「泥人(ニーレン)」(2)
「どうかしたんですか?」
―――突然、脇から腕を掴まれた。
見ると、幼い少年が気遣わしげにスレンを見上げていた。薄い茶色の柔らかい髪が、不安を表わすように、揺れる。
視界の端で、ストーブの火が赤々と燃えていた。
室の中心に置かれるその真上には、丸い天窓が、突き上げられるように二本の柱に支えられ、少ないながらも太陽の光を招き入れている。日差しで時を計れば、二時をまわった辺りだと見当がついた。
円い室に骨組みが剥き出した壁、蒼で統一された寝具、そして……スレンは、刺繍の散りばめられた絨毯に座りこむ、五・六人の男女を認めてギョッとした。
縋るように、訝しむように見つめてくる彼らから逃げるように身をよじると、再び、幼い少年へと視線を戻す。
霧が晴れてゆくように、思考が機能し始める。
「………………ドルジ?」
少年の名前を呼ぶと、スレンはそこで一気に現実へと引き戻された。
と同時に、今にも死んでしまいたいほどの羞恥心が全身を駆け廻る。
大切な儀式―――死者の霊魂をあの世から呼び出す反魂の儀式の最中だったのだ。
自分には身に余る大役の途中に、他に意識を奪われるなんて……!
目前の、小さな台に安置された親指大の玉石は、すでに眩いばかりに輝いていた。それは、魂を受け入れる体勢の出来ている証。
「わ、悪い…………開通冥路!」
呪とともに掌で包みこんだ親指の関節をパキリと鳴らす。
大地がボコッボコッと音を立てて沸き立ち、やがて、人型に盛り上がった。
次いで、玉石にひびが入り、太陽と同じ色をした小鳥が生まれ出でる。
それが羽を広げ裏返るように光に呑みこまれると、破裂した紫銀の火花と共に、宙に渦巻く穴が出現した。冥界への扉が開く。
ドルジは幼い顔を引き締めると、凛とした透き通る声を張り上げた。
「神虎牒は発せられました。何・喬二大将軍! 彼の者の魂を、遺漏なくかき集めてください!」
眩い光の中、鎧に身を包んだ厳つい二人の軍人がゆらゆら浮かび上がり、慇懃に頭を下げて姿を消した。
ドルジが手にしていた筆を振り上げると、七色の光が、筆先から零れ落ちる。
「開光点眼!!」
ドルジは、筆でもって、土人形に目を書き入れた。
すると、土の表面が泡立ち始め、気泡が破裂するときめ細かい人の肌が生まれた。
泥の塊だったものが、みるみるうちに、命に彩られてゆく。
わあ、とスレンの背後で歓喜の声が起こった。
目の前で、露わに肢体を投げ出していたのは、どこからどう見ても、一人の少女だった。
目元の皮膚が引きつり、瞼が恐る恐る持ちあがる。
眩しそうにすがめたその娘に、ドルジが優しく声をかけた。
「おかげんは、いかがですか? どこか、不自由なところは?」
少女は、二度ほど驚いたように瞬きをして、それから自分のあられもない姿を知ると、頬にパッと朱を走らせた。
「大丈夫みたいですよ」
苦笑したドルジに、中年の男と女が足早に座から立ち上がると、まろぶようにして彼女に駆け寄った。服をかけてやり、震える指先で少女の頬に躊躇いがちに触れてから、力強く彼女を抱きしめる。
「あ、ありがとうございます、ありがとうございます……!」
涙と共に繰り返される謝辞に、柔らかな微笑みで答えるドルジの後ろで、スレンは口中に溜まった緊張を一気に吐き出した。儀式は無事成功をおさめ、生み出された死者の霊魂を宿す人形―――『泥人』に問題はなさそうだ。
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