第二十三章
どんなことが起きても変わらず明日はやってくる。構わずやってきたその日にも、やはり光はいなかった。
僕は屋上から空を見上げる。本来なら光が座っている場所…憎たらしいくらいに広がった青空。僕しかいない。
放課後、僕は一人で帰る。三好は明るく振る舞っているが、元に戻るのは僕にも、三好にも、少しの時間がいる。
光…名は体を現すとはこのことよ…あの時は否定してやったのに、ほんとにその通りになってしまった…お前がいないと、僕は光が見えなくなったみたいだよ。
メールボックスを開く。最後のやり取りは、僕の送信で終わっていた。
何気なく窓から外を見やる。もうとっくに外は暗くなっていた。何度も何度も、鳴ってもいない携帯の画面を見る。
僕は一度溜息を吐く…何気なく見たシフト表は、先月と変わらず僕だけ異様に○がついている。まるで何も変わっていないかのようだ。
ピリリ…味気ない電子音に僕はすぐさま携帯を取り出した。それは光からの返信などではなかった。
送信者 臣 香織 今しかないぞ。行ってやれ。
僕は考えることなく理解する。
「成川さん、すいません…あとお任せします」
「え、ちょっとどうしたのよ急に…」
それ以上返さずに、僕はエプロンを千切るような勢いで脱ぎ捨てて自転車に乗る。
肺が痛いほど、息をする間もないほど漕ぎ進める。駐輪場のレーンを無視して乗り捨てるように自転車を降りて僕は駆け出す。
運動部でも何でもない無様な走り方でなりふり構わずつんのめりながら階段を駆け上がっていく。
薄暗い校舎なんてほとんど目に見えていなかった。闇の中で手を伸ばし、足をがむしゃらに進める。見えてなくたって構わない。僕が向かう先は決まっているんだから。
僕は明かり一つない最後の階段を上る。すでに開いているドアを突き破るように開ける。
「光!!」
屋上にただ一人の人影が見える。見間違えるはずがない。待ち焦がれた姿だから…光は目を見開いて驚いた様子だ。
「やっと会えた…やっと会えた」
「意地悪な人ね…見つけてしまうなんて。誤算だったわ」
月夜の明かりだけでは光の表情が読み取れない。いつもの鉄面皮でいるのかどうかすら…ただ声色は、ほんの少し悲しそうだ。
「光、どうして、どうしていなくなったりするんだよ…」
「私はこれ以上あなたとはいられない」
「なんでだよ…お前が言ってること、全然意味が分かんねえよ!バカな僕に教えてくれよ!なんでダメなのか僕にはわからないよ」
光はあの日とは打って変わって落ち着いた様子で、星空を見上げながら、黒髪を靡かせる風に身を任せるように瞼を閉じた。
「三好さんと話したわ。あなたとのお話も、全部聞いたわ…」
僕の脳裏をよぎる光の一言…「ウソつきね…」知っていたのか…
「私はああはなれないわ…あんなに美しく、人を愛することなんて、きっと私にはできないわ。すてきね、あの子」
知っている。それは僕だって知っている。
「光…僕は、伝えなきゃいけない。もう、後悔しない、だから…」
僕は一歩ずつ光に近づいていく。光は僕に向き直って凍えるように肩を抱く。
自分を抱き締める様に両の手で肩を抱いて縮こまる光がとても小さく見える。
「こないで…来ないで!」
僕は体を竦ませる。光の手から滑り落ちた携帯電話がカラカラと屋上のタイルを滑る。
僕は言葉を失った。あからさまな拒絶がきりきりと僕の胸を締め付ける。
「もういいのよ…もう私は、誰も好きになんてならないから!」
ドクン…その一言が僕の中の冷静さを叩き割る。
また繰り返した。僕は何も変わっていない…
覚悟で塗り潰した気でいた恐怖心に煽られて僕の揺れ動く瞳、とうとう視界ごと眩暈と共に揺れ始める。
揺れ動く視界の隅に、見つけたそれに、僕は心を砕かれた。嘘だウソだと思い込めないほど、それは光の言の葉だった。それは一瞬で僕に上辺を引きはがした本心であると思わせるに十分なものだった。
僕が何度も何度も繋がりを確認するかのように縋っていたストラップは、光の携帯には付いていなかった。
寒空の下、明かり一つない闇に浸ったような孤独感が僕の胸を押し潰す。
まともに呼吸ができない。小刻みに途切れながらの呼吸はまるで嗚咽だ。泣きたい気分だ。いや、そんなに軽々しいものじゃない…
僕から目を反らしていた光…俯いた目線の先のタイルに小さな染みが一粒、二粒…僕がそれに気づいたのは見えたからでなく、光は僕のみじめな呼吸とは別の、嗚咽を噛み締めていたから…
「光…聞いてくれ…お願いだ…嫌われていたって、拒絶されたって、僕は…」
光は涙を零すまま走り出す。僕の隣を駆け抜ける。風に靡く彼女の黒髪…ほんの少し遅れてやってきた光の香り…僕は実体のないそれらを掴もうとするかのように、がむしゃらに手を伸ばして叫ぶ。
「光!!」
光は止まらない。一直線に駆け抜けた。僕の涙で濡れた視界の先で光の消失した扉の先で鈍く重い音が響いた。
崩壊した心でも、僕はすぐにそれがただの音じゃないと気付いた。
「光?!!」
呼吸の仕方を忘れたかのような醜い息遣いのままがむしゃらに駆ける。扉の先の階段で光は倒れ伏していた。駆け寄っていっても動く様子はない。
僕が崩壊する。狭い喉いっぱいに叫び散らした。焼け付くように喉を駆け抜ける痛みの残滓がこびり付く。
動かない時岡光を前にして、僕は僕でいられなかった。




