ウサミミ紳士の泥人形(1)
日が傾き、辺りにはぼんやりと薄暗闇の膜が降り始めた。
身体がしんしんと冷えてゆく。
火でも起こそうかと考えてやめた。
何だか酷く疲れて、何もしたいとは思えなかった。
ドルジの遺骸を押し付けて、自分はこんなところでしょぼくれている。
それが、滑稽で悲しかった。
衛士は、ツェツェクやトーヤに何と言っただろう? 集落の者は、どれほど悲しんでいるだろう。
…………どうして、死んだのが、自分でなかったのか。
結局、何の役にも立てないなら、役立つ者の身代わりになった方がずっと―――
そこまで考えてスレンは、頭を振った。
どれも、これも、愚かな考えだった。何一つ、前には進まない。
「また、逃げられた!! ……鳥は陸をピョコピョコ走ると相場が決まっているだろうに!」
と、背後から聞こえた声に、スレンはぎょっとして振り返った。
「あんたは……昨日の」
忘れもしない。
レースをあちこちに散りばめた、燕尾服。シルクハットのウサギの耳。
そこに忽然と現れたのは奇天烈紳士だった。
彼は怒りのままに、手にしていた傘を、ぶんぶん振り回して、地へと投げつけて足で踏みつけている。余程材質の良いもので作られているのだろう。壊れないのが不思議だ。
「ん? 自殺志願か? 少年」
と、肩でぜいぜい息をした彼は、スレンに気づいて悠長に尋ねた。
心に小波が立つ。
祭壇が壊されたが故に、鬼がやってきた。そして、そのせいで、友人が死んだ。
……死んでしまった。
「わっ……突然、何するんだ」
突然殴りつけたのにも関わらず、紳士は形の良い目をちょっと見開いただけで、軽々とスレンの拳を避けた。
「お前のせいで、ドルジが……!!」
「そんな、へなちょこパンチが効くかあ!」
あっさりと、突き出した拳はいなされ、逆に捻りあげられてしまう。しばらく、もがき続けるも、びくともしない。
「野蛮な奴め。これだから、人間は嫌いなんだ……おや? その顔、最近会った気がするぞ。君は誰だ」
スレンは、美しいその彫像のような顔を睨みつけた。
ガラス色の瞳が何かを思い出すように焦点をぼかし揺れる。
「…………俺は」
「いや、名乗らなくていい。どーせ、覚えないから」
紳士は肩を竦めてスレンを放り投げた。
地に尻もちをついたスレンは、もう立ち上がりもしなかった。何もかも投げ出すように、肢体を投げて地に寝転がる。
殺す気なら、さっさと殺せばいい、そんな叫びを全身で表して。
「お前が……お前が呼び寄せた鬼のせいで、仲間が一人死んだ」
ぽつり、と呟かれた言葉に紳士は起用に片眉を持ち上げた。
「呼び寄せる? 鬼を? 僕が? 何だってそんな得にならないことをしなけりゃならん」
スレンは怒って上半身を起こし、地面を殴った。
「聞きたいのは、こっちだ! 十八子!!」
予想外の言葉だったのだろう。呆気に取られた男だったが、みるみるうちに渋面になる。
それから、これ以上顰められないほど苦い顔をして、彼はスレンの胸倉を掴んで上下に揺さぶった。
「十八子? な、何て不愉快なことをいうガキなんだ!! いいか、この僕が、野蛮中の野蛮人に見えるのか!? よおっく、その目かっぽじって僕を見ろ! 溢れ出る、この清浄な気を!!」
ぴょこん、とシルクハットから生えるウサギの耳が揺れた。
………スレンは、泣きそうな顔になった。
余りに今の自分には、そのウサミミは目に痛かった。
悲壮感も何もあったものではない。
悲しくって苛立たしくって、こんな自分が嫌で、情けなくって……、渦巻く感情を辺り構わずぶちまけてしまいたいのに、相手は何処か別の次元にいる。
混乱のせいで涙腺が緩んだ。
「おい。十八子に見えるか? 答えなさい」
黙りこくったスレンに、男は低く尋ねた。
麗しい顔を、頭突きと共にスレンの額にくっつけてガンを飛ばす。
スレンは、ぐっと歯を食いしばると短く答えた。
「……見えない」
再び地に放られた。
「よし。……ところで、自殺志願の少年、君はここで何してるんだい? まさか、本当に自殺志願?」
「……………………迎えを待ってる」
「馬鹿だなぁ。そこに馬があるだろう」
紳士は、げらげら笑ってスレンの肩を強く叩いた。
「乗れないんだ」
肩を震わせて告げた言葉に、一瞬、紳士はきょとんとした。
それから、嬉しそうにニヤニヤ笑うと、顎に手をやって頷いた。
「そうかそうか。なら、僕が乗せてやろう」
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