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募りの日本庭園−3

「きゃっきゃっきゃ」

 何人かの子供の無邪気な喜ぶ声。

「随分賑やかに愉しそうだな」

 鹿島はほころぶ顔を隠しきれずに歩んだ。茶色く生した苔の両側に、道を作るように(みやこ)忘れ(わすれ)が咲き誇っている。微風に吹かれたその紫色の頭を、ゆらゆら揺らしながら鹿島においでおいでと言っているようだった。

 開け放たれた雨戸の奥に整然とした部屋があった。無駄なものは何もないという印象で、畳みだけが目についた。そこに大きな男がごろりと横になってこちらに背を向けている。紺色の着物を見て、それは直行だと悟った。

「きゃっきゃっきゃ、父さま」

 子供の声は部屋の奥から聞こえた。そうっと覗いてみると、鹿島は拍子抜けしたように縁側に両手を着いた。

 子供の姿はどこにもない。直行の奥に見える古めかしい蓄音機が動いているのが分かった。

「なんだ、レコードか」と鹿島は頭を垂れた。金持ちが最新機械を買って、子供の成長映像を撮影するのは昔からよくあることだ。鹿島の青春時代は貧しかったため、そこにある蓄音機などというのは町の酒場程度でしか見たことがなかった。もちろん幼少時代はその存在すらあまり意識していなかったと思う。

 だから一瞬興味が沸いた。

「父さま、今度はこれを歌ってください」

 やや年長のしっかりした口調が聞こえると、続いて男の歌声が上がった。

 伸びやかでなかなか歌いなれた歌声に、つい鹿島はうっかり聞き惚れてしまった。

「父さま〜僕も歌いたいです。」

「父さま、父さま、ナオユキが我が儘言ってうるさいです」

 男性の歌声を邪魔するかのような媚びた声に、もう一人の子供の声が混じった。

「こらこら今はお父様が歌を歌っておられますよ、静かにしなさい」

 澄んだ女性の声が聞こえる。

「こら、ナオユキ!」

 どっとした怒鳴り声にハッと鹿島は我に返った。あの怒鳴り声はまさしく直行のものに似ている。

「きゃっきゃっきゃ、怒られたーー」

 はしゃぐ子供の声に混じってしゃくりあげる子供の声。

(しかしな、レコードに子供の声なんぞが録音されているとは? もしや円盤録音機なんぞまで所有していたのだろうか)

 今のような便利な世の中ではなかった。家庭のありふれた日常を記録する術は今よりそれほど多くはないだろう。

 ふと鹿島の視野に直行の姿が入ってきた。直行の身体がこちらを向いたのだ。

「あ、やぁやぁどうも」

 鹿島は頭を掻いた。が、どうやら直行は寝返りを打っただけらしい。そのまま直行はグゥグゥと寝息を立てて目を開かなかった。

 ざわりと木々が揺れる。部屋に入り込んだ風は、そのまま奥の障子戸をカタカタ揺らした。

 巻き上げるような粉くさい香りに鹿島は目を細めた。

 やがて一瞬も待たずに、その香りは馨しい芳香で鹿島の鼻を突き上げた。眠くなるような錯覚に思わず足元がふら付く。

 目線を下げると、足元の都忘れの揺らめきがどんどん滲んで、取り込まれそうになって思わず鹿島は縁側から離れた。

 ふと、白い影が障子戸をあけて入ってきたのを見た。

 雪のように白く綺麗な若い女だ。女は白い着物の袖を片手で掴むと、そのままこちらに歩み寄り縁側を滑るように降りる。鹿島の横を流れるように通りすぎ、やがてしゃがみこむと目の前の都忘れを二、三本手で接いで直行を振り返った。

『お兄様、井上さんがいらっしゃるのよ、玄関に飾りましょう』

 風の音だろうか。はたまたレコードの音だろうか。雑音がガヤガヤ混じっているような音。

 鹿島は遠のきそうな意識の中、ふらりふらりとその場を立ち去った。


 部屋に戻ると、鹿島は椅子にどかりと腰を下ろした。頭痛と食欲不振に負けて思いっきり肩で息をついた。少し歩いただけでこんなに体調が悪くなるとは……。情けない気持ちで天井を仰ぎ見た。

 そうして目を瞑ると、少しばかり楽になる。そっと意識を閉ざしてみた。

 白い肌。

 白い女性が見えた。

「うっぐ」

 こみ上げるものに驚いて鹿島は目を見開いた。寸前の所で止めに入り、やがて荒く息をつく。直行の部屋で嗅いだあの粉くさい芳香が、鼻の奥にまだこびりついているようだった。その匂いに意識がいくと、自然にあの女が浮かんでくる。

 美しく、白い若い女性。

 鹿島には面識などまったくない女性だった。

 おかしいなと思いながら、今度はゆったりとした睡魔が鹿島を襲った。

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