四章 始まりがおかしければ、終わりもそれなりにおかしい
「……僕はお前を久しぶりに見た気がするよ」
「いや、お前が風邪で休んでたのは先週だし、昨日も学校来て、普通に話しただろ」
「椿姫ちゃん以外の記憶が次々と抜け落ちていく奇病にかかってしまったのかもしれない」
「そのまま死んでしまえ」
「いやー、幸せ過ぎて、死んじゃうかもしれない」
「はっ倒すぞ」
「いやー、それにしても、友人ってヤツは結構大切だと僕は痛感したよ」
「凄い、最近のお前の発言は適当さに――」
「あっ、メールだ」
「……せめて最後まで言わせろよ」
携帯の購入を決めた椿姫ちゃんの行動は迅速で、僕が寝込んでいる二日間の内に買い終え、四日ぶりに公園で会った時には、殆どの機能を使いこなしていた。
公園で早速メールアドレスと番号の交換を終えた僕達は、何故か隣合ったまま、携帯でお話を続けたのだった。うん、分かる分かる、初めて携帯を持った時って、誰でも良いからメール送ってみたくなるものね。
『お、送れてますかー?』というタイトルの、本文が未入力のメールが来た時は、可愛らしすぎて思わず保護をかけてしてしまった。そんな機能あるのをその時初めて知ったくらいだった。
(どうして好きな人のメールって、保護したくなってしまうんだろう。
頭の中が溶けてるんだろうか)
と言うか、椿姫ちゃんからのメールは殆ど保護してるけど。
その後も、『凜さんの返事が早い……。すいますん、私、まだ慣れてないもので、遅くて』『すいませんですた』『すいませんでしたでした』という三連メールが来た時には悶え死にそうになった。隣で赤くなった椿姫ちゃんも含めて、僕をときめき殺しにかかってたと思う。
「……メール確認するんじゃなかったのか」
「いくらお前と言えども、僕と椿姫ちゃんのスィートメモリーの邪魔をするのは許されないぞ」
「…………すいませんでした」
椿姫ちゃんに夢中で、すっかり椿姫ちゃんのメールを忘れていた(何を言っているのかは、分からない)。早速携帯を開いて、内容を確認する。本文には『どうですか?』とあった。何が『どうですか』なのか、今の僕には理解できない。一つ前のメールを確認してみると『おやすみなさあ』とある。多分、眠気眼を擦りながら、必死に打って、その誤字にも気付かないまま眠りこけてしまったのだろう。でもやはり『どうですか』の意味は分からない。
(多分、送りたかっただけなんだろう)
しかしここで『何のことかな?』と返すのは芸がないし、まるで僕等の心が通っていないみたいで、よろしくない。
「よし……『椿姫ちゃんは今日も可愛いね』……と」
「一々メールの内容を口に出すのはやめろ」
「ああ、悪い。惨めな想いをさせた」
「勝手に惨めにするな、キショイってだ――」
「あっ、メール」
「もういい……、もういいわ」
ぶつぶつと呟きながら戻っていく親友を無視して、僕は再びメールをチェックする。
『何をいつてるんでしか』
うん、もう、わざとやってるんじゃないかってくらいあざとい。
想像するだけで椿姫ちゃんが狼狽えているのが分かる。
椿姫ちゃんと僕が出会って、四ヶ月ほどが過ぎようとしていた。
初夏に入り、緑が濃さを増し始め、日光も本格的に仕事をし始めていた。とは言っても、今日の最高気温は二十四度ほどで、比較的過ごしやすい陽気。外出するには丁度いい日だった。
早朝の公園に、まだ人影はない。椿姫ちゃんはつい先ほど家を出たようだから、もう数分としない内にやってくるだろう。
僕は十数度目になる時計確認を行う。さっき見たときから、十と二秒しか経ってない。
いつもは、どちらともなく現れて、ダラダラと会話をするだけの僕等だけど、今日はいつもと少し違う。そう、二度目のデートを行うべく、公園で待ち合わせを行っているのだ。
