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なりゆき


「よく聞け鹿島」

 宵も暮れた酒の場で、遠慮がちに耳打ちしてきたのは議員の山本だった。

 鹿島と彼とは小学校からの腐れ縁。議員になったといっても、兄弟のように仲の良かった幼馴染と言うものはいつまで経っても変わらないものだった。

 その長い付き合いに付き物の、少しばかりのお節介が厄介だなと、鹿島は頭を掻いた。

 とりわけ山本は子供の頃から面倒見のいい親分肌だった。

「いや、俺は独り暮らしでも平気だ」

 何度もそう言った。

 鹿島の息子夫婦が仕事で家を一年ばかり空ける。独りになる親父が心配だとか、そんな事を山本にさらりと相談したに違いない。

 日頃から何かと鹿島にお節介してあげたくてウズウズしていた山本は、待っていましたとばかりにその話に食いついた。

「男一人では何かと不便だろ、足腰が弱いと特にだ」

 山本は酔って赤くなった顔をズイッと鹿島に寄せた。

 このご時勢、すぐにでも入れる施設などない。そんな事は鹿島も分かっていたし、そもそもそういう施設は生活を縛られているようで鹿島は嫌だった。

 だからといって誰かを家の中にあげて世話をしてもらう程、鹿島は全く弱ってはいなかった。

「男は一匹狼で充分だ、というのは若い頃の話だ」

 燻った煙草の煙が、灰皿から亡霊のように立ち上がる様をしばし見入ると、山本はもう一度鹿島に顔を近づけて言った。

「俺が予約している所があるんだが」

 静かにそう言うと山本はにんまり笑う。

「先生が入る所か、まだ元気なうちから予約なんて随分なもんだな」

 さぞかし敷居が高いだろうね、と付け足して鹿島は酒を飲んだ。人手が足りないだのという介護ご時世に、議員ともなればそんな事まで出来るのかと嫌味を込めて笑い返す。

「ふん、議員なんての身分じゃそんな贅沢はできない。世間様の目がお前の目よりうんと強烈だからな。これは我が家代々の隠居先なんだよ」

 山本家は代々続く財閥でもあった。先のバブル崩壊後から、次男坊だった山本が議員を目指して今に至る。

「どうせ一部屋増築して空けてあるんだから、お前が入れ」

「増築?」

「隠居施設の改築のついでにやってもらったんだよ」

 随分と浮世離れた話である。

 

