二章 ディスカッションをしよう
――教室の地下、語部先生と大通くんのやりとりを見た直後。
近付いてくる先生から身を隠し、絶体絶命の私。
カツッ、カツッ、という、先生の乾いた音。ゆったりとした規則的なリズム。
徐々に足音が遠ざかっていく。そして、音が消えた。
ダンゴムシのように身をちぢこめて、逆さにした空の段ボール箱をその身に被せていた私は、少しずつ段ボール箱を持ち上げた。床と箱の内側しか見えていなかった景色が徐々にひらけていく。
先生は見回りに行くと言っていた。きっと地上に出たのだろう。もうその姿は見当たらない。
セーフ。
先生に見つかるまいと、辺りの段ボールに咄嗟に身を隠していた私。どうやら試みは成功したらしい。絶体絶命のピンチを切り抜けられたという訳だ。
私は頭に被さっていた段ボール箱をどけて、立ち上がった。すぐそこには鉄格子が見える。言ってみれば牢屋だ。
まだ信じられない。
つい先ほど見た光景。豹変した先生。大通くんの体に走っていた電流のような光。先生が口にしていた言葉――モンカショー? ガクシューシドーヨーリョー?
一体何がどうなっているのだろう。けれど、やはり今も私の目の前には、気を失っているであろう大通くんが机に突っ伏していて、これは現実なのだと思い知らされる。
「……開いてる?」
鉄格子の牢屋の扉に手を掛けると、キコキコと揺れた。鍵も何も掛かっていない。
私は扉を開けて中に入ると、大通くんの肩に手を掛けた。
「大通くん……? ね、大丈夫……?」
「……江藤さん?」
大通くんは目をひらき、ぐったりした様子で私を見た。
「喋れる? 体、痛くない?」
「……見てたのか?」
大通くんは私の質問には答えず、逆に尋ねてきた。
「うん、五分くらい前から……」
「江藤さんも連れてこられた……訳じゃなさそうだな」
大通くんは頭を持ち上げ、ゆっくり左右に振った。
「縄、ほどいてくれない?」
思いのほか冷静な口調。私は彼を縛っていた縄に手を掛ける。
「なにこれ……ネバネバしてる……」
真っ白な縄は、ごく細い白い糸が何重にも撚られたものだ。ペタペタと指に張り付くのが、妙に気持ち悪い。
やっとの思いで、私はそれをほどき終わった。
「今まで気を失ってたんでしょ? すぐには立ち上がらない方が良いんじゃない?」
「いや、気は失ってないよ。さすがに辛くなったから、寝てやり過ごそうとしてたんだ」
そうだったのか。すっかり騙されていた。
「でも、あんなに電気が流れて……大丈夫なの?」
「電気――? ああ、あの青い光のこと? あれ、電気じゃないみたいだ」
「え?」
「なんかさ、頭に言葉や光景が直接流れ込んでくるんだよ。『自然に還ろう』『自然と共生しよう』『私たちの地球を護ろう』『力を合わせよう』『本当の自分を探そう』『本当の友情を見つけよう』『分かり合おう』『平和に感謝しよう』『多様性を尊重しよう』――そんなのがいっぱい、子供と大人の満面の笑顔と一緒に、ダーッて頭の中で洪水起こすんだ」
そう語る大通くんの表情には、ミンチになった動物の死骸を目の前に突きつけられているような、生理的な嫌悪があった。
「なにそれ……?」
「全部、この学校で使ってる国語の教科書に載ってるテーマだよ」
言われて思い出す。そう言えば、確かにそんなような言葉が、国語の教科書の端々に載っていた気がする。
でも、一体なんでそんなことが――。
「どうやったら出られる?」
「え?」
「出口どこ? 俺、気が付いたらこの椅子に座らされてたから、ここがどこかもよく分かってないんだ」
聞けば、大通くんは放課後、先生に今日の国語のことで面接されていたらしい。
「どうしてあんなことを言ったんだとか、クラスと馴染む気が無いのかとか、そんなことばっかり何度も言われて……それで最後には教室の黒板で二択の問題を出されたんだよ。ごん狐の正しい感想はどっちか、って」
ああ、やっぱりあれは大通くんの回答――。
「俺が②って書いた瞬間、さっきと同じ洗脳みたいな言葉が頭に流れ込んできて、その時は気を失っちゃったんだ。で、気付いたらここ」
「私も②って書いたら、教卓の下の床に出入り口が出てきたの。だからここは地下室。でも、入った瞬間に自動で出入り口が塞がっちゃって、もう出られない」