これで最後にしよう。そう思いながら時刻を確認しようとした時、丁度椿姫ちゃんが曲がり角からやって来た。向こうも僕の姿に気付いたようで、小走りで寄ってくる。僕はそんな椿姫ちゃんのいつもとは違う服装に見惚れてしまう。履き慣れたジーパン姿ではなく、白いフリルワンピース姿。更に、その上には臙脂色のカーディガンを羽織っている。髪型も、いつもの様に横に流しただけのものではなく、後ろで纏められたショートポニーになっていた。体育館でデートした時よりも、少しだけ髪の毛が伸びたようで、可愛らしさもましましになっていた。
「……………………」
つい、言葉を失ってしまうほど、可愛らしい。
手に持たれた陽射しよけの日傘が日陰を生み出し、少女の雰囲気を一際上品なものしていた
歩いて僕の側までやって来た彼女であったが、息が微かに乱れている事に僕は気付いてしまう。どうやら、曲がり角を折れる直前まで走って来たらしい。僕にそんな努力を知られまいと必死に意地らしい努力を続けている椿姫ちゃんに、愛しさ余って抱き締めてしまいそうになる。
「……な、何とか言ったらどうなんですか」
普段は無骨さを形にしたような格好ばかりだったけど、今日のそれは、とても可愛らしい。綺麗じゃなくて、可愛い椿姫ちゃんだった。
「か、可愛いよ」
知らず知らずのうちに、声が震える。凄い変態っぽいと思う。
「……その声の震え方は、完全に変態チックなので気をつけてください」
「……うん、僕もそう思った」
日傘を持った手とは逆の手に抱えた、少し大きめの荷物。椿姫ちゃんが持って歩くのは、少し苦労しそうだった。元から腕力がなかった所為か、ぷるぷる細かく震えてる。
「そっちの荷物持とうか? 傘も持ってるし、持ちづらくない?」
「そうですね、ではお願いします」
見た目とは裏腹に、そこまで重量を感じない荷物を受け取る。
「それじゃあ、行きましょうか」
言いつつ、空いた左手で僕の右手を絡めとる椿姫ちゃん。いつもの様に、少し冷たい手。力を入れ過ぎないように、僕はその手を掴んだ。
そして、どちらともなく、微笑み合った。
始発の電車に揺られ、目的地へと向かう。
椿姫ちゃんとの休日、一秒も無駄には出来ない。という信念からではなく、人が少ない時間帯を選んだから。ベンチと電車の椅子という違いはあれど、僕等の距離感はいつも通りのものだ。ただ、椿姫ちゃんの服装がいつもと違って、僕がどぎまぎしてしまい。服装の変化の所為か、目的地が楽しみな所為か、椿姫ちゃんがそわそわしていて。二人とも平常心を忘れていた。
「私、こうやって電車に乗ったのって初めてかもしれません」
「それは、ちょっと珍しいかもしれないね。あっ、でも僕も、小学生のころは親の自動車とかで移動するのが多かったかも」
「そうなんです。うち、過保護気味なので、何処に行くにも親が車を出すって言ってくれて」
「良いご両親じゃないか」
友達の両親がそう言う雰囲気の方だったのを思い出した。僕の両親はどうだったか……。
「そうです。そうなんですが、私みたいなお年ごろだと、ありがた迷惑みたいな部分もあって」
「あー、それも分かるかも。どうしてそう感じてたのかは分からないけど、友達に見られる両親って恥ずかしいんだよね」
「だから今日も、友達と一緒に行くから送り迎えは要らないって言っても、じゃあ友達も一緒に乗って行って貰えばいいって聞かなくて。電車に乗るのも楽しみなのって言って、なんとか振りきってきました」
「僕が友達だって言い張るのは、流石に無理があるからねぇ」
下手したら即刻通報ものだしね。
電車が緩やかに減速していき、景色の移りも遅くなっていく。鼻に掛かったようなクドいアナウンスが響き、停止する。グラリと慣性が働いて、僕の肩に椿姫ちゃんが寄りかかる。ふれ合う体から伝わる熱と少女の柔らかさが実に心地良い。このまま抱き枕にしたいくらいだ。
