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六章 善人が問題なんですと言う話 2

 それからの僕等は、それはそれは酷いものだった。

 公園で、椿姫ちゃんの家で、僕の家で、肉欲に乱れた淫らな生活を――というのは冗談で。

 それでも数少ない時間を一緒に過ごす為に、お泊りなんて事もした。椿姫ちゃんは構わないと言ってくれたし、何度も同じ夜を過ごしたけれど、僕はやっぱり彼女と性交をするつもりには、まだなれなかった。キスとハグで、お腹がいっぱいという訳では勿論ないけれど。どうしてなのだろう。椿姫ちゃんが『死』に対してロマンを感じるように、僕もまた『初夜』にロマンを感じているのだろうか。だとしたら気持ち悪い。

 互いが傍にいない時も、メールを送りあったりして、バカップル選手権があったらトップ十には余裕で入れそうな勢いだった。

 最近、椿姫ちゃんが『そろそろ「さん」付けと「ちゃん」付けを止めよう』と言ってきたので「椿姫」「凜」「椿姫」「凜」と呼び合っていたんだけど、違和感と恥ずかしさが半端なかったので、お互い一時保留中となっていた。その内、そう言う風に呼び合ってみたいなぁとは思う。

 今、僕は椿姫ちゃんの部屋でベッドの上に腰掛けていた。そんな僕の膝の上に、椿姫ちゃんが頭を乗っけていた。膝枕だった。男女が逆なような気がするけど、れっきとした膝枕だ。

「凜さんって不能なんですか?」

「違います。奥手とか、そう言う風に言おうよ」

「私がどんなに誘っても、乗ってこないじゃないですか!」

「可愛いなぁって思っちゃうんだよね」

 小学生が必死に高校生を誘惑しようとしている図は、もう、別ベクトルの感情を生み出すのだ。例えるならそう、ハグしたいとか。抱きしめたいとか。ギュッとしたいとか。

「うわぁ……! 根本的問題だぁ……」

「まぁ、立たせてって言うなら、立たせるけど」

「……い、今はそう言う気分じゃないので」

 なんだかんだで、まだ少し怖そうな椿姫ちゃんだった。

 二人が黙りこむと、室内には静寂が満ちる。椿姫ちゃんの家は相変わらず無人で、夕方ころに母親が、夜中に父親が返ってくるといった調子だった。

「ねぇ凜さん」

「なんだい、椿姫ちゃん」

 ゆったりとした動作、で起き上がると、僕の膝の上に向かい合うようにして乗っかってくる。

 いつも以上に妖艶な――色っぽい仕草。目線。指先。

 その細い指先が、僕の肩を掴み、ゆっくりと押し倒していく。

「もしかして僕、犯される?」

「似たようなものかもしれません」

 そのまま肩から首筋へと、指先が移動する。

「このまま、私が貴方の首を締めたらどうしますか?」

「どうもしないよ。ただ、されるがまま、死ぬ。それだけ」

 ギュッと、指先に力がかかる。小学生の握力とはいえ、体重をかけられると流石に苦しい。

 一瞬で酸素が巡らなくなり、息苦しさで視界が赤くなる。

 しかし僕の中に現れる感情は、命の危機への恐怖ではなく、性交にも似た性的興奮だった。

 十数秒かけて、ゆっくりと締めあげられ、しかしスッと呼吸が楽になる。

 死にたいと心では願っていても、条件反射で肺は酸素を貪っていく。

 意識が回復していくと、僕の上で嗚咽を漏らす椿姫ちゃんに気付く。

「私……死にたくない」

「うん」

「どうして、私なんですかっ」

「うん」

「どうしてアイツじゃなくて私が、死なないといけないんですか!」

「……うん」

 彼女の質問に対する答を僕は持ち合わせて居ないから、ただ相槌を打つことしか出来ない。

「うんじゃない! 貴方が悪いんだ……貴方が私の前に現れるから、世界が変わった。死が怖くなった! 未練が……出来ちゃったじゃないですか……っ!」

「……うん」

「バカ! どうして、私を好きになったの!? どうして……っ」

 僕の胸をその小さな拳で叩きながら、嘆かれる。

「ああああああああ嗚呼……辛いんです……死ぬのが怖い。死の足音が怖い。別れるのが怖い。貴方を失うのが怖い。忘れられるのが……怖い。だけど、貴方を殺すのはもっと怖い」

