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16cmの温情と1・5センチの恋情  作者: しぼりかぼす
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第十九章

「ではこれから少し登ります」

 光は観光ガイドの様に進行方向を指さして言った。ちなみに服装は制服の上から例のバカでかいリュックサックから取り出した探検家のような帽子とジャケットを羽織っている。

 生暖かい目で見る僕に光が口を開く。

「なんでホットパンツじゃねえんだよと言いたげな顔ね美脚マニアの長谷君」

「んなとこにつっこみてえわけじゃねえよ!そのフェチズムみたいなのを押し付けんな」

 ホットパンツに興奮なんてしないだろ。単純に考えてスカートの方が危ういじゃないか。つまり単純に美脚マニアならスカートの方がいいんじゃないのか?謎は深まる。

 僕はもー行こうぜと一歩目を踏み出す。

「待ちなさいな。ト…虫除けしてからの方がいいわよ」

「おい、今何と言い間違えたんだよ」

 はい、と涼しげな顔で僕に筒を渡す。僕の質問はムシのようだ。

「ん?ずいぶん甘い匂いのする虫除けだな」

 虫除けは無味無臭。いや、舐めたことはないけど。そんなイメージだったので鼻のような香りのするそれは少し意外だった。

「香水と兼用なのよきっと。携帯一つで音楽もゲームもの時代なのだから不思議じゃないわ」

「いや謎だろ!電子機器に互換性を求めたとしても虫除けがフローラルであってほしいと思ったことはないぞ!」

 というかこいつは売り文句で買ったわけじゃないのか…

「あと長谷君。そっちじゃないわよ」

「テキトーに指さしたなお前!」


 二十分後


「あのお光さん?なんだか変だと思ったりしないでしょうか?」

 僕の周りにはほのぼのとした様子で黄色の蝶がひらひらと飛び回っている。

「今のあなた最高に魅力的よ。虫目線で」

「アピール対象が限定的過ぎるわ!なぜこんなにもこの虫除けは悩ましいんだ!魅力的だが近寄れない…切なげなラブストーリーか!!皮肉すぎるわ!」


15分後


「なあ光」

「どうかしたのかしら?」

「どうもこうもねえ!!」

 僕の服を見れば説明など不要だ。蝶やらクワガタムシやらが服の繊維になれない様子で手足を滑らせながら留まっている。

 キシキシ言いながら生き生きしちゃってるだろうがあ!!

「僕は樹液を垂れ流す大樹かあ!明らかにさっきの虫除けじゃねえだろ!トってなんだ!トから始まるとこまではばれてんぞ!そしてなんでお前は隣にいるのに虫一つついてねえんだ!!」

「トラップよ。カブトムシ用の」

 虫を寄せてるうううううう!!今どきのガキは虫取りなんかしねえから野山を駆け回るおっさんしか買わねえよそんなもん!

「地味を絵に描いたような長谷君を華やかにしてあげようと…」

「少し儚げな表情浮かべてんじゃねえ!虫はファッションアイテムじゃねえ!民族の成人式かよ!」

「ごめんなさい…」

 え?僕は少し目を見開いた。

「メインのカブトムシがいないわ…」

「ンなこたあどっちだっていいわあ!完全に虫の寄り付きにくいお前に際立って僕が樹海の神木かのように寄り付いてんじゃねえか!これじゃまるでお前の避雷針に志願してるマゾヒストだああああ!!」

 とち狂った僕が頭を抱えて身をよじると蝶やらカナブンやらが散っていく。

 しっしと手を仰ぐ光は目をツンとさせて止めてちょうだいという。

 お前のせいだろうがあああ!

