頭を割られた男−2
「鬱陶しい庭だな」
寅次は心底気に入らないという顔で庭に目をやった。
つられて鹿島も庭を見る。
雨に濡れた木の葉が一層青々と、そうして深く幽玄な世界を広げていた。陽が届かないぶん、いつもより暗さは際立っている。
しかし、鹿島にはこのもみじの庭こそ、自然の美しさがそのままあるのだと思っている。それを今この男の目の前で口にはできないなと、鹿島の本能がそう抑制させた。
「こんな雨の日は尚更だ。闇を見ているよりは鈍色の空を見ていた方がまだいい」
いつ、同意を求められるのか。鹿島は寅次の継ぐ言葉の一節一節に冷や汗が流れるのを覚えた。
もし、「お前ならどうだ、そう思わないか」とでも訊かれたら、「いいえ」というべきか「はい」というべきか。
そんな事を悩んでいるうちに、寅次は疲れたように庭に背を向けてソファーに腰を下ろしていた。
「菊江殿をお前も存じているだろう」
意外な言葉に鹿島は眉を寄せた。
「菊江、殿?」
「ああ、いつもここに座っている麗しき貴婦人だ」
寅次は自分の隣の空間を愛おしそうに手で撫でた。いつも猫背にしてテレビを食い入るように見ている山南さん。
「はい、存じております」
「俺はな、菊江殿がこんな鬱蒼とした山の中で、陰鬱な空間に囲まれて暮らしているなど考えたくもない。俺はな、菊江殿はまっさらな青空の下、燦々と太陽を浴びて光り輝く大地の上で、色とりどりの薔薇の花に埋もれて笑っているのが一番彼女らしいと思うのだ」
寅次のそんな言葉を聞いて、鹿島はふと思い出していた。
50年以上も前だろう。〔薔薇の園〕という映画が流行った。
その映画の主人公を演じた女優はまだ名もない若き女優。その女優の若さと美しさは、自分を含めた老弱男女を虜にした。
当時は白黒映画だったが、今ではすっかり記憶の中で記憶が勝手に色彩を与えていた。
鹿島の中で彩られた薔薇は、ピンクや黄色。美しい程鮮やかな赤ではない、パステルな可憐な彩りだった。
(この男の中の、菊江さんを彩る薔薇はどんな色だろう)
ぼんやりそんな事を考えているうちに、虎次の話はどんどん進んで行った。
「俺はな、この鬱陶しい庭を美しい薔薇の園にしたい」
ふと、入居の挨拶に見た直行の顔が脳裏に浮かんだ。
『この庭はどう思う』
あの日唐突に直行はそう訊いて来た。
しきりに薔薇の話をする虎次のネットを被った脳天を眺めながら鹿島は目を細めた。
直行の愛する日本庭園。
開放的な西洋庭園に作り直そうとする虎次。
それを許さない直行。
理解してもらえない寅次の怒り。それもそうだろう、寅次の意地の裏には山南菊江に対する壮絶な恋心が秘められてるのだ。
足元から上ってくるような悪寒を感じて鹿島は身震いした。
この歳を越えて、愛だの恋だのそういう騒動に巻き込まれる。そんな危機感を感じた。
(まさか、気のせいだろう)
歳若い学生ならまだしも、どれもこれも七十近い連中である。
(まさか、な)
二日程続いた雨のせいで、空気が冷たく感じるのだろう。鹿島は両腕を摩りながら、寅次の言葉の合間を見計らって曖昧な挨拶を置いて部屋に戻った。