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泥人道士スレン  作者: いっちー
第二章
4/19

逃げ出した太白窮奇(たいはくきゅうき)

 虚ろな瞳と視線が合ってしまい、スレンは慌ててまだ酒の入っていない杯に目を落とした。

 清から帰郷したトーヤとの再会を祝うため、最高級の持て成しが食卓へ並んでいた。

 ツェツェクの希望通り、屠殺した羊が解体され、肉の部分をすべて塩ゆでにして丸ごと器に乗せられている。

 生きているがごとくに盛り付けられたそれは、ヒツジの顔を主賓のほうへむくよう配膳するのが基本だった。

 スレンは、トーヤの隣に座ったことを後悔していたが、おくびにも出さず食卓に並ぶ皿を整えていた。

「おじさんには、気づかってもらっちゃって、本当に何て言ったらいいのか……」

「親父の判断は正しいよ。また身体を壊されては敵わない」

 申し訳なさそうに言うトーヤに、スレンは愛想なく答えた。

 祝い事は集落全体で参加するのが至当だ。

 けれど、スレンの父が「今日は親しい者で集まった方がいいだろう」と招きを辞退したことで、どやどや押しかけようとしていた他の者らも諦めざるを得なかった。

 酒を浴びるように飲み、夜通し宴を催す住民たちの相手は、病が癒えたばかりのトーヤには辛かろう、という配慮だった。

「……明日は覚悟しておいた方がいいだろうが」

「だーいじょーぶだよ。あたしが、見張ってるから」

 ツェツェクは慣れた手つきで肉を切り分けながら言った。

「それでは、むさくるしい我が家で恐縮ですが、トーヤさんの帰郷を祝って、乾杯!」

 ドルジが、全員の杯に酒が注がれたのを確認すると声を張り上げる。

 病後のトーヤも、嬉しそうに杯を傾けた。

 馬乳を発酵させたその酒は、酒と呼ぶには余りにアルコール度数が低い一方、胃の消化力を高めたり、肺病に効くなどの薬効作用が認められている。

 馬乳酒を用いた治療は一つの医学分野を確立しており、病人には頗る好んで呑まれる健康飲料であった。

 艶のある白い液体を一口飲めば、かなりの酸味が口中に広がった。

 スレンは努めて静かに言った。

「おかえり、トーヤ」

「ただいま」

 杯を両の手で包みこみながら、トーヤは穏やかな笑みで俯く。

 それにツェツェクの問いが飛んだ。

「で、清の方はどうだったの? 大変だったんじゃない?」

「ううん……療養ってこともあって優しくしてもらったわ。だけど、随分と忙しなくって……。昨年の敗戦から、欧米の真似をしようと躍起で、横になっていると罪悪感を感じるほどだったの。……そういえば、日本人を大勢見かけたわ」

