第十六章
土曜日 午後12・00
この日のあいつは妙にそわそわというか、うずうずというか、いつも通りじゃない、とまでは全然いかないんだけれど、というかもともと落ち着きのあるやつじゃないから言ってしまえばいつもより元気というだけなのかもしれない。
バス停で待っていたのは言うまでもなく三好一愛。
白黒ボーダーの長袖にイエローのコート(ちなみに三好のフェバリットカラーは黄色だ)キャラ作りかよと言いたくなるほどぴったりだ。正確には今日のコートはサンフラワーというタイプの黄色。ストレートな黄色はさすがに服に取り入れるとハードルが高すぎるらしい。それはファッションにおいて関心ゼロの僕も思う。サンフラワーというのもやはりキャラ作りかよと突っ込みたくなるほどイメージ通りだ。ダークグレーのフレアスカートに黒のレギンスにスニーカー。基本的に三好の服装は露出を控えている。ヒールとか少しイケイケというか背伸びしたアイテムも取り入れない。いい意味で大人しいファッションだ。なにより僕より背が高くならない。
と、まあ分かったように言っている僕はジーンズにパーカーだ。ネックレスとか装飾品も生まれてこの方付けたことがない。
ようと一声かけて二人してベンチに座る。なんというかこう、いくら僕らが気心の知れた仲とはいえ、放課後でも半日授業でもない日に私服姿で隣り合うというのは嫌でもお互いを意識してしまうというか、理解できない気持ちがこみ上げたりもする。
よほど地味な格好でなければ普段制服を見慣れていると私服姿というのは三割増しで魅力的に見えてしまうものだ。
なんだか、時間を巻き戻したみたいで…
「似合ってるな。こんな格好で申し訳ないぐらい」
前半は本音だが後半は思っていても僕がパーカーという万能の服を卒業することはおそらくないが。
「ううん!別に私は気にしないし!でも、ありがとう…」
えへへと恥ずかしそうに俯く三好を見ていつも通りだなと僕は内心安心した。今日は特におしゃれな服装だったから違うモードなのかと…いや、変形ロボとかの話じゃなくて。
「バスって今思ったら初めてか?」
「うん!私は自転車でもよかったけどね」
「いや、僕だって考えた上でバスにしたんだよ。そう言うなって」
三年間の酷使でそろそろよれてきた制服姿じゃないし、僕はともかく三好は服はそれなりに選んでくるだろうからそのうえで自転車の荷台というのはなんだかよろしくない気がする。そろそろ自転車という乗り物に愛想が尽きてきたりしているのもある。
これはなんというか、年頃的なものでもあるんだろうけど。
「でも長谷君が考えてくれたならそれがいい」
「お前は相変わらず僕に激あまだな」
「うん。過保護なの」
それはなんかいやだな。三好は少女と呼称するのがしっくりくる容姿ではあるけれど、面倒見が良くてしっかり者、という点を差し置いても僕が保護されているのは嫌だな。
逆に僕が面倒を見れる点なんて、それこそ台所ぐらいしかないのだろうけど。
バス到着まで三分。僕らがこの堤防の末端にあるバス停を使うのは異様に人が少ないからだ。休日のバスなんてそもそも人が多いものでもないのだけれど、大抵はここから一つ先のバス停が見晴らしもよくベンチも広いので人が集まるが。こっちのバス停はいつも貸し切りだ。
僕の勝手なイメージだとバス停には高校生がヘッドフォンで腰かけてるイメージなのだがそれも見たことがない。
「まあ、自転車じゃないとお前をいじめられないっていうのはあるよな」
「もう!それは大事じゃない!!」
「わりいわりい、ちょ、暴れんなって!」
「昨日は念入りにおいてかないでって言ったのに~バカバカ!」
「あ~、昨日か、昨日はそのあれだ、押すなよ押すなよみたいな…」
「お笑いじゃないもん!置いてかれた時どんだけ寂しくなるか分かってないでしょ長谷君のばかあ!」
「どうどう!バス来たから落ち着けって」
抑え込むすべがなかったのでバスが来たのを言い訳に使って甲高い警報音のようなブザーと共に開いた扉から乗り込む。
僕が先に座ると、三好は人のいない車内だというのにわざとらしく詰めて隣に座る。