 富士山麓の深い森の入り口に、大きな屋敷がある。

 なんとも数百年続いた名家の屋敷の一角を、江戸の崩壊時代の頃から隠居者を住まわせているというのだ。名だたる大名、時には著名人、有名人、華族、富豪、豪族。

 多くの財産を持った歴史には名のない人間までもが、そこを終の住処にしたのだろう。

 黒百合館は、古から伝わるご隠居邸だ−−と山本は言ったが、鹿島にとってはどうも眉唾なものだった。


「まさか引退を考えているのか」

 鹿島が目の前の山本の顔を見ると、彼はおかしな話を聞いたとばかりに鹿島の肩を叩いて首を振った。

「いや、もう少しは世間の荒波に飲まれそうだがな」

「何も俺でなくても順番待ちしているご老公が沢山いるじゃないか」

 グラスに口をつけたまま鹿島は言った。

「まぁ確かにな、あのな、鹿島」

 山本の口調がキリッと締まった。

 指に挟んでいた煙草を灰皿に置き、揺るぎない視線で鹿島を捉える。

 その威厳たる佇まいは、テレビでよく見る山本議員になっていた。ぎょっとして鹿島も持っていたグラスをテーブルに置いた。

「この世には表に出ない事柄が沢山あるんだ」

 重みのある声に気圧されて、そうかと鹿島は無意識に相槌を打った。

「天下りなんてもんは一昔の官僚のやっていたことだ。それすらも出来ない重要なポストについている輩も世には居る」

 尚も相槌を打ちながら鹿島は頷いた。

「そういう輩だって歳を取ると仕事を辞めなければならないだろう、なぁそうだろう」

 ふっと周りの空気が和んだ。山本の目尻に笑みが戻った。

「だが、そういう重要なポストから退いた人間はな、なんたって住む世界が違う。」

 未知の世界だなと、鹿島は山本の顔を見ながらボンヤリ思った。

「その住む世界が違う場所に俺を追いやるのか、あんたも酷だね」

 グラスから滴った水滴を指でなぞりながら鹿島は呟いた。

 俄然と首を縦に振るつもりはなかったが、山本がこういう姿勢を見せるときは回避しきれない。権力を握った知り合いを持つ民間人とは、なんとも肩身が狭いもんだと鹿島はため息をついた。

「お前が心配しているような、余計な関与はされない環境なんだがなぁ」

 短くなった煙草を灰皿に押し付けて山本は鹿島を見た。しばらく沈黙が続くと、鹿島は思い切ったように顔を上げる。

「いやぁ駄目だ。そもそも金がない」

 そういい切るとグイッとグラスを煽った。

「お前な、考えてみろ。俺が建てた−−わけではないが、金を払って増築させた一軒家に赤の他人にどうぞ自由に使って下さいなんて言えるか? お前にだからこそ、一年ぐらい貸してやってもいいって言っているんだぞ」

 ここまで頑なに断られるとは思っていなかった山本は、いよいよ身を乗り出した。独特の大きな両眼を見開いて鹿島に寄る。

「そもそも一軒家じゃないだろう」

 眉を顰めて鹿島は身をよじった。

「一軒家みたいなもんだ、家の主には全部許可を得た上で、俺が設計して増築した部屋なんだぞ。赤の他人が使った後の部屋になんぞ俺は住みたくねぇ」

「誰にも住ませなけりゃいいじゃないか、わざわざ俺が引っ越す程のもんじゃない」

「それがだな、家っていうもんは部屋でも廊下でも使ってないと古びるんだよ」

 金は心配するな、一年くらい俺が面倒みてやるよと大口で笑い飛ばしたのだ。

「それなら俺の家は一年ぐらい放って置いて古びてもいいってのか」

 鹿島は鼻で笑って仰け反った。

「お前よ、俺の部屋はもうかれこれ2年も誰も使っていないんだぞ、お前の家はお前が出るまでお前がいるんだぞ、一年ぐらい俺の部屋に比べれば幸せじゃないか」

「言っている事がめちゃくちゃだぞ、先生」 

「お前には世間の愚痴を聞いて貰っている恩がある。こういう身分になると壁に耳在り障子に目ありで全てが敵だ」

 にんやりと微笑した。勝ち目は鹿島にはもうない。「ノー」でも「いいえ」でも言おうものなら、頭からガップリ噛り付かれるような勢いに鹿島はただ項垂れた。

「部屋の維持費は入所しようがしまいがもう払い始めているんでね。まぁ微々たるもんだ」 

 浮かない顔の鹿島を見やり、勝ち誇った顔で愉しそうに笑う。

 やがて一変して、心底困ったような表情を工作して山本は続けた。

「ただねぇ、ひとつだけあんたには苦労かけそうだが」

 そう付け足して山本は、鹿島の耳元に小さく囁いた。

「……どういう事だ」

 話を聴き終わって、鹿島は眉を顰めた。

「まぁ、あまり首を突っ込まないで部屋に篭っていろ、どうせ一年だけだしな、一匹狼、干渉されたくないお前にはいい待遇だろう」

 盆栽でも工作でも好きな事をして過ごせばいい。空になった鹿島のグラスに、酒を手尺して肩を二三度叩いた。そうして入れたばかりだというご自慢のインプラント前歯を、わざと見せるように歯をむき出して笑う。とても満足そうに。

「気に入ったら俺が隠居するまでは、棲んで貰ってもかまわんしな」

 そしてまたも豪快に笑った。





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