「もう少し、ですね」
「あと二駅だったかな」
「私、電車に乗るのも初めてって言いましたけど、水族館に行くのも、初めてなんです」
肩に体重を預けたまま、椿姫ちゃんが呟く。べつに拒否する理由はないし、満更でもないから、このままの姿勢でいることにする。
「そう何度も行くところじゃないからね。両親とか、そういう趣味がなかったら行く機会なんて殆どないだろうし」
「はい、だから、楽しみです。凜さんと一緒っていうのも、うん、良いと思います」
最近、椿姫ちゃんがデレデレというか、僕に対する甘え方を覚えてきたようで、正直ヤバい。ヤバいからって何かを出来るわけでもないから、彼女の頭をポフポフとするのに留める。それに反応した彼女の頭が僕の手に擦り寄ってくる。子猫みたいな反応。天然の悩殺動作だった。
「あっあっあーっ、着いたみたいだよ、目的地」
へたれ男みたいな反応をしながら、立ち上がる。スッと、伸ばされる椿姫ちゃんの手を掴み、電車から降りていく。シューと言う音と共に、彼方となった背後の扉がしまっていく。
何個か並ぶ出口から、目的地に近い出口を探し、そちらへと歩き出す。
「あと、バスを乗り継いでいくんですよね?」
「そうだね、ちょっと混んでるかもしれないけど、歩くよりはマシだと思うから……大丈夫?」
「そうじゃないんです。バスも、ちょっと楽しみだなって、思っただけで、べつに、文句とかがあった訳じゃないんです」
バスもまた、距離と料金が微妙な交通機関だからなぁ。僕も、通学とかに使わなければ、乗ってないと思うし。でも大人びた椿姫ちゃんの、そういう反応が本当に可愛らしいと思う。
水族館前という、ストレート過ぎる名前の停留所で降りると、潮の香りがしたような気がした。公園に居た時より、日差しが強くなっていて、アスファルトに反射した陽光とで挟み込まれる感じがした。椿姫ちゃんは閉じていた日傘を開き、日陰の元へ。
……そして到着を祝う暇すら与えられず、僕等の目前には誰も特をしないであろう無駄に高い階段が立ちはだかっていた。
(この階段も、オツな物なんですがね)
「り、凜さん……」
不安気な声を上げながら、袖をちょいちょいと引っ張ってくるから何事かと振り向く。
「どうしたの、椿姫ちゃん」
「…………おんぶ」
甘え方を覚えたとか通り越して、我が儘お嬢様みたいになってた。
「……仕方ないなぁ」
状態を低くし、椿姫ちゃんが乗り易いように背中を向ける。「うんしょっ」と言う老人臭いか掛け声と共に、背中に少女一人分の体重が伸し掛かる。同時に、僕の頭が日陰に包まれた。
「あー、日傘って結構良いかもしれないね。椿姫ちゃんが焼けるのも、想像できないし」
頭に触れる陽気の有無で、体感温度にこうも違いが出るとは思わなかった。
「お、重くないですか……?」
「重くはないよ。もっと椿姫ちゃんの重みを感じたいくらいには」
寧ろ軽すぎるくらいだ。このままスッと、椿姫ちゃんが消えてしまいそうな程に。
「物は言いようとは言いますけど、言い方でここまで気持ち悪くなるとは思わなかったです」
問題は、椿姫ちゃん自身の重さではなく、人間と言う抱えづらい物を持ちつつ、階段を上がるという作業の方にあるんだけど。半ばまで登ったところで、軽く目眩がしてくる。もともと、肉体派ではないし、辛いものは辛いのだ。椿姫ちゃんの前で強がる程度の見栄はあるけれど。
後半は半ばヤケクソで駆け上がり、一気に頂点に辿り着く。どうして入り口前に着いただけなのに、こんなにも達成感に包まれてしまっているのだろう。椿姫ちゃんは僕の足が止まったのを確認すると「よっ」と今度は若々しい掛け声を呟きながら、僕の背中から飛び降りる。癒やし要素が亡くなった所為で余計に生きるのが辛くなってしまった。重労働を終えた僕は、思わず水族館入り口前のベンチにへたり込んでしまう。