横っ面からノックするように三好のスニーカーをコツコツと突く。
「三好、狭い」
「バスだと逃げられないでしょ。いっつも置いていくから今日は逃がしません」
「はいはい悪かったって。つまり、明日からはいつも通り置いて行ってもいいってことか」
「違うもん違うもん!!ばかばか!!」
どうやら違うらしい乙女心は充電式じゃないようだ。
それでも三好は終始ご機嫌だ。そもそもこいつが不機嫌になるところを僕が一回でも見たことがあるのかどうか分からない。
「あ、そうだ。長谷君、写真撮ってもいい?」
「ん?別にいいけど。僕が撮ればいいのか?」
手を差し出してほらっと携帯を催促する。
「違う違う。二人で映るの♪」
「え、ま、まあいいけど」
多少戸惑った。戸惑うだろ、そりゃ。イベントがあれば率先してシャッターを押す係に立候補するような僕と映って何か面白いことでもあるのかと。
「じゃあもっと寄っていい?つめてつめて」
僕らの席だけ人口密度が異様に高い。小柄な三好と僕も気持ち痩せ型なので密着すると席にして1、3人分くらいのスペースに僕らは収まっていた。
互いの髪が当たってわずかな吐息まで聞き取られてしまいそうな距離なので思わず息を止めた。
あと一歩というところで顔のこわばりが極まって石化しそうなのを堪えて三好が精一杯腕を伸ばして掲げたスマートフォンで写真を撮る。
僕の表情はどうにか仏頂面を回避したという感じで隣で笑っている三好が五割増しで輝いて見える表情作りの下手さ。隣にこいつがいるから余計になんだろうが、本当にいつでもいい笑顔してるからなあ。
「長谷君ふざけて」
「ええ?!どうすりゃいいんだ?」
変顔ってことか?男子高校生の多くが抱く疑問だと思うのだが女子ってなんで変顔の写メが好きなんだろうな。この場合要求されてるのは僕なんだけど。
とはいってもふざけてと言われただけなのでわざわざ写真映えしない顔を余計に歪めるのも面白くないので僕は三好の頬っぺたを親指と人差し指で伸ばす。
三好も文句を言うより先にちょうど対になるように僕の頬を伸ばしてきた。ピコッという電子音と共に写真が撮られる。
「うんうん♪上出来~」
いまのでよかったのか…かなり分かったつもりでいたのだが性別の差は大きい。
みてみて♪と携帯の画面をずいっと見せてきた三好は上機嫌の上の上機嫌だ。
「ま、映り映えはともかく僕達らしいよな」
だねと返した三好はあとで送るねといって写真にロックを掛けている。そんなに特別でもないだろうに…こいつは撮った写真全部にロックを掛けているのだろうか?
再度止まったバスのドアが開くと同時に僕らは降りる。車でごった返したショッピングモールの輪郭をなぞる様に淵に沿って歩いていく。お化け屋敷は裏だ。
お昼時だからなのか、やはり夏が本番だからなのか分からないがわりかし空いていた。そもそもお化け屋敷が混むものなのか僕は知らないけれど。
とりあえず入り口に入ると、すでに受付がゾンビ化していた。そこからかよと思ったが確かに受け付けは人間だったらリアルさは薄れてしまうものかもしれない。
チケットを渡して看板の奥に進んでいくとやけに僕の右半身が重くなった。
ん?み、右腕が、ない…とかはアニメの中だけで、重くなった僕の右腕には三好がひしっとくっ付いていた。
「三好、行くぞ?え?なに?もしかして怖いのだめなのか?」
「得意じゃないよ…長谷君がいるからまだ入れたけど一人なら入り口も突破できないよ」
こ、こいつ、怖いもの見たさここに極めりというか、「どんだけ好きなんだよ」と違和感を抱いていたがそういう落ちか…
「分かった分かった」と三好の歩調に合わせて少しずつ進む。
しかし確かこのお化け屋敷結構長いんじゃなかっただろうか?全部で20~30分とか書いてあったような…
おどろおどろしいというか、とにかく暗くてろくに見えないのだが受付で渡されたランタンで照らすと壁面がすでに怪談仕様になっている。
そろそろ驚かしに来るんじゃないかというところで僕は改まって三好に振り返った。
