別れは突然に(2)
叩きつけるような風が、耳の横をゴオゴオと走り抜ける。
土埃を蹴立てて疾駆する馬から振り落とされないよう、スレンは、衛士にしがみついていた。上下運動に尻は擦り切れ、怪我が治っていなければ、今頃、痛みにもんどりうって転げ回っていたかもしれない。
「俺が、泥人だと言ったら……お前、笑うか?」
風の音に負けぬよう、スレンは声を張り上げた。舌を噛みそうになって、慌てて口をつぐむ。
「何? 何だって?」
衛士は少しだけ速度を弱めて、問い返した。
「俺は……人形なんじゃないだろうか、って言ったんだよ」
「一体どこからそんな考えが出ちゃうのさ。まさか、ツェツェクちゃんの言ったこと気にしてるの?」
「いや……夢を見ると言っただろう? その夢で、俺は泥人なんだよ。それに、昨晩あった男が、俺を見て『人じゃない』って言ったんだ……。もしかしたら、って…………」
衛士は、手綱を引くふりをしてスレンの腹部に軽く肘を打ちつけた。
「痛っ」
「ね? 痛いでしょ。……人形って痛みとか感じると思う?」
スレンは、昨夜鬼たちに食いちぎられた泥人を思い浮かべた。
痛みがあったとしたら、などとは考えたくはない。
咳き込んだスレンの、恨めしげな視線を感じて衛士は苦笑した。けれど、すぐにその笑いを引っ込めたかと思うと、静かな落ち着いた声が風に流れた。
「それにさ、人形だったら何がいけないの? 君は今、ここにいて、ちゃんと生きてる。今が真実で、それに満足してれば何者だっていいじゃない」
確固とした信念のある、言葉だった。
「そうかもしれないが……」
「あとさ~、君は、僕と同じ矢背の者だって言っただろ? 人間だよ、人間」
―――喰イタイ。喰イタイヨオ。
と、大きく揺れた拍子に、脳内にわんわんと響いた欲望にスレンはぎょっとした。
「お前、何を持ってる!?」
「え、どしたの突然…………うひゃっ」
スレンは、問答無用で衛士の上着のポケットへ手を突っ込み、中の物を取り出した。ヒンヤリと不吉に湿り、ゴツゴツと角ばったそれは―――
「……『命の土』? お前」
疑わしげに睨みつけたスレンに、衛士はあたふたした。
怪しいこと、この上ない。
「や、やだな、これは……貰ったものだよ。清に寄った時に、お坊さんに貰って……パクったりなんてしないよ!」
「生き返らせたい奴でもいるのか」
意外なことに、スレンはあっさりとそれをポケットに戻した。
「い、いないこともないけどさ……」
しつこく問い詰められると思った衛士は、ちょっと目を見開いた。
それから、ふと、遠くを見つめた。
スレンはその沈黙の続きを待つ。
「お二人とも、祭壇が見えてきましたよ!!」
と、前方を行っていたドルジが振りかえり、大声を張り上げて手を振っていた。
草の民は、地域において神聖視される山や小高い丘、湖のほとりに石などを積み上げた質素な祭壇を造り、地域の安全、家族・家畜の無病息災などを祈願する。
そこを通る人や旅に出る者が、更に石や物を積み上げて旅先の無事を祈る。
祭壇は年々体積を増すかと思いきや、不思議なことに作られた時のまま小じんまりとして、変わることがない。
スレンらは、小高い丘に辿りついた。
積み上げられていたであろう、石が無残にも散乱し、供えられたヒーモリと呼ばれる祈りの旗は、中心から二つに折れていた。
「完全に壊されてるねぇ。気づかないもの?」
「参拝の習慣がないからな」
「ご丁寧に、呼び寄せの符まで置いていってありますよ」
ドルジは、散らばる石の間に紙きれが落ちているのを見つけると、手に取り、乱暴に切り裂いた。
「やはり、あの男、なのか?」
スレンは、顎に手をやって唸った。
怪しいと言えば怪しい。
だが、あの見目と、集落の者を襲わせるという悪行が結びつかない気がした。
と、衛士に腕をひかれてスレンは、辺りに嫌な気配が満ちているのに気づいた。
「こりもせずに、来たね」
「待ってた、ってことでしょうか? ですが、もう属性はわれてるんです。昨日のようには、行きませんよ」
厳しい目付きでドルジは前方を睨み据えた。黒い霧のようなものが土から噴き出すと、三人の目の前で大きく淀み―――影が生まれた。
鬼は、獲物を認めると、低く喉を鳴らした。
くわっと裂けた口から、黄色く汚れた唾液が滴り落ち、大地を腐敗させる。
異臭が辺りに満ちる。
様子見をするように、鬼らは三人と距離を取って対峙していた。
(何だ……?)
