争をして、多くの人命をうしなわなければならないことになる。
居座られるまえに、いや、その宙域にたどり着く前に対処していれば、そんなことにまではならなかったはずなのだが、対処のおくれが悲惨な状況をつくりだしてしまったのだ。
無断で侵入されたことに気づきもせず、そこに長期の滞在を可能にする建造物をつくられてしまうに至って、ようやく気がついたのだ。
それでも、きぜんとした強気の対処をしなかったために、結局、長期の居座りができる体勢をつくられてしまった。
侵略にたいしては、水際での阻止が、なんとしてもかかせないのだ。
次回、第16話 エルダンドの迎撃 です。 2020/2/15 に投稿します。
貨幣なんて記述が、登場してきました。現代の日本ではキャッシュレスが幅を利かせてきて、現金は使う機会が減っています。作者もつい最近になって、ようやく交通系電子マネーを主な決済手段にし始めました。増税に伴うポイント還元などに、踊らされた格好です(不十分かつ時代遅れなのは、自覚しています)。
エルダンドたちの取引が、どんな形の貨幣でなされたのか。紙幣や硬貨などの現物媒体なのか、はたまた電子媒体なのか、そこは、うやむやにしておきます。はるか未来の宇宙のかなたで、科学技術や政治体制など、いろんな物事が退行してしまっているが、一方では現代よりも進んでいる部分もある、そんな世界での商取引について、読者各位で想像を膨らませて頂きたいと思っております。