 トーヤは、そう言って肉にむしゃぶりつく衛士をちらりと見た。

「あ、彼は……」

 ドルジが気を利かせて紹介しようとするのを、衛士は手で遮る。

 自ら席を移動しトーヤの右隣へ腰を下ろした。

「矢背衛士だ。お察しの通り、ジパングから見聞にね。ちょこっとの予定だったんだけど、冬になる前に帰りそびれちゃって。ここはご飯もお酒も本当に美味しいから」

 差し出した手をトーヤは優しく握り返した。

「それは嬉しいこと。私はトーヤ。しばらく清の方へ行ってたの」

 と、もう一方の手を衛士の顔面にかざすと、クルリと手首を捻った。

 手には赤い花が握られていた。

「趣味は手品よ」

 彼女はニッコリと笑むと、その花を衛士の胸ポケットに差し入れる。

 けれど、衛士と握手をした手は放さず、まじまじと興味深そうな瞳で相手を見つめ、両の手で衛士の手をさわさわと撫でた。

「えっと……まだ、何か? トーヤちゃん」

「触れられるな、と思って」

 居たたまれなくなった衛士が問うと、トーヤは関心したような溜息をこぼす。

「ふふ……余りにもスレンくんに似ているから、彼のドッペルゲンガーなのかと思ちゃった」

 それから、あっさりと手を離した。

「ド……何だい、それは」

「スレンくんの体から抜け出て歩きまわる魂のことよ」

「お、いい例えだねぇ。ソールメイトって奴?」

 衛士が無邪気に笑うのに、ツェツェクが大きくむせた。

「ばっ……全然違うっつーの。それ、離魂病って言ってさ、その出歩く魂見ちゃった本人は死んじゃうんだよ」

「死ぬ!? 何で!」

「知らない。でも、そういう病気なんだって」

「同じ魂の人間が二人もいるなんて、理に反していますからね」

 ドルジの言葉に衛士は思案げに俯いてから、スレンを見て首を傾げた。

「スレン、どう? 死にそうかな?」

「お前が来てから頭痛が酷い。死ぬかもしれん」

 手にした杯を床に置いて、スレンが顔をしかめて見せると、衛士はわざとらしく傷ついた顔をした。

 それから二人は拳を打ち合わせて声をたてて笑った。

「随分仲がいいのね」

 トーヤは余り見ることのないスレンの無邪気な笑みに驚きの言葉を漏らす。

 まるで、双子の兄弟のように、長い間培った信頼が見えるようだった。

 ツェツェクが肉を噛みちぎりながら答える。

「なあにがちょこっとの予定よ。アイツ、二年もスレンのとこで世話になってンの。トーヤが出た頃からずっとよ、ずっと」

「世話になっているのは俺たちの方だ。エージのおかげで、随分仕事が楽になった」

 母親を亡くしてから、スレンは父と兄の三人暮らしだった。

 忙しいのは、家畜らの出産に奔走する春だけではない。

 羊毛を刈り、乳を搾り、放牧に出かけ、夜は見張りに立つ日々の仕事だって、男三人では到底足りなかった。加えて、異能者として『命の土』の採掘にも従事しなければならないのだ。

 それにも関わらず、スレンは馬に乗れず、血を恐れ、土気を見分けることが出来ない、という遊牧の民として、この集落の異能者として致命的な欠点があった。

 実質、動けるのは父と兄のみ。気前よく手伝いを引き受けてくれるとはいえ、集落の仲間に頭を下げるのは余り気分の良いものではない。

 そんな中で、衛士が宿代として申し出た手伝いがどれほど大きな助けとなったことか。

 あらゆることをそつなくこなす彼に、スレンは心からの感謝と尊敬の念を感じたのだった。……もやもやとしたわだかまりと共に。

「不出来な息子の穴埋めをしてもらって、感謝してもしきれない」

 ここに生まれたのが、衛士だったらと思わずにはいられない。

 スレンは過労で死んだ母を思って陰鬱に呟いた。

 その後ろから、泥人が手を伸ばして食卓に新たな料理を置いた。

「ドルジ様。みなさんにお話しすることガあったのでショウ?」

 空いた皿を引き寄せ、盆に乗せて片づける泥人がスレンを気づかうのに、ドルジは食べかけの肉を行儀よく皿へ戻し、頷いた。

 みなを見まわして、食事が一段落ついたのを確認する。

「もう集落のみなさんには伝えたんですが……本日、通達がありましてね。刀剣を司る妖鳥『太白窮奇(たいはくきゅうき)』が陰界より此方側へ逃げ出したんだそうです。見かけ次第、捕縛せよ! って、命が下ったんですが……」