「い、いやぁ……情けないなぁ」
「すいません、私が自分で歩いてしまうと、倍くらいの時間がかかりそうだったので」
「大丈夫……大丈夫だけど、ちょっと休ませて」
「飲み物でも買ってきましょうか?」
入り口脇に設置された自動販売機を指差し、椿姫ちゃんが訊ねてくる。
「……うん、お願いできるかな。お茶でいいや、一番左にあるやつ」
「凄い適当な指定の仕方ですけど、必死さだけは伝わってきたので良しとします」
タッタッタと走って、タッタッタと戻ってくる。流石に数十メートルもない距離で問題が発生し得るほど、日本の治安は悪くない。
両手にお茶を持った椿姫ちゃんが、僕の横にちょこんと腰を落ち着かせる。
お茶の種類は、自動販売機メーカーが独自に作ったらしい、安いだけが取り柄のお茶だった。
僕は緑茶と麦茶と烏龍茶の違いがギリギリ分かるくらいだから、何だっていいんだけど。
「この水族館ってさ、確か遊園地が併設されてるんだけど、興味ある?」
「んー、遊園地はそこまで、ですね。今日は水族館の気分でしたし」
「動物園とか、水族館に併設されてる遊園地って、基本的に微妙っぽいというジンクスがあるから、それでいいと思う」
「微妙っぽいって、凄い曖昧な表現ですよね」
呆れました、そう言って椿姫ちゃんは僕をジトっと睨んだ。
ま、併設されてる遊園地に行った経験なんて殆どないんだけど。
喉越しが極々普通のお茶を飲むと、疲れが少しだけ癒えた気がした。
「はぁー……生き返るーって感じ」
「やす~いお茶で生き返るなんて、文字通り安い命ですね……」
「いや、『椿姫ちゃんに渡された』お茶だから蘇るんだよ」
「もう、実は何だって良いんですよね?」
「椿姫ちゃんの手が握れればね」
「……話の流れが高度過ぎて私には付いていけない」
そんな事を言いながら、椿姫ちゃんは律儀に僕の手を握る。
今日会ってから、手を繋いでない時間より、繋いでる時間の方が長い気がする。幸せでした。
ほどほどに体力を回復したところで、水族館の中へと仲良く並んで入る事にした。
二枚の自動ドアをくぐり中へと入っていくと、涼しさと同時に独特の生臭い匂いが鼻の中に広がる。入り口脇には、日焼けが酷い記念スタンプや、メダル製造機みたいな機械が並んでいて、哀愁が漂っていた。ついでに、おみやげなんかを売っている売店があったが、先に見ても仕方がないのでスルーしていく。左脇のトイレの隣に、何故かウミガメのスペースが設けられていた……。立地条件が最悪なのは、ウミガメへのイジメなのだろうか。
そして、そんなウミガメへと興味津々といった様相で、水槽へとかける椿姫ちゃん。
(ウミガメって、いつからあそこにいるんだろう。本当に万年も生きるのだろうか)
「ミズガメじゃないですか!」
「……ウミガメだよ」
「どっちでも良いです!」
「…………良くないと思うよ」
椿姫ちゃんは僕との話そっちのけで、携帯のカメラ機能でパシャパシャしてく。前もってフラッシュは焚かないように言っておいたから、大丈夫だろう。僕も持って来たカメラでウミガメを取る体で、椿姫ちゃんを撮っていく。
(いくらなんでも、撮り過ぎだとは思う。お互いに……)
「凜さん」
「どうしたの?」
「ミズガメじゃなくて、ウミガメらしいですよ」
「………………知ってるよ」
あー、もう訳分からないけど可愛い。
「ウミガメさん、可愛いですねぇ。凄い、人生ダラダラって感じです」
「ウ、ウミガメにも、悩みとかあると思うよ……多分」
水槽の横に、館内の簡易地図が取り付けられていたので、椿姫ちゃんと並んで眺めておく。入り口にあったパンフレットは貰っていたけど、二人で見るならこちらの方が好都合だから。
「左回りか、右回りか、ですかね」
「……左回りとか、右回りとか言われると、どっちに回るか良く分からなくなってこない?」