三好は少し驚いたのか僕の腕にくっ付きながら少しびくっとした。
「長谷君?」
「三好、僕も一言言っておかなければならないことがあるんだ」
「え、何かな長谷君」
僕の腕にくっ付く三好はただでさえ小柄なのにさらに小さくなっている。
「僕もホラー無理なんだ。期待しないでくれ」
「えええええ???!!」
いや、驚かれても仕方ないだろう。誰が得意なんて言ったのだろうか?誰が好きだなんて言ったのだろうか?怖がりの人なら等しく持っている感覚だと思うのだが、怖がり同士では余計に怖い。
しかし、片方がケロッとしていると不思議と何でもないかのような感覚に襲われる。というノリになると僕はさっきのさっきまで本気で思い込んでいたのだが、頼みの相方はこの通り僕と一体化してしまっている。
「というわけで僕も怖いのでお互いしがみつき合って寄り添って突破します」
「うわあああんそんなの聞いてないよう!」
「一番の被害者は僕だろうがあ!こっちも聞いてないよ!一人だったら受け付けどころかチケット受け取るので精いっぱいだっつの!!」
生きているのか、死んでいるのか?とりあえず僕は生きているので歩いているわけなのだが、ぐでーんとアクションRPGのやられたらこんにゃくのようになる死体のようにずるずると三好を運ぶ。
かすかに息とぼそぼそと言葉も聞こえるのでおそらく生きてはいるのだが自立しての二足歩行は難しそうだ。
半開きの口からエクトプラズム的な何かが半分でかけている三好を引きずって隣接された喫茶店に入る。
店員がさっそくゾンビ姿なのだが二十分超の地獄の後では明るみでゾンビをみたところで異様に顔色の悪い人にしか見えない。
レモンティーと三好にホットアップルティーを頼んでおく。厨房に入っていくゾンビはハチ退治並みのマスクと手袋をしていた。お化け喫茶って律儀だなあ…かえって緩い喫茶店よりしっかりしていそうだ。いつ剥がれてもおかしくなさそうなメイクだからなあ…
「おい、三好?お~い」
三好が起きる前に紅茶とケーキが運ばれてくる。
「お連れさん大丈夫ですか?」
「いやあ、ちょっと刺激が強すぎたみたいです」
「申し訳ないです」
律儀なゾンビだ。目の端から血を垂らさずに顔の大半が焼けただれていなければとてもよかったのだが、あくまでいいゾンビ止まりだ。
おしぼりを余分にもらってう~んと唸る三好の額に乗せてやる。ぺちぺちと呼びかけながら数回頬を叩くとようやく大きな目が一息に開いた。
「は、長谷君?!」
ばっと起き上がったところで僕と良いゾンビが「ああよかった」と頷き合ったところで起き上がった動きを逆再生するように三好がぱたりと倒れる。
「また、ゾン、ビ…」ガクッ…
「三好いいいいいい!!!!!」
まあとりあえず生きていることは分かった。少し申し訳なさそうに奥に引っ込んでいったいいゾンビ。僕はとりあえずぐっと体を伸ばして三好を待つ。
とりあえず本日のケーキというのを頼んでみたのだがリンゴのピューレと生クリームのショートケーキでてっぺんにホワイトチョコが乗っている。
あまりにもいっぱしの喫茶店過ぎてため息が出る。
からんからんとベルを鳴らして一風変わった喫茶店に新しい客がやってくる。何気なく僕が振り向くと、小柄な女性と目が合った。
本当は僕が気絶していて、夢を見ているのかと思ったのだがどうやらそうでもなさそうだ。たたっとこちらに駆け寄ってきたその人がよっと声を掛けてくる。
「長谷君と三好ちゃんではないかぁ!!」
僕は一瞬その人が本当に僕の考えるその人かどうかを疑ったのだが、声を聞いた瞬間にこの内面に勝っている悪魔を見せつけない。毒まみれのくせにくったくのない声色は間違いない。臣香織だ。
「こっちのお席開いてますか?じゃあ、お願いします❤」
おい、喋り方変えんな。猫かぶりどころか猫を三枚くらい着ている勢いだ。ジェットストリーム猫かぶりだ。
「あ、はい!しょ、少々お待ちください!」
おいゾンビ!でれでれすんな!!なに軽くトレイで反射させて顔チェックしてんだよ!普段どんだけイケメンか知らねえけど今のお前はゾンビだよ!
