魔王、らしいです、わたし。
「粗茶ですが」
「あ、いえ、お構いなく」
畳の上で向かい合って。白銀の鎧に身を包む銀髪の女性は、差し出した湯呑みを両手で持って、可愛らしく喉を鳴らした。
「んっ、おいし――って違うわよ! 私勇者! あんた魔王! 敵対関係! 分かる!?」
突然前のめりになった彼女の叫びは、ジパング特有の造りであるワシツに、大きく響いた。
「あの、わたし、魔王なんか、じゃないです……」
対してわたしの声は、響くことなく空しく消えた。
「は、はあっ!? こんな、どんな種族も生きられない土地に城構えて、普通にぴんぴんしてて、そんな馬鹿みたいな魔力持ってて! 髪とか真っ白だし! 全身黒々してるし! それで魔王じゃないならなんだってのよ!?」
「そ、そんなに、怒鳴らないでください。怖い、です」
ただでさえ、生き物と会ったのは今日が初めてなのに。
「あ、ごめん……、ごめん、怒鳴ったりしないから、怯えないで、ね?」
そう言って、彼女は姿勢を戻したけど。
「どうして、震えてるんですか?」
一つ、二つ、三つと間を置いて、ゆっくり顔を上げたその目は意外そうに丸まっていて、やっぱり可愛い。と思う。基準がないから分からない。
「震えて、なんか」
必死に否定しようと自身を抱く彼女は、確かに震えてる。
謁見の間の扉を拳一つで爆砕した人と同一人物だとは、とても思えない。けど同じ人。あんな力を持ってるのに、何が怖いんだろ……?
「ねぇ、私って、やっぱり怖いのかな?」
聞き逃してしまいそうな小さい声に、微かに鼓膜を揺らされた。
「化け物、なのかな? 生まれたら、ダメだったのかな? 生きてたら、いけないのかな?」
鎧が軋む程の力で腕を抱いて、澄んだ蒼い瞳からは涙を流して。わたしより年上であろう彼女が、酷く幼く見えた。
「扉が壊された時は、怖いと思いました」
鎧が跳ねた。
生まれ落ちて七年間、他の何かと関わるのがどうしようもなく怖くて、あの扉だけとびっきり頑丈にした。きっと、百体のどらごんに突撃されても壊れない。
でも、半分安心していた物が、最弱と書かれていた人間一人に破られた。怖いに決まってる。
「殺意のこもった目も、腰にあるかたなも、大きな力も。何もかも、怖い」
彼女の表情が、どんどん歪んでいく。涙も次々と溢れてる。小さなおえつも聞こえる。
「でも、今は、今も怖いですけど、嬉しい、とも、思ってます」
勢いよく顔を上げたのが、視界の端に見えた。
「今日まで、一人きりでしたから。不意に、誰かがいてくれたら、って思うこと、ありますから」
他の生き物が怖いくせに、時々そんな思いに駆られる。寝起きに思った時は、一日中呆けてて。寝付く時だと、かえって眠れなくなって。こんなわたしは、絶対にめんどくさい奴だ。
彼女の瞳から、涙はもう溢れてない。濡れた瞳が光を反射して、きらきらとまぶしい。
「だから、その、生まれたことも、生きてることも、わたしにとっては、助かり、ます」
二、三度目を瞬かせて、
「つまり、誰でも良かったんだね……」
落胆を露わにしながら、湯呑みを取った。
「おいしぃ……、ありがとね」
「……気に入っていただけたなら、差し上げます。いつも、いつの間にか補充されてるので」
「うん、気になるけど、そっちじゃないわね」
首を傾げるわたしの前で、彼女は温かい笑みを浮かべた。
あれから三ヶ月。
「ふぁ~……、あったまるぅ」
「おおはしゃぎでしたもんね。頭から飛び込んだのは、ほんとにびっくりしました」
「まーちゃんこそ駆け回ってたでしょ。……楽しかった? 初めての雪遊び」
