プロローグ
今回で、6作品目の投稿になります。そろそろ若葉マークはとれたかなと思いますが、未熟を自覚すること、未だに数多です。
前作「アウター『ファング』閃く」のエピローグにも記しましたが、これまでの作品から一転して、この作品はミリタリー要素や戦闘シーンなどがほとんどありません。痛快で爽快なエンターテイメント要素を抑え、世界観をじっくりと味わって頂こうと企図した仕上がりになっています。より高度な技量を求められるであろう、そんな作品に、無謀を承知で挑んでみた、というところです。
サイズも、前作の「ファング」よりずっと小さく、短編から中編というべき程度です。1回の投稿も「ファング」の半分くらいの量ですが、投稿期間も、「ファング」の半分以下となります(具体的な投稿回数などは、秘密にしておきます)。
エンターテイメント性とサイズにおいて大幅な低下となるわけですが、それでも、これまでの作品にはない、そして、他の、世の中にあるどの小説にもない、独特の世界観というものが、描けているのではないかなぁ・・・と、身勝手に、独りよがりに、作者は考えております。
「小説家になろう」にはもの凄い数の小説が投稿されていますが、「未来宇宙」と「歴史物語」で検索したら、作者の投稿した作品しか残りません。そんなことを強引に根拠にして、自作の独創性を信じている作者なのです。
作者の思いが、妄想なのか事実なのか、是非、読者様にも御判断頂きたいです。なにとぞご一読頂き、独創性がもしあるのなら、それをじっくり味わって頂きたい。切に願っております。
前作までと同様、今からおよそ1万年後の時代をプロローグとして描き、その後、数千年の時間をさかのぼって本編を記して参ります。プロローグだけは、「ファング」の1回投稿並みのサイズです。よろしくお願いいたします。
死や絶望を連想させるほどに深い漆黒を、懸命に染め直そうとでもしているのか、茫洋として八方に放たれる惑星の青い光は、清々しくもあり、あたたかくもあるのだが、それ自体の発光によるものではなく、惑星が属する星系の主星である恒星「エウロパ」が放つ陽光を反射しただけのものではあるのだが、それにもかかわらず、発光源である「エウロパ」をはるかに上まわる存在感をしめしており、それは観測する位置の問題で、実際にはその惑星は「エウロパ」の、質量にして数十万分の一のサイズでしかないのに、その位置から観測する分には「エウロパ」がその惑星の子分か弟かのように見えたりもしているという、そんな、巨大で青く美しい惑星が小さく輝く「エウロパ」を従えて虚空を進んでいる姿を、宇宙と同じくらい黒々として、宇宙と同じくらい広々とした背中に反射させながら、シロナガスクジラがエリス少年の足の下を走り抜けて行った。
宇宙を泳ぐクジラだ。それは、少年のそばを通りすぎた直後に身をひるがえし、こんどは少年の前方で上へと登る動きに転じた。
そして、少年の頭を見下ろす位置でくるりと宙返りを打ったと見えるや、更に上へと進む。惑星の放つ、惑星を透明にすら感じさせる青い光に誘われるように、そちらへと泳ぎ去ろうとしてる。
大きすぎるはずの体を、軽々と、何度も反り返らせる。弾力と躍動感に満ちた泳ぎっぷりだ。それでいて優雅であり、悠然としてもいる。
惑星と「エウロパ」の、仲睦まじい兄弟の間に割って入ってやろう、とでも企んでいるのかもしれない。
星海に囲まれた途方もない量の水の中で、エリス少年はシロナガスクジラの雄姿に、溜め息を漏らすしかできないほどに感動していた。
少年の目に、恒星「エウロパ」よりも青い惑星よりも大きく見えているシロナガスクジラは、星海という舞台において、堂々と主役の座を占めている。
「うっわぁー。かっこいいなぁー、クジラぁ」
ようやくの言葉が、数十分間も見惚れた後にもれた。「ぼく、ここ、やっぱり大好きだなぁ。何回見に来ても、かっこいいね、クジラって」
視線はクジラに奪われたまま、声と言葉で感動を伝える。いっしょにそこを訪れている父と幼馴染みの少女が、彼のすぐ近くで同じようにクジラを見ているのだ。
エリスの言う“ここ”とは、宇宙に浮かぶ生け簀だ。時代が時代なら、見る者たちを驚愕させずにはおかない姿で虚空を漂っている。