「太白窮奇だって!? 西方神・白帝の息子の!?」

 衛士は素っ頓狂な声を上げた。

「有名なの?」

「大陸ではどうか分からないけど……有名、じゃないのかな。喧嘩している者がいると正直者の方を切り刻むだとか、誠実な人に出くわせばその人の鼻を削ぐだとか、悪逆不善である者には贈り物をするだとか、いろいろ聞くし。日本じゃとりわけ有名なんだよ。窮奇って封じられるまでは、遊行神って言って季節によって移動する神様だったんだ。それで、窮奇の移動に当たる場所に建物建てたり、娘を嫁がせたりすると祟りがあって、その家の者は七人殺される。その家族が七人に満たないと、不幸は隣家にまで及ぶ、なーんて恐れられてた。日本じゃ、金神様なんて呼ばれてさ」

「やだ……何それ、嫌な神様」

 ドルジは暗い声で、言葉を探すように続けた。

「陽界に長く留まっていられるところを見ると、人間や動物に潜伏している可能性が高いですね。そのおかげで、本来の力よりずっと弱いみたいですけど……僕らじゃ到底敵うレベルじゃありません。捕えろだなんて、とんでもない。みなさん、見かけちゃったらすぐに逃げてくださいね」

「何だってそんな恐ろしい鬼が逃げられたんだろうねえ、ドルジくん。窮奇って金気を操る内でもとびきり手に負えない奴でしょ? 並大抵の封印じゃ無かったはずだ。しかも潜伏って……うええ、隣のあなたが、実は? ってやつかぁ」

 衛士は訝しげに顎をさする。ドルジが肩を落とした。

「はあ。それがまた十八子(じゅうはちし)みたいで」

 泥人がスレンの杯に酒を注ぎ足す。その横で、ツェツェクが小首を傾げた。

「ねぇ、ねぇ、誰、それ?」

「『世を導く十八人の師』と自ら称し、陰界の者―――鬼を、陽界に手引きする迷惑千万な方々ですよ」

「……? ドルジだって、陰界から死者の魂連れ出してるじゃない。何が迷惑なの」

 ますます訳が分からないと唇を突き出すツェツェクに、ドルジは噛み砕くように答える。

「僕は、天界のお役所から神虎牒を発給してもらい、何・喬二体の神様に霊魂を探しだすようお願いして、連れてきてもらってるんです。つまり、天界の神々からきちんと許可を貰ってるんですよ。それに、連れ出せるのは、陽界に害のない魂のみですしね。邪気を好み、人を争わせ、世界に混乱をもたらす力の強い『鬼』は、地獄において何重もの封印をされてこちらには来ることが出来ないようになってるんです」

「けれど、十八子によって、次々と危険視されている鬼が解き放たれているの」

 手についた油を手巾で拭いながら、トーヤが静かに告げた。

「何で、そんなこと……」

「彼らは歴史以前の世界のあり様へ戻したいんだそうよ。それが世界のありよう、人の望む世だと信じている」

「歴史、以前?」

 ドルジは重々しく頷いた。

「歴史が始まる前、世界は陰・陽が混ざり合った世界だったんです。そこには争いが絶えず、混沌の世だった。同族でいがみ合い、親兄弟で交じわり、愛した次の日に殺し合うような……秩序のない、世界。それを悲しんだ、人々を救済する神・太上老君の手はずによって、陰・陽はすみ分けがなされ、人は秩序だった世界で以前よりもずっと平穏な生活を送れるようになったんです」

「ツェツェクちゃんも鬼のことは知ってるでしょう? 彼ら鬼は、人々の悲しみや絶望、恐怖をこよなく愛するから、陰・陽の境界に穴を見つけては陽界へ来るのよ。鬼の陰気に当てられた人々は、体調を崩したり、命に関わる大病に患うことだってあるわ。更に精神的には、争いを好むようになったり、妬みの気持ちが大きくなったりしちゃうの。それが個人単位だったら、小さな犯罪で済むんだけれど……村や町、民族、国単位になると内乱や戦争にまで発展してしまうでしょう? だから、鬼と呼ばれる陰の者は、こちらへ来られないようにしてるのよ」