「嘘だろ? じゃあ語部はどこに行ったんだよ? 見回りに行くんだろ? そこから出て行ったんじゃないのか?」
「語部って……先生を呼び捨ては」
「あんなの先生じゃないだろ。教祖がどうの、教典がどうの……うさん臭い宗教の狂信者じゃないか」
大通くんは吐き捨てるように言った。
「とにかく、語部はどこ行ったんだ?」
「確かに先生は私が入ってきた入口の方向に歩いて行ったから、もしかしたらそこから出られるのかもしれない。でもさっき私が内側から開けようとしても無理だったから、鍵か何か無いといけないかもしれなくって……」
「待った」
立ち上がった大通くんが人差し指を立て、唇の前に持っていった。
「また来た」
「来たって……何が?」
「足音。語部が来たのかもしれない」
大通くんが私の手首を掴んだ。と同時に、すでに彼は牢から通路へと出ようとしている。
「行こう」
「え、行くって……」
「逆方向。逃げよう」
腕が引っ張られる。痛いと思った瞬間にはもう、私の足は駆けており、大通くんの速度についていく他に無かった。
通ったことの無い道。進めば進むほどまた光から遠ざかり、また真っ暗な道になってしまった。
人が三人並んで歩けるかどうかという道幅で、大通くんは壁に手を這わせながら急いで進んでいく。逆の手は未だに私の腕を掴んでおり、私は彼のスピードについていくので精一杯だ。
すると、途中で道が分かれた。このまま直進するか、それとも右に曲がるか――。
だけど、大通くんはさして迷った様子も見せず、右の道を選んだ。
「曲がるの?」
「ずっと真っ直ぐ行ってたら、後ろから見つかっちゃうだろ」
「……何でそんなに落ち着いてるの?」
「さっきのマンツーマン授業で驚き尽くしたからかな……」
それもそうだ。いきなり椅子に縛られ、名前にケチを付けられ、しまいには洗脳――。改めて並べ立ててみたら、夢ですらこんな無茶苦茶なものは無いと思えてきた。
「そう言えば、さっきのジョーヨーガイだとか、ジョーヨーカンジだとかって何?」
「俺も詳しい訳じゃないけど、確か新聞とか教科書とかで普通に使える漢字が常用漢字。常用外っていうのは、それ以外の難しい漢字とか、一般的じゃない読み方のこと」
ああ、それで「通」や「字」の読みがダメだって言われてたのか。
「その常用外って、使ったらダメなの?」
「ダメな訳ない。使ったら死刑って訳じゃあるまいし。要は目安だよ、一般的に読み易い文章を作る時の目安。だから、あんなことにこだわるの、本当にくだらない」
大通くんは呆れたように溜息を吐いた。そしてその後も数回、右に行ったり左に行ったりを繰り返し、進むこと数分――。
「……ドアだ」
目の前に現れたのは行き止まり――ではなく、大通くんの言葉を信じるならば扉らしい。暗くてよく分からないが、確かに目を凝らすと、ドアノブらしきものが見えた。
「入るの?」
「戻って捕まりたいか?」
私は首を横に振った。そうか、もう引き返せないのだ。
大通くんがドアノブを回し、扉を押すと、そこから眩い光が差した。
すると――。
「初めまして、高史です」
声がした。何の特徴も無い、男の子の声。癖という癖を取り払った、無色透明な声。
光に目が慣れ、ようやくそこがどういう場所なのか見えてきた。そして、声の正体も。
「さあ、こっちに来て、座って」
またも声が響く。
そこには、私たちと同い年くらいの男の子がいた。短くて黒い髪の毛。でこぼこの少ない平坦な顔つき。もちろん今までに会ったことは無い。だけど「久しぶり」とでも言われようものなら、もしかしたら会ったことがあるかもしれないなと考え込んでしまうような、それくらい「印象の無い」顔だ。
ここは通路ではない。部屋だ。さっきの牢屋と同じくらいの大きさ。壁も床も天井も真っ白で、目が痛いほどに、蛍光灯の光を反射している。
高史とかいう彼は、教室にあるような机と椅子のもと、席についている。その隣にもう一つ、ぴったり机がくっつけられており、その二席に向かい合うように、別の二席がくっ付けられている。四人の班が給食を食べたり、何か共同作業をする時に使う配置だ。
「さあ、僕の向かいに座って」
「……あなた、誰?」
「僕は高史。さあ、ディスカッションをしよう」
私の質問に答えてはくれたが、別に名前を聞きたかった訳じゃない。しかもディスカッションって……?
