拝啓──神様、空からバレンタインチョコが降ってきました。
拝啓──神様、いや、この場合はやはり両親へ言うべきだろうか、いややはりお礼を言うならば神様でいいだろう。
素直にありがとう。素直に何でだろう。素直に不衛生だ。
まぁとにかく僕にとって、これほどまで嬉しい出来事があっただろうか。いやない(反語)わざわざわざとらしい反語を使ってしまいたくなるくらい、今の僕は浮かれていると同時に困惑しています。
きっとこれは僕だけでなく、誰だって同じ状況に陥れば同じ反応をするだろうさ。そう言いきってもいいくらいには自信があると言うか奇妙な現象に陥ったといってもいいね。
────だって僕の手には今、チョコレートが握られているのだから……。
何故僕の手の中にチョコレートが握られていたかと言うと、それは本当に突然のことで僕にも分からない。いや、何故なのかは分からないが、この手に握られるまでの、僕が知る限りの経緯なら話せる。
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2月14日、ふんどしの日だ。
うん。僕は間違っていない。だって昨日テレビでやっていたからな。今日はふんどしの日だ。
敢えて世間一般的な回答をするならば、聖ウァレンティヌスに哀悼の意を捧げる日だ。
ん?僕は何も間違ったことは言っていないぞ。それもこれも昨日テレビでやっていたからな。
ただ一つだけ嘘を吐いたのならば、チョコを貰ったと言ったことだ。
つまらない見栄を張るのをやめると、今日はバレンタインデーなのである。女子が男子へチョコレートを渡すと言うなんとも下らなく迷惑な慣習である。
と言ってもそれは日本人だけなのだ。何故ならば、それも昨日以下略。
しかし、そんなものは顔のいいイケメンと、面白いクラスの中心的存在だけである。
僕みたいな何の取り柄もない地味男子には、縁も所縁も無い。だからこの行事も迷惑でしかない、と言うことだ。理解してくれただろうか。
まぁ別にこういう風に思っている男子は大多数を占めていると僕は考えている。何も誰も彼もが、イケメンや明るい人気者ではない。世の中には、貰いたくても貰えない悲しき男子達がいるのだ。
だから寧ろ撤廃すべきだこんな風習。これは差別だぞ?人種差別だぞ?人で判断しているんだろう?由々しき事態ではなかろうか。
人としての良さ、と言う点では僕だって色々貢献してきたつもりなんだがな。誰もやりたがらない清掃を代わりにやってあげたりな。体育で使ったボールとか片したりな。困っている人を助けてきたつもりだぞ。
だと言うのにだ、だと言うのに、何故僕にチョコをくれない……あれか?やっぱり顔なのか。顔なんだな。そうなんだろ。
……こんなこと考えていても空しいだけだ。だからもう諦めよう。どうせ僕にチョコが渡ってくることなど一生を掛けてもあり得ないだろうしな。
……一生どころか末代でもあり得なそうだ。
昼休み、バレンタイン特有のあの空気に耐えられず……分かるだろうか?真後ろのイケメンに群がる女子に、邪魔だと言われんばかりの体当たりを喰らう気持ちが……教室を出て行った僕は、校舎内にいても空気が漂う気がするため、校庭に出てきたのである。
今日は風が強く、砂埃が舞っていて、僕以外には校庭に誰一人としていなかった。
まるで僕がこの学校を支配したかのような気分である。下らない、そう思った僕であったが、今日くらいは見栄を張りたいものだ。張らせてくれ。
静かでいいな…………と、そこで極めて強い風が吹いた。校舎側からである。後ろから髪が流され、視界に入って鬱陶しい。
砂埃が巻き上げられ、まるで竜巻のように渦巻いて、ハリウッド映画のような迫力のある画だった。僕は今、ハ○○○○ォードだ。
そんな下らないことを思った僕は、校舎を眺めようと校舎を振りかえった。
冷たい風が、僕の体を容赦なく襲う。あまりもの風力に、目が開けられず細める。狭くなった視界の隅で、何かがキラと光った気がした。
ん?何だ?
腕で顔を隠しながら、微かに空を見上げた。
白い校舎の真ん中に、恐らく正確に針を進める時計が、日光に当たりキラと光っていた。
あぁ、何だ時計かよ。少し拍子抜けした僕は、気持ちと一緒に肩を落として視線を元に戻そうとした。
しかし、僕の目は正確にソレを捉え、離れなかった。
チョコレートだ。ご丁寧にリボンでラッピングされたチョコレートだ。
キラキラと、リボンが日光を反射して僕の目を眩ませる。なるほど、光の正体はこっちか。
っていやいや!!何で空からチョコレートがっ!?
