第十二章
「ふう…強情な人だなあ」
「うん。成川さん優しい人だね」
「ああ、ま、僕制服着たままなんだけどな」大雑把な人だ。鞄も中だよ。
「すっかり暗いし、行こうぜ三好」
バンバンと背負ったリュックを押してやると押さないでよと返しながらも幾分か和らいだ雰囲気だ。
「なー、三好、そういや、今日ってなんか用事があったんじゃないのか?お前がようもなく暇つぶしで来るなんて珍しいし」
「ほんとは暇さえあれば行きたいところなんだけどね。それじゃ迷惑ばっかりだから」
「気にしないでいいのに。変に律義な奴だよなあ」
隣を歩いていた三好がぴょんっと跳ねるように僕の前に躍り出る。突然だったのでおおっと一瞬後ずさった。三好はポケットから取り出して、目の前に両の手を揃えて差し出す。
少し改まって送られるとなるとプレゼントというものに疎い僕は一瞬遅れたバレンタインかと思ってしまった。
そういえば二年生の二月は下校中に渡してくれたんだっけ。僕の人生で二度目の、バレンタインに贈られるチョコだった。三好と別れてから思わず浮足立ってしまったのが少し悔しかったが、それ以上にやはり同学年の女の子からもらうチョコレートなんてドキドキするしかないだろう。
ちなみに、僕みたいなのが二度目とはどういうことだと掘り下げれば、初めてのバレンタインは年上のお姉さんから頂いたものだった。大して甘いイベントではないということはお分かりいただけるだろうか?ちなみに中身もビターチョコだったことまで覚えている。
三好には勢いで初めてと伝えてしまったので、ばれないようにしたいものだ。と、いうよりは僕自身ほとんど甘みといいう甘みの排除された大人過ぎる義理チョコを初めてに数えたくなかったというのが本音だったりする。
甘いものとコーヒーか紅茶で、甘味でとろけた口にコーヒーで中和していただくのが僕のスタイルなのだが、成川さんからもらったあれはイチゴオレで甘くなった口をチョコで中和していた。二重の意味で苦いイベントだった。
三好の小さな手に大事そうに握られているのは、ハンカチだった。なんでだっけ?と一瞬考えて、そういえば今日の体育の前にこいつボロボロ泣き出したんだったなと納得した。
「長谷君ありがとう」
家に帰ってすぐ洗いましたと誇らしげな三好。
「ああ、これ渡しに?別に明日でよかったのに。せっかちだな」
嬉しかったから、そういって三好ははにかむ様に笑う。なんだかいつもの太陽のような笑みとは異なる儚げな表情だった。
立ち止まっていた僕をそのままに歩き出す三好の腕を掴んで、引き寄せた。
「わあ!な、ななな…どうしたの長谷君?」
勢いが少々付きすぎていたようだ。隣合うどころかぶつかりそうな距離まで引き寄せる。
「わりい、でも勝手に行くなよ。雨に当たるぞ?」
返事がないので視界を下げて三好を見ると、上目遣いで僕を見上げていた。上目遣いになるのは身長差ゆえなのだが、僕は一瞬ドキッとしてしまう。
三好は三好で顔が赤いしなんだというんだ。ここ最近の三好はよく顔を赤らめる。一年以上一緒にいる僕が実感するほど。
「なあ三好、最近なんかあったのか?僕でよければ何だって言えよ」
「な、なにもないよ!ほんとに!!」
そっかと表面上納得して隣にスッと場所を移した三好を確認してから僕らは歩き出す。
僕らにしては珍しく無言で歩き始めて、無言に慣れていない僕は何となく口を開いた瞬間に三好と重なって先に言ってくれと促す。
「長谷君さ、光さんと会って、その、どうだった?やっぱり、可愛かった、でしょ?」
なんでここで時岡さんの話なのか僕はよくわからなかったりするのだが僕は否定する意味もないので、特にこれといった捻りもなく答える。
「あー、そうだな。正直、人気ある理由も分かったかもな。あれだけ可愛かったら天狗になってそうなもんだけど、そうじゃないのもいいんだろ」
三好のようなタイプとは全く違うだろうが、何しろ自分で美少女って言ってたし。
「そっか、憧れちゃうなあ…今日ね、光さんが主役で踊るでしょ?その予行演習みたいな感じで、着付けまでしたんだ。キレイだったなあ…長谷君は見た?光さんのドレス姿」
僕は、一瞬否定してしまおうかと思った。が、こちらを控えめに見つめる三好が嘘を吐けるような雰囲気ではなかったので、仕方なく、ぎこちなさを消し切れずに答えた。
「ああ、ばったり会ったからさ。結婚式も行ったことないし、ドレス姿の女の子見るのって初めてだったし、何より体育館校舎って、掃き溜めに鶴って感じでちょっと驚いたな」
「じゃあ、やっぱりあの話本当だったんだ」
ん?僕は一瞬ひた隠しにしていた事実を見抜かれたような、そんな心地がした。何となく察しはつく。隠そうとしていたわけでもないけど、今日の最後の授業。ひんやりとした細い指先に絡めていた右手に一瞬感触が戻るような気がした。
そして、下手な嘘をつかなくて本当によかった。
「光さん、長谷君と一緒にいたって、噂だったから…」
なんでそんな顔をするんだ。僕は嫌いだ。人との関わりを意図的ではないにしろ避けるように生きる僕に、珍しいほどに明確に嫌いだっと脳裏に響くような感情が沸き起こる。
本当は悲しいのに、それがどのくらいか分からないけど、確かにため込んだ悲しみを抱えたまま、いつも通りのヒマワリが咲いたような、太陽が照らすような笑顔とは似ても似つかない、無理矢理はにかんだようなぎこちない笑顔の三好が、僕は嫌いだ。