ゾンビが奥に引っ込んだ瞬間に僕らの隣のテーブルにどかっと腰を下ろして胡坐をかく。急に素に戻ってんじゃねえよ。
「いやあ、自分の美貌が憎いねえ、持って生まれたから仕方ないなあ!だっはっはっは」
あえてつっこまない。エサを与えるようなものだから。野良猫どころか三重猫かぶりなので恐ろしい勢いで平らげられそうだ。
「つーかさ、なんで三好ちゃんのびてんの?襲ったのあなた?不純異性交遊じゃん」
僕はあえて慌てて反論することなく返す。一度手の平の上で転がされれば抜け出すのは不可だ。本人はアリジゴクならぬ、長谷地獄と言っていた。
「お化け屋敷でこの通りですよ。怖いのダメだったらしくて」
厨房の奥でガシャーンと慌てふためいて何かを落とした音が聞こえた。おいゾンビ、テンパってんじゃねえぞ。
「そんなに怖いかぁ?私は五周して来たぞ。三回目くらいからはお化けと顔馴染みだった」
楽しめてないじゃん。いや、本人は楽しんでるかもしれないけどお化け達は完全なる作業だよ。というかやり込み症だからってRPGじゃあるまいし初見殺しを周回するなよ。
「何が楽しいんすか、それ」
「途中からお化けに自己紹介を決め込んでいたよ」
「絡むなよ!しらふな分ある意味酔っ払いよりタチ悪いよ!」
「私の突然の自己紹介にフランケンシュタインも白目をむいていたぞ」
そりゃ多分もとからだよ。奥からゾンビが戻ってきた瞬間に行儀悪く組んでいた足をささっと空中で絡めて少しお洒落なサンダルに突っ込む。
臣先生がおしぼりを受け取っている間に三好が目を覚ます。ちょうどゾンビも向こうに行っているのでタイミングはいい。
「およ、三好ちゃんおーっす♪」
「わ!臣先生だ!可愛いー!!」
起きた瞬間に臣先生と和気あいあいとできるところはさすが三好だ。それとも本人がいじり倒して生気を食らう長谷地獄を自称しているので接し方が違うのだろうか。
「こんなにキュートな女子高生に可愛いだなんて!あたしも隅におけねえなあー♪」
隅におけない、というよりはだだっ広い四隅においたところで勝手に騒動を起こしてくるような存在なので四隅どころか部屋から閉め出して鍵を閉めなければならないという言葉ならばしっくりくる。
楽しそうにしている二人は僕には何が何だかわからない女子トークを繰り広げている。
「三好ちゃん知ってた?ここの喫茶店すっごくおいしいのよ?」
「え?そうなんですか?あ、ケーキだ!」
「頼んどいたんだ。糖分補給しとけ」
わーいと心底嬉しそうにする三好が小さな手でフォークを握ったところで臣先生が待って待ってと言いながら僕らと逆向きにくるりとケーキの角度を変えた。
「このてっぺんのホワイトチョコが目玉になってるのだ♪」
「お、おめめ…」コテン…
「三好いいいいいいいいいいいいい!!!!」
「また余計な事を…五分くらいで二回気絶してますよ」
「にゃっはっはっは。私がいる時の気絶率が高いなあ三好ちゃんは」
「完全に臣先生のせいでしょ今のは」
臣先生のテーブルにいつの間に注文したのかアップルパイとコーヒーが運ばれる。
「まあ、君に話したいことは三好ちゃんがいると話しにくいもんねえ」
「どういうことですか?まーたわけわかんないこと言ってドロンする気なんですか」
「うーむ君には遠回しに行ってもなかなか理解するのに時間がかかるということが分かっているのでめんどくさいことはやめたよ」
ちょっと耳貸してみ~と手招きする臣先生の口元にずいっと耳を近づける。
「~…―…~」
え?それが聞こえたのか聞こえていなかったのか、僕は自分自身で処理しきれずに呆然とした。臣先生はそれだけ言い残すとさくさくっと食べ終えてコーヒーだけ少し落ち着いて飲むとじゃーねっと手を振って行ってしまった。
なんだそりゃ…神出鬼没だ。相変わらず、僕にはわからない事ばかりだ。
そろそろ起こしてやるかと三好を軽く揺する。五、六回揺すったところで目を開けた三好。
まずい!急に気が付いた僕はさっと目にもとまらぬ勢いでケーキのてっぺんのホワイトチョコレートをパッと口に入れた。うむ、味はいいが何だろう、この後味の悪さは。
「何回気絶してるんだよ。休憩したら行こう」
寝起き状態の三好が戻るまで二分ほど必要だったが、そのあとはショッピングモールで服やら雑貨屋やらみていたら存外早く時間が過ぎてしまった。正直映画で時間を食わせないと間延びしてしまうかと思っていたのでこれは意外だった。
ちなみに途中でクラスの女子とばったり遭遇した三好はリンゴのように顔を赤くした挙句、少しの間話していた。僕は少しアウェイだったので所在なさげに見て回っていた。
少し揺れるバスの窓ガラスから見える空は、もう暗くなっていた。日が長くなってかなり立つけれど、六時くらいにはほんの少し暗いようだ。