「実体化すると危険なのデス。彼らは、陽の気の塊である生命を食べますカラ」

 チーズの乗った皿を食卓へのせた泥人が、恐怖を押し隠すように言った。

 ギュッと盆を持つ手に力がこもる。

「こ、怖いなあ……それで、十八子って奴らはた、たい……何とか、って奴を地獄から自由にしちゃって、そんで、そいつが、もの凄い危ない奴で、あたしら食べられちゃうかもしれなくて……で、そいつをとっ捕まえろ、と」

「太白窮奇ね、窮奇」

「うっさい。覚えたっつの」

 衛士の茶々に拳で返したツェツェクは、ふと、真面目な顔になる。

「でも、どうして、捕えろなんて言うんだろう。やっつけろ、じゃなくて? それにさ、この集落にそんな命下してどうすんの。あたしらには絶対捕えることも、倒すことも出来ない奴なんでしょ?」

「腐っても白帝の息子ですからネ……対抗出来る者は限られているはずデス。いくら、放たれたばかりデ本来の力を発揮出来ないとはイエ……チョット、的外れな命だと思いマス」

「ねぇ、ドルジ。ホントに天師様からの言伝なの?」

 ドルジは苦笑して両手を挙げた。

「僕もおかしいな、と思いました。今回の指令、能力の大小に関係なく、清周辺に活動拠点を置いた異能者集落全てに伝達されていたんです。……それで、調べてみたんですよ。そうしたらですね、指令を下したのは、ツェツェクさんの指摘通り、天師様じゃありませんでした。窮奇のことに関しては、天師様は関与しないと宣言され、ある方に丸ごと一任していたんです」

「ある方?」

寧封子(ねいほうし)です」

「寧封子!?」

 ドルジの声に、驚きの声が幾つも重なった。

 寧封子(ねいほうし)―――文化の創造者である神話時代の帝王・黄帝に、陶器の作り方を授けたと言われる仙人である。土という土を最も理解する彼は、人形師としても名高い。彼の造る泥人は、人と区別がつかないほどで、涙を流し血も通うと言う。

『命の土』を扱うこの集落では、最も馴染み深い名前だ。

 スレンは、驚き呆れるツェツェクと衛士を交互に見た。

「俺は名前しか聞いたことがないんだが……そんなに、凄い奴なのか」

「凄いです。そして、有名です。彼の位階は天師様に次ぐ位を冠し、名実ともに五本の指に入る仙人の一人です」

 異能者の中で、二番目に高い肩書きである。

「あたしも知ってる。仕事・人間・努力が死ぬほど嫌いな仙人様で、ずぼらで高慢ちきで人の話を聞かないんでしょ」

 ドルジは、上司に当たる人物の余りに酷い評価に、肩をすくめながらも否定はしなかった。

「ツェツェクさんが言うことの真偽はともかく、人形師としての腕前は確かですよ。僕も直にはお会いしたことがないんですけど。……と、言う訳でこれで報告はおしまいです。窮奇に出会った場合は、考えるまでもなく逃げること。僕ら程度の異能者なんて、出会った瞬間に、生気を奪われて細切れメンチでしょうけど」

 ツェツェクが頭を抱えて大きなため息を漏らす。

「何だって食べンのさ。食べるのは好きだけど、食べられるのは嫌だよぅ」

「窮奇は陰気の塊……陽の気ばかりの空間に耐えられる身体じゃないから、私たちの生命活動を支えるエネルギーを吸い取るの。姿を維持するために、絶えず生気を外から摂取し続けなければならない」

「こっちにいるため? そんな苦労すんだったら大人しく陰界に戻れっての!!」

 もっともだとドルジとトーヤは静かに頷く。と、衛士が難しい顔で呟いた。

「じゃぁ、あの噂は本物だったのかもなあ」

「噂、ですか?」

 それに、ドルジの目がスッと細まる。

「そーなんだよ。清の方でさ、巨大な怪鳥が見かけられたって話。人間の町みたいだけど、容赦なくてさ。一夜にして、町人全てが切り刻まれて惨殺………その現場からフラフラ~っと少女が去っていった、なーんて聞いたんだけど。もしかして、窮奇がその女の子に潜伏してたりして?」