スレンは、違和感に眉を顰めた。
鬼らは、間合いの内へ足を踏み入れようとはしない。
昨晩、なりふり構わず踊りかかってきたのと正反対である。
警戒……と言うよりかは、怯えに近い。けれど、何に怯えるというのか。
「スレンさん、僕が金気を煉ってあなたの水気に働きかけます。起爆剤だと考えていただければ結構。最大限あなたの水気を引き出すつもりです。それを、エージさんへ与えてください」
ドルジは強張った面持ちのまま、けれどはっきりと告げた。
木の相生関係にある水、そして、水の相生関係にある金……ドルジが練った金気によって、スレンの水気を活性化し、更に衛士の木気を増強する。
「分かった」
深く頷いたスレンの脇で、ドルジが手印を結び低く呪う。
衛士はすでに駆けだしていた。
「此水不是非凡水、北方壬癸水、百鬼消除……」
陸に触れた足に微熱を感じたかと思うと、次の瞬間、脳天を突き抜ける充足感が手足の先まで満ちた。血が沸騰したように、身体が熱い。
スレンは高まった水気を、自身の中心に集めるよう念じた。
熱が飛ぶように一点へと集中する―――
「………受け取れ、エージ」
手を翳し、友人の背へと力を放つ。
「天円地方、律令九章、吾今下筆、万鬼伏蔵……」
淡く光に包まれた衛士が、素早く指先を宙へと走らせた。
光る字が揺らめく。ダンッと地を蹴って飛んだ衛士は叫んだ。
「急々、如律令!!」
大地が揺らいで、縦横無尽に走る根を引き抜いたように、地に深い亀裂が入った。そして、輝く蔦が出現したかと思うと、有無を言わせず鬼らに絡みつき、握りつぶす。
声にならない断末魔の悲鳴が迸った。
「っ……何て、力だ」
スレンは、呻くと呆けたようにその場に尻もちをついた。
半日ほども走り続けたような疲労感がドッと押し寄せてくる。足に全く力が入らない。
どでかい腕が、身体の中身を一気に引き抜いていったかのような感覚。
浅く呼吸を繰り返し、額に流れる冷たい嫌な汗を拭った頃には、大地は、すでに元通りに戻っていた。
「終わったのか………」
「ええ。木端微塵ですよ。さすがです、エージさん」
何事もなかったかのように、衛士は酒瓶を傾けている。
ドルジは、先程まで鬼らがうろついていた場にたどり着くと、厳しげな表情で腕を組んだ。
「ですが、一体何だったんでしょうか。これで終わりなのか、それとも……………っ!?」
どさり、前触れもなくドルジが、その場に倒れ込んだ。
「ドルジ!?」
嫌な予感がスレンを襲う。
ビュンッと空気を裂く音が右脇を走ったかと思うと、すぐ背後で、醜い悲鳴が上がった。
振り返れば、先程と同じく地から生えた衛士の蔦が、ぐるぐると何者かに絡みつき大木が生み出されている。
「スレン、そのまま下がって伏せて」
衛士が、厳しい表情で翳した手をクイッと上へ向ける。更に恐ろしい悲鳴が上がった。
けれど。
ぶちぶちぶちぶちっ
蔦を千切り、顔を覗かせたのは、昨晩初めに襲いかかって来た、牛の頭部を持った白い化け物だった。
「足りない? そんなはずは……急々如律令!!」
先程よりも大きい光の渦が現れ、網膜を焼きながら光が弾ける。
「んな!? ……す、吸いこんだ!?」
衛士の唇からぎょっとした声が漏れた。
いななき棹立ちになったその白い化け物の腹が一文字に裂け、そこへ衛士の生み出した光が吸い込まれたのだ。
化け物はクルリと仰向けに倒れ、頭と足を使って橋状に身体を支えた。
と、裂けた腹部から、ずるり、ずるり、とその中身が地に落ちた。
化け物よりも更に白く、銀に近い液体のようなそれは、ふるふると震え、次第に上へと体積を増してゆく。