「そうじゃなくて、あなたはどうしてこんな所にいるの? 学校の子供じゃないの?」
「僕は高史、六年生だ。さあ、ディスカッションをしよう」
声のトーンも表情も、何一つ変わらない。情緒不安定な先生にも気味悪さを感じたけれど、こうしてずっと平坦な感情を向けられるのも同じくらい不気味だった。
「行こう」
大通くんが、高史くんを無視して部屋を突っ切った。高史くんの後ろの壁にもドアがあったのだ。少なくとも今の私たちが目指すべき場所はそこだった。
「行くって……あの子、いいの?」
「構わない方が良い。多分あいつ……あれ?」
すでに新たなドアノブを握っていた大通くんが顔をしかめた。どうやら開かないらしい。でも、ノブには鍵穴も何も付いているようには見えない。
「くそっ」
大通くんは慌てて逆のドア――つまり、さっき私たちが入ってきた方のドアに移動して同じようにノブを回した。けれど、開かない。
「おい、お前、何した」
大通くんが高史くんをにらみつけた。
「僕がするのはディスカッション。さあ、ディスカッションをしよう」
「ドアを開けろ」
「その前にディスカッションをしよう。僕は高史、六年生だ」
さっきから同じことばかり。やっと私も、この高史くんが普通ではないことが分かった。
「ディスカッションをすればドアが開くのか?」
「テストは無いよ。でも実践してみよう。それが課題だよ。課題を達成して、僕ら児童はやっと次の章に進めるんだよ」
大通くんは舌打ちし、高史くんの対面に座った。私にも目配せして、隣に座るようジェスチャーをしている。
「大通くん、これ、何なの?」
「教科書だ」
「え?」
「国語の教科書だよ。六年生の『あたらしい国語:上巻』の第二章にいるんだ、こいつ」
「あっ」
やっと私にもピンと来た。
そうだ、これは第二章の「ディスカッションをしよう」に出てくる高史くんだ。
「でも、何でこんな……」
「俺も分からない。でもこいつ今、課題だって言った。俺たちがディスカッションをしないと、ここから出られないんだ」
そんなバカな。でも、それ以外に説明がつく状況じゃないのも確かだった。
私はゴクリと唾を飲んだ。そして、意を決して大通くんの隣に座る。すると、待ってましたとばかりに、高史くんがまた話し出した。
「初めまして、僕は高史」
「――オオドオリです」
大通くんの自己紹介。それはさっき先生に無理やり言いつけられた名前だった。そうか、この高史くんが先生と似たような考えなら、その名前で通した方が良いかもしれない。
あれ? じゃあ私は?
「こっちは江藤さん」
大通くんは私の思考を先回りしたらしく、高史くんに私を紹介してくれていた。江も藤も、確か学校で普通に習う漢字と読みだ。それなら何も問題無い。
「よし、オオドオリくん、江藤さん、ディスカッションをしよう。どうしてマンガばかり読むのがいけないのですか?」
「は?」
思わず声が出た。唐突だ。脈絡も何も無い。
でも、目の前にいるのが生きた教科書だと思えば、確かにこうなる。教科書にあったディスカッションのテーマが、まさしくこれだった。
「はい分かった。他の本を読まなくなるからです。以上」
大通くんの事務的な言葉。これもまた、教科書に例として書いてあった結論だった。
席を立とうとする大通くん。しかし、その手を高史くんが握っていた。
「違うよ。ディスカッションの意味は過程にあるんだ。結論に辿り着くまでにいろんな意見を聞かないといけないよ。理由を考えないといけないよ」
プチ……っと。
音が出ていた訳じゃない。けれど確実に、私はその感触を聞いた。
大通くんの顔から表情が消え、冷ややかな視線で高史くんを射抜いている。
「やってやろうじゃねえか……」
大通くんが椅子に座り直した。ああ、これ、キレてる。
「大通くん、あの、落ち着いて……」
「俺はオオドオリだよ、江藤さん」
彼はにっこりと笑い、とても上品に言った。もちろん、その笑顔の裏で、青白い炎が燃えているのに気が付かない私ではない。
そして、高史くんが言う。
「さあ、ディスカッションをしよう。どうしてマンガばかり読むのがいけないのですか?」
「それ、誰が言ったんだよ」
大通くんがつまらなそうに答える。
「マンガばかり読むのがいけないって、誰が言った?」
「誰が言った、というのは重要じゃないんだ。これはディスカッションの前提だから」