「いや、なりませんけど」
「……時計回りか、逆時計回りってことにしよう」
結局、四角形をしている館内を時計回りに見ていく事にした。
ウミガメの掴みは、椿姫ちゃんには上々だったようで、歩幅がいつもより広いように感じる。
アーチ状の、展示スペースへの入り口をくぐると、少し証明が暗くなり雰囲気がガラリと切り替わる。海底っぽい雰囲気を作り出してるのだろうか。全体的に青や藍色っぽい色彩なのも、そう言った意識なのだろうか。
淡い色の照明に照らされた椿姫ちゃんはアダルトで妖艶な雰囲気を放っていて、思わず一枚写真を撮ってしまう。流石に怒られましたけど。気を取り直して館内に視線を戻すと、パノラマ水槽と呼ばれる、左右に大きく広がる水槽が廊下一面に広がっていた。
「わぁああぁっ」
早速、椿姫ちゃんの歓声が聞こえる。
ベタリとガラスに張り付かん勢いで、水槽へと駆け寄っていく。
(魚ってどうしてこんなに可愛いんだろう)
「何だかすっごい、平たくて、変な魚がいますよ!」
「たぶん、エイだと思うよ、アレは」
一応、水槽の手前に設置された、魚の生態について説明した看板を眺めながら答える。
左にてくてく、右にてくてく、より面白そうな魚影を追って椿姫ちゃんが激しく動いていく好奇心の赴くまま走る椿姫ちゃんは、小学校高学年という年齢よりも少し幼く見える程だった。
「サメさんもいますよ! すっごい、すっごいなぁっ」
「サメなのに、ツマグロって名前なんだね、何だか変な感じ」
「へぇー、ツマグロですか。ツナとマグロが合体したみたいな名前ですね。どうしてこんな名前なんでしょう」
「……それは、帰ってからの宿題という事で」
流石に説明文にはそこまで仔細な説明は載っていなかった。多分、たまたまなんだと思う。
「ほわぁー、小さい魚も沢山いて、圧巻ですねぇ。見ているだけでお腹いっぱいになりそう!」
僕はそんな椿姫ちゃんを眺めてるだけでお腹いっぱいです。だけど、小さい魚の群れを見てお腹いっぱいと言うのは、食いしん坊っぽいから止めた方が良いと思う。
「ほぉぇえー……魚だ」
「そりゃあ水族館だからね」
結局、行ったり戻ったりを何度も繰り返して、パノラマ水槽だけで小一時間も楽しんでいた。
「椿姫ちゃん……そろそろ」
「あ、ああ、そうですね。まだまだ見て回らないといけない場所もありますし……うん、後で時間があったらもう一回……それじゃあ、またあとでね」
まだ見るつもりだったのか、とは言えず、水槽に向かって手を振る椿姫ちゃんに鼻血が出そうになりながら次の展示スペースへと向かう。先ほどとは打って変わって、天窓から太陽光が差し込む明るい空間に出る。ここの水槽も、多分椿姫ちゃんも気に入ってくれると思う
「イルカさんじゃないですかっ!」
哀しい別れから数秒で、椿姫ちゃんは立ち直っていた。うん、分かるよ。イルカさん、可愛いもんね。いちいちさん付けする椿姫ちゃんはもっと可愛いけど。円筒状の水槽をぐるりと回るように、道が出来ており、あらゆる角度からイルカを眺められるようになっていた。
「はぁー欲しいなぁ」
……流石に椿姫ちゃんにぞっこんの僕でも、イルカを買ってあげることは出来ないので聞き流しておく。二頭のイルカが、互いに体をこすり合わせる様に泳いでいく。そんなイルカを、一瞬も逃さないように、カメラで撮影していく椿姫ちゃん。
その顔は興奮で桃色に火照っていて、心の底から連れて来てあげて良かったと思える。
「あっ、そうだ。写真、撮ってあげようか?」
「えっ? 写真くらいなら、自分で撮れますけど……」
「そうじゃなくてね、椿姫ちゃんとイルカを並んで撮ってあげようかなーって」
「それは……凄く魅力的な提案ですね…………だけど――」
「ん?」
「どうせなら、凜さんと一緒に撮られたいなぁ……なんて」
――あー! 抱きしめたい……っ!