とりあえず落とさないように、僕はそれを両手で受け止めるようにしてキャッチした。微かな重量感。手元で見て初めて気付いたが、可愛らしくもハートの形をした箱だった。
何でこんなものが?今まで一度もチョコを貰えたことのない僕に、神様からのプレゼントだろうか。
ふふっ……全く、神様と言う奴は中々憎い演出をするじゃねえか。この温もり、あったかいんだからぁ……いやいやでもよ?どうせならチョコだけでなく可愛い女の子が降ってきてくれればよかったのに。そうすれば温かみも増すってものだぜ。
やはり人と関わりを持たない神様には、人の心など露知らずなんだろうな。
どうしたものかと、手元のチョコを矯めつ眇めつした僕は、有難く頂戴するか!と決めてそれをポッケに忍ばせようとした。
しかし──────
「ちょっと待ってぇえええええええええええっ!!」
!?──な、何事っ!?空爆、空爆なのかっ!?
声は上から聞こえた。よく透き通る綺麗な声だった。もしかしたら、神様がチョコ返せこの野郎と怒りに来たのかもしれない。
ん?上?
幾ら見上げようと、見えるのはやはり校舎と時計だけである。誰も窓から顔を出していないことから、さきほどの声は幻聴だったのか。もしかしたらこのチョコも……いや、確かにここにあるな。
てか待てよ?これは誰がどう見てもバレンタインチョコレートだ。しかし、それは今日がバレンタインデーだからそう見えるのであって、きっと七夕の日にでも見たらそれはただのプレゼントBOXにしか見えないだろう。ハート形の。
だからこそこれが、この箱の中に、チョコレートが入っているかもしれないと言うのは、何の確証も無いのだ。そう、今日がバレンタインデーだからこの中にチョコが入っていると連想してしまうのだ。
そもそもとして、空からチョコが降ってくるなんてあり得ないし、僕がチョコを貰えるという事実もあり得ない。だからこれはきっと、中身に小石がいっぱい詰め込まれただけのただの箱である。
外面だけよく、中身は粗悪。
よくあるパターンだ。全く僕もこんなものに惑わされようとはな。今日がバレンタインデーだからと言って期待してしまったのが馬鹿だったな。
ふむ。せめて中身だけ見て、誰か適当に靴箱に入れてやるか。
そう思ったぼくは、リボンの端を摘まみ、するするとそれを解きにかかった。
「だから待ってって言ってるでしょぉおおおおおおおっ!!」
うぉっ!?今度は声が近くなったぞ!?
戸惑った僕は、手を止め声が聞こえた方へ顔を向ける。正面玄関から、必死な形相でぱたぱたと走り来る女子生徒の姿が見えた。
幻聴だけでなく幻覚まで見るようになってしまったか。まずいな。そこまで僕は気に病んでいたんだろうか。
しかしその幻覚は、フリフリとポニーテールを揺らしながら手を伸ばし制止をかけるように迫ってくる。
なんだなんだ?幻覚にしては随分はっきりと見えるじゃないか。制服もうちのだし。ほら、肩で息してるのとかすごいリアルだし。
「あ、あぁ……あのさぁ……」
ポニテ幻覚少女は、僕の顔を見るなりさっきまでの大声は何処へやら、風の音に消え入りそうなか細い声で髪の毛を揺らし始めた。
何も知らない人が、この状況だけを見たら、僕がこの目の前のポニテ少女にバレンタインチョコを貰ったところ、という風に見えるかもしれない。
しかし絶対全くそんなことはあり得ないな。なんせこれは空か降ってきた神様のいたずらで、目の前の少女は幻覚だからだ。
ふぅ……馬鹿馬鹿しい。幻覚は尚もリアリティ溢れる反応でこちらへ手を向けてきたのである。
「か、返してくれない……かな?」
え?待って待って、どういうことだ?この幻覚はどこまで続きどこまで干渉してくるんだ?
風が吹く。砂が目に入りものすごく痛い。
目を擦り入った砂を取り除こうとする。だからこそ僕は困った。目の前の幻覚と、手の中に残る感触が消えないのだ。
………………………………
……………………
………………
…………
……
ファッ!?
え、待って待って。えっ!?いやまさかえっ!?これっともしかしてだけど…………
現実ですかっ!?!?
