ウサミミ紳士の泥人形(2)
馬に合わせて、ウサギの耳も揺れていた。
ロバのようにゆっくりと歩む馬上では、意気揚々と紳士が鼻歌まじりに手綱を握っている。
スレンは、隙だらけの背に肩すかしをくらった気分になった。
ドルジの仇、と憎みきるには、余りにこの紳士は滅茶苦茶なのだ。
穴の空いた風船に空気を送り込むような……ひゅろろ、と不景気な音をこぼして怒りが呆れに溶け込んでしまう。
スレンを害そうとする気は皆無のようで、武器であろう傘を無造作に腰にぶらさげたさまは、完全にスレンを信用しているのか、気にもせず嘗め切っているかのどちらかだった。
「もう少し、早く走れないのか」
「乗せてもらってる分際で、なまいきだぞ」
「……悪い」
再び、とんちんかんな鼻歌が奏でられる。
スレンは、その背をじつと見つめた。訊きたいことは山ほどあった。
「あんたさ、何者なんだよ」
「天才人形師だ。小うるさい女どもは、僕をネイ様と呼ぶ」
スレンはどっかで聞いたような名前に首を捻った。ここ最近聞いた覚えがあったが、思い出せない。
「君は元気でやっているようだな」
「は?」
と、まるで要領を得ない言葉が降った。
もとより知っているかのような言い草だったが、身に覚えのないスレンは、訝しげに眉を顰める。
「何だ、は? というのは。自殺志願しようが、元気じゃないか」
「……あんた、俺を知ってるのか」
「知っているとも」
「俺は、あんたを知らない」
「僕も君の名前は知らない」
会話にならない。
スレンは、大きなため息を吐いた。
ゆるゆると馬は進んでゆく。
もう、辺りは暗くなりかけ、陰の者が活発になる時間帯を迎えつつあった。
スレンは、無意識のうちに、衛士から貰った符をポケットの上から触れる。
気がつけば、奇天烈な紳士への警戒は薄れていた。
それは全くもって危険なことだと理解はしていたが、スレンにはどうしても、この男が鬼を操り人を襲わせたとは考えられなかった。
「あんた、本当に、祭壇に鬼を集める符を置いていったんじゃないのか」
「壊したのは僕だが……符は読めるが書けないもの。それに、残ってる気から察するに……君らを襲った本当の敵は『蟲』だ。カモフラージュに弱い鬼を大勢集めて、混乱したところを攻撃、生気を吸い取る……なーんて、蟲の常套手段だ」
聞きなれない言葉に、スレンは眉根を寄せた。
「蟲?」
「鬼は陰からやって来た陰気、蟲は陽に留められた陰気だ」
「さっぱりわからん」
スレンは額を抑えた。
「三蟲も知らんのか。人の成長・活動をつかさどる根源的なエネルギーには、魂・魄という二つのものがある。人が死ぬと、『魂』は天へ帰り、『魄』は地に帰るのだ。その天へと帰ろうとする『魂』に潜んでいる、三つの蟲を三蟲という。奴らは、いろいろ使い勝手がよくてな。生きているうちに、土に留めて捏ねれば死者の霊を呼びいれる依代になるのだ」
「それが、泥人? 生きているうちっていうのは、まさか、人を生き埋めに―――?」
「だから、反魂は禁忌とされている」
そっけない答えに、スレンは、口元を手で覆った。
「そして、蟲にきちんと封をせねば、奴らは腹のすくまま生気を求めて生き物を襲うようになる。それを利用して、鬼を飼ったりもするのだ。陰界の者を此方に定着させるため、必要な生気を三蟲に集めさせてな」
何かがスレンの頭の中で引っかかったが、その正体に辿りつく前に、ネイがふん、と鼻息荒く言葉を続けた。
「どうせ、君らが襲われたというのも、どっかの阿呆人形師の封印が破れたせいだろう。散歩中、狂犬がリード外して逃げ出したようなもんだ。今頃、その泥人に寄生する蟲は、あっちゃこっちゃで暴れているやもしれん」
「この辺りの集落にはもう、人形はいない」
先日、ドルジが作り出した泥人は、この集落から遠く離れた地へと戻っていった。その他に、この地域に泥人はいないはずだった。唯一いた人形も昨晩に壊れてしまったのだから。
ネイは、呆れたというふうに肩をすぼめた。
「あああ面倒だな。いいかい少年。君が知れないだけで、人形は他にもいるに決まってるだろ」
「あんた、分かるのか?」
「分からないよ」
「なら、どうして人形が他にいるなんて言えるんだ!?」
頭痛を感じて、苛立たしげにスレンは声を荒げた。
ネイは馬の鼻息のような吐息を漏らした。
「よく聞きたまえよ、ド素人くん。僕のような人形師たちはね、『どれだけ人間と同じに出来るか』で競っているんだ。生きた人間から三蟲が抜け出し、他の生き物を襲うことはまずありえない。だから、今回、君らを襲ったのは泥人、ということは分かるだろう。蟲が長く抜け出せば質の悪い泥人は人型を保てなくなるが、今回の泥人は未だに逃げ続けている……ならば、人間と区別が出来ないほど精巧な人形が、犯人だろうな」
「……人間と同じ? ……痛みを感じる人形も、いるのか?」
スレンは、一瞬呼吸の仕方を忘れた。
脳裏に悪夢が蘇ってちくちくと頭痛を引き起こす。
「いるに決まってるだろうが。素晴らしいものは、体温もあれば涙も血も流れるし、痛みだって本人は感じる」
言葉の一つ一つがスレンの中に落ちて、波紋を広げた。
穴から這い出た、自分。土くれに戻ってゆく自分。
