頭を割られた男−1
朝から雨が降っていた。大降りでもなく小降りでもない、霧雨のような細かい雨だ。温度調整されている館内に居てもどこか肌寒さを感じるようで、鹿島は厚手のカーディガンを羽織ってホールに出た。いつもの場所に山南の姿はなく、ホールが一段と冷えた色に見える。
消えているテレビの前に立つと、頭を掻きながら鹿島は庭を見た。
ガラスの向こうに見慣れない男の姿があった。小雨の振る庭に立ち、握りこぶしをギッシリ両脇に添えたままの姿で彼はじっと庭を見ていた。
頭にはガーゼとネットがある。もしやと、鹿島は思った。
この男が、直行の怒りを頭に浴びたという噂の男か。
あの夜の山本議員の渋ったらしい顔が目に浮かんだ。
「少し自惚れた爺さんが一匹いるらしいが、まぁあまり首を突っ込む事はするな」
そう言って山本は目を細めた。
自惚れた、とはどういう意味だろうと思考を巡らせながら鹿島はその場を立ち去ろうとした。
ふと、視線に気が付く。
男がこちらを見ている。
「見つかってしまったか」
口の奥で小さく呟くと、案の定、男がそこに居ろという合図を送ってきた。知らない振りをいまさらするわけにもいかず、鹿島はそのままそこに立ち尽くした。
逃げ切れるはずはないと、何故かそんな気がしたからだ。
男はさほど時間を置かずに鹿島の前に来た。肩に着いた雨の雫を払う仕草をしながらゆっくり歩み寄る。
「新人か」
独得の口調で、どこか芯を持っている声。
「はい、鹿島昭夫と申します」
お辞儀をして、鹿島はもう一度男を見た。
「小野山寅次だ。俺の噂は聞いたか」
ホールのソファにどかりと腰を落とすと、鋭い眼光で鹿島を見上げた。
「噂、と言いますと?」
あっけらかんとした真似をして鹿島は問い返した。おおよその話しは耳に届いていた。おそらく直行に脳天を割られたという噂の事だろう。
「この傷だ」
案の定、寅次は頭を摩った。そして無様なものだと、付け足して自嘲気味に続ける。
「……怪我をされたという話なら聞いてますが、ところで具合はいかがですか」
「ふん、年寄りになると治りが遅い」
「そうですな」
不貞腐れるように言い捨てた寅次に続いて、鹿島もそう言うと自分の足をそっと摩った。その様子をちらりと見て、寅次は投げやりに聞いてきた。
「ふん、お前は足が悪いのか」
「健全とは言えませんが、とりわけ病名があるもんでもないです。これは」
少しはにかんでそう答えた。
「怠け病みたいなもんでしょうかね。仕事を辞めてから急に言う事が聞かなくなりました」
頭を掻きながらどうしようもない表情をしてみせた。寅次はそんな鹿島を見上げ、やがてゆっくり「そんなもんだ」と付け足した。
些か、ちゃぶ台を投げつけるような勢いは、直行よりこちらがあるなと鹿島は思った。それだけ普段の物言いにどこかただならぬものを感じたのだ。