第二十六章
EPILOGUE
私は一人だった。私は、私であるかどうかの前に、時岡光という偶像が作られた。
才色兼備、眉目秀麗、辞書から無理に引っ張り出したような褒め言葉に私は特に何も感じなかったが、いつの間にか積みあがったそれは、とうとう私自身の存在より確かになってしまった。
話したこともないのにどこに惚れたのか、男の子達は私に告白した。
内心驚いていたが、突然そんなことを言われても何も思えない私はふった。
私は高潔な美少女となった。いや、された。
気が重くなった私は話すのを躊躇う様になった。
私はお淑やかな人格を押し付けられた。
以前よりは、静かになった。
つまらない、そう思った私は2,3日学校を休んだ。
戻ると私は病弱なお姫様になっていた。
そこでは、すでに私が私であることは不可能になっていた。
殻に閉じ込められたようだった。
息苦しくて、真っ暗な、自分自身の偶像という殻。
対照的に私自身は空っぽだった。
そんな時だった。
彼と出会ったのはそんな時だ。
私は初めて、私を気に入らなさそうな目で見つめる男の子にあった。
彼はそれどころか、私をほとんど知らないようだった。
真っ白で、少し寂しげな彼に、私は初めて自分自身を書き込んだ。
その気持ちが特別なものだと気付くのに、そう時間はかからなかった。
むしろ、私は初めから気付いていた。
胸の高鳴りは恋なのだと。
僕は初めて、休ませてください。そう言って、バイトを丸々二日間も休んだ。
学校は土日だからもちろん断りなんて入れてない。臣先生はあえて僕に連絡を入れないでいたようだった。
光の病室を訪れるのは僕か光の両親くらいだった。光の意識も戻ったし、学校に入れた断りを解消しようかという話になったところで、光は首を横に振った。
あなただけでいいわ。光はそう言った。僕は少し顔が赤くなって、少し言葉に詰まった。
僕の両手は車いすの持ち手で塞がっている。
自動扉が開く。光は病院の庭が見たいと言って、僕に連れ出させた。
「おかしいわね」
「どうした?」
「こういうシーンでは大体、満開の桜の下で感傷に浸るものなのよ」
光はすでにいつも通りだ。相変わらず学園物への憧れは強い。
「さすがに時間には勝てねえだろ。桜って一週間しか咲かないからいいんだろうしなあ」
散った桜の花びらさえ、もうとっくに一枚残らずかき集められている時期だ。花びらのない桜の木はそれでも日本の象徴だけあって感性のない僕にも美しかった。
「死屍累々という感じね」
「言葉を選べよ!!もっとこう、おおらかというか、華々しくなくても愛でられるだろ!そこの花壇と一緒に見ればわびさびだろ!」
よくわかってないまま口走ってしまったが花びら一つない立派な桜の木と花壇に植えられた花を同時に見て使うような言葉ではなかったな。僕は諦めて光の反撃に構えた。
「ああ、それなら分かるわ」
え?僕は思わず首を傾げた。驚いたことに光は同意の言葉を口にした。
「私の隣に長谷君がいることが究極のわびさびだもの」
「お前…本気で凹むからな…そういうの」
どこまで行っても光さんなのであった。
僕はふと、病室の前で聞いた話を思い出した。初めからそうするべきだった。
「そういえば、裏側の庭には八重桜だっけ?咲いてるって聞いたな。そっちに行くか?」
「あら、そうなの…別にいいわ」
「いいのかよ!!」
僕はあからさまにズゴッとつんのめった。
光が僕の胸ポケットから携帯をするりと取り出した。すると、そのまま苦労して通したストラップの紐を解いてしまう。
「あっ、何すんだよ!」
光は自分の青のクローバーと僕のピンクのクローバーを入れ替えてしまう。紐は僕が別のストラップからとって取り換えていた。
「今はこっちの気分なの。少しの間だけ女の子でいたいのよ」
瞼を閉じてそう言う光にはなぜだが反論しようと思えなくなってしまう。
「ねえ長谷君。このまま終わらせるつもりなの?」
「このままって、なにをだよ」
「恋人なのか、恋人じゃないのか私たちどっちかしらね」
光の表情は少し楽しんでいた。
「え…僕も、光も、ちゃんと言葉にして告白したじゃないか…」
光は首を傾げてとぼけ始める。
「ああ、そういえばそうだったわね…でもあれは夢だし…どっちなのかしらねえ?」
もともとくっきりとした二重瞼に気だるげな雰囲気をプラスしてじと目で光が僕を見つめる。じっと~とした視線だった。光の肘が僕の脇腹をドスドスと突いてくる。
「曖昧なまま終わるものはその後クソラブコメとユーザーレビューに書き込まれるわ」
「単行本なのかこれは?!」
一応全力で突っ込んだ後に、僕は一度切り替えるために、深呼吸した。
「私、あそこでフラれて今に至るわけなんだけど?」
「そういや、そうだったな…わりい、待たせた」
僕は光の肩に手を添えた。向き合った光は目を閉じる。
鼓動が高鳴り始める前に終わらせてやろうと思ったのだがとろい僕はとうとう追い付かれてしまった。
何も聞こえないほど、鳴り響いている。きっと、光だって一緒だ。
ゆっくりと、僕と光の唇が重なり合った。
キスに甘いも酸っぱいもなかったが、苦くて、ほんの少しだけ甘い、僕の二度目の恋に区切りが出来た。そんな気がした。
喧騒が聞こえる。がやがやと騒がしい。それは扉の向こうからだ。
「は~い。それじゃ開会式!進行は文化委員顧問臣香織と~!」
ただでさえ大きな喧騒が、聞きなれた声につられてもっと大きくなる。
「副委員長の三好一愛です!よろしくお願いします!」
「一愛~!!」「香織先生―!!」ライブ会場かよと突っ込みたくなるほど会場の熱気が扉越しに伝わってきた。
しかしきついな…僕は首元のシャツを伸ばす。パリッとしすぎていて首に刺さって息苦しい。さっきから何度もだ。スーツは着た事あるが、こんなにしっかりとしたものは初めてだ。
「みっともないわよ長谷君。堂々としなさいな」
「むしろなんでお前は僕よりハードルの高い格好してるくせに部屋着みたいに落ち着いてるんだよ…」
そろそろだな。僕は携帯を控え場所に用意された籠に入れた。すでに入れていた光の携帯の隣に置く形になる。
色違いのストラップは、結局僕のがピンクで、光が青だ。
お揃いのクローバーよりお揃いなのは、僕のモノにも光のモノにも、何重にも紐が通してあって、本体以上の存在感になっていた。
それは願掛けだ。
「行くか?」手を差し出すと光はするりと指を絡める。
僕を見つめる光は、いつでも。と言っていた。
「長谷君、もっと強く握って…」
僕は無言で優しく力を込める。
そして願いを込める。
二人で何本も通した紐の様に、何があっても解けることのないように…
―FIN
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