第十三章
はあ、ため息がいくらでも出てくる。私は自室の机に突っ伏した。コートはベッドにほったらかしだし、扉はあけっぱだしもうダメダメだ。
「ああ、もう…駄目だなあほんと」
時間がないのかもしれないなんて、考えたこともなかった。誰より長谷君をみていて、私たち二人を見ている成川さんにそう言われてしまえば、いやでも時間というものが無限じゃないことを意識させられてしまう。
確かに、今思えば時間をかけ過ぎた。夢中で、楽しくて、嬉しくて…どれだけの時間がたっているか、意識などしていなかった。
それに、私達にはいろいろあったし…普通に考えれば、遅すぎる。
だって、思いを伝えても、今更と言いたくなるほど時間を共有しているし、どうしても、怖がってしまう。それはきっと、伝える側も、受け取る側も。
いい関係であればあるほど、このままでいたいと、満足なんてしていないくせに自分を
だまそうとしてしまう。
どうしよう…
チャンスはいくらでもあった…そんなの分かってる。でもこうやって距離を詰めていくのが自分のやり方だって、何度も誤魔化してきた結果なんだ。
脈絡もなく告白してしまおうか?
いっそ、知ってもらえないまま失恋してしまうくらいならちゃんとフラれて終わりたい。もちろん、付き合いたいけど…
私には自信がない。こればっかりはどうにもならないものだ。私自身の性格、性根だ。
怖いなあ…
ここ最近はうまくしゃべれなくなっている気がする。どうしても、光さんを意識してしまう。そうと決まったわけじゃないし、私の完全な早とちりかもしれないけれど、これまでなかったことが起こっているのは確かだ。
長谷君が女の子と二人きりだなんて…
「あー、絶対なんかあるよあの二人…」
今日なんていきなり聞いた上に勝手に泣いちゃったし…だって光さんだもん。
私は時岡光さんには勝てない。大事なのはそんなことじゃないことくらいわかっているけど、あんなに可愛い子、見たことないし…
これまでそんなことがなかったのは光さんも同じだし…
「友達も作らなかった光さんがいきなり男の子と二人っきりだなんて、絶対おかしいよ~」
同じような事ばっかり言っている気がする…
こんな時ほど意識しちゃだめだ。いつも通りいつも通りなんて考え方はやめるにしても、いつも通り楽しめなかったら関係も一緒に悪くなっちゃうよ。
「長谷君…メール、送ってみようかな?」
寝転んだまま携帯の画面を見る。まだ十時か…ちょっとくらいなら、迷惑じゃないよね?
「あたし長谷君に甘えてばっかりだあ…」
長谷駆君。今でも覚えている。ちょうど一年前、二年生になったばかりで、クラスにまだ慣れなかった私が初めて喋った男の子だった。会話は確かホントに大したことじゃなかったけど、優しい人だった。
この時からあたしは長谷君を気になり始めたけど、明確に恋をしたのは、少し後だ。
でも今でも時々引っかかる。あの時、以降、長谷君は少し変わった気がする。優しくて、気兼ねなく接してくれる長谷君は変わっていないけど、何か違和感を時々感じてしまう。
むしろ、お互いほとんど何も変わらなかったのがすごいのだけど、あたしが変わったのか、長谷君が変わったのかわからないけれど、何かが変わっていったのは確かだ。
「ん~もう、考えるのやめよ!メール送っちゃうもん!」
バンと軽く机を叩いたところで電子音が鳴る。突然にがががっと机の上で振動する携帯にびくっと身を縮こまらせてしまう。
液晶画面の通知を覗くと、お気に入りの星マークの横に長谷駆と確かに書いてある。
「わあ、長谷君からだあ…」
好きな人からのメールなんて、どんな些細な事でも嬉しい。面と向かって会っていない時に贈られてくるものというのは、その人の中に確かに自分がいるようで胸が熱くなる。
体冷えてないか?夜遅くまでごめんな。風邪ひかずに明日もバス停で待ってろよ。
顔文字も絵文字もスタンプもない簡素な文章から少し不器用な優しさを感じる。あたしは長谷君のメールがとっても好きだ。みんなに相談するたびに分かった分かったって流されるけど、言わずにいられないくらいに好きなのだ。
少しひねくれてるけど、長谷君はあたしのことを言えないくらいに心配性だ。
何回かメールを読み返して、思わず笑みが零れる。返信は、いつも通り顔文字も絵文字もたくさん使って返した。そんなことで長谷君が喜ばないのは分かっているけど、あたしがいつも安心するように、メールを見てあたしらしいなと思ってもらえたら嬉しい。
というか、文章だけじゃ足りない。画面でせわしなく動くキャラはとくんとくんと高鳴るあたしの心が飛び出てきてしまったようだ。送信っと…
ピリリ…携帯の着信音は静まり返った部屋の中に響くといやに尖って感じた。
寝返りを打って充電器に繋がれた携帯の画面を見る。送信者 三好 一愛。
連絡先の機能を使ってお気に入りにすれば星になったりハートがついたりして誰からのメールかすぐにわかるらしいが、生憎わざわざ設定するほど連絡先がありはしない。
まああえてつけるとしたら本来なら魅力で骨抜きにされそうなキャラの二個上のあの人と連絡先の名前を見た瞬間にパシリか仕事を押し付けてくるダメ教師の二人だろう。
ちなみに成川さんが爆弾マークで、臣先生はどくろマークだ。
実際機能性より単なる遊び心なんだろうが電話ではなくゲーム機と化している僕の携帯には中途半端な遊び心などいらない。必要なのは暇な時間を殲滅する圧倒的娯楽だ。
というかそもそも、マークを変えたところで画面を見た瞬間に誰からのメールかなんてわかるだろうに…
まことに理解しがたい考え方だ。こう言ってしまうと自分が十七歳だということを忘れてしまいそうなのでやめておこう。
RE・ 私は遅れたことないもん!長谷君が勝手に行っちゃうんだもん!!次置いていこうとしたら許さないから!