え、嘘でしょ。待ってよ待って。状況の把握がいまいち出来てないんだが。ってことはなに?本当に空からチョコが降ってきたってこと?何で?てかこの女の子は?うん?疑問が絶えねえぜ。
女の子は顔を微かに赤らめ、促すようにチラチラとこちらを見ている。
えーっとどうしたものか。取敢えず返せと言われたのだから返すべきだろうか。いやでもこれは神様が僕にくれたプレゼントであって、それをわざわざ見ず知らずの彼女に渡す必要はないだろう。
だから僕は嫌だと断り、チョコをブレザーのポッケに入れようとした。しかしそれを阻むようにしゅっと手が伸びてくる。
見事にポッケと箱の間に手を滑り込ませ、ガードをしていやがる。な、何だこいつ。唇をきゅっと噛みしめて、目をうるうるさせて僕の目を見据えてやがる。
やめろ、やめてくれ。その大きな純粋な瞳で僕のことを見るんじゃない。動悸が激しくなるだろう。
ふーむ。しかし何故彼女はそこまでこれにこだわるのだろう。まさか僕のファンじゃあるまいし。
誰かからチョコを貰ったのね!キィーッ!だなんてあるはずがない。
膠着状態が続き、お互いこの状況に疲れたということもあって、幾らか冷静になってきていた。だがしかしやはり彼女は諦めないようだ。
ふわりと優しい風が、彼女の前髪を撫でた時、意を決したように口を開いた。
「それ!私のだから返して!!」
うん……?彼女の発した言葉がいまいち理解できなかった。だから一度ゆっくりと頭の中で反芻してみる。
それ、私のだから返して。
それ、私のだから返して。
それ!私のだから返して!!
………………
…………
……
ファファッ!?!?
え、何じゃあこれ君のなの?いやいや、冗談はよしてくれ。これは空から降ってきたものだぞ?君の所有物だと言うのならば、何で空から降ってくるんだ?おかしいだろう?それとも投げ捨てたのか?だったら僕が貰っても問題は無いはずだ。
それにもし仮に本当にこれが君のチョコだとしたら、証拠はあるのかね?僕も出元の知らないチョコは口にしたくないしね。
彼女は答えにくそうに俯いてしまった。ふん。やはり君のではないのか。だったら遠慮なく貰って行こう。
「──に入──る──」
これは完全に風の音に消えた。とぎれとぎれの音声では、僕には正しい言葉として認識できなかった。
どうしたものかと思い空を軽く仰ぎ見た僕は、雲が綺麗だなーとか関係ないことを考えていた。
うん。僕としたことが甘かった。その一瞬のすきを突かれ、彼女は僕の手からチョコを奪い去ってしまった。
あ、おいこら!人のもん奪い去るとはどういう了見だ!
「だ、だからこれは私のだって言ってるでしょ!!寧ろ奪っていったのはそっちじゃん……」
かぁーっと顔を赤くした彼女は、それこそ風の如く走り去って行ってしまった。
あ、…………まあいいか。チョコ持ってる方が逆に心配になってくるしな。
そう思った僕は、いい加減寒さの限界だと肌が訴えかけているため、校舎へ大人しく戻った。
まだ10分も時間が残っていたため、リア充とは無害そうな図書室へ行って時間を潰していた。悲しいことに、ここでもバレンタイン特集なるものをやっていて、少しだけ空しくなった。
それからというものも、いい加減配り終えとけよといいたくなるくらい、未だにチョコを渡しあっている女子同士が、放課後までたむろしているのである。そんなやつらを尻目に、僕は家に帰ることにした。
今年も全くもらえませんでしたよ。はい。どうせこの靴箱を開けても何も入っていないのは分かってはいるさ。しかし悲しきかな。そういう風習が少なからずあったために、僕はもしかしたら、という期待の念を抱かざるを得ないのである。
期待するだけ無駄だと、期待するだけ空虚感が増すだけだと言うことも理解はしている。しかし、頭で分かってはいても、心がそれを赦してくれない。
やはり一個くらいは欲しいと思うものだ。思うだけなら別に罪ではないはずだ。僕だって確かに一人の人間としてここに確立しているのだから。だというのに、だというのに……まぁいい、やめよう。もう諦めた。
靴を履き校庭へ向かう。今日とクリスマスほど、学校の居心地が悪い日は無いだろう。
日は傾き青かった空はオレンジへ色を変え、それだけ見たら絵具で塗りつぶしたかのような、べたついた空だった。