「もういいよさっさと登っちまおう」

「お願いだからそのよくわからない匂いを落としてからにしてちょうだい」

 寒い風が僕らの間を吹き抜けた。もしくは分厚い壁が僕らの間に築き上げられたような気がした。

 荒み切った心は情けなくも主犯から渡されたタオルに少し心が浮足立ってしまう。

 光の優しさが眩しくて、直視できない。いや、違うな。完全に視界が潤んでいる。完全に涙が流れているなこれは。

「じゃがいもは寒い場所で育つほどおいしいのよ」

 誰がジャガイモだ。ちなみに光の人間味というものを味で例えるとしたらスイカの型に塩を詰めて成形したものにわずかなスイカの汁をかける感じだ。

 僕は借りたタオル首元や手首を拭うとあちこち取りついた虫を剥がす。服があちこち電線しているがパンストでなければ需要は稼げそうにないのでほっとこう。

「冒険の後のようで素敵よ」

 実際はバスに揺られて平坦な山道を歩いただけだがな。

 というわけで僕は使命感に追われる様に最後の仕上げに取り掛かる。光からうけとったままのそれの蓋を開ける。僕の覚悟は日本刀の鍔を親指で押すような緊迫感だ。

 おるるるああああ!!突然のモーションから光に向けて袈裟斬りに襲い掛かる(掛ける)

 不意打ちの形での僕の一矢を光は学校生活のままのローファーでたたんとステップを踏んで全回避。ザザッと勢いを殺すような動作もなくそのままスタスタと歩きだした。

 僕は虫除け(虫寄せ)の散った辺りを呆然とコンパスで書いたような丸目で見渡した。


「着いたわ」

 光が案内したのは、ロープウェイでもなければ山頂でもない。こざっぱりとした開けた場所だった。山はまだ中腹だ。

 不自然な場所だった。立派な木が無数に並んでいるくせにそこだけすっぽりと円形に刈り取られたかのように木がない。青々と生い茂る木々の葉の届かない見上げられる空を見るために作ったような場所だ。

 もうとっくに夕暮れは沈みかけていた。僕へと振り返る光がまばゆい夕暮れに染められて真っ白な肌に暖かな色味が加えられると、自然と笑いかけられたような気分になった。

 光はサッとシートを引く。外で食べることの無くなって、この頻度で野外用シートを使用するのは光くらいのモノだろう。

 光は帽子とジャケットをぽいっと脱ぎ捨てると、馬鹿にでかいリュックサックにそそくさと仕舞い込んだ。見慣れた制服姿だ。

 僕は気になっていたことを口にした。

「そういや、光、そのリュックサック何が入ってるんだ?」

「日除け帽子、虫除け、バズーカタイプの殺虫剤、鉈。一番のマストアイテムは鉈ね」

「一番余計だよ!なんたらのなく頃にかよ!ホラーはもうたくさんだ!」

もう一つかなり引っかかる持ち物があったんだが、さすがに鉈と比較すると突っ込む必要性を感じなくなってくる。

「日が暮れるわ長谷君。夕焼けもいいけどね。私は星空を見るのが好きなのよ。誰かと一緒に来たのは初めてだけど」

 光はこちらを振り向かない。声色がやけに高い。微笑みを浮かべている顔しか想像がつかないが、光はこちらを振り向かない。

「ねえせっかく来てくれたのに、隣にいてくれないのかしら?」

「あ、ごめん…なんかすげえ、きれいだなって思ってさ…」

 僕の心からするりと零れ落ちるように出た一言が光を振り向かせる。僕は、真正面から捉えた光に思わず息を飲んでしまった。

 光の顔が赤いのは、夕焼けのせいなんだか――

 光が固まった表情のままスッと何かを構える。なんだ?それが何であるか気付いた瞬間僕はすかさずマトリックスを決める。

 ブオオオオ!真夏の一番元気のいい日の台風のような発射音と共に凄まじい何かが僕の顔があった場所を通過していく。

「もうスプレーは勘弁だあああ!!」

 しかもよりによって絶対害虫を葬るやつだ!そして射程が長え!なぜ家庭用じゃないんだ!業者かお前は!