どこかいびつな受け答えだった。噛み合っていないというより、噛み合わせるための歯を持っていないような。
「どんな本だって同じだろ。マンガばかり読んでても、小説ばかり読んでても、エッセイばかり読んでても、家電の説明書ばかり読んでても、円周率の小数点ばかりを延々読んでても、別にいけないなんてことは無い。本人の勝手だ」
大通くんはそう言うけど。
「円周率の人は気持ち悪くない?」
私はたまらず指摘した。対して、大通くんが即答する。
「気持ち悪いからっていけないことはないだろ。気持ち悪かったら存在しちゃいけないのか? 目の前の高史くんに謝れ」
「そんなこと言ってない。っていうか高史くんに失礼でしょそれ」
「僕は思うんだけど」
高史くんが小さく手を挙げる。
「何か一つのことに偏るのは良くないよね」
「何でだよ」
大通くんが眉をひそめた。
「豊かさが無くなるからさ」
「豊かさって何だ?」
「色んなことを知ってるってこと。色んなことができるってことさ」
「豊かな方が良いのか?」
「一つのことしかできないより、たくさんのことができた方が便利ではあるよね」
高史くんのいうことは分かる。別にケチをつけることではないような気がする。でも、大通くんは大きく溜息を吐いていた。
「それはお前の価値観だろ。別にみんながみんな、便利な自分を目指す訳じゃない。豊かさを求めない人間だっている。どんなにバカみたいな生き方をしたって、他人に迷惑を掛けなければ、それでいいはずだろ」
「いや、僕たちは豊かさを求めなければいけないんだよ」
「何でだよ」
「学習指導要領に書いてあるからさ」
学習指導要領。またも出てきたその言葉に、私も大通くんも、動きが止まった。
「小学校学習指導要領の総則で言ってるんだよ。僕らは『豊かな心』を持たなくちゃいけないんだ」
豊かな心、個性豊かな文化、豊かな体験、豊かなスポーツライフ、豊かな創造性、豊かな人生――高史くんはそんな風に、豊か豊かと口ずさみ続ける。
それがどうにも気持ち悪くて、私はたまらず話題を変えた。
「えっと、つまり、マンガも小説もエッセイも説明書も何でも読めば良いんだよね? それが豊かってことでしょ? じゃあどうしてわざわざ『マンガばかり』読んだらいけない、なんていう風に、マンガだけをやり玉にあげる必要があるの?」
「マンガは想像力を失わせるからさ」
――ああ、よく聞く話。これを出されたら、もうこのディスカッションも終わりのような気がする。マンガは絵があるから想像しない、絵があるから想像の余地が無い――結局これも、初めから結論ありきの『道徳的な』ディスカッションだったという訳だ。
私が半ばやる気を無くしていると、「想像力って何だよ」と大通くんが噛み付いた。
「頭の中で組み立てるってことだよ。人から何かを聞いた時、紙で文字を読んだ時、想像力が頭の中に情景を思い浮かべさせるのさ」
「想像力って、そんなに大切か?」
「そりゃそうさ。想像力があれば、言葉で表した瞬間、たとえこの世に存在しないものも考えることができる。人はそうして、また一つ豊かさを身に付けるのさ。マンガは小説と違ってすでに絵が用意されているからね。想像の足しにはならない」
「そうか、じゃあここは一つ、『四角形と五角形の中間の図形』を想像してみてくれ」
大通くんの言葉に、高史くんの唇が止まる。そして、私の思考も途切れた。
「難しければ、『角が五つある四角形』でも良い。想像してくれ」
大通くんがそう続けたその瞬間、高史くんは白目をむいた。私は思わず「ヒッ」と声を出してしまう。
「君は、何を言っているんだい?」
そう言って、高史くんの目が元に戻る。そしてその目は、大通くんを見据えていた。
「この世に存在しないものを想像できるんだろ。大切な想像力でまた一つ豊かになってみせてくれ」
大通くんの言っていることは滅茶苦茶だった。
「ねえ、さすがにそれは無茶でしょ? だって、角が五つあるって、それ五角形だもん」
「でもさっきこいつ言っただろ。言葉で表せばこの世に存在しないものも考えられるって」
冷徹な大通くんの顔。何だか彼が詐欺師のように思えてきた。
「僕は思うんだけれど、今、君が言ったのは破綻した概念だよ」と高史くん。
「想像できないのか? お前はマンガばかり読んでる『豊かじゃない』人間なのか?」