風もその冷たさを増し、冬はまだまだか、と思うと同時、早く家に帰りこたつで温まりたいと思った。
まずは何をしようか。昨日途中でやめたゲームをこたつの中でぬくぬくやろうか。そしてご飯を食べてお風呂に入って明日を迎えよう。そうだ。それがいい。
方針を決めた僕は、足取り重く校庭を歩き始めた。砂が微かに舞い、まずは手を洗うことから始めようかと決めた。
「────っ────!」
ん──?、今何か聞こえたような……気のせいか。
「──君────って!」
いや──、気のせいじゃないな……確かにやけに聞き覚えのある声が聞こえる。
「待ってって言ってるでしょ!!」
うん──、はっきりと聞こえた。つい2時間近く前に聞いた、よく透き通る綺麗な声だ。
声の出元へ僕は顔を向ける。向かって校舎の右、3階の窓から、夕暮れが綺麗に映えたポニーテール女子が僕に向けて声を張り上げていた。
手と髪を揺らしている彼女は、僕に向かって何かを投げた。
綺麗に結われていたリボンが解け、ひらひらと舞い落ちる。綺麗ではあるが、僕は嘗てリボンがついていたほうを受け止めようと追い掛けた。
まさかこの世に、一日に二度も天からチョコが降ってくるという体験をした人物がいるとは思うまい。
しかし、僕はまさかその人類史上を叩きだしてしまった。
手に収まったのはハート形の赤い箱。微かな重量感と共に、それが本当の愛だと見紛うほど。
にしても何で?やはりこの疑問が絶えない。視線を彼女へ向けると、夕暮れで赤いのかそれとも別の理由で赤いのかは分からないが、確かな笑顔で僕に手を振っていた。
「それ!──君にあげる!!ハッピーバレンタインッ!!!」
うん……?彼女の発した言葉がいまいち理解できなかった。だから一度ゆっくりと頭の中で反芻してみる。
それ、君にあげる。はっぴーばれんたいん。
それ、君にあげる。はっぴーばれんたいん。
それ!君にあげる!!ハッピーバレンタインッ!!!
………………
…………
……
ファファファッ!?!?!?
な、何を言っているんだ彼女は?これを僕にくれる……?何で、意味が分からない。
だ、って……うぇ、どぉっ!?
やばい意味が分からない。今まで以上に意味が分からない。さっきの状況も充分に分からなかったが、今の状況も中々に意味が分からない。
何故彼女が僕にチョコを?あ、もしかしてこれ爆弾?やっぱり空爆だったのか!!
バッと勢いよく顔を挙げた僕は、揺れる彼女の髪を捉えた。視線に気づいたのか、彼女は少し照れくさそうに笑ってから、バイバイと口を動かし小さく手を振った。
………………
…………
……
いやいや待ってっ!?説明!!説明要求!!何もう仕事終えたぜ!みたいな感じで終わってんの!?
ただ呆然と立ち尽くしていた。手に感じる感触は、未だに固い箱を握っている。
どうしよう。とりあえず開けてみるか?あげる、と言ったのだからこれは僕の所有物だ。出元も彼女だと言うことがわかったし、美味しく頂けることだろうさ。
実際にして1分。しかし10分にも1時間にも感じるほど立ちつくしていた僕は、恐る恐る箱を開けた。
パンドラの箱でないことを祈るばかりである。
まず目に入ったのは、四角く丁寧に折られたピンクの紙。何だこれ?と思い手にとって気付く。箱の中に箱が入っていたことを。
マトリョーシカ……?
器用に指を駆使し、右手で元の箱と手紙を持つ。左手で一回り小さいハート形の箱を開けてみる。
一瞬またマトリョーシカ?と疑った僕だったが、よくよくみて違うと言うことに気付いた。
うぉっ──すげえ……。
中に入っていたのは、更に一回り小さいハート形のチョコレート。粉砂糖が塗されており、とても美味しそうだ。
こ、これって──────どう考えても本────命…………いやいや、まさか。女子がバレンタインに凝るのは分かりきっていることじゃないか。勝手に盛り上がるのはやめておこう。
取敢えず元のマトリョーシカへ戻して、添えられていた手紙を読むことにした。
字は女子らしく丸っこいが、判読に困るほどではないため読み進める。
『──君。いきなりごめんなさい。私も唐突なことで少し驚いています。私が何で……あっ、その前に名乗らなきゃね。
私は1年4組。花見空って言います。(かみ、そら。だよ!)
