募りの日本庭園−2
縁側では豊と井上が楽しそうに庭の話をしていた。そんな二人を横目にトイレに立った鹿島は、弟子の仕事した場所でも見てこようと、草履を履いて外に出てみた。
ひとまずホームの玄関から出て、離れの門かぶりの松を眺める。門かぶりとは松の仕立て方法の一種で、枝が門塀の上方に覆い被さるように仕立てられた。それがこの黒百合荘の母屋の門、すなわち直行の居る母屋への入り口に植えられていた。いわばここの「顔」と称しても過言ではない存在である。
それの剪定を豊に任せたのは、まだ歳若い職人とはいえ、弟子として一番信用している人物だからである。
枝の方向を見抜いたなかなかの腕前だと半ば関心しながら、ふと下を見やれば摘んだ葉っぱが幾らか砂利の上に落ちている。おまけに竹ほうきが門の裏側に立てかけたままだった。
「飽きをやらかしたか」
この膨大な庭を一人で手入れするとなると、さすがに集中力も切れるだろう。自分だったら間違いなく、気晴らしに少し散策するはずだ。豊もおそらくこの辺りで集中力を切らし、少し散策していたのだろう。そう解釈して鹿島は延段を歩いた。
古い母屋の重厚な玄関を眺め、建物に沿って左に行ってみる。
「きゃっきゃっ」という子供の声が聞こえてきた気がして鹿島は歩みを止めた。一日何をするわけでもないから、足の具合がいい時はなるべく歩くようにしている。今まで子供の声を聞いたのは今日が初めてだった。
黒百合荘の入居者は基本、何かをするのに咎められる事はない。己の身分とこの施設を深く理解しているからだ。ただ、今回のように平凡な一般人である鹿島は、特例として施設内から出るのを遠慮して貰わなければならないと井上は言い聞かせた。が、それはあくまで【敷地内から出るのは遠慮してもらいたい】という事になった。庭の手入れを要請した人物に庭に出るなとは言えなかったのだ。それでも、敷地内と一言で言っても膨大な面積になる。後ろは雑木林と牧場のような草原。中庭の奥には竹林が覆い、その後ろは広葉樹の林になっている。どこからどこまでが敷地なのかも分からない。「境界杭がありますから分かりますよ」と笑顔で言った井上の顔が思い浮かんだ。
「そもそも、敷地内から出るのは入口だけが安易か」
舗装道路が続くその末を見るように、鹿島は玄関から離れへの門へ足を歩めた。
大きな門かぶりの松が悠々としていた。暴走しかけている枝の行く末を見て、これは早々に手入れをせねばなと鹿島は豊の姿を探した。丁寧に引き詰められた延段の上をゆっくり歩く。所々に植えられた萩が若い葉を大きくしならせていた。
ううむ、と鹿島は唸った。庭木の配置もさることながら、今までの手入れがどれほど鍛錬込めたものだったのかと関心するのだ。
そうして井上の顔を思い浮かべた。
おそらく直行の存在がなければ、井上の風格は上等なものだ。上品な佇まいと無駄のない仕草作法、どれをとっても紳士的であり、同じ男から見ても美しいと思える。それだけで人の上に君臨する資格は充分に兼ね備えている。【伯爵】や【華族】などという肩書きがあってもおかしくない。それなのに人を諂う事無く案外人懐っこいところがあったなと、鹿島はぼんやり思いながら歩いた。そんな井上が頭の上がらない直行という男。
やはり直行の存在はその風格も気迫も井上を大きく超えている。恐ろしいもんだ。
首の後ろを掻きながら鹿島は辺りを見回した。豊がこの辺りにいるはずだ。しんと耳を澄ましてみる。何か物音がするはずだと思った。
「きゃっきゃっきゃ」
鹿島は小指を耳穴に入れてほじくり、何度か唾を飲んだ後もう一度耳を澄ます。
「きゃははははははは」
いるはずのない子供の声が聞こえた。だが、それは直行の離れの方からである。
「お孫さんでも遊びに来ているのだろうか」
鹿島は何となく気持ちが明るくなるのを感じて、声のするほうに足を運んだ。
離れの玄関から左側は竹林が広がっていた。その竹林と建物の隙間を縫うように飛び石が続いている。ひょいと建物から向こう側を覗いて見れば、そこは小さな庭になっていた。庭といっても、あの座敷から見える庭へ抜けるちょっとした小道といったところだろうか。
敷地内の手入れ場所の話をしたときに、井上はここの話はしていなかった。鹿島は辺りを見回して関守石などないか確かめてから足を踏み入れた。
「きゃははは、父様も来てください」
空気がひんやりした。