漏斗という器具を思い浮かべて頂けると、その姿は分かりやすいかもしれない。かなり横にひろがった平べったい形状のそれだ。そんな姿のものが、宇宙空間をふわふわと漂っている光景も想像して欲しい。
しかも、最も広がった部分に円筒が接続している。円筒の壁は透明で、内部にたっぷりの水が蓄えられているのが見える。水中には無数の魚などが、乱舞するように泳ぎ回っているが、生け簀全体を視野に入れる距離から見れば、小さすぎて魚の姿などは視認できないだろう。
宇宙に浮かぶ生け簀の外観は、おおむねそんなところだ。底板以外は透明だから、よく見ないと、輪郭が識別しづらいものでもあるが。
漏斗の形だから、中央がくぼんでいる。底板が円錐の形状になっている。その底板に向かって、人工の重力が生じている。重力制御技術の確立と発展が、このような形状の生け簀を宇宙空間に登場させた立役者だ。宇宙に飛び出して1万年を経た人類の、科学力の成果だ。
「おっきいなぁー。すっごいなぁー」
目を輝かせ、クジラを視線で追いかけるエリスの、上にも下にも、右にも左に、前にも後ろにも、たっぷりの人工海水が満たされている。
生け簀の内側におかれた、透明な部屋の中に彼等はいるので、あらゆる方向に人工海水と、その中を泳ぎ回る魚などを見られる。水も、魚も、エリスの体も、人工重力によって生け簀の底板に引っ張られ、無重力だったはずの宇宙空間において安定して存在していられる。
「ねえ、ねえ、あのおさかなさん、たべられる?」
「えっ?クジラのこと?クジラは、さかなじゃ・・・」
「違うよぉ、あっちにいる、ちいさなおさかなさん。」
「ターニャちゃん、いつの間にそっちを見ていたの?」
宇宙時代でも、年頃の女の子は花より団子なのか。
エリスにとっては、クジラを目の前にしてそれ以外のものに目を向けるというのは信じがたいのだが、幼馴染みの少女は、でっかくてかっこいいクジラはそっちのけで、別の魚を見ているらしい。
彼等のいる部屋からは、下の方に生け簀の底が見えていて、その辺りにも多様な魚が群れ泳いでいる。少女の言葉通り、食べればさぞかし美味しいであろう魚も、たくさん見受けられる。
漏斗の中央付近は、水面から数万mもの深さになっているので底は見えない。だが、彼らのいる部屋は、漏斗の端のあたりに置かれていて、底が浅い。時代が時代なら、人々に“海底”と認識されるであろう光景が、生け簀の底には作り出されている。藻にびっしりと覆われたごつごつした岩や、カラフルなサンゴなどがあり、その隙間には砂地も見える。
直径数百kmにも及ぶこの生け簀では、場所によって水面から“海底”までの距離も、様々に設定されている。浅瀬から深海というような、まったく異なった環境が1つの生け簀の中で再現されている。
氷塊の浮かぶ低温域から、熱帯魚の乱舞する高温域までもが創設されている。人為的に水を動かして、海流さえも現出されている。
条件の違う場所を周期的に移動して、“回遊”と呼ばれる活動を見せる生物もいる。繁殖期とそうでない時期で、棲息する深度を変える生き物もいる。
人類発祥の「地球」と呼ばれる惑星の環境を、できる限り模倣したことによって、「地球」由来の多くの海洋性生物が、本来の習性そのままにこの生け簀の中で息づいている。「地球」にあった“海”とよばれる水界を、宇宙空間において最大限忠実に再現しているわけだ。
「ねえねえ、早くおさかなさんを食べようよ。」
「た・・ターニャちゃん。クジラを見るのは、もういいの?あんなに大きなものが、あんなふうに動き回っていて、すごいと思わない?」
「おいしいほうが、いい。」
クジラへの感動を分かち合いたくて、エリスは、大げさすぎる身振り手振りで少女を煽り立てようと努めてみた。が、花より団子は微動だにしない。
「あんなに、かっこいいのになぁ。でっかくて、すごいのになぁ。」
「でも、食べられないでしょ?」
「え?いや、そうでも・・」
地球時代にはとめどもなく議論が紛糾した問題だが、この時代の人々は、クジラを食べていた。が、そのためにクジラを殺害することもなかった。
この時代の卓越した再生医療技術は、クジラから一部の肉を切り出したあと、直ぐにその部分を再生させることに成功していた。