「はい、満喫しました」
湯気が立ちこめるお風呂。浴槽の中で腰を抱き寄せられて、至近距離で見つめ合う。
前髪を優しく上げられて、薄紅色の唇が額に触れる。
伝わってくる愛情が嬉しくて、全身を委ねる。頬が緩みきってるのが、自分でハッキリ分かる。
「ユウさんが勇者で、良かった」
届いた呟きに返って来たのは、鼓膜をくすぐる笑い声。
「元、だけどね……、三回目に来た時だっけ、まーちゃんが自分の首の複製作ってたの?」
「くらい、でしたね。お会いした時より、疲れてるみたいだったので、ちょっとしたじょーくとして。間に合いませんでしたけど」
「後ろの私に気づいて、大慌てで隠そうとして転けちゃって、涙目で上目遣いなんてされてね。もうあれだけで、疲れとか吹っ飛んだよ。実際、問題も解決したしさ」
「わたしの首はいつ持って来るんだー、って王様がうるさかったんでしたっけ?」
「そうそう。他のお偉いさんとか、王子に王女、道中の仲間。口を開けば魔王の首首首って」
「なんか、呪いみたいですね……」
元凶の身として申し訳ない。
「そうでもなかったよ。ほぼ毎日、まーちゃんが夢に出て来たから」
「なんですかそれうらやましい」
「色々堪能させてもらいました」
ほう、と息をするユウさんに、なによりそうさせた夢のわたしに――。
「まーちゃん、嫉妬してる? ほっぺたがお餅さんだよ~?」
「んぅ~……!」
「もう、かわいいなぁ、まーちゃん!」
むぎゅっ、と腕ごと抱きしめられて頬をすりすりされる。
「本物は、わたしなんですから」
「え?」
「夢なんかじゃなくて、わたしで、堪能してくださいよ……」
雫と浴室の奏でる音楽の中、
「今のまーちゃんに同じことしたら、気絶じゃすまないよ?」
静かに熱く囁かれた。
「本当に堪能していいの? これだけで、こんなにどくんどくん言ってるのに」
肌を這う手の感触に、意思を無視した吐息が漏れた。
「ほら、また早くなった。止めるなら今だよ? 始めちゃったら、もう止められないよ?」
胸、お腹、太股、背筋から首筋をなぞられて、まるで魔力を吸われてるように、力が入らなくなる。
鼓動は早く、息は荒く、思考はばらばらになりかけて。
「すいま、せん、でした」
やっとの思いで、どうにかそれだけ言えた。
「うん、素直でよろしい。せめて十五才くらいにならないと、本当に壊しちゃうから」
「ぅ~……、ほんとなにされるんですかぁ……」
「気になるなら、とりあえず教えたげる。知った時の反応楽しみだし」
心底楽しそうなユウさんに対し、疑問符を浮かべるわたし。
夢の詳細を教えてはくれたけど、最初から最後までまるで分からず、ただ首を傾げていた。
所変わってリビング。すっかりお馴染みになった体勢で、ユウさんに髪を乾かしてもらう。
ユウさんの手と温かい風が気持ちよくて、いつも眠くなる。そうなるタイミングも把握されてるのか、淀みなく響くのは、優しい子守歌。
もっとこの歌を聴いていたい。この温もりに包まれるまま眠りたい。
通算何度目か分からない矛盾を抱くわたしは、結局最後は眠りに落ちる。
まぶたが重くなって、意識もぼんやりしてきて。
ゆう、さん、おやすみ、なさぃ……。
ちゃんと言えたかも分からないまま、今日も穏やかに、緩やかに、睡魔の誘いに――。
「なんでここだけ和室にしたの? いや、なんか不思議とまーちゃんに合ってるけど」
半纏に二人でくるまってのコタツ、ととことんまったりしていると、ユウさんが言った。
世界もすっかり静かになったことは聞いたけど、今のわたし達くらい緩い人はどれくらいなんだろ?