驚愕した衛士を、次の瞬間、目にも止まらぬ速さで突進してきた牛の化け物が吹っ飛ばした。
「あうっ……!!」
「エージ!?」
土埃を上げて滑った衛士は、すぐに身を起そうとして地に膝をついた。
頭でも打ったのか、ふらりと危うげに足をもつれさせる。
化け物は、おもむろに衛士へと歩みを進める。
スレンは、笑う下半身を叱咤して、気力を振り絞って腰に下げていたナイフを投げた。
全く効かないのは、予想済みだった。それでも、意識さえ衛士から反らせられれば……最後に残るのが役立たずの自分でなく、衛士ならば……それが、一番ましな結果をもたらすのだと、結論づけたが故の行動だった。
ナイフは、軽い音を立てて白い化け物の尻に突き刺さった。
振り向いた化け物に、もう一本。……右目に命中する。
(これで完全に腹、立っただろう?)
けれど、殺気は別方向から飛んで来た。
「……こっちが!?」
地に落ちて、震えていた緩い液体のような塊が、宙を飛んでいた。
一瞬で間合いをつめて来る。
頭痛を催す匂いが吹きこみ、それは、スレンの目前で磯巾着のように開いた。
ささやかな抵抗にも満たない、震える手で投げた最後のナイフは、それに触れると、ギィンッと甲高い音を立てて弾かれる。
(は、速い…………!!)
飲みこまれる、そう覚悟した時。
グリンッと自分の身体が、その化け物を飲み込んだ―――かのような衝撃がスレンを襲った。
黒い水の膜がスレンを取り囲み、その攻撃を防いでいたのだ。
膜の表面が泡立ち始め、するすると、目前の敵に黒い水が駆けあがってゆき、それを引き込もうと戦慄く。
がああああああああああああっ
悲鳴を上げて、白銀の化け物は飛び退った。
地をスルスルと素早く這い、今にも衛士を食い千切ろうとしていた化け物の身体に潜り込む。
それと同時に、白い化け物も一度大きく雄たけびを上げると地へと潜り込んでしまった。
風が頬を突き刺す。もう、空間に歪みはなかった。完全に、陰気は散ったようだった。
「ドルジ!?」
間髪いれずにスレンは、吐き気さえ感じるほどの緊張を振り切って地に伏したまま動かない友人に駆け寄った。
「おい、ドルジ!? 目を開けろ、ドルジ!!」
乱暴に身体を抱き起こす。
少年の身体はびっしょりと血に赤く濡れていた。
グッと何かに耐えるようにきつく閉じられた目、引き結んだ黒ずんだ唇……ぽっかりと胸に空いた穴からは、未だに血が流れ出ているのに、命の兆しは見えない。
スレンは、友人の白い横顔を茫然と見下ろした。
「嘘だ……」
まだ、ぬくもりは残っているのに。
「スレン」
呼びかけられて振り返ると、衛士が静かに首を横に振った。
悔しげに眉根を寄せて、瞑目したそのさまが全てを語る。
「嘘だ!」
スレンは、ドルジの肩を幾度も強く揺さぶった。
けれど、瞼が持ち上げられることはついぞなかった。
「う、嘘だ……目を開けろ! こんな、こんな簡単に………っ」
さっきまで、笑っていた。さっきまで、馬に乗るほど元気で……昨晩は一緒に酒を交わしたはずだ。
それなのに、もう、彼はいないのだと衛士は言う。
スレンは、小さな亡骸を抱きしめた。
スレンが僻みったらしく言うのに、困ったように笑うだけで、いつだって否定的な言葉を吐いたことはなかった、優しい友人。……ツェツェクを切なげに、寂しげに追いかける瞳がまざまざと思い浮かぶ。
「………………嘘だ」
スレンは、震える拳で顔を覆った。
突然訪れた非日常。そして、自分はそれに………わくわくしてはいなかったろうか?