筋肉に限らず、色々な臓器をも再生できる技術なので、様々な部位を食用に切り出しては、そこを再生させて、殺さずに食べている。
大きなクジラの生命活動に深刻な支障がでないくらいの小片を切り出し、そこに人造の多能性幹細胞を貼り付け、強引に加速させた発育によって3日間くらいですっかり再生させてしまうのだ。
同じ部分が、何度も切り出され、再生され、また切り出され、再生されを繰り返している。人造の多能性幹細胞から再生され、クジラと同化された部位を、人工モノと呼ぶべきか天然モノと呼ぶべきか難しいが、この時代の人々は、やや首をかしげながらも天然モノと解釈して、切り出されて来たそれらに舌鼓をうっている。
この時代には、生体のクジラを使わずとも、クジラの筋肉や各臓器だけを、試験管の中での細胞培養によって作りあげることもできる。
それは、科学的な分析では、生体のクジラが持つものと差異は検出されない出来栄えなのだが、食べる人にとっては、生体由来の方が断然美味しいという。
この時代の科学でも検出できない違いを人の舌が感じとっているのか、あるいは生体由来だと思って食べるがゆえに生じる差――つまり“気のせい”――でしかないのか、結論は出ていない。
「ねえ、食べられるの?」
「え?あ・・いや、それよりターニャちゃん、あっちのタイやヒラメがとってもおいしそうに泳いでいるから、はやく食べに行こうよ。」
エリスは、幼馴染みの手を引いた。
彼は、クジラを食べようとは思わなかった。幼馴染みの少女にも、あまり食べて欲しくはない。でも、嘘はつけないエリスだったから、食べられないとも答えられない。苦肉の策として、タイやヒラメを会話の上に舞い踊らせた。
「ヒラメぇー!あたしヒラメ、だいすきぃー!」
苦肉の策は功を奏し、かれらはそれまでいた展望室から、レストランへと移動しはじめた。苦笑をうかべながら、エリスの父も2人を追っている。
通路は、展望室ほど透明素材ばかりで囲われていないが、ところどころに丸い窓があって、生け簀の景色を眺められる。
エリス少年は、ちらちらと丸窓からクジラに目をやりながら、少女の手を引いてレストランを目指した。
レストランにも、壁や天井や、それに床にも幾つもの丸窓があって、生け簀を泳ぐ魚や海底生物を見られる。景色を楽しみながら、食事も堪能できるレストランだ。
水面の更に向うに、恒星「エウロパ」とそれを周回する第3惑星の青い巨体を眺められるのも、さっきの展望室と同じだった。
多くの客で、にぎわっている。にぎわっているが、窮屈には感じない。たっぷりとした広さが、水平方向だけでなく高さにおいても設けられていて、満席に近い客足にも関わらず開放的だし、静かでもあった。
空いた席を見つけて腰を下ろし、メニューを開く。開くといっても、料理のリストが記載された物体がそこにあったわけではなく、各自が装着している“コンタクトスクリーン”の上に表示させたのだ。
コンタクトスクリーンは、かつてコンタクトレンズと呼ばれた視力矯正用の器具と同じ使い方をするスクリーンだ。
視野の全域をスクリーンと化すことのできるこの方法は、映像技術の最終形態と考えられていた。
電波で運ばれて来たコンテンツを、角膜全体を覆うスクリーンに投影することで、視野の中のどこにでも、どんな映像でも表示できる。体の動きに連動させれば、遠くはなれたりや架空だったりの場所を、歩いたり飛び回ったりすることまでをも疑似体験できる。
エリス達は今、レストランから無線送信された料理のリストを、視野の真ん中に表示させている。体の動きには連動させず、常に視野の真ん中に表示させている。文字を読むには、視野の真ん中がいいから。
「うわーっ、相変わらず、たくさんの料理があるんだね、ここには。使われる魚の種類もさ、ものすごい数だよ。迷っちゃって、なかなか選べないよ。」
興奮気味な声のエリス。地球にいた海洋性生物種の、およそ7割を養殖している生け簀だから、そこに併設されたレストランのメニューも豊富なわけだ。
7割の海洋性生物の養殖には成功したが、それ以上は未だに不可能だった。どうしても、ここでは養殖不可能な生物が出てしまうのだ。