どうしてこんな、抱きしめたくなるような事ばかり言うのだろうこの子は。魔性の女なのか。
「……じゃあ、ちょっと誰かに頼んでみようか……」
辺りをぐるりと見回し、丁度通りかかろうとしていた人当たりの良さそうな中年夫婦を見つける。写真を撮って貰いたい旨を伝えると、快く引き受けてくれた。
写真を撮り終え、帰ってきたカメラを鞄にしまったところで、夫婦が話しかけてきた。
「兄妹で来てるなんて、よほど仲良しなんだね」
「……両親が共働きで、だから自然と、僕が妹の世話をしてて」
一瞬、顔を見合わせてしまうが、事実をそのまま伝えることなんて出来ないから、適当に嘘をでっち上げる。夫婦には申し訳ないけれど、ね。
「あぁ、なるほど。兄妹は一生の付き合いだからね、大切にしてあげなさい」
「はい」
「妹さんも、いいお兄さんを持ったね」
「……はい、ありがとうございます」
「それじゃあ、私達はこの辺で――」
自分たちが、端からはどう見られているかなんて事は分かっていた筈なんだけど。ちょっぴり不服そうな椿姫ちゃん。そんな表情が、とても良いと僕は思う。
「どうかしたの?」
「べつに……ただ、やっぱり兄妹なんだなぁって思っただけです」
「僕等を見てカップルだっていう発想を抱く人がいたら、その人の方がよっぽど危ないからね」
「それもそうですが……」
「キスでもしてみる?」
「なっ、何言ってるんですか……っ!? こんなところで、出来る訳、ないじゃないですか!」
真っ赤な顔で反論する椿姫ちゃん。流石に人前でキスはアウトらしい。
「うん、僕もそう思うけど、キスでもしとけば、カップルに見えるかもなぁって」
「も、もう兄妹でいいです……。行きますよ……っ、先は長いですからね」
薄暗い館内でも分かるほどに、顔を真っ赤にしながら、奥へと駆けていってしまう。
「転ばないようにねー」
あえて、兄妹っぽい事を言ってみる。
「子供扱いしないでください!」
少しだけ拗ねてしまったようだった。
水槽をぐるりと、半回転すると、別の展示スペースへと移動する為のアーチが現れる。
一メートル四方程度の水槽が、幾つも並び、その中に様々な魚が収められていた。
椿姫ちゃんの感心は、新たに現れた未知の生物へと移っていっていた。
「あ、タコが居ますよ」
……タコはさん付けされないんだ。椿姫ちゃんの中の水族序列が良く分からない。
タコは、自己主張したいのか引っ込みたいのか訳の分からない動きをしつつ、べたべたと岩やら壁面やらにへばり付いていた。椿姫ちゃんはそんなタコの一挙一動を全て見逃さないとでも言うように、穴が空くほどに見つめていた。
更に次の展示スペースへに辿り着くと、椿姫ちゃんの表情が曇った。
「スズキやら、イトウやら、魚なのに夢がない名前ですね」
「……それは全国のスズキさんとイトウさんに失礼だと思う」
「サトウはいないんですかね」
「居ないと思うなぁ」
「仲間はずれなんですね」
「ちょっと、椿姫ちゃんが何を言ってるのか僕には良く分からないよ」
テンションが上がっているのか、さっきから良くわからない事を口走ってる気がする。
……こんな椿姫ちゃんが見られるなんて。本当に来て良かった。
「チンアナゴのチンって何のチンなんでしょうね」
「……そんなチンチン言わない方がいいと思うな、僕は」
「どうしてですか?」
「分からないならべつに良いんだけど……あっ、ここに書いてあるよ。日本犬のチンに似てるかららしい」
「へぇー、そんな犬が居る事も初めて知りました」
「僕もだ」
長い展示スペースの中央部分は、カワウソのスペースとなっており、天井に設けられたトンネルを、カワウソが潜ったりしていた。普段は見ることの出来ない角度から眺める生き物は、それだけで新鮮な気分がした。
「何ですか、あの可愛い生き物!?」
どうやらカワウソという生物の知識を、まだ椿姫ちゃんは持ちあわせていなかったらしい。なんだこの可愛い小学生。
「わわわっ、立ってますよ!」
「ファンサービス旺盛なんだね」