三好は少し眠そうにしていたので肩を貸してやったらお気に召したようで頭を僕に預けて寝始めた。
僕は少しばかり、地に足がつかないというか、いや、足の裏が三ミリ浮いているとかそんなどっちでもいい意味じゃなくて、少し、心がフワフワしていた。
あの時は、もうこんな日は二度とないと思っていたから。
バスがいつものバス停で止まる少し前に三好を起こす。あんまり安心しきったような顔で寝てるもんだから起こしたくない気持ちにもなったけれどそうも言ってられない。
まだ少し眠そうな三好とバスから降りる。
「どうする?なんなら夜ご飯作るけど?」
聞いてみたものの、いろいろと回っているうちにクレープをなぜか二回挟んでいたのであまりお腹は減っていないというのが正直なところだ。
「私あんまりお腹減ってないかな。クレープ二個も食べちゃったからね。長谷君は?」
「僕もだ。別腹じゃないらしい。じゃあ送っていくよ」
うんと返事をする三好は笑っていたが、なぜかほんの少し寂しそうにしていた。
並んで歩く三好は、家の前になって言う。
「ねえ、長谷君。ちょっとお散歩しない?」
そう提案する三好は、ほんの少し恥ずかしそうだった。頷き返して、僕らは堤防沿いを歩き始めた。暗くなれば自転車で通る人もいないし、話しながら散歩するなら一番いいだろう。
「夜になると少し寒いね」
三好が小さな手を互いにすり合わせる。大して寒くはないが、三好は冷え性なので手先が寒いのだろう。こういうのがいるから、手先の冷たい人は心が温かいだなんて根も葉もない話が定説のようになってしまうのだ。
と、言ってみたが実際僕が冷え性じゃないのでただの悔しがりだったりする。そんなことはないだろうがそんな気がしてきてしまうからだ。
何気なく手を差し出すと三好は小さな手を両方共で重ねて握った。
「歩きにくくないか?片方はポケットに入れとけって」
「私はこのままでもいいけどね…長谷君の手あったかあい…」
「遠回しに心が冷たいって言われてる気分だな」
「ううん…長谷君は優しいよ」
嫌味なく言うもんだから僕もそれには反論できない。
「両手とも繋いでいい?」
「それじゃヨーデルじゃないか」
暗がりとはいえ、年頃の男女でカニ歩きはしたくないよ。
僕らは少し無言で歩いた。僕らが無言なのは珍しかったが、それでもいいような気がしている。三好は何かを言いたげにしているので僕は無理に話を繋げず待っていた。
「ねえ長谷君」
どうした?と聞き返す。表面上の声色より、僕は三好の次の言葉が気になっていた。少し俯いて、言いにくそうに言うもんだから、何だろうと。
「長谷君は、好きな人っていうか…恋、してる?」
「恋?僕は恋とは縁遠いよ」
それは三好が一番知っているに違いない。
「好きな人も、いないの?」
「好きな人も、いない、かな」
なぜ、ほんの少しでも躊躇う様に答えたのだろう。本当は、本当の僕は、躊躇うことなく、答えられる決まっているのに…もう半年も前から、僕はこの問いに答えられるはずなのに…
「そっか、じゃあ手繋いでても誰にも怒られないよね?」
ああ、と返してそういう三好はどうなんだ?と僕は聞き返した。
「私、私はね―」
口を開いた三好は、足を止めた。同時に僕は三好を見た。僕を見つめる三好は、喜んでいるのか、悲しんでいるのか、どれも合っているようで、どれも間違っているようでこの三好を僕は知っている。
時々見せる、いつもの太陽みたいな女の子じゃなくて、不安になるほど透明な雰囲気の三好だ。その表情が時々怖くなる。
「私はしてるよ…どうしようもないくらい大好きなの。もうこんなに人を好きになることは、ないんじゃないかって思っちゃうくらい」
僕は三好からその言葉を聞いた時にほんの少しだけ、自分が何を怖がっているのかを知った気がした。知らないことを、明確に恐れている。
そう、なんだ…そう答えた僕は、明確に戸惑っていた。完全に、戸惑うほどの予想外ではなかったくせに、僕は戸惑っていた。三好はほんの数舜立ち止まったままで、ふっと微笑むといこっか?と僕に言う。その三好は、いつもの、僕の知っている三好に戻ったようでいて、まだ、透明な雰囲気を持ったままだった。
「お前が早いとこ彼氏作らないと、僕はずっとここにいなきゃいけないじゃないか」
誰に言っているんだ。心が揺れている。悲しいのか、暖かいのか、根本的な二択すら曖昧だ。
「私はそれでも、ううんそれがいいなあ…」
繋いだ手が震えそうだった。繋いでいていいのか?なんて今更な事を思ったまま、僕は三好の手を離せずにいた。臆病者の僕は一日が終わるまでそのままだ。
何も知らなくても、何にも気づいていなくても、何かが変わり始めたことを僕はこの日やっと知った。その変わったなにかは、もう元ある場所に戻ることなく、別の何かに回帰しようとしていることも、僕はこの日になって知ったんだ。