「そんな話があったんですか。それだけじゃ判断つきませんが……陸続きのことですし、ちょっと心配ですね」

 どんよりと、重たい空気が落ちる。

 鬼が狙うのは、ただの人間よりも異能者である確率が非常に高い。

 そして、異能者の内でも力の強い者に魅かれる習性がある。

 それにも関らず、窮奇はわざわざ人間の町を襲った……より良質で大量の『生気』―――生命エネルギーを求める鬼の尺度からはずれている。無差別に襲っているのかもしれない。それは、異能者の内でも、力のないこの集落ですら標的にされることがありうる、ということだった。

「何か、みんな、暗いよ?」

 言葉に、衛士はあきれ果てたようにツェツェクを見た。

「あまり明るくなれる話題じゃないよねえ。ただでさえ、冬が明けずに食糧難になりそうだってゆうのに」

 プツンと音がして、ツェツェクの何かが切れた。

 彼女は力強く立ち上がると、全員をたたきつけるように鋭い目で見まわし大仰に腕を組んで頷いた。

「こうゆう時は、やっぱり、パアッと明るい話題でも作ろう。作らなきゃだめだ!!」

 それから、横でチーズに手を伸ばしていたスレンの手をがっしと掴みあげる。

「ね、スレン!」

「何だ、急に」

「トーヤも帰って来たんだし、ここらでババンと結婚式挙げンの! 幸せパワーでみんな引っ張って冬乗り越えるんだよ!!」

「は?」

 話について行けないスレンに構わず、ツェツェクはトーヤの手を同じく取った。

 それから、ちょんちょんと二人の指先を合わせる。

「ね、どう? お似合いの二人だと思わない?」

 一拍の沈黙の後、頬に朱を走らせたスレンが、唇を戦慄かせて吠える。

「馬鹿言うな!! 意味がわからん!! お前は何だってそう……」

「良いじゃん良いじゃん。お互い、好き合ってンだし」

「どこをどう見たらそうなるんだ!?」

 ツェツェクの手から逃れようと身をよじったスレンに、衛士の恨めしげな視線が投げられた。

「紹介してくれるって言ってたのは嘘だったんだ」

「エージ!? お前まで何言って……! そもそもそんな話何処で何時した!?」

 ピーッとやかんの沸く音が聞こえてきそうなほど、スレンは耳まで赤くなった。

 と、

「困るわ」

 柔和な笑みでトーヤは、けれどハッキリと拒絶の言葉を口にした。

「スレンくんと結婚なんて、考えたこともないわよ」

 戸惑ったのはツェツェクである。

 同じく頬を染めて慌てふためく友人を予想していた彼女は予想外のことに言葉を失った。

「え、ええ? でも、だって……」

 白けた気まずい沈黙がよどむ。

 スレンはツェツェクの腕を振り払うと、いつもと変わらない落ち着き払った声で告げた。

「残念だったな。しばらく辛気臭い集落で我慢してろ」

 けれど、そっぽを向いた横顔はあからさまに傷ついていた。

 ツェツェクは、自分の浅慮が招いた事態にしょんぼりして肩を落とす。

「あ、えっと、……………ごめん」

「…はい、どうぞ。ツェツェクさん」

 大人しく席についた彼女の横から、ドルジは何気ない様子で、肉を差し出した。

 自分は、何も見なかったように、泥人の差し出した小皿から包み物を取り上げて口に放る。

「え? え?」

 皿を受け取ったツェツェクが意味することを取りかねていると、すかさず衛士が翻訳してくれた。

「君のお口には、おしゃべりより肉の方が似合ってるよ」

「な、何よ、それー!! ど、どうせ、あたしは肉のことしか頭にないよ!」

 キッと睨みつける彼女に、ドルジは慌てて手を顔の前で振った。

「いや、そういう訳じゃなく……で、でも、肉のことしか頭になくたっていーじゃないですか! だからこんなに美味しいお料理作れるんでしょ? 僕、ツェツェクさんのお料理、大好きなんです。食べるとふわ~って嫌なこと忘れるってゆーか、落ち込んでも元気になれるってゆーか……」

