茶飲み友達−2
鹿島はしばし思案をした後、期待に胸を膨らませる井上を見据えて唾を飲んだ。
常日頃は冷静な男にこうも興味を示した顔をされては、いざ話をしだそうとするのに些か緊張する。
とりあえず、ふらふらと奥の庭に散策に行ったことから話を始めた。それを面白そうに井上は目を輝かせて聞いていた。どこからその「女疑惑」が沸くのかと楽しみでしょうがないといった具合で。
「そこで、女が出てきたんです」
馨しい匂いが立ち込めると、ふらふらしてよく覚えていないが。と付け足して鹿島は頭を掻いた。
「女ですか」
「ええ、白い人でした。そう、着物も肌も。まったくの美人です」
おやまぁと井上は応える。
「その女性は、縁側を抜けて横を通ると下草の都忘れを摘んで……」
と記憶を探りながら鹿島は目を瞑った。
「そうそう、イノウエさんがいらっしゃるからどうこうって」
鹿島の目が、思い出した記憶に見開いた。
あの女性は直行に「井上さんが来るから」とそう言ったのだ。
「おや」
井上は少し不思議そうな顔をしたのち、面白い事もあるものですねと側にあった漆塗りの箱から筆記用具を取り出した。
「日記に記しておきましょう、実に面白いです」
そして老眼鏡も掛けずにすらすらと書き綴る。
「その前に、小さな子供の声も聞こえましたが、あれは直行殿の小さな頃の録音ですか。」
室内に古めかしい蓄音機があったのを思い出した。それがどのくらいの価値のもので、いつのものなのかさえ、その謎のベールを鹿島も井上もめくろうとはしない。
ただ、井上は淡白に頷いた。
「そうですね、物持ちがよろしいんですよ当主は」
慣れた手つきで井上は急須の出がらしをとり、新しい茶葉をいれた。
茶葉の香りが朝の空気には格別だ。ここから遠い所に敷かれている電車の音が、潤んだ空気に運ばれて来る。世間の騒々しさとは離れたこの離れに、どこか娑婆の面影を感じて実に心地が良かった。
「私が見た女は一体誰だったんでしょう、まだ若い女性です」
「あれは幻覚ですよ」
井上はあっさり簡単に答えた。
「幻覚?」
「匂いがしたという事ですよね」
「はい」
「私が調合した御香です。少しばかり流通されていない配合を行っております」
万年筆を机に置くと、鹿島に振り向いた。井上特有の凛とした姿勢でその場の空気までが張詰めた気がした。
「流通されていない配合と、申しますと?」
「オーダーメイドです」
にっこりと井上は微笑んだ。
「当主意外の人が嗅ぐと、強い作用を伴う場合があります。鹿島さんのそれは、まさに強い作用によるものでしょう。頭痛と吐き気などありませんでしたか?」
「あぁはいはい、頭痛と吐き気と眩暈でした。しばらく具合がよくないのでその日の夕食は取らずに、そのまま気がついたら寝てしまいました」
あの後の言葉にならない不調を、今でさえどう説明していいのか鹿島にはわからない。
頭痛と吐き気、といえばそうだし、そうでないといえばそうでない。とにかく今までどんな風邪にかかった時より苦しく酷い悪心尽くめだったのだ。
「鹿島さんは庭師ですから、植物の事は詳しいですね」
「取り扱っていた植物ならば」
「では、ウバタマサボテン属のペヨーテというサボテンをご存知ですか」
「はぁ、まったく無知です」
ぽりぽりと頭を掻いて鹿島は唸った。現役時代、どこぞかの金持ちがサボテンをコレクションしているとかいって、温室の管理などそういう依頼があったらまた別だったろうと、思考の隅で残念がる。
「古くのアメリカではこれを儀式に使用していたという事があります。精神効果と幻覚を伴うものです」
現在ではアメリカ原住民の土着民しか使用が許可されていないとあって、その入手方法は秘密でありますが、と井上は何の屈託もなく鹿島に話した。
「あ、いや、他言はしませんが。大丈夫なんですか、それは」
「当主に限っては問題ありません、むしろ当主はこれでなければ効果がございませんので。しかし、当主以外の人間にも法律的にも問題は大アリです」
井上はお茶を一口啜って、ほぅと息をついた。
「大アリ……ですか」
「はい、大アリです」
「……そんな事を私になど仰ってもよかったんですかねぇ」
鹿島は不安そうに井上の顔を見る。
「幻覚を見た経緯をお聞きしたかったのは鹿島殿ではございませんか」
垂直に応えられて鹿島は固唾を飲んだ。
「ええ、まぁ、そうです」
「それに。面白がったり物知りぶったりして話を拡散するような、自慢高慢馬鹿のうち、のような方ではないと私は見ております」
凛とした口調で見据えられ、鹿島は心の表面がくすぐったく感じて肩を竦めた。久しく感じていなかった照れくささだ。
「それでは、そのサボテンを調合しなければならないという直行殿は、何か大きなご病気なんですか?」
「いいえ、病気という名前は付けてはならないと本人から申されております」
「はははは、病は気からといいますからね」