 ふっとその射撃が止むと、光もそれを仕舞い込む。どこから出したんだよドラ○もんか。

 光は今度こそ横顔も見えることのない方向へぷいっと向いてしまう。

 あの~光さん?僕が問いかけても光は拗ねてしまったように口もきいてくれない。

 僕は数瞬居場所に迷った後、恐る恐るシートに座った。同じ方向に座るならまだしも、対になって座るには狭いので意図せずとも背中合わせの形になった。

 僕の背と合わさった光のが一瞬びくっと震わせる。

 なぜだか、僕はほんの少しだけ、光との接し方を分かったような気がしていた。

 燃えるような夕暮れを見ていられたのは一瞬で、知らぬ間に辺りが夜に沈み始めている。

 暗い、暗い、人口の明かり一つない闇に包まれている。そんな空を見上げていると、ここには僕と光しかいないんだと、そう実感する。

 時々木々を撫ぜ掛けて行く夜風の他に僕らを阻む音もない。

 木々の優しい香りに溶け入るように光の香りがある。消え入るように儚げで、手を伸ばして抱き込みたくなる。こんなにも近くにいるというのに、時岡光は手の届かない場所にいるように感じる。

ポツリと小さな煌めきが視界の隅に現れた。視界を刺す煌めきは強く、その形を四方八方に指し示して絵に描いたような星となっている。

「見えるかしら?あれが一番星かしらね」

 ほんの少し光の頭と触れる。僕は光に見えるよと答える。

世界から切り取られたような場所で僕らはたった一点を見つめる。

「あれは私なの」

 そのまま受け取れば傲慢な一言に感じるに違いないが、光の声色は弱く儚げだった。

「一番星には名前はない。何であるかもはっきりしない。誰とも繋がらない。だから、一番星は私なの」

 僕は答えられなかった。弱弱しく言葉を繋げる彼女に…

 僕は言葉の代わりに背中合わせで座る光の手の平に、手の平を重ねる。少し間は空いてしまったが、仕方ないだろ。

 手を重ねたまま、僕は目を閉じる。風が木々を撫ぜる音が、全身に響くようだ。夜空に浸るような気分だ。

 僕は瞼を上げると、夜空の様子は大きく変わっていた。

「ここは、ほんとによく見えるな。もう数えられないよ」

 そうね…光は感慨にふけるような、瞼を閉じて涙を拭うような、そんな声色だ。

「みんな誰かと繋がっていて、みんな誰かに支えられている」

 それは、この無数に敷き詰められたように光り輝く星達を羨ましく思っているような、愛でるような一言だ。そして同時に自分はそうでないと言っているように僕には聞こえた。

 光は重ねた手の平の位置をすり替える。光の手が僕の手に重なって、光はキュッと握る。

 一瞬高鳴った鼓動が背中越しにばれてないかなんてどうでもいいことに緊張する。

 だがそれも、星空の海を見上げると溶け入る様にスッと収まっていく。

 一人じゃないだろ。少なくとも今は、僕がいる。そう言ってやりたいが言葉にならない。

「今は、僕もいるだろ…」

 呟くような一言となってしまったが光には聞こえていたようだ。

「誰かといられるのって、素敵な事ね」

 僕らのどんな言葉も、見上げた夜空に消えてゆくようだ。全てが一度きりなのだと知らしめられるようだ。

「長谷君、あなた恋をしたことってあるかしら?」

 僕は答える。すんなりと。

「いいや、ないよ」

「そうなの…ウソつきね―」

 え?僕は消え入るような光の声に答えられなかった。

「お前は、彼氏とかいたことあるのか?」

「ないわよ。あるわけないじゃない」

 光は僕と同じくらいすっぱりと答える。

 かくんと、僕は唐突に重力を失ったかと思った。僕を支えていた両手が払われたのだ。

 すとんと仰向けに寝る形になった僕の視界を覆ったのは満天の星空ではなく吸い込むような瞳で僕を見つめる光だ。

 距離感に胸が高鳴り、言葉が消し飛ぶ。いつも通りの僕ならばいくらでも言葉を並べられただろうに驚くほどに止まってしまったかのように口が動かない。

 口だけじゃない。全身だ。まるで光の瞳に僕は石にされてしまったような感覚だ。

 僕は錆び付いた歯車のように動かしづらい体を無理矢理に動かして、視線をずらす。僕一人、丸ごと吸い込まれそうな魅力は危うげだ。