宇宙に飛び出して1万年を経たこの時代の人類は、「地球」に生息していたほぼ全ての生物種を宇宙で繁殖させることには成功していた。だが、1つの宙域で全てを育成することは、できていなかった。
海洋性に限らず、それ以外でも、1つの宙域においてはなぜか、どうしても、「地球」にいたものの8割くらいまでが限界だった。エリス達も、どれかの生物種においては、銀河系の遥か彼方にまで数万光年の旅をして出かけるか、もしくは、遥か彼方から輸送されて来たものを取り寄せるしかないと、見たり食べたりはできなかった。
このレストランでは、生け簀で採れた多種多彩な海産物を調理して提供しているのだが、使われる食材や調味料の幾つかは、銀河の彼方から買い付けたものだった。エリスの暮らす「エウロパ」星系で育成されている生物だけでは、料理の幅が限定されてしまい、客の舌を満足させられないと、レストランでは考えているらしい。
「ここの、タイとヒラメのアクアパッツァは、この生け簀で育てた魚を使ってはいるけど、オリーブオイルは、『アーケタ』星系の第5惑星から取り寄せたものなんだね。6万光年以上もの彼方から、はるばるやって来たんだ。」
「そうだね。」
答えたのは父だった。「オリーブオイルは私達の『エウロパ』星系でも、第4惑星の第9衛星などで作ってはいるが、『アーケタ』星系のものには、品質の面で敵わないからね。ここみたいな有名なレストランでは、『アーケタ』産のものを取り寄せるのが当然だろうな。トマトは、第4惑星の第7衛星の地上で栽培されたものを使っているみたいだけれどね。」
それらは、かつては、たった一つの惑星の上だけで全てをそろえることができた。宇宙に飛び出して1万年を経たこの時代、人々は、後に残してきた「地球」がいかに奇跡の惑星だったかを、痛いくらいに思い知らされている。
どの星系でも、有人星系を何百何千と含んだどの星団でも、それ1つで「地球」にいた全ての生物種を養い切れない。理由は不明なのだが、「地球」にあった全ての環境を、1つの宙域だけでは再現できない。銀河系の全域を使ってようやく、「地球」の全ての生物種に地球外の居場所を確保できた。それが、この時代の現実だった。
「僕たちの星系だけで生産できるものでも、色んな料理を作れるのだろうけど、有名レストランをやって行くにはもの足りないんだね。でも、ちょっと昔のことを考えると、こうやって銀河の彼方で作られる食材を使えるのが当たり前になった世の中って、すごいなって思うよね。」
「そうだね。」
目を細めて、父が応じた。「長い長い歴史の中で、いろんな人がいろんな苦労や工夫をして、今の便利な世の中があるのだからね。」
それを、何気ない日常のひとコマから感じ取られる愛息が、父には眩しいようだ。
第3次銀河連邦が発足して、2百年近くを経た時代を生きるかれらにとって、戦乱や貧苦に人々があえいだ時代は、遠い過去だ。父にとってすら、実体験はない。未だ10歳の少年には、今の平和と豊かさは、生まれるよりずっと前から普通に存在するものだ。
それを当たり前とも思わず、はるか昔の生活と比較して「すごいこと」と感じられる心は、愛息の成長と歴史への深い理解を、見せつけるものだった。
歴史学者の父にとっては、愛息が歴史を好きになり、それを深く理解し、心の成長に繋げていってくれる姿は、これ以上になく嬉しいものだった。
「なんで、レキシのはなしなんてしてるの?おさかなさんを、たべるんだよ。たべるために、ここにきたんだよ。」
「あはは。そうだね、ターニャちゃん。ごめんね、あはは・・」
3つも年下の少女のふくれっ面には、いくら歴史に詳しくても対処できないらしい。タジタジとなってしまった愛息だったが、それも含めて父には微笑ましい。
3人は料理を選び、指先のアクションだけでオーダーを済ませた。コンタクトスクリーンの映像を見ながらの指先の動きを、この時代には誰の体の中にもあるナノマシーンが検知し、電波信号に変換して無線送信する。こうすることで、わざわざ店員さんなどを介さなくても、オーダーが通る仕組みだ。
それも、昔と比べれば「すごいこと」なのだろうが、いちいち感慨に浸っていては先に進まない。父も少年も、今回は無感動にサクサクとこなした。