素直に笑っていて欲しいから。苛立ちさえ起こりそうだ。そんな表情を浮かべるなよ…
あの時みたいじゃないか。
「何にもないんだけどな実際。地味な男子高校生がいきなりかわいい彼女ができるなんて出来すぎた話、現実的じゃないだろ」
そんな話は、何度もあるわけがない。
僕は自分自身のおちゃらけた声でハッと内面が覚めた。よくここまでいつも通りを出せたもんだと思ったが、おかげで少しばかり調子が整った。
「あたしもドレス着ても恥ずかしくないくらい綺麗だったらなあ」
「なんでちょっとネガッってるんだよ三好、別に人と比べることじゃないだろ」
それともそんなにみんなの前でダンス発表したいのか?と意地の悪い追撃をすると、三好は困ったような顔でう、それはっと縮こまった。
やはりこうでないと違和感が残る。三好も少しばかり調子を取り戻したらしい。
「それにしても光さん、どうしてOKしてくれたのかなあ」
そりゃお前、反強制だからに決まってるだろと言いかけて口を閉める。危ない危ない。しかし時岡さんと話した感じ、そういったモノに屈するようなかんじには思えなかったのだが…そこはかなり疑問が残る。
しかしまあ、相手はあの臣先生だからなあ。けたけたと笑うポン菓子のように軽―い人格だが、車輪のように回る口と奥底の読めないところはある。
あのめんどくさがり屋も自信があったのだろう。そして二時間使って係が決まらないのでは自分が後々めんどくさいので自ら出陣というわけだろう。
僕ではとてもではないが会ったこともない、それもガードの高い女の子にお願いごとをして落とすなんて出来ないから。となると、三好にやらせればよかったような気もするが…気兼ねなくいつの間にか間を詰める三好なら適任だったろうに。僕らの知らない事情でもあの人にはあるのだろうか?
「それはほんとによくわからないよなあ。考えてわかることじゃないんだろうけどな」
「それもそうだね。着付けしてるとき、光さんすごく居心地悪そうにしてたから自分でやりたくて受けたんじゃないんじゃないかなあって思ったんだけど」
ああ、それは見てみたいな。いや、着替えをってわけじゃなくて、唯我独尊といった感じで堂々とした時岡さんがバツの悪そうにしているところは僕にとってはレアシーンだ。
「長谷君何ぼーっとしてるの?エッチなこと考えてるでしょ」
「違うぞ。断じて違う」
じと目で怪しいなもうと呆れる三好。いや、本当にそうじゃないんだけどそうじゃないとも言い切れないのは男だ。
「それにしても今週は疲れるな。早く休日になんねえかなあ」
「じっくり休むなら日曜日だよ?土曜日はたくさん遊んでもらうから」
これまでのツケをまとめて返されそうだ。ずいぶん断ってたしなあ。隣を歩く三好の瞳は輝いていて、細い五指を一本ずつ折り曲げて土曜日のスケジュールを数えていく。
「まずはお昼ご飯食べてー、お化け屋敷行ったら、そのまま喫茶店もいきたいなあ。服も身に行きたいし映画を見てもいいなあ」
想像するだけで楽し気な三好がくるくる子供のように回りだす。
「おい、傘から出ちゃうって大人しくしろよ子供じゃないんだから」
「子供じゃないもん!」
「だからわざわざ否定してやったんだろうが」
文章全体というより単語に反応している。というか言い返すさまは完全に子供だ。いうほどガキ臭いわけじゃないんだけど、一年で著しく成長するこの時期においても、高校入りたてと紹介されれば納得してしまいそうな気はする。
「まあまあ、怒るなって。ところで映画は僕も賛成だ。しばらく見に行ってないし。今って何やってるっけ?見たいものでもあるのか?」
むうっと不満げな表情を休日の話にすり替えた途端解除する。
「この前CMでやってた井戸から女の人が出てくるやつとか!」
「一日のスケジュールが偏食過ぎるわ!お化け屋敷に続いてお化け喫茶行くってのにホラー映画まで見る気かよ!」
完全に高校生の男女の休日というよりはオカルト同好会の休日活動だろそんなもん。
「結構借りてきてみるのもホラーとかが多いかも」
「三好、男子的にはケロッとホラーを見終える女子って微妙かもしれんぞ?」
だってそうだろ。普段から見てるってことは一人でも平気なぐらいってことで、女の子とホラー映画を見に行ったら怖がって隣から手を握られたりとかやっぱり想像するもんだ。
「やっぱりラブストーリーだよね、キュンキュンしたいよね!怖いのなんて見れないよ!」
「意外とあざといよなあ。そしてもう遅いから」
コロッと趣味をすり替えて見せた三好に死んだ目で諭すと意地悪と言われた。いや、今のは完全にお前のルール違反だろ。
と、馬鹿話しながら歩いていたら三好の家が見えてきた。歩いて三十分弱かかるし、一人で行くとしたら結構だるいんだろうけど、ちょこちょこ来てくれるのは素直に嬉しい。
「三好、今日来てくれてありがとな」
「あたしが行きたいから勝手に行ってるだけだもん。むしろ迷惑かけてないか心配で…」
「心配性だなあ。んなことねえよ」
三好が貸してくれた傘を持って僕が引き返そうとしたところで三好が僕を呼び止めた。
「ねえ長谷君…やっぱり、なんでもない…また明日ね。置いてっちゃいやだよ?」
「ん、任せとけ。じゃーな」
何を言いかけたんだろうかと一瞬気になったが、触れずに歩き出した。