さようなら、ワタシ
「おい!どうした!?なんかすごい音が…」
「…手をあげろ。」
ワタシは階段を駆け下りてきた見張りの男の首に剣を当てた。ドアの陰に隠れて待ち構えていたのだ。
目論見は成功した。しかし、台の上に乗りようやく男の首に刃がとどく。後ろを見られたらこの危うい牽制状態を見破られてしまうだろう。これは賭けだ。
男は首筋に充てられているのが刃だと気付くとおとなしく指示に従った。
「おいおい。これ、お前がやったのか?」
男は手をあげながら言った。余裕そうな声。仲間が殺されたのにこいつは何とも思ってないのか?ワタシはこんなにもつらいのに。
だが、むしろありがたかったのかもしれない。仲間のことを思い泣かれたらワタシはどうすればいい?本当に正当防衛だったと自分の心を納得させられる?
人殺しという罪の意識がワタシに芽生えなかったのはこの男のリアクションと銃というアイテムのせいだろう。
「これからどうするつもりだい?嬢ちゃん。」
「ど、どうするもこうもない。ワタシは帰らせてもらう。」
男はそれを聞き、笑った。
ワタシは喉に剣をより強く押し付ける。死なない程度に傷をつけるつもりだ。
「この稼業してるんならこんなことはよくあるんだよ。嬢ちゃんの覚悟もなかなかだけどね。」
ワタシは何を言ってるのかわからなかった。恐怖で押しつぶされそうだ。
刃が首を傷つけているのにこいつは全く怯まない。声色一つ変えずにワタシに話しかけてくるのだ。
ワタシの手が強張り、剣がわずかに首から離れた。
その瞬間を男は見逃さなかった。
男の肘がワタシの腹にめりこんだ。ちょうどみぞおちのところだ。ワタシは台から転げ落ちた。胃の中のものが一気に口の中にあふれてくる。衝撃で肺の中の空気も同時に外に押し出され、口内から溢れ出た。息ができない。もうパニック状態だ。
「おいおい。本当に嬢ちゃんじゃないか。そんな細い体で、よくこれだけ暴れられたな。」
男が私を見ている。立ち上がらなければ、こいつもリリカをあんなにした奴の仲間なのだから…
「あいつらが来るまでにまだ時間あるな…」
男は痙攣するワタシの腕をつかみ、台の上に無理やり座らせた。ワタシはまだ息をすることがやっとだ。視界もぼやけてよくわからない。
感情に身を任せてピストルを全弾使い切ったのは失敗だった。
この状態から逃れる方法は?思考が止まる前に…何か策を…
「ごほ…ぐっ…待って…」
何とか声を発するが返答はない。
何をする気なのかは簡単に検討が付く。
金属音。布の擦れる音。突き出される男のおぞましい物体…
く、嫌だ。いやだいやだいやだ。汚い!いやらしい!私に触るな!
みんな、けがらわしい!
アイツもコイツも!ワタシが!!このワタシが!!
許せない!許せない!赦せない!
ワタシは目の前のそれを、食いちぎった。
絶叫。
ワタシは口から噛み千切ったものを吐き出した。気持ち悪い。床に落ちているあれはグロテスクで、ただただ気持ち悪い。ワタシは立ち上がりそれを踏みつぶした。
「てめ、この…くそが…」
男は吹き出す血を止めようと必死に押さえている。
何と惨めか。
何と……愉快な光景か。
男と目があった。
その瞬間、男の表情が変わった。
怒りから、怯えや恐怖の表情に…間の抜けたような表情に。
どうした?さっきまでの好戦的態度は?ワタシがどうかしたのか?
ワタシはそっと傍に落とした剣を拾い上げた。
男に剣を向ける。
男は怯えた顔で私を見つめる。そして震える声でつぶやいた。
「なんで…そんな顔で笑えるんだ?」
ワタシは自分の顔に左手でそっと触れて、始めて知った。
つりあがった口角。見開いた目。
何でワタシ、笑ってるんだ?
ワタシは玄関から家を出た。
この家の中に生きているのは男一人。でも直に死ぬだろう。あの出血なら間違いなく。
「くふふ…」
何故だろ。笑いがこみあげてくる。
「あははは!!くくくく!!ふふ!あははは!!」
ワタシは歩く。血まみれの服で。
街の人間がワタシを避けても構わない。
ワタシは目にいっぱいの涙を浮かべて笑っていた。
痛い痛い。これは痛い(確信