運ばれて来た料理は、どれも絶品だった。ここで採れた新鮮なタイヤヒラメを、6万光年の彼方で作られた最高級オリーブオイルで煮込んだアクアパッツァも、格別の味わいだ。
幼馴染みの激しすぎる食べっぷりに圧倒されながらも、エリス少年は食事を楽しんだ。
食べ終わるや否や、エリスは肩に幼馴染みの体重を感じる。
「あはは。ターニャちゃん、お腹がふくれたら、すぐに寝ちゃったね。」
食べている最中から、彼女は船をこいでいたのだが、絶品料理への執念でなんとか意識を保っていたらしい。そして食べ終わるや否や、睡魔との戦いは放棄した模様だ。
花より団子の鎮静化は、歴史好きの少年に、食欲とは別の渇望を覚えさせた。
「ねえ、父さん。昔の人の暮らしぶりって、今でも、どんどん明らかになっていってるんでしょ?」
「そうだね。新たに見つかる遺跡なども、ひっきりなしだからね。毎日のように、銀河のどこかであらたな遺跡が見つかり、昔の人の暮らしを伝えてくれる。」
「今みたいに、『ワームホール』を使って、銀河の彼方からでも簡単にものを運んで来られなかった時代だよね。こんな豪華な料理をいつでも楽しめるなんて、あり得なかった時代だよね。」
いまだに目の前に並べられている、豪華な食事の夢のあとを見渡しながら、少年は父に問いかける。
「そりゃあ、昔は科学技術も未熟だったし、銀河規模で人々が助け合ったりする仕組みもなかったからね。特に、多くの『宇宙系人類』の暮らしぶりは、ずいぶん貧しくて苦しかったことが知られているね。」
約1万年前の、「地球」で勃発した全面核戦争の折に、数百万の人々が数万の宇宙船に分乗し、宇宙へと散り散りに避難していった。「地球」に残っていても、もう未来は望めないと諦め、一か八かで宇宙に活路を求めた人々だった。
彼らのほとんどは、逃亡先の銀河のどこかで、命脈を途絶えさせたと考えられているが、2%くらいは、どうにか生き残ることができたらしい。
そして、そこで生息環境を整え、更に、宇宙での繁栄への途にもついた人々がいたのだ。
全面核戦争の混乱の中で脱出して行った人々なので、地球に残った人々も、誰がどこに向かって逃げて行ったかなどの情報は残しておらず、避難した者達同士でも、お互いの情報は持ち合わせてはいなかった。時が経つに従い、脱出した人々のことを覚えている者もいなくなる。
宇宙に逃げた人々は、記憶からも記録からも、その存在を抹消されていってしまった。
地球に残った人々も、世界人口の7割を失うという壊滅的戦禍や、数百年に渡る核戦争後の荒廃の時代を乗り越え、あらたな繁栄を手にした。
そして、脱出して行った者達に遅れること5百余年で、宇宙への拡散や植民を開始した。
核戦争からの逃避で、先に宇宙での地歩を築いた人々を「宇宙系人類」と、核戦争時に地球に残り、5百余年遅れて宇宙に飛び出して行った人々を「地球系人類」と、後の時代では呼ぶようになる。
「大変な苦難をともなう放浪の時を過ごしたのだものね、『地球』を脱出した直後の『宇宙系』の人々は。」
彼の時代には誰でも知っている歴史の知識を、エリスは口にした。「限られた人数であてもなく宇宙を彷徨う内に、それまで手にしていた多くの科学技術も失ってしまったし、中には、自分達が『地球』という名の惑星から来たということすら、忘れてしまう一団もいたんだよね。」
「うむ、なんとか新たな生息場所を見つけられたグループにおいても、民主的体制が消滅し、独裁的だったり強権的だったりという統治体制になってしまった例が多かった。」
そんな多くの「宇宙系」と「地球系」の人々が、それぞれに宇宙での生活域を広げて行った末に、銀河系のあちこちで、人類は“再会”を遂げていくことになる。
“再会”は、友好的なものもあったが、敵対的なものも多かった。数千年ぶりに別系統の人類に出会った人々にとっては、相手は“宇宙人”とも呼び得る存在であり、信頼とか交渉なんてものが、できる状態ではない場合が多かった。
宇宙における人類の生息域が、さらに広がるにつれて、銀河のあちこちで繰り返された“再会”は、いつしか壮大な離合集散へと発展して行く。