 ぱっと僕の顔に添えられた光の左手が僕を強制的に向き直らせる。

「だめよ。私だけ見て。少しの間も目を離さないで」

 光は僕の右手首を掴んで、自らに寄せる。光の細い首の更に下、鎖骨の下あたりに僕の手の平の底を寄り添わせた。

 僕は息を飲むような悲鳴を押し殺されたような声しか出せなかった。

「光、お前、何――」

 僕の全身にリズムを刻む大音量よりさらに早く、光の鼓動が手の平から伝わる。

「聞こえるでしょ?感じるでしょ?ドクンドクンって」

 光が優しく僕の右手を離す。少しの硬直の後、僕の右手は力なく倒れる。

 顔を寄せて光は耳元で囁く。至近距離で僕の課の心臓を覆うような彼女の魅力が怖いほどだ。僕は思わず固く目を瞑った。

「あなたの隣にいることが、怖いくらいに私をドキドキさせるのよ…」

 一度僕から顔を離した光の細い指先達が僕の頬を撫でるように添えられる。

 光の魅力に眩暈がする。僕の頬に当たる彼女の零れ落ちた長髪に、僕を見つめる水晶玉のような瞳に、僕に触れる細い指先達に、彼女の香りに、誤魔化すことの叶わない魅力が僕を支配している。

 時岡光はあまりにも美しすぎた。ここが広大な星空を一目で見渡せる見事なプラネタリウムだろうが、地平線の彼方まで見渡せる無限の海原であろうが、何一つ彼女以上に瞳を引き付けるものなどないだろう。

 零れ落ちた長髪をかき上げて、彼女は僕の唇に迫る。

 ダメだ!それはダメだ。心が張り裂けるような悲鳴を上げる。

「ダメだ光!」

 寸前で僕は、やっとはっきりとした言葉を口にした。

 星空のような無機質な瞳が僕を見つめたままその距離だけをスッと離した。

光は動揺した様子もなく僕に問いかけた。

「それは、三好さんの為かしら?長谷君」

 僕は噛み締めるように、悔しがるように言う。

「そうじゃ、ない…そうじゃないけど…」

 その言葉だけ聞き取ると、光は割り切ったように帰りましょうかと何事もなかったかのように言った。

 僕は違和感を感じずにはいられなかった。

 光との間にはその後、言葉はなかった。

 別れる瞬間に彼女はやんわりと、ゆっくりと手を振ったかと思うと、サッと踵を返していってしまう。僕は彼女の背に手を伸ばしそうになった。遠くなっていく彼女に小さな心一杯に当たり所を失った後悔と叫び出したいやるせなさで満たされる。

 無言で去る光の背が僕にサヨナラと告げているように感じた。


 四時限目の鐘が鳴ると同時に、僕は足早に教室を出た。歩調がいつもより早い。一段飛ばしで、急かすように階段を上がっていく。

 屋上前の扉の南京錠は、すでに外れていた。僕はそれを見ると、少し安心する。

 残りの階段を、僕は文字通り駆けあがった。

僕は既に開けられたドアノブに手を掛ける。それを一捻りして押すまでに、僕には一呼吸必要だった。ドアが少し重く感じる。

 物静かな空間で、ギイッとドアの音が実際より大きく感じた。

「光っ!」

 そこには誰もいなかった。先客が僕に振り向くこともない。

 僕ら二人だけにももったいないだだっ広いスペースにいるのは僕だけだ。ここにいるから、そんな一言を思い出すと、胸が締め付けられるようだった。

 昨日の遠ざかっていく彼女を思い出す。さよならを言わなかった彼女を。

 僕はいつもの場所にフェンスを背もたれにして座り込む。ごつごつとしたタイルの感触が直に伝わってきた。日捲りカレンダーのように毎日変わるシートを引く光はここにはいない。

 僕は空を見上げる。嫌味なほど快晴の空が少し暗く感じた。

 凛とした声が喋りかけてくることも、ない。肩と肩の触れ合いそうな距離で隣り合う光が、寄りかかってくることも、ない。毒舌に僕が戸惑うことも、ない。

 なにも、ない。ここにはなにもない。光と僕の場所には、何も残っていない。

「どこ行ったんだよ、光」

 携帯電話につなげられたピンクのクローバーを掬うように手で取って、意味もなく僕はそれを握り締めた。

 それから何日も、何も変わっていないかのように屋上に行く僕の前に、光が姿を現すことはなかった。


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