静かなる側近
宴の翌日は清々しい程の朝だった。
座敷の縁側の側に井上は正座していた。その奥に直行の姿が見える。
開け放たれた雨戸の向こう側にそびえる、庭木の緑を受けたその姿が一層大きく見えた。
片膝を付き、すらりとした仕草で日本刀を抜き出す。手入れ道具を並べた盆から拭い紙を掬い取り、流れるような仕草で刃に手をかけた。
鋼色の刀に淡い影が生じた。畳に反射した光を吸収するように、天の川のような刃文が眩しく光る。そうやって光を放出させるその様子を、縁側で井上はじっと見ていた。
パッチン
庭の鹿威しの音に混じって時折、鋏の音が響いた。
楓の庭の隅に、蹲の背景に一本だけ雄々しく枝を広げる黒松がある。豊が松の上でみどり摘みをしていた。
一番手入れが必要だったのは、このモミジばかりが目立つ庭でも、松の存在が一目瞭然だったのだ。松は手入れが一際重要な庭木だ。それでも庭の他の木よりは幾らか形が出来上がっている。枝が伸び切ってはいたものの、近年まで誰かが手がけていたのだろう。豊も鹿島もまずはこの松から剪定を始めようと決めた。
はらりはらりと摘まれた葉が音も無く落ち、下に鶯色の絨毯を作っていた。時たまマツケムシと小枝が落ちると音が小さく立つ。
ふと井上の視線がそちらに向かった。
「若いのが気になるなら話でもしてこい」
背を向けたまま直行は男に言った。刀の柄を何度か持ち返し、その輝きをうっとりと眺めたまま。
「ご配慮ありがとうございます」
深々とその背中に頭を垂れ、井上はすくっと立ち上がった。縁側を降り、音も無く草履に履き替えると延段と飛び石の上をゆっくり歩いた。シャリシャリと草履が擦れる音が立った。
井上は苔むした場所まで来ると、少し遠い松の上を見やる。
「鋏は何を遣っておられます」
唐突にそう声を掛けられて、豊は木の上で小さな驚き声を挙げた。眼下を見ると、縁側に座っていた男がすぐ下に居る。
豊は腰に下げた鋏入れに手をやって、思考を巡らせながら答えた。
「今日はみどり摘みですから、鋏はあまり使わないので大したもんではないっす」
そう言いながら脚立を降りようとした豊に、手を上げて井上は制止した。
「お構いなく」
すいませんと頭を下げて豊は降りかけた段にまた足を乗せる。
「迷いのない音ですね、松が喜んでおります」
物静かだがよく通る声だ。
「鋏の音は、即ち、貴方の音です」
一瞬鋏を落としそうになって、豊は下に居る井上に目線を落とした。
ふぃっと井上の姿が松葉の陰になった。
「あの」
豊が声を掛けた頃には、井上は縁側で草履を脱いだ姿があった。無駄のない動きで前の場所に正座しなおす。一礼してそのまま凛然と背筋を伸ばして当主を見詰めていた。