大通くんに問われると、高史くんの顔から表情が消えた。彼は大通くんの顔を見たまま、五秒静止し、そしてまた、小さく手を挙げる。
「少なくとも、類似した概念を目で見ることが必要だ。たとえば『角が四つある三角形』あるいは『正方形と長方形の間の図形』とかね。新たな概念を受け入れる時には、既知の似ているものを変形させるのもまた、一種の想像力だからさ」
「それだ」
大通くんは人差し指を高史くんに突きつける。
「想像っていうのは、0から1を生み出すことじゃない。1っていう概念から2を考えたり、1をoneにしたりすることだろ」
「……と言うと?」
「まず最初に、元となる体験や知識が無いと、何も想像することなんてできない。『豪華な家』っていう言葉を頭で想像する時、まずは家っていう概念が必要だ。だけど、家を見たことが無い人間に『木材を箱状に組んだものだ』って言っても、正しく伝わる保証は無い。それどころか、これを理解するために木や箱という概念を知っている必要がある」
「何が言いたいのかな?」
「想像を膨らませるためには、元が必要なんだ。木を見たことがある、箱を見たことがある、家を見たことがある――そういう基礎的なビジュアル、つまり図が必要だろ」
「だから?」
「マンガっていうのは、想像力を働かせていくための知識になる」
「……やめろ」
高史くんの口から初めて否定の言葉が現れた。
「小説で『ドラゴンが現れた』なんて言っても、ドラゴンの概念が読者に無ければどうしようもない。『大きなトカゲに髭が生えていて――』と説明していくと、今度は『トカゲ』や『髭』の概念が必要になる。だけどマンガなら、そういった概念を持っていなくても、絵で見てドラゴンの概念をそのまま手に入れることができる。その後に小説を読めば、ドラゴンが何かは分かるし、その姿をもとにしてトカゲの姿も想像できるようになる」
ああ、そうか。
「絵っていうのは想像力の種、ってことでしょ? マンガでたくさんの絵を知っていれば、それだけ想像の元になる引き出しが増える。引き出しが多かったら、その分、想像できる幅も広がる」
「うるさい、やめろ!」
高史くんの声が大きく響く。けれど、大通くんは構わない。
「俺たちの結論。マンガは想像力を膨らませる上での土台となり得るから――」
「あっ、あっ」
高史くんが白目をむき、体を痙攣させて奇声を上げ始めた。それでも大通くんは声を止めない。
「――想像力の欠如を理由に、マンガを目の敵にする必要は無い」
「あっあっあっ! やめろ! やめ」
「――だからやっぱり、ディスカッションの前提がおかしかったです」
「あっあっあっあっあっあっあっあっ!」
高史くんが自分の頭を机に叩きつける。何度も、何度も何度も何度も。
あまりの衝撃と狂気に、私は椅子から立ち上がった。そして、まだ座っている大通くんと目が合う。大通くんは大きく溜息を吐いていた。
「なんでだよおお! ちがうよおお! マンガがいけないんだろおがああ!」
叫ぶ高史くん。ゴンッ、ゴンッ、と頭を打ち付ける音が部屋に響いている。
「あああああああ! 尊重しろよおお! 国語を尊重しろよおお! マンガじゃねえだろがよおおお!」
「うるせえな! 図工の教科書には『マンガは世界に誇れる日本の文化です』って書いてるだろうが!」
「図工の話なんかするな! 今は国語の時間です! 国語だ! 国語なんだ! 国語はあらゆる科目の基礎なんだぞ! 国語がいちばん偉いんだ! マンガばかり読んだらいけません! 他の本を読まなくなるからです! 他のっ他のっ、ほほほか、ぐぎぎぎ!」
「ほら、江藤さんも何か言って」と、大通くんが私に促す。
「な、何かって……」
「あと一押しだ」
「えっと、えっと……昔の小説の文庫本に、今流行りのマンガ家のイラストを付けたら、若い人にたくさん売れた! 絵は凄い!」
「ぐぎぎぎぎぎぎぎっ、んぎっ、んっんっんっんっ、ぎぎぎぎぎぎ!」
高史くんは両手で頭を抱えて背を反らし、そのまま席ごと仰向けに倒れていく。
けたたましい衝撃音。高史くんの顔には、机の中から零れ落ちたらしい教科書『新しい国語』が覆い被さっている。そして、高史くんはもう、動かない。
「……行こう」
大通くんは立ち上がり、私をドアへと先導した。
今度はちゃんとドアが開く。
また暗い通路へと、私たちは歩いて行くのだった。