「俺、は……ただ」
まさか、誰かが死ぬとは思わなかった。
ちょっとスリリングな事件があって、それを解決して、宴が催され……また、つまらない日常が来る。
その事件は、集落を出るスレンにとって、思い出と準備の一つになるはずだった。
矢背の者らと共に、十八子と闘う自分が、この日を懐かしく思う日が来るのだと。
『生き残った者はたったの六人』
衛士の言葉が、重く胃の腑に落ちた。そして、恐怖が全身を駆け廻った。
仕留め損なったあの化け物は、再び襲って来るだろう。
その時、また、誰かが犠牲になるかもしれない―――?
冷たい実感が、身体を硬直させる。
「……スレン、とりあえず、集落に戻ろう」
遺骸を抱いたまま、動かないスレンに衛士は優しく告げた。
スレンは生気のない瞳で衛士を振り仰ぐと、力なく首を振った。
「三人じゃ、馬には乗れない」
「先に送ってくよ」
「ドルジをここに一人置いて?」
「君一人にするなんて、それこそ殺人行為でしょ」
掴まれた腕を、そっとスレンは取り外した。
「大丈夫だ。符も敗れて陰気も散った。それに、まだ日も高い。鬼どもが好き勝手動ける時間帯でもない」
頑なな態度に、衛士は小さなため息を漏らした。
「不安、じゃないの? 俺が迎えにこなかったら、君はここで一人死ぬかもしれない」
「迎えに来るだろ。何を言ってるんだ、お前は」
思いもよらぬ言葉に、スレンが僅かに目を見開くと、衛士の方が、拍子抜けした表情をした。
「……そうだね」
自嘲の笑みを浮かべ、素早い動きで馬に跨った。
それから、ドルジの亡骸を担ぐと、衛士は一枚の符を差し出した。
「持ってて」
「これは……?」
「『呼神霊沢王符』。水龍を召還する符だよ」
「何故、水龍を……」
「君も闘うんだ」
うたれたように顔を上げたスレンを、衛士は覗きこんで力強く笑った。
「ナイフ、弾かれただろう?」
「……更に、お前の木気を飲み込み、俺の水気に怯んだ」
「うん。敵は二体いたって訳だ。一つは、土。もう一つは」
スレンは、衛士の言葉を継いだ。
「―――金。そして水は、金の攻撃を吸収出来る」
「そう……だから、スレンに頼みたいんだよ。水龍を呼び出せば、好物の金気に喜んで飛びつくだろう。ここには火気を扱える者はいないから、飲みこんで散らすしか方法はない」
水気に怯えた、胎児のように体内にいた化け物。
スレンは、その凹凸のない緩やかな液体に似た白い物体を思い出した。
大した破壊力を持っているとは思えなかった。けれど。
酷く、嫌な感じがしたのだ。陥没前の静かな大地が孕む、恐ろしさと同じ……
(俺に、出来るのか?)
スレンは、顔を上げられなかった。
「すぐ……戻ってくるよ。スレン、くれぐれも、気をつけて」
「ああ」
衛士は馬首を翻す。土埃を上げて走り去る友人を見送ってスレンは、地にべったりと跡を残した血を指先でなぞった。
赤は命の色。
血は、土に眠るアレを呼ぶ。悪夢が追いかけてくる。
スレンは、血糊に汚れた指をきつく握った。
……込み上げる恐怖に、身体は震えていた。
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