顔文字やら動く絵文字やらで飾り付けられたメールは一通の重みが確かに違う。
僕の片言の外人みたいなメールとは大違いだ。僕の返信と三好の返信を見比べると季節外れも甚だしいが三好のメールはまるでクリスマスカードだ。
まるでそこに三好がいるかのような文面に、僕は口の端を釣り上げて微笑む。
RE・RE・ あれは日課だからな。明日からやめろって言われたって難しいぞ?
他愛のないやり取りを数回繰り返していると、あっという間にいい時間になってしまう。
目覚まし時計のアラームスイッチをぐっと押し込んで少々乱暴に枕元に放る。どうしても目覚まし時計に触れる際は日頃の恨みが籠ってしまう。これだけ嫌われている必需品はこいつくらいだろう。悩ましい生きざまだ。
目を瞑って軽く寝返りを打ちながら布団を巻き込む。思考を放棄すると、さっきまでのやり取りが走馬灯のように脳裏に浮かぶ。いや、死に際じゃないんだが。
「成川さん締め出すのはいいですけど、カバンくらい渡していってくださいよ。二度手間ですよこれじゃあ」
「なにあんた、そのまま帰って私一人残そうって思ってたの?」
「別にそんなことしなくても、戻って手伝いくらいしますよ」
「知ってるわよ。それくらい。仕事投げ出すところなんて見たこともないもの。そんなことより、ちゃんと選びなさいよ?中途半端は、見ててもつまらないし…」
「え?何のことですか?」
「長谷君、強制はできないし、する気もないけど、あの子を泣かせちゃだめよ?泣くような結果になっても、正解も間違いもないけど、泣かせちゃだめよ。それだけはだめよ」
「もう早いとこ帰りなさい。私もそろそろ上がるから」
あれが、どういう意味なのか、僕にはわからなかった。単純な、額面通りで、直線的で、単刀直入に単純明快で、愚直で安易な…ただの言葉でない事だけは、僕にも分かった。
自分自身を置き去りにして外から見れば、簡単に見えたことなのだろう。ひねくれ者であまのじゃくな僕が、どれだけ三好一愛に依存していたかなんて、考えるまでもなく…それが僕自身の選択であることは、僕だけの秘密だけれど…
いつもと同じ場所に、いつもと同じように三好はいる。
僕はあえていつもと違うアレンジを加えたが、それも含めて大きな目で見ればいつも通りなのだから少し悔しい。
小さく見える茶色に染めた髪が靡いている。近くによっても遠くから見ても三好は小さいに違いない。僕は三好が気付くほんの少し前に声を掛ける。
「おーい!三好!」
一瞬立ち漕ぎのような体制で手を振ると三好はピョンピョンと跳ねて大きく手を振った。
完全にお互いを認識したところで僕は自転車の漕ぐペースを緩める。
三好も安心したように笑っている。
そして本人の目の前でそのまま直進。安心した表情が通り抜けた瞬間に凍り付いていた。
何事もなかったかのように漕ぎ続けているとおよそ八秒後に荷台に衝撃をもらう。正直タイムを予想できていなかったので少々面食らった僕はうっと軽く呻いた。
あまりに完全な流れでスルーしたためペースを落としていなかったら三好は乗り損ねていたかもしれない。ちなみに結構僕はいつも遠慮のないスピードで横切るので跳び箱の要領で飛び乗るのはおそらく三好くらいにしかできないので安易に真似するのは大変危険なのでおやめください。跳び箱だけなら三好は運動部に勝るだろう。
振り返ることなく、半泣きで頬を膨らませる三好の表情が浮かぶ。
おはよう三好と、まるで教室で会ったかのように声を掛けると後ろから思い切り両の頬をつねられた。
痛たたたたたたた…顔が生八つ橋になるだろうが。▲←
「痛いって痛いって、離しなさい」
「なんでこうされるのか自分の胸に聞くべきだもん!」
大変ご立腹のようだ。何回か謝っても許してもらえず自転車を降りるまで三好がご立腹だったのは言うまでもないが、さすがと言いたくなるのは教室に向かう頃にはいつもの調子だったことだ。だが今日で連続で三好が拗ねていた時間は更新したことは間違いない。
朝は少々どたばたとしたものの、僕のせいだが。そこから先は湯水のように過ぎていく退屈な時間だった。
四時限目が終わった瞬間に、僕はサブバッグを背負って歩き出す。中身は最低限なのでほとんどの重量は弁当が占めているし、教科書は取り出さずにバッグごと持っていく。
退屈だ。そう思った。退屈過ぎて退屈だ、と口ずさみそうだ。このまま一週間ほど同じ日が続けば韻を踏みながらくちずさみ出しそうなほどに退屈だ。
ほとんどの学生が毎日思っているようなことを僕は久々に思った。退屈であることを日常と認めていた僕にとって、少々最近は刺激が強すぎた。
二年もの間それを認めていたのに、たかが一週間で塗り替えられてしまったようだ。
考えもなく、歩を進めて食堂にでも行こうかと思っていたらふと気が付けば僕は階段を二段ほど余分に上って、気がつけば屋上前の扉にいたのだから笑い出しそうだ。