核戦争を経たとはいえ「地球」で刻んで来た歴史の記憶や記録を多く留めている「地球系人類」は、宇宙での拡散は後発であっても、科学文明の水準において「宇宙系人類」を遥かに凌駕していた、集団規模としても常に、「地球系人類」はどの「宇宙系人類」よりも圧倒的に大きかった。
だから、程度の差はあってもたいていは、科学技術を後退させ小勢でもあった「宇宙系人類」は、「地球系人類」に制圧されたり依存したり、となりがちだった。
「貧しい暮らしをしていたり、強権的な政治で苦しんだりしていた『宇宙系』の人たちにはさぁ、第1次銀河連邦が、助けの手をさしのべてあげていたんでしょ。」
エリス少年が口にした第1次銀河連邦が、「地球系人類」を中心として設立され、多くの「宇宙系」を糾合して一大勢力を作っていったのも、自然な流れだった。
地球での長い歴史の中で、国際的な安全保障体制の重要性を学んで来た「地球系人類」だったから、「宇宙系」も含めた各勢力間の平和裏な利害調整に積極的だった。
特に、地球文明に壊滅的打撃を与えた全面核戦争の記憶が、「地球系人類」をして献身的かつ忍耐強い安全保障体制づくりに駆り立てた。
連邦に加盟した国家や勢力に対しては、徹底して法の支配や人権尊重を求めた。技術供与や財政支援などの条件としてのそれらは、多くの「宇宙系」の勢力に受け入れられた。
民主制の導入までは義務付けられなかったが、君主制にしろ一党独裁体制にしろ、特定の人間が私利私欲のために民衆を虐げるような政治は、認められなかった。銀河連邦の力が強く及ぶ範囲においては、ある程度の平和と繁栄が実現されるに至った。
「でも、当時の銀河連邦は、全人類の3分の1くらいしか含んでいなかったと言われているからね、今の第3次のそれみたいに、全人類的な安全保障体制には、手が届かなかったんだよ。」
との父の解説に、エリス少年は、うんうんと大きく何度も頷いた。とっくに熟知している話のおさらいだった。
10歳の少年といえど、これくらいのことは、この時代では常識なのだ。
「エリスも知っているだろうが、銀河連邦への加盟を拒み、敵対的な行動をとり続けた勢力もあったし、加盟していても、連邦の力の及びにくい場所にあったために、監督が行き届かなかった例もあるんだよ。『地球系』との“再会”をはたしていない勢力も、あっただろうしね。」
愛息の心得顔を、頼もし気な笑顔で見つめつつ、父は講釈を続けた。
銀河は広かった。エリスの時代から数千年も前の人類にとっては、致命的かつ絶望的に広かった。
科学技術も集団規模も、圧倒的に優位だった第1次の銀河連邦ではあるが、どれほど積極的に活動しても、法の支配や人権尊重を受け入れさせられない勢力はたくさんあった。
敵対的な勢力との武力衝突も絶え間なかったし、数百年に渡って指導し続けても人権状況を改善できず、貧困や圧政の中に取り残された人々のいる勢力も、少なくなかった。
「第1次の銀河連邦が指導を行き届かせられなかった『宇宙系人類』が、一番貧しくて苦しい暮らしをしていたんだね。そんな人たちの暮らしぶりも、新しく見つかった遺跡とかから分かったりしているんでしょ、父さん?」
「うむ、そうだね。第1次から、第2次を経て、第3次の銀河連邦に引き継がれた史料などからも、色々な事実が年々明らかにされているけど、連邦の力が及ばなかった場所に関しては史料が乏しいために、遺跡からの解明が主流になってくるからね。」
「ねえ、最近何か、面白い遺跡発見の話を仕入れたりしなかったの?父さん。」
少年が、俄然、前のめりになった。
歴史学者の父が仕入れてくる最新の歴史的知見ほど、少年の胸を躍らせるものはない。星海を泳ぐ巨大なクジラの雄姿といえど、それに比べれば数段格下だ。
「もちろん、あるとも。このまえの学会でも、実に興味深い遺跡の発見と探索の記録が、紹介されていたからね。」
「へえええっ!どんな、どんな?」
飛び上がる勢いの少年。ワクワクが止まらない、と輝く瞳が告げている。
「じゃあ、数か月前に発見されたばかりの遺跡から得られた情報を、今日は話してやろうかな。」
「うわーっ!やったぁー!」
「・・飛び跳ねるんじゃない。行儀よく座っていられないなら、話すのは止めにするからな。」