 あからさまに話題を変えられたのだが、至極真面目に説得に挑む少年に、ツェツェクの拳は宙を彷徨った。

 それから、ひしっと肉の乗っかる皿を掴むと疑わしげな視線を投げる。

「だ、だからって……こ、これはあげないぞ」

「…………いりませんよ」

 ドルジは一瞬ポカンとしてから、ふっと自嘲の笑みを浮かべると肩を落とした。

「作って貰ってばかりじゃ申し訳ないし、私も何か手伝おうかしら」

「作らなくていいです!!」

「それだけはやめて!」

 重なった二人の悲鳴に、トーヤは唇をキュッと引き結んで恨めしげな視線を投げる。

「どうしてよ」

「トーヤの料理はちょっと独特すぎってゆーか……うん、あたし、料理すんの好きだから、トーヤは、……そうだ! 手品でいいじゃん、手品!」

「ぼ、僕もトーヤさんの手品見たいです!!」

 あからさまな態度である。トーヤは不機嫌そうに俯いた。

「どーせ、下手だもん」

「練習したらいい」

 皿の肉をつつきながら、スレンはぶっきらぼうに告げた。

 ツェツェクの眦が持ち上がった。

「……ちょっと、誰が練習台になるつもりよ?」

「はいはいはーい! 俺! 俺が練習台になっちゃうよー」

 衛士の自己推薦は華麗に無視される。

「練習、か……」

 トーヤは、遠い優しげな過去を思い出すように、掌を見つめた。

 切なげな甘い横顔は、儚げで、……ぞくりとするほど艶めかしかった。

「懐かしいな。三年前まで、スレンくん、掛かりっきりで弓、教えてくれたのよね。ずっと触ってないから、もう出来ないかもしれないけど……ちょっと、嬉しかったんだ」

「すぐ思い出す」

 スレンの言葉に、彼女は朗らかに笑んだ。

「また、教えてくれる?」

「時間があったらな」

「ありがとう」

 スレンは決してトーヤを見なかった。

 けれど、いつもは不機嫌そうに下がっている口角が少しだけ持ち上げられていた。

 ほんのりと頬が赤みを帯びているのは、酒のせいだけではないだろう。

 その横顔に、ツェツェクの瞳が揺れた。

「………………あ。私、嬉しくって」

「どうした?」

 トーヤは突然、胸元へ手をやると蹲った。病み上がりの彼女を心配したスレンが屈んで覗きこむと、

「花が咲いちゃった! ついでにぃ……鳩も出ちゃいまーす!」

 トーヤは、バッと勢いよく身体を持ち上げ、両の手を振り上げた。

 くるりとひっくり返した掌からいつもの小さな赤い花が零れ落ち、袖口から縫い目の荒い白い鳥の縫ぐるみがポンっと飛び出した。

 呆気にとられる室内で、トーヤはハッと脇に蹲るスレンを見降ろした。

「って、キャー!? スレンくん、大丈夫!?」

 振り上げた手が、思い切りスレンの顎を直撃したのだった。

 衛士は引きつった笑いを浮かべて、トーヤをしみじみと眺めた。

「酔ってる、って訳じゃないんだ……。トーヤちゃんって、変わってるね。普通にしてたら可愛いのに」

「その言葉が、彼女をあんなふうにさせたのよ」

 ツェツェクは肩を落として、友人を見やった。

お読みくださり、ありがとうございます!

毎日更新予定です。宜しくお願いします!!

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