このチョコはね、──君にあげようと思って準備したものなの……。でもまともに話したこと無いし渡すに渡せなくてさ、どうしたものかなーって外眺めながら考えていたらさ、手からチョコがすっぽ抜けちゃったんだよね……あぁどうしよう!私の馬鹿!って思ったらもうびっくり!私が渡そうと思っていた人が拾ってくれたの……こんなことあるんだ、運命じゃないかって思ったくらいだよ。
だけどね、私驚いちゃって……思わずあんな感じに……』
この手紙はあの昼休み以降に書いたものなのか。にしてそうか、手からすっぽ抜けたから空からチョコが降って来たのか……
僕は少しだけ理解して続きを読み進めた。
『だけど、私は決意しました。
私――――私、花見空は、空善人のことが、大好きです──。』
うん……?彼女の綴った言葉がいまいち理解できなかった。だから一度ゆっくりと頭の中で反芻してみる。
私、かみそらは、あくまことのことが、大好きです。
私、かみそらは、あくまことのことが、大好きです。
私、花見空は、空善人のことが、大好きです――。
……………………
………………
…………
……
ファファファファッ!?!?!?!?
な、え、?どういう……え……?……意味が分からない。頭が、もう処理しきれない。意味が本当に分からない。何で?何で名前を知っている?何で好き?何で?何で?何で?
手が震えていた。それが寒さからなのか嬉しさなのかは全く分からない。しかし、僕はそれでもこの手紙を最後まで読む必要がある。
数度深呼吸をし、自身の心を落ち着かせて目で文字を追う。
『いきなり言われても気持ち悪いよね。でもね、私のこの気持ちは嘘じゃないよ。
初めて会ったのは2学期が始まったころ。隣のクラスだから体育の授業は一緒だったの。知ってた?それでね、その授業の終わり、男子はバスケで女子はバレーだったんだけど、私ちょっと熱っぽくてぼーっとしてたのね。それで友達に置いてかれちゃって……ボールの片づけを先生に任されちゃったの。その時に声を掛けてくれたのが空君だったの……』
あ、……確かにそんなことがあった様な……。そうそう、思い出してきたぞ。
『大丈夫?手伝うよ。って言って私の分まで片してくれたの。あぁ、何てこの人は優しいんだろうって……しかもね、それだけじゃなくて……ってここまで言ったらもう思い出してくれてるかな?……でも思い出せてなかった時のために言うとね、その後に私の顔色を窺って』
保健室に連れて行った。体育の後とは言え、流石に顔の赤さが尋常じゃなかったため、僕は心配になって連れて行ったんだ。保健室は教室へ戻るときに前を通るから、別に手間だとは考えなかったから起こした行動である。
『それからね、君の姿を見かける度に胸がドキドキするのを感じたの。文化祭の時の後片つけでも、率先して片付けてて、この人は人の目には触れ無くても、陰で皆のことを思って、皆のために行動できる優しい人なんだなって思ったらさ、私、好きだなーって気付いたの』
体育の片づけは単純に任されたから。保健室へ連れたのはついでだから。文化祭のそれも皆やりたがらず押し付けられたから。だからやっていたに限らないことだ。
そんな優しいとか、皆のためにとか殊勝な気持ちは持ち合わせていない。しかし、誰かはそんな僕のことを見ててくれる。分かってくれる。
僕が今までして来たことは無駄ではなかった…………無駄じゃなかったんだ。
視界が霞む。ちゃんと手紙を、箱を掴めているのかが分からなくなる。文字が読めない。眼球が冷える。
腕で目を擦る。僕はこれを最後まで見届ける義務がある。目を逸らしてはいけない。
『だから私は今日、バレンタインと言う日に、空君にチョコレートを作りました。本当はちゃんと手渡ししたいんだけど、恥ずかしいから投げて渡すね!って言ってもこれを読んでるってことは投げて渡されたってことだよね?』
唐突過ぎて驚きしか無かったよ……落としたらどうするつもりだったんだ。
『ガサツな女でごめんね。最後にもう一回言わせて下さい。
私は、空君のことが大好きです。よかったらお返事聞かせて下さい。』
手紙はそこで終わっていた。
胸が締め付けられる。何だこの気持ちは。甘ったるい気分。思考がまともに纏まらない。喉が渇き今すぐにでも潤いが欲しい。
これが、これが人に好きなられるって…………
これが、これが人を好きになるってことなのか。
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拝啓──花見様、私はあなたにお礼を言います。
素直にありがとう。素直に何でだろう。素直に嬉しい。
僕にとって、これほどまで嬉しい出来事はありません。そう言いきってしまえるくらい、今の僕は浮かれています。
きっとこれは僕だからこそ、あの状況に陥ったからこその反応です。これから先、あのような体験をする人物が現われるでしょうか。いや現われない(反語)。わざわざわざとらしい反語を使ってしまいたくなるくらいには自信があると言うか、奇妙な経験をしたといってもいいですね。
――――だって僕の手には今、君の手が握られているのだから……。