「・・・あ、はいはい、ギョーギよくします。」
少し迷惑気な顔を見せた隣席の客に、父は気をつかったようだ。すぐに周囲が見えなくなるところは、やはり10歳の少年だ。
「じゃあ、始めるか、今回の遺跡は、新たなタキオントンネルを敷設する事業の過程で発見され・・・・」
遺跡とは、「地球」時代には地下から掘り起こされるのが主だったようだが、宇宙時代には、虚空を彷徨っているところを発見されるのがほとんどだ。
人の管理下に置かれていた時には、見付けやすい軌道上を周回していたはずのものだが、人の手を離れると、元来の軌道を維持できずに、あらぬ方へ漂流して行ってしまう。
と言っても、何らかの天体の重力には束縛されているものなので、有人星系から何光年といった単位で離れてしまうこともない。
「へえ、父さん、そうなんだ。」
語られはじめた物語に、思わず口を挟むエリス少年。「つまり、今では主星を周回する彗星軌道を彷徨っている遺跡が、実は昔は、星系内の第1惑星を周回する衛星を、周回する軌道に乗っていたっていうことなんだね。」
“周回”が何度も出てきてややこしいが、各星系の主星を周回すれば、惑星軌道や彗星軌道となり、惑星を周回すれば、衛星軌道となる。
今、話題に上ってる遺跡は、人の管理下にある間には、衛星の重力に引かれながら、遠心力とバランスをとりつつ衛星を周回していたということだ。いつしか人の手を離れ、元の軌道からはずれて行き、惑星を周回する軌道にも乗れずに離れていき、主星を、長い楕円を描いて周回する彗星軌道に遷移してしまったことになる。
衛星を周回する天体は、孫衛星などと呼ばれる。それが人工物だったのだから、人工孫衛星だ。
時代が時代なら、人工衛星という言葉にしか聞き馴染みがない人も多いだろうが、エリスの時代には人工惑星も人工彗星も人工孫衛星も、誰もが何度も聞いたことがある。
「ガス惑星を周回する、岩石で出来た衛星を、その遺跡は周回していたらしいのだよ。」
「じゃあ、岩石衛星から資源を採取して、暮らしを立てていたのかな?」
「うむ!良い推測だね。」
10歳にしてはでき過ぎの返答に、父は声を上ずらせた。「そう考えるのが自然だ。ガス惑星からも、星系のガス雲からも、資源は採取していたはずだが、岩石衛星の周回軌道に集落を作っていたってことは、そこからの資源採取こそが最重要だったはずだ。」
「うわぁーっ!どんな暮らしをしてたんだろ?早く聞きたいよ、父さん。」
行儀よくしている約束をかろうじて守りつつ、少年は、ウズウズしっぱなしだ。
「じゃあ、始めようか、数千年も昔に、人工孫衛星を集落として、岩石衛星の周回軌道上で生活していた人々の話を。」
タクトを振るかのような手の動きで、父はコンタクトスクリーンに資料を表示させた。エリスにその資料は見えないが、表示されたのは父の顔を見れば分かる。
資料に示された膨大かつ正確な情報が、父を通して歴史の物語へと昇華するのを、エリスは待つ。少年が、胸を躍らせずにいられない、物語に。
誰にも気付かれることはないだろうが、銀河の時空に、わずかな変化が生じたかもしれない。エリス少年の心に、数千年も前の、数万光年も彼方の、誰かの思念が、かすかに、ほのかに、忍び込んで来たらしいのだ。
彼の目には、父が、その背後の人工海水を泳ぐクジラが、その更に向うには恒星「エウロパ」と第3惑星が映っているのだが、心には、全く別の、見たこともないはずの景色が、うっすらと浮かび上がっている。
靄然たる星系ガスの中に弱々しい暈、と言葉で表現するのはむずかしいほど、うっすらとした景色、ではあっても、それでも心は、確かに、それを映している。
こんな奇跡を起こし得るほど、父の語る歴史物語に、少年は胸を躍らせている。時間も空間も、純粋なる少年の好奇心の前では、障壁とはなり得ないのだろうか。
今回でプロローグが終わり、次回から本編が始まります。
次回、第1話 エルダンドの回想 です。2019/11/2 に投稿します。
エリス少年の時代の、発展を極めた高度な科学技術や、それらを礎とした平穏で豊かな生活風景を、是非、頭の片隅に残しておいてください。その上で、次回以降を読み進めて頂けると、とてもありがたいです。