ネイに初めて会った時のことを思い出す。何故、この男は一目みて自分を『人でない』と言い捨てたのか。
そして。
『お前は元気でやっているようだな』
まるで久しい者に会った時のような、さきほどの言葉。
「あんた、俺をどうして知ってるんだ。まさか、俺……に似た人形を、造ったこと、……あるんじゃないか」
「あるよ。こんっな小さな島国でね。ああ、あれは僕の中でも最高の出来だったなあ」
スレンは目を見張った。何かが壊れてゆく音を、耳の奥で聞いた気がした。
「何のためにその人形を造ったんだ」
「きっかけとして」
そこで、ネイは帽子を被り直した。
「余りに大きな力を、生まれながらに持った子供がいたんだ。彼はその力故に、野蛮中の野蛮人――君も知ってる十八子に追いかけられてね。その子は、力を封じられ逃がされることになった。……僕は、その力を解放する鍵として、一体の人形を生みだしたんだ。影武者もかねて、一石二鳥だ」
「…………その、力のある子供は今」
「大陸へ渡って、身を隠した―――っていうのは、表向きで、渡ったのは人形の方さ。敵さんは血眼になって世界中を探しまわってるだろーがね。変に力を封じてしまったから、普通の異能者との区別もつかないし、探索は行き詰まってるだろう。ま、普通に考えれば、家族から離すなんてありえないことだって気づくけど。護るなら自分の手で護りたいだろう?」
スレンは絶句して、語り終えた背を見つめた。
何かに追い立てられる焦り。それは、役目を果たす時が来たのを告げる鐘の音だったのだろうか? 人形は生まれた理由に背くことはない。
外へ行きたい、逃げ出したいと思う自分の感情は、与えられた役目から解放される時を得た、歓喜の声か。
衛士に異様に似すぎている事実が、ゆっくりとスレンの心底ににわだかまって、溶けた。
何故、衛士がここへ来たのか。何故、衛士が二年もここへ留まったのか。するすると、絡んだ糸が解かれてゆく………
「なんだ? お前の集落は、火祭りでもやってるのか」
「………は?」
間の抜けた問いに顔を上げると、確かに集落の方が燃えていた。
「まさか、さっきの今で……? おい、あんた! どうやったら、蟲を倒せる!?」
「本体の人形を壊せばいいだけだが、何だ突然」
「見分けられないんだろうが!! どうやってっ……」
「血の味を覚えているのなら、本性を出すのも時間の問題だ。『殺して喰いたい、喰いたいよお』と触れれば声が聞こえるほどに、興奮しているからな」
「何だって!?」
「な、なんだ?」
馬から転げ落ちそうになりながら、スレンはネイの肩を強く掴んだ。
「三蟲ってのは、人形でなく……捏ねる前の土からも抜け出すのか」
「抜け出すとも。だが、普通、掘り起こされた後に、呪の施された場所へ安置されるはずだが」
衛士の困った顔が脳裏を横切る。
「持ち歩いてる奴が、いた」
先程の戦闘を思い出す。鬼たちに感じた違和感。まるで、刃を向けた相手に戸惑っているかのような怯え方。
胸が早鐘を打つ。嫌な、嫌な予感。
(衛士が用のあるのは、俺だけの……はずだ。何故―――)
「スレンッ!!」
と、空気を裂く悲鳴と共に、馬の背にしがみつくようにしてやってきた人物があった。
「兄さん!? どうしたんだ、その怪我は……」
彼は、目でスレンの言葉を制した。
馬の背を、滴り落ちる真っ赤な血、見覚えのある傷………。ドルジと同じように腹部に空いた丸い穴からどくどくと脈打つように血が溢れていた。
「俺のことはいい。聞け、スレン。集落には戻るな。このまま、出てゆけ」
「何、言って……」
「お前が出て行こうとしてたのは、知ってるんだ。俺も、親父も、引き留めはしない。さあ、行け!!」
スレンの震える唇が問う。
「…………集落で、何が、あった?」
「お前が気にすることじゃぁない」
「何があったんだって聞いてるんだ!!」
兄は苦しげに顔を顰めた。
スレンの問いに、彼はハッキリと答えた。
「気にしなくてもいいんだ。もう、誰も残ってはいないのだから」
「なっ……」
声をなくす弟に、彼はきつく目を閉じると首を振った。
「行くんだ、スレン…………お前は、逃げ切れる。あの子は俺に気づかなかった………」
言葉は、もう彼には聞こえていなかった。
スレンは、ネイの腰にぶら下げていた傘をひったくると、バッと開いて逆さにし、その中へと飛び降りる。
「あ、おい、お前、僕の傘を……!!」
スレンの姿は、すでに土中へと潜ってしまっていた。
虚空をかいた手を、苛立たしげに握ると、ネイは太股へ打ち付けた。
「……これだから、人間は嫌いなんだ!! ああ、不愉快だ!!」
それから、馬の上で言葉ない怪我人へビシッと指差すと、命じた。
「おい、お前。僕をあの集落まで乗せて行け。全速力でだ。弟の失態は兄であるお前が償うべき……って、おい? 死んだのか?」
馬を抱きしめるように俯いた男はピクリとも動かない。
不安げに小さな鳴き声をあげて、馬がたたらを踏んだ。
ぶらりと落ちた手の指先が、みるみるうちに色を失くしてゆく。
「………………これは」
ネイは馬上で事切れたモノを見つめて、目を細めた。
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