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若き庭師

鹿島かしまさん」

 明るい声が鹿島の名を呼んでいる。鹿島は声をした方を振り返った。

 玄関で手を振る若い男がいた。

 ニッカズボンに地下足袋を履き、見覚えのある造園マークの入った半纏を鯉口シャツの上に羽織ってにんまり笑う顔。

「おお、来たか」

 鹿島は、どっこいしょと腰を上げて玄関に向かった。

「ご無沙汰しております、お元気そうで」

 妙にかしこまった口調にお互い噴き出す。

「らしくないな」

 鹿島がそう言うと、若い男はニヤニヤ楽しそうに微笑んだ。

「師匠こそ、こういう施設とこにいるなんて」

「とある知り合いの身代わりになる一年だけだ」

 そう言うとホールにいた若い女性が、客人に気がついてこちらに歩いてきた。

蒼桐(あおぎり)造園(ぞうえん)さんですか」

「はい、青桐の伊藤いとうです。本日からお世話になります、よろしくお願いします」

 慌てて頭に被っていたタオルを毟り取ると深く頭を下げる。

「今日はお庭の下見に参りました」

「お聞きしております、奥の庭になりますのでこちらからどうぞ」

 女はそう言うと鹿島たちを振り返った。

「こちらからは廊下の奥の勝手口から庭に降りられます」

 指差されたホールの奥を見て、そのまま鹿島は歩んだ。

「ユタ、こっちだ」

 先に案内すると言って鹿島は、来客用のスリッパを投げやりに差し出した。

 青年、伊藤(いとう)(ゆたか)は、タオルで潰れた髪を掻き直しながら地下足袋を器用に脱いだ。差し出されて転がったスリッパをいそいそと履く。

「まさか鹿島さんから仕事の依頼があるとか思ってなかったっすよ」

 前を歩く鹿島の後ろ姿を、懐かしそうに眺めながら豊は愉しそうに笑った。

「俺だって心外だ」

「でも、俺うれしいっすよ」

「そうかそうか」

 嬉しいのは鹿島もそうだった。何せ引退してから四年ぶりに職場の人間と会うのだから。

「このサンダルでも履いとけ」

 廊下の突き当たりのドアを開けた鹿島は、後ろにいる豊を振り返った。

「外からは、回れないんすか」

「座敷のある母屋からは庭に通じるが、遠回りになるんでね。今日はこっちから案内する。明日からは遠回りしてあっちから来い」

「わかりました」

 鹿島は廊下を出て外に出ると、少し重そうに足を運ぶ。砂利の音が何となく心地よい。

「師匠はいつからここに?」

「つい今日、お前より二時間ばかり早い」

「そうなんですか」 

 二人の足音が微妙に重なり風に溶けた。

「はぁ〜」

 鹿島の後を着いてきた豊が一瞬声を挙げた。

 ざわりと楓の枝が揺らいだ。


「どうだ」

 些か白髪が目立ってきた鹿島の頭髪が風に揺れている。濃厚な緑が鹿島の背後にあった。

 まるで森林そのものの息吹が聞こえてきそうな重圧感。だが、それは明らかに人工に造られた庭であるのは間違いない。

 その圧倒的な存在感に豊は息を飲んだ。

「広いっすね」

「そうだろ。ここだけで四百平米はある」

「ひえぇ」

 森のような楓の園は、その濃厚な重なり合う枝葉のせいか、見てくれはそれ以上に大きな森林に思えた。

 ひととき圧倒された後、豊は首の後ろを掻きながら自分を見る鹿島に目をやった。

「ここだけって事は、まだあるんすか?」

 豊の目は輝いていた。大きな仕事がひとつ舞い込んできて意気揚々としている様。

「この向こうに母屋があるが、そっちの方も後から案内する」

 そう言うなり鹿島はその森に入っていった。慌てて豊もその後を追う。

 青い匂いが鼻についた。豊満な緑の香りだ。

 どっと仄暗い空気が二人の周りを取巻いた。それもつかの間、穏やかな日差しがその濃密な楓の葉の隙間から、ささやかに地上に降り注いでくる。

 その遠慮がちな陽の光を浴びて、苔の地面がみっしり石畳に世界観を見出していた。

 その別世界ともいえる庭の奥に、和の家屋が見える。

 縁側がこちらに向いてあり、そこが座敷になっているようだ。雨戸が開け放たれ、吹き抜けになった座敷が、爽快そうに風の通り道になっていた。

 その建物から、続く廊下が施設の壁に擦りついていた。

「ああ、ここは玄関から見える所っすね」

 ようやく、豊が分かったと明るく言った。施設に面したガラスを覗くと、ホールに置いてあるテレビを食い入る様に見ている老婦人の横顔が見えた。

 外の様子に気が付いた老婦人が、ゆっくりこちらに歩み寄ってきた。そっと窓ガラスを引くと、

「何しているんです」

 その外見からは驚く程、若々しい声が彼女から立ち上った。

「庭の手入れをしにきました、これからっすけどね」

 細く開けたられた窓から豊が元気に対応すると、老婦人はにこやかに微笑んで返す。

「私は山南やまなみといいます、以後よろしくね」

 少し関西弁がかかったような、朗らかな口調。白髪が多少混じったその姿には少しばかり不釣合いな若々しさがある声音だった。

「頑張ってくださいな」 

 そう言うなり、クィツと猫背にしてまたテレビの前のソファに深く腰をかけた。

 その様子を見届けてから、豊が鹿島を降り返る。 

「あの母屋の横から玄関の方にも剪定する場所がある。まぁそう急かすな、仕事なら山ほどあるからな」

 苔が寄り添う延段を伝うように歩き、縁側の側まで来ると、二人は庭をもう一度仰ぎ見た。

 なるほど、こちら側が庭の正面になるなと豊はひとり頷いた。

「何か注文とかはあったすか?」

 前方を見たまま豊は尋ねた。

「いや、専属のお前に一任だ」

 それだけ言って鹿島も庭に目線を止めたまま腕を組んだ。

 豊には信頼を寄せている。

 高卒で入社したチャランポランな頃から、スパルタ式に仕事を見て盗むよう言ってきたのだ。彼はそれなりに、見て触れて感じて、失敗して何度とそれを繰り返してきた。そこで築き上げた実戦者の揺るぎない自信が、今の豊からは立ち上がっている。

 有能な弟子に任せたからというわけではないが、鹿島にとってこの庭野仕事自体は、それほど気になる事ではなかった。

 そんな事より、これからこの施設でどうやって生活していこうかと、そんな事ばかり考えてしまう。


 直行なおゆきというあの男と、脳天を勝ち割られたという噂の男が居るこの館で。



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