「僕を殺す必要はないよ。ただ、一緒に死ぬってだけ」

「その選択を私に委ねる貴方は鬼だ! こう言う時くらい、僕に任せてって、私の事を殺してくれれば良いのにっ! 貴方にならそれも構わないのにぃ……うぅっ、うわぁああああ……っ」

 叩きつけられるのが拳ではなく頭になって、椿姫ちゃんはそのまま僕の胸の中に収まって泣き喚く。横になったまま、僕は彼女の背中を擦る。

「愛しているから、ダメなんだよ。キミを殺す事は、僕の信条に反するから。それをキミが望んだとしても、ね」

「なら、私を犯してください」

 泣き腫らした目で、僕を見下ろす。そのまま、上着に手をかけ下着を露わにさせる。

「どうせ救われないのなら、私の体を、貴方の好きにして下さい……。私を壊して下さい。私を愛して下さい。そうでもされないと、気が狂ってしまいそうだから」

 僕の目に、彼女の痩せこけた体が、着飾った言葉が、泣きそうな表情が、何もかもが哀れに映る。哀れみで、僕はこの子を――

「辛そうな顔……そうでした。貴方は、私よりも敏感に、私の感情を読み取る人でしたね」

 ああ、僕はまた、そんな顔をしていたのか。

 椿姫ちゃんの手の平が、僕の頬を撫でる。まるで壊れ物でも扱うように。

「今の凜さん泣きそうな顔、してますよ」

「そう言う椿姫ちゃんも、折角の美人さんが台無しだよ」

「美人は、泣いても笑っても怒っても、綺麗だから美人なんですよ。そんな美人の私が、悲しそうな凜さんを、慰めてあげます。貴方は臆病な人だから――」

 椿姫ちゃんの舌先が僕の頬をなぞり、涙の跡を辿る。蠢く舌の動きが鮮明に視界に入る。更に舌先は、唇の上に辿りつき、隙間を割るようにして口内に入り込んでくる。

 僕は小学生にされるがまま、だった。

「キスってこんなに、気持ち良いんですね」

 透明な唾液の糸が繋がれ、プツンッと途切れ、僕の唇へと落ちてくる。

 恋人の唾液には媚薬の効果があるらしい。火照った頭はある命令を僕に下す。

 そこから先の事は、実を言うと余り覚えていない。

 ただ、理性が壊れ、本能が勝り、世界が白く白く染まった。

 二人分の泣き声と嗚咽が、途切れ途切れの記憶の中、辛うじて聞こえた。

 気付くと、僕の上で横になる、汗と涙と唾液に塗れた裸身があった。

 椿姫は僕の事を見つめると、その唇を肩甲骨に這わせ、汗を舐めとっていく。

椿姫ちゃんは舐めるのが好きなんだと知った。今日だけで、全身をくまなく舐められてしまったような気がする。

 肩甲骨に這わされた舌はそのまま登るように、首筋に辿り着く。そして首に唇が触れ――

「痛……っ」

 ガリッ、と首筋に鋭い痛みが走る。椿姫ちゃんの八重歯が、皮膚を突き破ったのだろう。ジワリと漏れる様に流れだす血液を、彼女の舌先が舐めとっていく。

「傷、付けたかった訳じゃないの……。ただ、私が、私が貴方を愛していたって、証拠を、貴方の中に残したかっただけで……」

「いいよ……遺してくれて。いいや、遺して欲しいと思う」

 椿姫ちゃんは涙を流しながら、爪で、歯で、僕の皮膚に痕を遺していく。

 互いの首筋の皮膚を噛み破り、溢れ出る愛液を啜る。

 ただ、欲しいがままに、本能が求めるままに、僕等は互いを傷付けあった。

 重力に身を任せて、体を下方に伝っていく赤い軌跡を眺めながら。

 結局、夕方になるまで愛しあった僕らは慌てて服を着て、換気を済ませて、さも何事もなかったように椿姫ちゃんの母を出迎えたのだった。


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