「あっちは寝てます、ぐっすりですよっ」
「革が潰れてクッションみたいになってるね」
「威嚇されましたよ!」
「……それは喜んじゃいけないんじゃないかな」
まさかあの椿姫ちゃんが「きゃー!」というステレオな歓声まであげるとは思わなかった。
椿姫ちゃんはカワウソ達を偉く気に入ったのか、勝手に名前まで付けていた。
「あの子は……サトウですね」
「…………まだ諦めてなかったんだ、そのサトウ」
「肉球とかぷにぷにしたいですね。落ちてないでしょうか……」
「仮に落ちてる肉球があったとしても、多分既にふにふにはしてないと思う」
確かどこかにカワウソの肉球を触れる施設があった筈だから、今度連れて行ってあげよう。
「――っと、椿姫ちゃん、そろそろアレが始まるよ」
「アレ……ってなんでしょうか」
今の椿姫ちゃんにとって、『アレ』よりも、目の前のカワウソの方が大事なのか、頑なとしてガラスから離れようとしない。出来れば現場に到着するまで、何があるのかは黙っておきたかったけど、仕方がないので教えてあげることにした。
「行きましょう!」
先ほどまでの態度とは打って変わって僕の手を引き出すくらい、興味津々らしかった。
館内から館外へと出る。太陽は頂点を目前とし、日差しはかなり強くなっていた。歩くだけで汗が浮かび上がってくるような事はなかったけれど。
「凜さん、鞄の中に帽子があると思うので、取って貰えますか?」
リボンのアクセントが付いたガルボハットを取り出して、椿姫ちゃんの頭の上へと乗せてあげる。可愛らしいんだけど、寄り添って歩くと、身長差の所為で顔が伺えなくなってしまうのが哀しい。傘を広げる訳にもいかないから、仕方ないんだけど。
歩道に沿って歩いていくと、風に乗って潮の香りが漂ってくる。カモメの鳴き声とか、本当に聞こえてくるんだなぁって感じ。数十メートルほど歩くと、屋台ステージとプールが合体したような、独特の空間に辿り着く。
「あ、ここだね、結構人が入ってるなぁ」
入って来た人間から順番に並んでいくらしいが、大分遅れて来た僕等でも真ん中の席に座ることが出来た。今日の客入りは良くないようだ。こちらとしては有り難い。前方のステージ上に、教育番組の中から飛び出てきた様な飼育員が、独特の子供向けの語りを開始する。
「椿姫ちゃん、見える?」
「はい、問題ありません。見えます。見えなくても見ますっ!」
これから戦闘に臨む戦士のように意気込んでいた。
「ふぁああ……っ、ペンギンさん、あんなにペンギンさんですよっ!?」
左手でステージを指差し、右手で僕の裾をぐいぐいと引っ張ってくる。
どれだけペンギンさんなんだろう。
「はぁー、タメになりますねぇ」僕はダメになりそうだった。
飼育員はペンギンの生態や魅力について、生のペンギンを使っていろいろと説明してくれた。
この知識を使う機会――もとい披露する機会があるのかは分からないけれど、僕が聞いていても割と楽しめる内容だ。ペンギンのショーは、餌やりから、行進と続き、ちょっとした芸、泳ぎといった順で進んでいった。
椿姫ちゃんは、ペンギンが動き出す度に可愛らしい歓声を上げ、熱っぽい吐息を漏らし、たまに「はぁー……ペンギンさんで溺れたい……」とか良くわからない事を口走っていた。
(ペンギンに囲まれて、ペンギンで死にたいという事なら、同意出来ると思う)
「ペンギンさんが羨ましいなぁ」
「どうしてですか?」
「歩いてるだけで椿姫ちゃんに喜ばれるから」
「……まぁ、凜さんには無理ですよね」
「バッサリだー……」
「でも、感謝はしてますよ? こんな、素晴らしいペンギンさんを見せてくれたんですから」
「んー、今はそれで我慢しておく」
「……今はって事は、今後、何か別の何かを要求される可能性があるという事でしょうか」
「………………ノーコメントで」
「沈黙が何よりも物語る格好の例ですね」
会話は終わってしまったけれど、椿姫ちゃんの歓声はまだまだ鳴り止まなかった。