「なんで、と言われましても……、生まれた時から、ここはこうでしたから」
目を覚ましたその日から、もうすぐ八年。ほんの三ヶ月前まで、この広過ぎる和室が世界の全てだった。
生活にいる物は全部揃ってるし、世界各地の書物もある。食料、お菓子、首作製に使った道具も然り。
「……先代の遺産、とか?」
「それは、十分ありえますね。奥さんの趣味ということも考えられますが」
「……え!? 二人って結婚してたの!?」
「指輪してました」
深窓の令嬢っぽい先代さんと、絶世の美女な黒髪の女性の写真が、それはもう大量にあった。
ご飯を食べさせ合ってたり、黒髪さんが先代さんを膝枕してたり、にこやかに怒る黒髪さんを前に青ざめてる先代さんだったり。見てるだけでほっこりする、そんな写真ばかりだった。
「確認します?」
「するする!」
わたしを抱えて立ち上がったユウさんを本棚へ誘導して、アルバムを三冊抱える。
「持てる?」
「はい」
コタツに戻って、一冊目のアルバムを開く。黒髪さんが先代さんの首筋に噛み付いてる写真が出てき――閉じられた。風圧で前髪がふわってした。
「……ユウさん?」
「まーちゃんにはまだ早いから、私だけで確認するね?」
アルバムをわたしとの間に立てる間際、見えたユウさんの頬は少し紅かった。だからか、体温も熱い。
「あー、ほんとだー。おそろいのゆびわしてるねー、ほんとうにけっこんしてるんだねー」
するのは良いけど見たり聞いたりは苦手、なのかな? でも、わたし……。
「わたし、寝てるユウさんにちゅうしてますよ?」
「ほあっ――!?」
どれだけ衝撃を受けたのか、アルバムが綺麗に真ん中から裂けた。これくらいなら修復できる。
「よく分からないんですけど、ユウさんの寝顔見てるとこう、なにかわき上がってくるんです。それで、決まって体が熱くなって、息が荒くなって、思考が……」
バラバラになって……あ、三日前の状態と同じだこれ。うん、これがずっと続くようなことされたら、確かに今のわたしが耐えられる自信なんてない。
「まあ、そういう訳でして。体にアザがあるの、気づいてなかったんですね」
「――っ!?」
一瞬の浮遊感に包まれ、タタミとおしりがぶつかる。
振り返った先では、ユウさんが服をまくり上げてセルフボディチェック中。程よく引き締まった肢体とくびれは、お風呂で見る時とは違った魅力がある。
もう少し上げてくれたら、おっぱいが少しだけ見えるんだけどなぁ……、小振りで形が良くてかわいくて、わたしランキング堂々の一位です。ユウさんのしか知らないから当たり前です。
「なんで、気づかなかったんだろ?」
どうしよ……、困り笑いに真っ赤でかわいい。
「まあ良いじゃないですか。困ることもありませんし」
週に一回、ラヌス王国に買い物に行くくらいで、素肌は晒さないし。その度々絡んでくるあの二人以外は、なにも問題ない。いやある。ユウさんにやたらぺったぺたひっついてて、いらいらする。
「……うん、まあ、そうだね。私はまーちゃんのだ、って証だもんね、ぇへへ」
心臓がきゅんきゅんきゅん鳴った。
やめてくださいよユウさん、そんな蕩けきった笑顔見せられたら呼吸困難になっちゃいますよ。思い出しいらいらも消し飛びましたよ。
ありがとうございます、先代さん、黒髪さん。こんなにかわいいユウさんを拝見できたのも、お二人のお陰です。
感謝の念を送っていると、甘い声で呼ばれつつ抱き締められた。
「あったかいね~」
「あったかいですねぇ」
きっと、部屋全体を緩い雰囲気に満たしながら、頬を寄せ合い身を寄せ合った。
視界に入ったアルバムの写真には、見守る様な温かい眼差しで並んで写る、二人の姿があった。